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かくて聖者は《奇蹟》に抗う  作者: RYO太郎
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第七章  黒妖の魔騎士  その①



 キリコとガウエルが新たな戦いの場を求めて屋敷内を駆けている同時分。馬車庫へと続く石畳が敷きつめられた中庭の路を、リンチ王と彼の部下たちが血相をかえて走っていた。 


 彼らの目的は、むろん炎上と爆発を続ける屋敷から馬車を使って逃れるためだが、これが「敵前逃亡」であるとはリンチ王は微塵も思っていない。あくまでも一時的な「戦略的撤退」であると信じて疑っていない。


 だからこそ極度の焦燥に顔面を青白くさせながらも、語気を強めて次のように言い放ったのである。


「見てろよ、小倅め。必ず今一度捕らえて、今度こそ断頭台ギロチンにかけてやるぞ!」 


 決意というよりは妄執の誓いも新たに、馬車庫から近衛兵たちが引き立ててきた馬車に乗りこもうとしたまさにその時。リンチ王はにわかに重大な事実に思いいたり、慌てふためいた態で部下たちに質問を投げつけた。


「そ、そうだ。王女は……エリーナはどうしたっ!?」


「…………」 


 返答はなかった。


 ギュスター伯爵もボイド爵も、フロスト近衛隊長も麾下の近衛兵たちも皆、黙然とその場に立ち尽くして王を見すえている。 


 屋敷の裏門から逃げだそうとしたエリーナ王女を捕らえ、リドウェル候爵らの助命と引き換えに王妃となる誓約を得てから邸内の一室に戻させた。そこまでは彼らも憶えている。


 問題はそこから先の、邸内の一室に戻った王女の「現状いま」というものを誰も知らないことだった。 


 否、実のところ、彼らはエリーナ王女が現在どのような状況下にあるかということは、ある程度推測ができた。


 にもかかわらず誰もその事をリンチ王に伝えなかったのは、それを口にしたら最後、目も眩むほどの「災厄」がわが身に降りかかるであろうことを敏感に察していたからだ。


 だからこそ彼らは王に問われても無言を保ち、その一方で眼球だけを動かして視線をかわし、暗黙のうちに共通の結論をだしたのである。


 すなわち「余計なことは言わない」という結論を。 


 だが彼らの無言の連携は、リンチ王が発した次のひと言で水泡に帰してしまった。


「し、しまった! 急いでエリーナを連れてこなくてはっ!!」 


 リンチ王にしてみれば、王女エリーナは「簒奪者」という不名誉な呼称を消してくれる唯一の存在。


 ここで失うことにでもなれば、前国王の義理の息子になるという計画がご破算となり、一生簒奪者の汚名を抱えて生きなければならない。王としては断じて失うわけにはいかなかった。 


 だが狼狽する国王とは逆に、失ってもいいだろうと考える者たちもいた。ギュスター伯爵をはじめとする家臣一同である。


「へ、陛下、この炎ではもはや手遅れにございます。ここは御身の安全だけをお考えくださいましっ!」 


 あんたが逃げなきゃ、我々も逃げられないんだからさ! リンチ王に退避を訴えるギュスター伯爵の口調と表情は暗にそう主張していた。


 むろんリンチ王とてギュスター伯爵に言われるまでもなく、自分の身の安全のことぐらい考えている。


 だからこそ屋敷の主人の肩に手を置きながら次のように命じたのである。


「こうしてはおられん。ギュスターよ、近衛兵を何人か率いて早く王女を連れてまいれ。予はここで待っておるから安心するがよいぞ」


「へ、陛下っ!?」 


 まさかの王女救出隊の責任者に任命されて、ギュスター伯爵は悲鳴と同時に左右の眼球を飛びださせた。 


 それも当然であろう。繰り返される爆発ですでに屋敷の内はどこもかしこも先が見えないほどの黒煙と熱気が充満している。この状況で屋敷内に戻るというのは、まさに自殺行為にも等しいことである。


 それは誰の目にも明らかなことであったのだが、「冗談じゃないよっ!」と叫びたげに血相を変えるギュスター伯爵を、リンチは毒炎のゆらめく目でじろりと見すえた。


「それとも何か、ギュスターよ。王女の死の責任を問われて爵位も領地も没収されて、元の貧乏貴族に戻りたいのか?」


「…………」 


 かくして王女救出という勅命を受けたギュスター伯爵は、半泣きになりながら燃えさかる屋敷の中へと駆け戻っていったのである。 


 もっとも、その伯爵以上に泣くに泣けない心境であったのは、救出隊員に指名された数名の近衛兵たちのほうかもしれないが……。


 


