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かくて聖者は《奇蹟》に抗う  作者: RYO太郎
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第一章  ジェラード邸事件 その④





「お、おい、あれはもしかして……?」


「ああ。あの青年はたしか、ベルド伯爵家の……!?」


 たちまち低いどよめきが波紋となって、一部の貴族たちの間に広がった。


 およそバスク王国の人間であれば、身分や階級を問わず、ベルド伯爵家を知らぬ者はいない。

 ジェラード侯爵家に匹敵する名族として、三つにまたがる領地と五万の領民を有するバスク王国屈指の大貴族である。


 過去に幾人もの王妃を排出した王室外戚(がいせき)としての権勢は絶大で、貴族社会においてその競争者(ライバル)と呼べる相手は、同じ外戚として一大閥を築くジェラード侯爵が存在するだけだ。


 すくなくとも、かつてはそうだった。


 その貴族社会における勢力関係(パワーバランス)に異変が生じたのは、今から三ヶ月前のこと。

 ベルド家の当主であるシャラモン・ベルド伯爵に、国王の暗殺を企てていたという嫌疑がかけられ、宮廷から失脚したのだ。


 自らにかけられた嫌疑に対してシャラモンは当初から冤罪を訴えていたが、幾度かの調査と裁判を経て国王から死罪を言いわたされると、もはや弁明の無意味さを悟ったのか。一族郎党をひきつれて領地内の城に篭城。その地で私兵と傭兵あわせて八千の兵を動員し、身柄拘束のために国都から派遣されてきた国軍との戦いにうってでた。


 しかし、ジェラード侯爵を主将とする三万の国軍の前では、八千の兵など多勢に無勢。

 わずか一戦をもってベルド家の私兵団は蹴散らされ、ほどなく立て籠もっていた城も陥落した。

 

 火炎と黒煙につつまれた城内で、シャラモンをはじめとするベルド一族はことごとく自害して果てた――ものと思われていたが、後日、国軍が遺体確認のために城内に足を踏み入れたとき、その中にシャラモンの長子カルマンの遺体だけがなかった。


 わずかに生き残った家人の一人を問いつめると、一人だけ自害を拒否し、城の地下通路を使って外界に逃れたという。 


 その一報に憤然となったジェラード侯爵は、すぐに追っ手の兵をさしむけたが、幾日が過ぎても、その行方はようとしてつかむことができなかった。


 その後、カルマンは大逆犯として高額の懸賞金とともに国中に手配されたが、ひと月ふた月と時間が経つにつれ、先の戦いで負傷しているという情報もあいまって、おおかた逃げ隠れたどこかの山中でのたれ死にしたのであろうと、バスクの人々はささやいていた……。


「まちがいない、あれはカルマン卿だ。まさか生きていたとは……」


「それにしても、彼はなぜ侯爵邸(ここ)に?」


 一部の貴族たちの間で驚きと困惑のささやきがかわされる中、逃亡犯らしからぬ堂々とした足どりで歩を進めてきたカルマンは、やがて広間の一角で足を止めた。


 彼の前には黒檀造りの大きな演壇がある。

 ジェラード侯爵が自身の演説用に用意したもので、壇上に立てば広い会場を隅々まで見はるかすことができる。


「ふむ、ここがいいな」


 低い独語を漏らすとカルマンは演壇にあがり、豪勢な宴の席を堪能している貴族たちの姿を一瞥した後、息とともに朗々たる声を口から放出した。


「お集まりの貴顕淑女の皆様。この場をお借りして、私カルマン・ベルドより皆様にご報告したいことがございます!」

 

 高く通ったその声でようやくカルマンの来訪を知った貴族の数は、来場者の八割にのぼった。

 フランツもその一人である。

 

 演壇に立つ青年貴族の姿を確認すると、フランツの脳裏でいくつかの記憶がいりまじり、やがて一人の人名が浮かんできた。

 

 直接の面識はないが、大逆犯として国中に手配されている逃亡者の顔を、当然ながらフランツは記憶していたのだ。


「あの青年はたしか、ベルド家のカルマン卿では……?」


 たちまちフランツの面上に困惑の色が広がったのも当然である。

 手配中の逃亡犯が舞踏会の席に姿を見せるなど、およそ考えられることではないからだ。

 

 ましてや、ここはジェラード侯爵の屋敷である。

 

 ベルド家にとってバスク宮廷における最大の政敵であった貴族であり、二ヶ月前には国軍の主将として一族そのものを討伐した、いわば仇敵の屋敷である。

 それだけにカルマンの予想だにしない突然の来訪は、フランツを心から驚かせたのだ。

 

 むろん、それはフランツにかぎった話ではない。

 カルマンのまさかの来訪に広間を埋めつくす貴族たちは、一様に驚き、声を失い、あ然とした顔を見交わしている。

 それでも屋敷の主人がうけた衝撃にくらべれば、フランツたちの心情などささやかなものだったかもしれないが。


「そ、そなたは……!?」


 あえぎにも似たその声に、壇上のカルマンは眼球だけを動かして視線を転じた。


 視線の先にいたのは、表情を蒼白にさせたジェラード侯爵だった。

 妻を捜すためにいったん広間を出ていたものの、執事の一人から事情を聞き、あわてて駆け戻ってきたのだ。

 

 そのジェラード侯爵。駆けつけてカルマンの姿を壇上に視認するなり声を失い、目玉をむいた。

 父親ほど面識はないものの、その長子たる人物を侯爵は記憶していたのだ。


 王宮、荘園、狩猟場、舞踏会。そのほか貴族間のさまざまな会合の場で顔を合わせるたびに、父親ともども敵意にみちた声と視線を向けてきた青年貴族の顔を。

 

