第六章 血戦! 簒奪者対叛逆者 その⑪
「ふう……いくら夜とはいえ、この時期に覆面姿はさすがに暑苦しかったな。おかげで楽になったよ、将軍」
「なんの、礼には及ばぬ。しかし貴様がここにいるということは、わが刺客を退けたたということか。よくもボイドの自爆攻撃から逃れることができたものだな」
「日頃の所業が良すぎて、どうやら死神には嫌われているらしい」
「フフフ、それは重畳。しかし……」
キリコの軽口に興がった笑声を漏らしたのも束の間。にわかに底光りするような光を両眼にたたえたガウエルは、すでに冥界の住人となって久しいかつての部下に悪罵を投げつけた。
「それにしてもボイドめ。人外の力を与えてやったというのに、猟犬一匹満足に仕留めることもできぬとはな。生者であったときは醜態を晒し、死者となっても目的を果たせぬ。どまでも使えぬ奴よ」
もはや憎悪の域の悪罵を口にするガウエルに、キリコは薄く笑って見せた。
「そう馬鹿にしたものでもないさ。いい線いってたよ、団長殿は」
膨張する力が最高点に達しようとしたあの瞬間――。
キリコはとっさに聖光態を発動させ、自らの力を数倍化させることで自爆死を図ったボイドの手足を強引に引き離し、と同時に宙高く飛翔してあの恐るべき自爆攻撃から身を防いだのである。
だが、そこまで説明する義務はキリコにはない。そもそも覆面で正体を隠してまで屋敷に乗り込んできたのは、事の顛末を黒衣の将軍に告げにきたわけではないのだから……。
視線の先にガウエルを鋭く見据えると、キリコは静かに問うた。
「俺がここに来た理由はわかるな、将軍?」
「無論だ――と言いたいところだが、正直解せんことがある」
「解せんこと?」
「そうだ。全ての教圏諸国に対して『公正・中立・不干渉』を国是とするファティマが、何故この国の内情に首を突っこんできた? しかも叛徒どもに与して、このような爆破騒ぎまで起こすとはな。愚かで哀れな叛徒どもに同情してのことかな?」
キリコは得心の表情を浮かべ後に口端に笑みをこぼした。
「どうやら革命軍に加担して王権転覆でも謀っているのかと思っているようだが、だとしたらとんだ見当違いだ。この国の行く末にも彼らの命運にも俺は関心などない。むろんファティマもな。ただ……」
「ただ?」
言いさして言葉を切ったキリコを、ガウエルが興味深げに見すえた。
「ただ彼らにほんの少しだけ加担したほうが、自分の目的をより迅速に、かつ秘密裏に達成できると判断しただけだよ。人知れずあんたを抹殺するという目的のためにな、将軍」
「……なるほど。そういうことであったか」
ガウエルは笑った。キリコの心底を正確に諒解したのだ。
両軍の戦いに正体を隠して密かに参じ、さらなる混乱を生じさせ、その機に乗じて自分を抹殺し、その所業を革命軍のものとすればまさに一石二鳥。自分は正体も知られずに目的を果たし、大将軍の死という隠し通すことの出来ない事実も、すべて戦いの最中における革命軍の所業とすることが出来る。
さらに言えば、キリコは否定したが、それによって「背徳者」だの「不信心者」だのと、とかくファティマ内での評判が悪いリンチ王権が倒れて、代わりに信仰心に富んだ新たな王権が誕生でもしててくれれば、ファティマとすれば「一石三鳥」ともいえる。
実行者たるキリコ本人は無論のこと、ファティマの影すら微塵も露呈することなく複数の問題を同時に「処理」しようとしたキリコに、「よくも考えつくものだ」とガウエルは内心で感嘆したものである。
そのガウエルに、今度はキリコが自身の疑念を投げつけた。
「ところで将軍。解せないことといえば実は俺にもある。正直に答えてくれたらありがたいのだが……」
「ほう、何かな?」
「人界の名誉や地位など欲せぬはずの貴様ら《御使い》が、何を画策して人間の王に仕えているのか、それがどう考えてもわからない。まさか日々の食い扶持にありつくために宮仕えしているとも思えないしな」
