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かくて聖者は《奇蹟》に抗う  作者: RYO太郎
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第一章  ジェラード邸事件 その③





 国都ドレンフォーラから北へ約二百フォートメイル(二百キロ)ほど離れた国土の北部帯には、二十フォートメイル(二十キロ)四方にわたって広がる深い広葉樹の森と、大小二十あまりの湖が点在する湖水地方がある。


 古くから王族や貴族の避暑地とされてきた地域で、現在も一帯には、一部の特権階層の人々が所有する豪奢な別荘の群が競うように建っている。


 バスク貴族の盟主と謳われるジェラード侯爵の別荘は、その湖水地方の南端、バイアルト湖という名の湖畔にあった。

 

 大理石とレンガ材を用いられた複合造りの建物は、総五階建てで壮麗をきわめる。

 

 敷地の東西と北側は広葉樹の深い森と高い石塀に囲まれ、唯一、開けている南側は湖に面し、専用の船着場を使って直接屋敷から湖に出ることができる。

 

 別荘という表現がばかばかしく思えるほど荘厳なその屋敷には、今宵、バスク中から貴族という貴族、名士という名士が顔をそろえ、屋敷の所有者(あるじ)であるジェラード侯爵主催の舞踏会を華やかに彩っていた。

 

 人智を超えた災難が迫っているとも知らずに……。



     †



 広い会場内にさざめく貴族たちの群を、天井から吊りおろされたクリスタル・シャンデリアの光があざやかに照らしだしていた。

 

 その会場の一隅で、純白のパーティードレスを着た一人の少女がシャンパンの味を堪能していたのだが、ふとあることに気づいて少女はグラスを口から離した。


「……あれ?」


 ドレス姿の少女――シェリル・ランフォードがそのことに気づいたのは、四杯目のシャンパンを呑みほし、五杯目となるグラスを給仕係から受けとったときのことである。

 

 何者かを捜すように周囲をきょろきょろと見まわした後、傍らに立つ父親に声を向けた。


「ねえ、お父さま。お母さまとルチアの姿が見えないのだけど……?」


「うん? ああ、じつはな……」


 娘の顔を見やりながら、フランツ・ランフォード男爵は口もとに微笑をたたえた。


 この年、四十五歳になるフランツは、バスク王国にあって男爵位をもつ貴族の一人である。


 形よく整えられた濃い口髭が印象的で、厚みのある長身を黒を基調とした礼服につつんだその容貌には、名誉ある貴族としての風格があふれていた。


 手にするグラスの葡萄酒(ワイン)をひと口飲み、フランツは娘に事情を説明した。


「じつは、ルチアがまちがってお酒を飲んでしまってね」


「えっ、ルチアが?」


「そうなんだ。いや、たいした量ではないのだが、今、お母さんが露台(バルコニー)に出て酔いをさましているんだよ。夜気にあてれば、酔いもはやくおさまるだろうからってね」


「あらら、大変ね」


 溺愛する弟の窮状を知って、シェリルは愉快そうに笑った。


 シェリル・ランフォードは、この年十七歳になる。


 背中まで伸びた長髪は黒曜石(こくようせき)を溶かして染めあげたように黒く、輪郭のくっきりとした顔だち、繊細に整った眉目、ふっくらとした唇で構成される容姿は十分に美少女といえたが、鼻のあたりにかすかにそばかすが残っているあたり、まだ女性として成長しきっていないことをうかがわせた。


 シェリルの生まれたランフォード家は、バスク王国にあって百年の歴史を数える(ふる)い家門であったが、つい先年までは爵位も領地もない下級貴族でしかなかった。


 それが数世代にわたる王家への忠勤が認められ、五代目の当主である父のフランツに男爵号と領地があたえられ、諸侯(領地と爵位を持つ大貴族の尊称)となったのだ。二ヶ月前のことである。


 ランフォード家に下賜(かし)されたエルデイ領は国土の南部にある農村帯で、そこに住む領民は二千人ほどだが、それでも諸侯であることに違いはない。


 そして、諸侯となれば王族が臨席する舞踏会などへの参列する資格を得る。


 その資格をフランツが行使するにいたったのは、諸侯となってわずか半月後のことであった。

 

 それまで住居のあった国都からエルデイ領に移住して日も浅い一日。ランフォード家に一通の招待状が届いた。

 

 差出人はジェラード侯爵という貴族で、湖水地方にある自身の別荘で国王夫妻を招いた舞踏会を開催するので、ランフォード家にも出席してもらいたいとのことだった。


 四つの私領に七万の領民を抱え、過去において王妃を三人も輩出したバスク貴族の重鎮で、貴族社会においてその存在感と影響力は王族並に強い。


 それほどの名門からの招待とあって、シェリルなどは小躍りして喜んだほどである。

 

 ひとつには、かねてからの「国王様に会いたい!」という夢が実現したこともある。

 

 緊張と興奮に若い心身を躍動させつつ、シェリルは父フランツと母エリゼ、そして十歳になる弟のルチアとともに湖水地方にあるジェラード侯爵の別荘を訪れ、生まれてはじめての舞踏会に臨んだのである。

 

