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かくて聖者は《奇蹟》に抗う  作者: RYO太郎
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第一章  ジェラード邸事件 その⑤





「――だが、諸卿らの知らぬ事実がここにある!」


 峻烈な声、という表現があるならば、まさにこの声がそうであろう。


 ひと声で貴族たちの意識を過去から現在に引き戻すことに成功したカルマンは、語調そのままに、余人が知らぬ秘められた事件の「裏側」について語りはじめた。


 カルマンは言う――。


 ひとつ、事件現場となった屋敷で働いていた料理人は全部で十五人。だが、調理場で遺体となって発見されたのは十四人だったこと。


 ふたつ、後日、湖で溺死体となって発見された残りの一人は、事件の一ヶ月前までジェラード侯爵の屋敷で働いていた料理人であったこと。


 みっつ、ベルド家の陰謀と結論づけた憲兵隊長が、その後、この湖水地方の一角に、およそ憲兵の俸給ではとうてい入手不可能な豪華な別荘を建てていたこと。


 さらにその土地は、ジェラード侯爵の親族から譲りうけたものであったこと……。


 カルマンが語り終えたのと前後して貴族たちの間にはざわめきが生じたが、彼らの面上に浮かんだ心の声は「まさか」という驚きのものではなく、「やはりな」という得心のそれだった。

 

 それも当然で、一連の事件の裏には、シャラモンの政敵(ライバル)であったジェラード侯爵とその一派による「なんらかの関与」があったのではないかと、貴族たちの間ではまことしやかにささやかれていたのだ。

 

 それを公然と口にする者がいなかったのは、むろん確たる証拠がなかったからだが、それ以上に彼らを沈黙に走らせたのは、宮廷内において最大の政敵が消え、名実ともにバスク最大の貴族となりおおせたジェラード侯爵に睨まれたくはない、という自衛本能が働いたのもたしかであった。

 

 ざわめきがおさまると同時に、貴族たちの視線があわただしく動きだした。

 

 期せずして視線が注がれた先にいたのはジェラード侯爵である。

 

 不審と疑念に満ちた貴族たちの視線を浴びて、バスク最大の貴族はおもわず声をわななかせた。


「ば、ばかな! まるで私が裏で陰謀の糸をひいていたような言いぐさではないか!?」

 

 ジェラード侯爵を見すえるカルマンの顔に、優美なまでの冷笑が浮かんだ。


「そのとおりだ、侯爵。すべてはきさまの奸計であったのだ。謀略と刺客をもってわがベルド家に大逆犯の濡れ衣を着せたこと、よもや知らぬとは言わぬであろうな?」


「な、なにを世迷いごとを言うかっ!」


 激憤のきわみ。ジェラード侯爵は床を蹴りつけて吐きすてると、カルマンに指を突きつけてあらたな怒号をその顔に投げつけた。


「きさまっ、妄言(もうげん)もいいかげんにしろ! そのような大それたことをして、いったい私になんの益があるというのか。下手をすれば、大逆犯として処断されていたのは私のほうではないかっ!?」


 口から唾を飛ばしてわめくジェラード侯爵を、カルマンは冷然とした目で見すえた。


「そう……きさまの言うとおり、一連の謀略にはきさまにもそうとうな危険(リスク)をともなわせることはたしかだ。だが、どれほどの危険をともなおうとも、きさまにはそれをやらなければならない事情があったのだ」


「じ、事情だと……?」


 なんのことだ、と反問したげな表情のジェラード侯爵に答えることなく、カルマンは貴族たちに向き直って高い声を吐きだした。


「諸卿らは知っていたか。国王ハルシャ三世が、次の国王に第二王子のグレシャム王子を即位させる意向であったことを!」


 そう言い放つとカルマンは口を閉じ、自分の発した言葉の効果を楽しむかのように、薄笑いをたたえて貴族たちを眺めやった。

 

 自らの発言に対する貴賓たちの反応は、カルマンが期待したどおりの、否、それ以上の成果をもたらした。

 