         †




 重なりあう二種類の疾駆音がしだいにその音量を増してきた直後。重厚な鉄造りの扉は異音を発して吹き飛んだ。 


 砂塵と埃とがもうもうと宙空に噴きあがる中、倒れた鉄扉を踏みつけながらまずガウエルが飛び出し、わずかに遅れてキリコも飛び出してきた。


 疾走を続ける二人の行く手には、解放された空間が広がっていた。 


 ガウエルが戦いの場に選んだ場所。それはギュスター邸本館の屋上だった。 


 屋上といっても、そこは市井の民家がゆうに十軒以上が収まるであろう規模をもち、二人どころか二十人で乱闘しても余りある広さである。 


 レンガ材と芝とが床一面に敷きつめられ、四方には二メイル(約二メートル)ほどにも成長した常緑樹の植えこみが、まるで壁のようにめぐらされている。


 高台特有の強い横風がそこには吹いていたが、周囲から吹きつける火炎の熱気によってその風向きは一瞬ごとに変化していた。


 その屋上の中央にまで駆け至ったとき。ガウエルはにわかに足を止めて踵を返し、赤毛の追跡者に向き直った。


「どうだ、ファティマの猟犬よ。われらの戦いにふさわしい場所と思わぬか?」 


 キリコもゆっくりと足を止め、その声に応えた。


「たしかに見晴らしもいいし悪くはないな。これでもう少し涼しかったら最高なんだが」


「フフフ、賛同痛み入る。では行くぞっ!」 


 吠え猛るのと同時にガウエルは床を駆り、手にする大剣が鋼の旋風となってキリコに打ちこまれてきた。


 先刻の通路内での一撃をも凌駕する迅速で苛烈な一刀。だがその苛烈な猛剣をまたしても一瞬の動きで後方に飛び退ってかわすと、その間際、キリコは内懐から数本のナイフを取り出し、さらに猛迫してくるガウエルめがけて投げ放った。


 数条の黒い閃光が宙空を飛翔し、ガウエルの顔面に殺到する。


 迫り来るナイフの群をその両眼で捉えたとき、その口端に嘲笑にも似た笑みがこぼれたのは不死の肉体の所有者ゆえであろう。


 よける素振りすら見せずにガウエルは突進を続ける――かに思われたが、何を思ったのかガウエルはとっさに振り上げた大剣を風車の如く回転させると、殺到してきたナイフをことごとく弾き落とした。


 けたたましい金属音と火花が一帯に飛散し、かすかな焦げる臭いが風に乗ってただよう中、ガウエルは床に落ちたナイフの一本を手にとり、その刃面を指先で叩いた。 


 小さく響いたその独特の金属音に、ガウエルの唇の端が意味ありげに吊り上がった。


「フン、黒く塗装してはいるが、やはり銀造りのナイフだったか。危ない、危ない」 


 ナイフをほうり投げて薄笑いをたたえるガウエルを、キリコは苦笑まじりに見すえた。 


 いいカンしてやがる。その表情はそう主張していた。


「あいかわらず芸のない奴らよ。われら《御使い》には銀造りの武器をもって挑む。よくもそう使い古された陳腐な手を飽きもせずに繰り返せるものだな」


「使い古されたというのは何度も使われていることを意味し、何度も使われているのはそれ自体に効果があるからだ。有効な手法だとわかっているのにそれを使わない手はないだろう。違うかい、将軍?」


 するとガウエルの面上に苦笑まじりの、だが首肯の色が広がった。


「なるほど、それも道理だ。だがいかに有効な手法とはいえ、命中あたらなければ意味はあるまい。ましてやその程度の投剣術うででは、この私にはとうてい通用せぬぞ」


「そうかい? なら、こういうのはどうかな」 


 皮肉っぽい笑みが面上をかざった次の瞬間、キリコは床を蹴って跳躍し、今度は宙高くから手にするナイフを眼下のガウエルめがけて投げ放っていった。


 まるで地表にふりそそぐ流星雨のように、きらめくナイフの群がガウエルに向かって降下していく。


「こざかしいわっ!」 


 吐きすてると同時にまたしても大剣を風車のごとく旋回させたガウエルは、このとき気づいていなかった。上空から迫ってくるナイフの群には、二種類の軌道があったことに。 


 そのことにガウエルが気づいたのは、二本のナイフだけがにわかに軌道をはずれ、ガウエルの一歩手前の床に落下して火花と金属音を飛散させながら跳ね上がったときである。 


 床に着弾したのも一瞬、鋭角度で上昇に転じた二本のナイフは、回転する剣刃を足もとからくぐりぬけてそのままガウエルの面上に向かって飛んでいった。


跳剣ちようけんだとっ!?」 


 驚愕したのも一瞬、ガウエルはとっさに剣を捨てると、瞬間的な動きで上半身をひねりながら後方に反らした。


 およそ人体の構造上、ありえない角度への反りとひねり。それに神速の反射運動がくわわったとき、ガウエルは予想外の跳剣攻撃から身をかわしたかに見えたが、一本のナイフだけが右の頬を捉えることに成功した。


 それはごく微少のかすり傷であったのだが、ひと筋の鮮血が頬を流れ落ちた瞬間、たちまちガウエルの口から絶叫が噴きあがった。


「ぐわあぁぁーっ!!」


 咆哮にも似た悲鳴が噴きあがった先にキリコは見た。まるで猛火に灼かれたかのように、赤黒くただれたガウエルの半面を。


 ひと筋のわずかな切り傷であったはずが、たちまち見るも無惨な悪化を遂げたのだ。


 


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