 それは、まさに選ばれた貴顕淑女(きけんしゆくじよ)の宴といえた。

 

 ジェラード侯爵の招待に応じ、屋敷を訪れた名士の数は三百名にもおよんだ。

 

 多くは諸侯とその妻子であるが、中にはジェラード家と取引をかわす豪商や、侯爵家の庇護下にある音楽家、建築家、詩人、彫刻家、画家といった芸術家たちの姿もある。


 絢爛たる光彩を放つ豪奢なクリスタル・シャンデリアの下、礼服やドレス姿の貴族や名士たちは、豪勢な料理と酒に舌鼓をうつなどして華やかな舞踏会を堪能していた。

 

 それはシェリルも同様なのだが、彼女の場合、一番のお目当てである国王がいまだ屋敷に姿を見せていなかったこともあり、料理はほとんど口にせず、お酒も「陛下がお見えになるまでは酔うわけにはいかない」という自制心が働き、葡萄酒とシャンパンをあわせても「まだ」五杯しか呑んでいない。


 ところが、舞踏会が始まってすでに一刻が過ぎているというのに、待てども待てども国王夫妻のあらわれる気配すらない。


 さすがに不審に思ってシェリルがそのことをフランツに訊ねると、父親の口から驚くべき事実が告げられた。


「なんだ、聞いていなかったのか」


「えっ、なにが?」


「陛下におかれましてはお風邪をめされたらしく、体調がすぐれぬとのこと。ゆえに今宵の舞踏会には出席を見あわせたいとの連絡が、ジェラード侯爵のもとに届いたらしいぞ」


「ええっ、そんなぁ!」


 驚いたシェリルは、おもわず両目をみはった。


「話がちがうじゃないの。国王様に会えると思って楽しみにしていたのに!」

 

 歯ぎしりせんばかりに残念がる娘に、フランツはまたしても苦笑を漏らし、なだめるように声をつないだ。


「そう残念がることはないよ、シェリル。国王陛下がご臨席される舞踏会などは、これから何度となく開かれる。陛下とお会いできるのも、そう先の話ではないと思うよ」


「うん、それもそうね」


 あっさりと機嫌を取り戻したシェリルは、近くのテーブルから皿やフォークを手に取ると、卓上に並べられた豪勢な料理をこれでもかとばかりに盛った。


「国王様がお見えになるまでは、がまん、がまん」と、育ち盛りの食欲を抑えていたのだが、事情がかわった今、その欲求をおさえる必要はないというわけだ。

 

 皿に盛った肉や果物を次々とほおばり、葡萄酒やシャンパンをぐびぐびと音をたてて喉の中に流し入れる。


 貴族の令嬢らしからぬその食べっぷりを見て、自分の娘がまだまだ色気より食い気の年頃であることをフランツは再確認したのだった。

 

 男爵家の令嬢が多彩な料理の征服に夢中になっていた同時分。同じ会場の一隅ではちょっとした騒ぎが生じていた。

 

 とがった鼻と銀色の頭髪をもつ中年の貴族が、屋敷で働く執事や侍女たちを会場の隅に集め、そこで彼らになにごとかを質していたのだ。

 

 彼の名はウイルバルト・ジェラード侯爵。

 この屋敷の主人であり、今宵の舞踏会の主催者であり、バスク貴族の盟主と謳われている人物である。


「エリーシャの姿が見えないのだが、誰か知る者はいないか?」


 ジェラード侯爵がそう訊ねると、彼のもとに集まってきた屋敷の執事や侍女たちは、一様に困惑した顔を見あわせた。


 エリーシャとは、ジェラード侯爵夫人のことである。


 その夫人。ジェラード侯爵が挨拶に赴いてくる名士たちの応対をしている間に、いつのまにか会場から姿が見えなくなっていた。

 そのことに気づき、不審に思った侯爵が捜していたのだが、その姿はようとして見つからなかった。


「それが、先刻よりわれわれもお姿を見ておりません。お疲れになって、どちらかのお部屋で休まれているのではと思うておりましたが……」


 執事長である初老の男が、一同を代表してそう答えた。


 執事長の言葉に、いぶかしげな表情をつくりつつも無言でうなずいたのは、ジェラード侯爵自身もそう考えていたからであろう。

 

 侯爵は得心したように小さくうなずき、あらためて妻を捜すように彼らに命じた。

 会場に通じる出入り口の扉のひとつが人知れず静かに開いたのは、家人たちが主人の前より散開したのとほぼ同時のことであった。 

 

 蝶番の低い金属音がおさまった後、ゆっくりとした歩調で広間内に歩を進めてきたのは、白を基調とした礼服に身をつつんだ一人の青年だった。

 

 年齢は二十代なかば。


 すらりとした長身の、金褐色の髪と青灰色の瞳をもつ貴公子然とした若者で、自分が貴族であることを無言で主張している。

 

 ほどなく青年の入室に気づいた一部の貴族が、悠然たる歩調で広間を歩く青年に誰何(すいか)の視線を向けた。彼らの顔に驚愕の色が広がったのはそれからすぐのことである。

 

 誰もがその青年の――カルマンの顔を記憶していたのだ。





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