 誰もがカルマンの言葉に「とほうもない衝撃」をうけて、ざわめきすらなく壇上のカルマンを凝視していたのだ。

 

 バスク国王ハルシャ三世には二人の息子がいる。

 

 一人は、この年二十七歳になる長男のウォレス王子。

 

 もう一人は、五歳年少の次男グレシャム王子である。

 

 ともに洗練された容姿の王子たちであるが、こと性格となると、そこには実の兄弟とは思えないほどの違いがあった。

 

 長男のウォレス王子は、二年前にジェラード侯爵の娘を后に迎えいれて家庭をもうけたが、神聖王国の模範的君主と評されている父王とは対照的に、信仰心や倫理とは無縁の人物で、幾人もの愛妾(めかけ)をかこい、商人から賄賂を受けとり、同年代の貴族たちと毎日のように遊び歩くという放蕩三昧の生活を送るなど、父王の悩みの種となっていた。

 

 一方、次男のグレシャム王子は、父王同様、ダーマ神教の敬虔な教徒で、教義で定められている朝夕二回の礼拝を怠ったことは、洗礼をうけた五歳のときから一度もない。

 

 まだ独身であるにもかかわらず、異性との交流よりも神学などの学問を好むという性格で、奔放な兄からはたびたび変人扱いされていた。

 当人は第二王子という立場もあり、王族としての人生よりも僧籍に入り、聖職者としての立身を考えていたようである。

 

 放蕩癖のある第一王子と信仰心の厚い第二王子。対照的な性格の二人の王子にバスクの貴族たちは「愚兄賢弟の見本だな」などと、陰でささやいていたものである。

 

 バスク王家にかぎらず長子即位は王位継承の基本ではあるが、王家の将来を考えれば父王の判断はむしろ英断ともいえた。

 驚愕から解放された貴族たちの顔に一転して納得の色が広がったのは、彼らも国王の判断を英断と思ったからであろう。

 

 だが、そのように考える貴族が大勢を占める中で、ただ一人、蒼白の態で沈黙を守る貴族の姿をカルマンの碧い目は見逃さなかった。


「ふふふ。さすがにきさまだけは、皆と思いを等しくというわけにはいかぬようだな、ジェラード侯爵」


 冷笑まじりの一語に鼓膜を刺激されたジェラード侯爵は、はっとわれに返り、壇上のカルマンを見返した。


「な、なんのことだ?」


「きさまにしてみれば、王族をはじめ多方面にあらゆる手を尽くし、ようやく自分の娘をウォレス王子の后とすることに成功したというのに、弟のグレシャム王子に即位されてはその苦労も水の泡となってしまう。商人どもの言葉を借りれば、それまでの投資が無駄になる。そうであろう、侯爵?」


 国王の義父として権勢をふるおうとしていた野心と、そのための尽力が無為になる恐れがあることをカルマンが薄笑いまじりに指摘すると、またしても憤激のきわみ、ジェラード侯爵は歯をむきだしにしてわめきだした。


「そ、それがどうしたというのだ! 次期国王の即位の話と、きさまの父親が犯した事件と、なんの関係があるというのだっ!?」


 カルマンは繊弱(せんじやく)なあごの付近に、肉食獣めいた微笑をたたえた。


「ジェラード侯爵。きさまの狙いは国王の岳父として権勢をふるい、このバスクを実行支配することにあった。ところが、ハルシャ王が次男のグレシャム王子を即位させる意向であることを、おそらくきさまはウォレス王子から聞いたのであろう。そのことを知り、きさまはウォレス王子以上に驚き、焦り、そして考えた。即位の件を国王が発表する前に、わが父シャラモンを利用して国王を謀殺してしまおうと。いや、きさまたちというべきかな。なぜなら国王弑逆計画には、娘婿たるウォレス王子も加担していたのだから……」