するとガウエルは興がったように薄い笑いを浮かべ、
「フフフ、簡単な話だ。ひとえにかの御仁の、リンチ王の人徳に惹かれたまでよ。どうだ、これで納得したであろう」
「……なるほど、よくわかった」
「そうか、わかったか」
「ああ。神をも畏れぬ不届きな陰謀を画策しているということが、よくわかったよ」
一瞬、ガウエルの眉間がぴくりと反応したのをキリコは見逃さなかった。
またしても自分の推察が正しかったことを知り、キリコはことさら冷ややかな口調をつくった。
「何を画策しているかは知らんが、それも今日限りでご破算だ。天に唾吐く不逞な陰謀はあんたもろとも地獄に叩き落として、煉獄の業火によって焼却処分にしてやるよ。この俺の手でな」
「ほざきよるわ、人間風情がっ!」
赫怒の極み、ガウエルの両眼が灼熱の光を発した。腰の大剣を鞘ばしらせたのは一瞬後のことだ。
漆黒の甲冑越しに発せられる異様なまでの殺気は、あきらかに人間のものではなかった。
「この人外の身に転生して五十年余。貴様のようなファティマの猟犬とはこれまで幾人となく相見え、その全てをこの手で屠ってきたわ。貴様も先人たちに倣い、わが猛剣の露と消えるがいいっ!!」
吠え猛ったのも一瞬、大剣片手にガウエルが猛然と床を駆った。
その姿は、まさに獲物を見つけて地を駆る黒豹の如く。キリコの距離を数瞬で詰めると、その頭上めがけて猛刃の一撃を打ちこんできた。
間合いを一瞬で詰めた迅速さといい、打ち込まれてきた斬撃の苛烈さといい、常人ならかわせるはずもなく、ただ一刀でその身体は左右に両断されていたであろう。
だがキリコは常人ではなかった。
打ちこまれてきた苛烈極まる一撃を、キリコはまるで見えない羽でも生やしているかのような軽少さで宙空に飛びかわすと、そのかわし際、標的を捉え損なって無防備となったガウエルの顔面に強烈な回し蹴りを炸裂させたのだ。
「な、なんだとっ!?」
と驚愕した次の瞬間には、ガウエルの体躯は駆けぬけてきた通路の宙空を逆飛行していた。
ほどなく床に叩きつけられ、その上を五転六転と激しく転がっていく。
転がりながらも体勢を整え、すぐに立ちあがってきたのはさすがであろう。だがほぼ同時にキリコに向けられたその顔は鼻が潰れ、前歯は全て砕け、鼻腔や口角からはおびただしい血が流れ落ち、そして頭はありえない角度に首ごと折れ曲がっていた。キリコの蹴りの凄絶な破壊力がしれた。
そのガウエルを見据えつつ、キリコが冷笑まじりに声を発した。
「あいにくとこの猟犬は、今までの猟犬とは少しばかり毛色が違うぞ、将軍」
「…………!?」
この場合、沈黙は沸騰する怒りの表現であり、抑制できない驚愕の表現であった。
必殺の斬撃をかわされたあげく逆に反撃をくらい、頸骨をへし折られたという屈辱の事実が脳裏にしみわたったとき。黒衣の将軍は底知れぬ怒りに爆発するかに思えたが、ややあってその口から漏れてきた声には意外にも感嘆の響きがあった。
「なるほど……ただの猟犬ではないというわけか」
にやりとした笑いを口端にたたえると、ガウエルは下唇を赤い舌でひと舐めし、折れまがった頭に手をやった。さながら壊れた人形の首を直すかのような動きで、コキコキとひびく骨音がじつに生々しい。
やがて頭と首とが正常な位置と角度を回復したとき、ガウエルはにわかに踵を返し、その場から駆けだしていった。むろん逃げだしたとはキリコは思わない。
「ついてこい、ファティマの猟犬よ。われらの戦いにふさわしい場まで案内してやる!」
そう言われては、たとえ罠をかまえているとしてもキリコとしては追わざるをえない。
熱気をおびた黒煙が濃霧のようにたちこめてきた屋敷内の通路を、キリコはガウエルを追って駆けだした。
 