 炎上する城からただ一人逃げだし、大逆犯の身内として国中に手配された逃亡犯の顔を。

 

 だが、それ以上にジェラード侯爵を驚愕させたのは、屋敷への来訪そのものにであった。

 正確には、屋敷の中に入ってきたことにである。

 

 今宵のジェラード侯爵の屋敷は、国王が臨席する予定であったこともあり、厳重すぎるほどの警備下にあった。

 

 自身の私兵団から選抜した精鋭五十人を邸内に配置したのにはじまり、敷地内や周囲の森にも獰猛な番犬をひきつれた兵士三百人を巡回させ、さらには、敷地の南側に広がる湖にも百人の兵士を船で湖上の警備にあたらせていた。

 

 ジェラード侯爵にしてみれば、「ネズミ一匹、忍びこむ隙間もない」ほどの警備体制を敷いたつもりであったのに、カルマンはその屋敷の中に堂々と乗りこんできたのだ。

 底知れない驚きに侯爵が舌をもつれさせたのは当然であろう。


「そ、そなた、い、いったいどうやって屋敷に……!?」


 毒々しい薄笑いがそれに応えた。


「じつは逃亡犯として追われる日々の中で、幸運にも天使と知り合いましてね。今宵はその天使に、上空(そら)からこの屋敷に送迎してもらったのですよ」


「な、なにをふざけたことを!」


「ふふふ。まあ、天使うんぬんは冗談ですが、人間(ひと)を超越した存在と知己をえたのは本当でしてね」


 その声は他者に向けて発せられたというよりは独語(つぶやき)に近かったため、ジェラード侯爵の耳には届かなかったようである。


 そのジェラード侯爵がさらに何事かを口にしようとしたとき、カルマンが機先を制した。


 ふたたび広間内の貴族たちに視線を転じると、高く通った声を発したのだ。


「お集まりの貴顕淑女の方々。ご承知のとおり、先般、わがベルド家は国王暗殺未遂といういわれのない嫌疑をかけられたあげく、国軍による討伐をうけました。しかし、わが父シャラモンにかけられた一連の嫌疑はすべて、用意周到に仕組まれた謀略にすぎません。そう、かの事件はすべて、ある勢力による奸計(かんけい)であったのです!」


 わずかな間をおいて、またしても貴族たちはざわめきだした。

 彼らは一人として、バスク国内を震撼させたかつての事件を忘れていなかったのだ。


 それは、バスク国内が冬から春へと移り変わろうとしていたた三ヶ月前のことである。


 バスク貴族の雄として知られるベルド伯爵家の当主シャラモンは、今宵のジェラード侯爵同様、自身の屋敷に国王ハルシャ三世をはじめとする複数の王族や、宮廷内で閥をつくるベルド派の貴族たちを招き、舞踏会を催していた。


 絢爛な舞踏会も半分を折り返した頃。シャラモンはハルシャ三世と一部の側近貴族を別室に誘い、そこで自身が所有する希少な年代物の葡萄酒(ワイン)を愉しもうとした矢先、その事件は起きた。

 

 誘われた貴族の一人が、自分が連れてきた飼い猫に冗談のつもりで葡萄酒をひと口だけ舐めさせたところ、その猫はたちどころに泡を吹いて死んでしまったのだ。場が騒然となったのは言うまでもない。


 しかも毒は葡萄酒のみならず、肴として特別に用意された料理の中にも混入していることが判明した。

 

 驚愕したシャラモンが屋敷の調理場に駆けこむと、そこでは屋敷で働く料理人たちが口から血と泡を吐いて倒れていた。

 

 彼らの足下には、割れたグラスの破片と葡萄酒の瓶と液体が飛散していた。

 中毒死であることは誰の目にもあきらかだった。


「シャラモン卿! 貴公は国王陛下の弑逆(しぎやく)を画策し、あまつさえ、毒の混入を命じた料理人たちをも口封じのために害したのだなっ!?」


 喪心したように立ちつくすシャラモンにそう糾弾の声を浴びせたのは、つい先日、ジェラード侯爵の閥から転じてきたバルツァイ男爵という中年の貴族であった。


「な、なにをばかなことをっ!?」


 おもわぬ糾弾をうけて、シャラモンは声を震わせてわめいた。


 わめく以外、そのときの彼になにができたであろうか。


 その後の展開ははやく、急報をうけた憲兵隊が屋敷に駆けつけ、たちまち本格的な調査がおこなわれた。毒殺未遂の状況証拠は十分すぎるほどであったが、肝心の物的証拠を見つけるためである。


 そして、それは邸内からすぐに発見された。


 シャラモンの書斎にあった黒檀造りの机の抽斗(ひきだし)から、薄紙に包まれた毒薬の粉が見つかったのだ。


 シャラモンは身に憶えのない旨を必死に訴えたが、もはやその声に耳をかす者は誰もいなかった。

 

 かくしてベルド家は、王家の外戚という名門の家柄から一転、大逆犯という不名誉な烙印を家名に刻まれたあげく、シャラモンをはじめとする伯爵家の人間は皆、すべての調査が終わるまで自宅での軟禁下におかれた。

 

 国軍兵士に屋敷を包囲される日が一日、また一日と続く中、無実であることはすぐに判明するとシャラモンは考えていたのだが、事件の調査を担当した憲兵隊は、ベルド家が一族ぐるみで国王の弑虐を画策していたと結論づけた。


 その報告に激怒した国王ハルシャ三世は、女性や子供を問わず、すべてのベルド一族の人間に死罪を言いわたした。二ヶ月前のことである。

 

 これが貴族たちが記憶する、のちに「ベルド邸事件」と称されることになった国王弑逆未遂事件の顛末(てんまつ)であった……。











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