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「ええ、もちろんあなたは生きています」紳士が口を開いたのはちょうど橋を渡り終えた時だった。
「死んでいると思ったのですか?」
「はあ……」
「あはは、あなたはおかしい人だ」紳士は笑った。
「自分を死んでいると勘違いした人を、私は初めて見ました。いや、まことにおもしろい」
おかしいのはあんただ!そう言ってやりたいのを、私はなんとかこらえた。
その存在自体おかしい人に、おかしいと言われるなんて納得がいかない。
「ということは」私は、やけになって言った。
「私は今から死ぬんですか?そして、あなたが天に連れて行くと?」
紳士は少し考えてから口を開いた。
「それは、私もよく分かりません。でも、今から死ぬというのは当たり前じゃないですか?人はいつか死ぬんですから。あなたはまだ若いのだから、今すぐ死ぬ可能性は低いでしょう」
「訳が分かりません」私は正直に言った。お手上げだ。
「あなたは、勝手に妄想しすぎなんですよ」紳士は穏やかに言った。
「それでは、どうして私はあなたのことが見えるんですか?山田さん、先ほど会ったおばあさんには見えなかったのに」
「それは、私があなたを散歩にお誘いしたからです。先ほどのおばあさんは、失礼なことを言いますと、散歩にお誘いしたいと思うほど美人な方ではありませんでした」
「……」
「まあ、年をめされてましたから仕方がないですな」紳士は弁解するように言った。
「つまり」私は、左手でこめかみを押さえながら言った。頭痛がしてきたのだ。
「あなたが私に声をかけたのは――――」
「あなたが美しかったからです。それに、どこかであなたにお会いしたことがあるような気がしたからです。気のせいでしょうけど」
「……」私は言葉が出なかった。
「見てください」
しばらくの沈黙を破ったのは、紳士だった。紳士は、道の脇に咲いている花をさして言った。
「なんてきれいいなんでしょう!」
「ええ、そうですね」私は上の空で言った。
ふいに紳士は悲しそうな顔をした。
「感じないんですか?」
「何をです?」
「春の喜びですよ。生の喜びですよ」紳士は両手を広げていった。
「はぁ」
「厳しい冬を越えて、暖かな春の到来を喜んでいる生命が、私にはいきいきと見えるんです。この躍動感。私の胸は今幸福感でいっぱいです」
「はぁ」
「私の気持ち分かりませんか?」紳士はまたしゅんとしていった。
「いえ、全くわからないわけではありません」私は正直に答えた。
「私もこの季節が一番好きですから。そしてこの道も」
「そうですか。それは良かった」紳士は嬉しそうに言った。
「ただ」
私はどうしても事をはっきりさせたくて切り出した。
「ただ?」
「あなたのことで頭が混乱してて……。そもそもあなたはどうしてここに来たのですか。私と散歩する以外に用があってここに来たんですよね?」
「そのとおりですよ」紳士は微笑んで言った。
「私はこの先の老人ホームに用があるんです。どうしてもしなければならない用が」
ここで私はようやく理解した。
「なるほど」私は満足して言った。
「全ての謎が解けました」
私は、かねがね言ってみたいと思っていた台詞を言った。推理小説によく出てくるこのきめ台詞。相手が人でないなら恥もない。
「あなたは老人ホームの誰かを迎えに来たのですね。ですがあなたは、その前に少し散歩をしようと思ったんです。だから私と天への散歩というのは嘘だったんです。天への散歩に誘うのは私ではなく老人ホームにいる誰か」
「確かにあなたと天への散歩というのは嘘です。というよりはほんの冗談です。まさか本気にしているとは思いませんでしたよ」
最後の一言で、私はもう嫌だと思った。謎を解いたという達成感は水の泡となって消えた。いろいろ悶々と考えたせいで頭が痛い。
そろそろこの変な老人から解放されたい、そう思った時だった。
「残念ですが、そろそろお別れの時間のようです」紳士が立ち止まって言った。、