「――――!?」


 今宵、何度目かとなる「峻烈な静寂」が広間内をつつみこんだ。


 カルマンの語調がごくさりげないものであったため、発した言葉がもつ意味の重大さを貴族たちはとっさに理解できなかったのだ。


 ややあって、言葉の意味が正確に貴族たち一人一人の脳裏に染みわたったとき。彼らの面上に広がったのは、もはや驚きや困惑といった単純な感情ではなかった。


 戦慄、畏怖。そして恐怖――。


 外戚の貴族が主君の弑逆を企て、娘婿である第一王子がそれに加担する。


 陰謀、奸計、醜聞、中傷が渦をまく貴族社会が当然のように生きている彼らですら、長子と外戚による国王謀殺計画の「真相」を聞かされては、平静を保つのは不可能だった。


 そんな貴族たちの心情を敏感に感じとったのであろう。

 バスク最大の貴族は、声に一割の怒りと九割の虚勢をこめてまたもわめいた。


「だ、黙れ、なにを言うか、この()れ者がっ! いったい、なんの証拠があってそのような恐ろしい妄言を口にするかっ!?」


「ほう、妄言ときたか」


 カルマンはニヤリと笑い、赤い舌で唇を舐めた。


「ならば見るがよい、侯爵。きさまが呼び集めた貴族たちの顔を。このカルマンが根拠のない妄言を並べたてているかどうか、よくわかるはずだ」

 

 ジェラード侯爵ははっとして周囲を見わたした。

 疑念と不審に満ちた表情の貴族たちに気づいたのは直後のことである。

 

 否、侯爵に向けられる彼らの表情は、もはや疑念や不審の類ではなく、あきらかに「断定」をしているそれであった。

 

 そのことがジェラード侯爵の目にもあきらかだったので、たちどころにその顔が狼狽にひきつった。


「ば、ばかな、妄言だ。す、すべてこの男の(いつわ)り……!?」


 言葉になっていたのはそのあたりまでで、あとはたんなるあごの運動でしかなかった。


 血色を失った面上で唇は上下左右に動いてはいたものの、声らしきものはまるで聞こえない。


 かわりに広間の空気を微動させたのは、カルマンの高く通った笑声だった。


「表情は人の心情(こころ)を映す鏡というが、まさにそのとおりですな、侯爵。彼らの顔を見るがいい。やはりそうだったのかと、無言で納得していますよ。ハッハッハ!」


「だ、黙れ、黙らんか、この痴れ者がっ!!」


 完全に逆上したジェラード侯爵は、怒りに血ばしった眼光をヒステリックな声もろとも広間の隅に投げつけた。

 待機しているというよりは、無為に立ちつくしている屋敷の警備兵の姿がそこにある。

 

 邸内の警備とあって、兵士たちは皆、甲冑ではなく黒の礼服を着用していたが、その腰に帯びた長剣が彼らが兵士であることを証明していた。


「ええい、警備兵よ、なにをしておるか。ここにいるのは国王陛下の弑逆を企てた悪逆な手配犯ぞ。はやく取り押さえ……」


 言いさして言葉をのみこんだジェラード侯爵は、より苛烈な命令を兵士たちに下した。


「いや、斬れ。この男を斬り殺せっ!」


悲鳴にも似た主人の命令が鼓膜を刺激すると、それまで事態(なりゆき)を黙して見守っていた警備兵たちはようやく自分たちの存在意義を思いだしたらしく、いっせいに動きだした。

 

 床を蹴って演壇の前に駆けつけ、たちまち半包囲すると次々に腰の剣を鞘走らせた。


 抜剣の手際といい、剣をかまえる姿勢といい、いずれの兵士も相当な剣手であることをうかがわせたが、そんな兵士たちに包囲されても壇上のカルマンにたじろぐ様子は見られない。

 むしろ興がった薄笑いすらその顔には浮かんでいた。


「きさまにも教えてやるぞ、ジェラード。絶望の中で死んでいく恐怖というものをな……」


 灼熱の光を両目にたたえながら、カルマンはゆっくりと壇上から降りてきた。


    


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