第三章 ファティマ その⑥
それにしてもどこまで降りるのだろうか。フェレンツ大司教は内心でいぶかった。
なにしろ、ここまでかなりの段数を下ってきたはずなのに、ランプの灯火に照らされた石造りの階段はさらに下へ下へと続いているのだ。
もっとも、それ以上にフェレンツ大司教がいぶかった、というより驚いたのは、前を歩く二人の高位司教にである。
三十代の自分が息を乱し、足腰に疲労を感じているにもかかわらず、グレアム枢機卿とシトレー大司教は息を乱すどころか、表情も足どりも平然としたもので、疲労など微塵も感じていないのはあきらかであった。
人知れず陰で肉体の鍛錬でもおこなっているのだろうか。
そんな疑問をフェレンツ大司教が脳裏にめぐらせている間にも、ようやく階段の先に出口らしき扉が見えてきた。
安堵の息を漏らすフェレンツ大司教の視線の先で、グレアム枢機卿とシトレー大司教は開けた扉をくぐり、数歩遅れてフェレンツ大司教もそれに続いた。
「こ、これは……!?」
扉をぬけて一歩踏みだしたとき、フェレンツ大司教は驚きのあまり声を失った。
それも当然であろう。
長く階段を下った先にフェレンツ大司教が目の当たりにしたのは、見わたすかぎり一面、白乳色に輝く世界が広がる鍾乳洞だったのだ。
雨水や地下水の浸食によって形づくられた天然の白岩石の空間が、頭上高く、そして、奥深くへと広がりを見せている。
「なんと、まさか教皇庁の地底にこのような鍾乳洞があるとは……」
白乳色に彩られた地底の世界に、フェレンツ大司教は感動したようにつぶやいたが、いつまでも感動している暇はなかった。対照的なほどに無感動を絵に描いた足どりで、グレアム枢機卿とシトレー大司教が鍾乳洞内の道を進んでいったのだ。気づいたフェレンツ大司教があわててその後を追う。
滑りそうになる足下に注意しつつ、洞内の道を奥に向かって歩くことしばし。やがて最深部にまでいたったとき、三人の前にあらたな扉が待っていた。
否、それは扉というよりは門と呼ぶべきものであった。
花崗岩造りと思われるその石扉は、一見して高さは五メイル(五メートル)、幅も同程度はあろう。
厚さまでは確認できなかったが、すくなくとも人為的に動かせる代物ではないことはあきらかである。
それまで扉の表面を指でこすったり、手の甲でたたくなどしていたフェレンツ大司教はふと心づいて振り返り、視線の先に立つグレアム枢機卿に訊ねた。
「まさかとは思いますが、この巨大な石扉を、われら三人だけで開けるというわけではありませんよね?」
グレアム枢機卿は薄く笑い、首を振った。
「いや、必要なのは二人だけだ。私とシトレー卿のな」
「二人だけ……?」
「まあ、見ているがよい。シトレー卿。そちらの水晶を頼む」
「はい、猊下」
グレアム枢機卿とシトレー卿は左右に分かれると、そのまま石扉の両側に広がる鍾乳壁の前で足を止めた。
このときになってようやくフェレンツ大司教は、壁面の一角に正方形状にわずかに窪まった箇所があり、その中に西瓜大の透明な水晶球がおかれていることに気づいた。
フェレンツ大司教が黙して見つめる中、グレアム枢機卿とシトレー大司教がそれぞれの水晶球に手をかざした、次の瞬間。たちまち二人の手から黄金色の光が生じ、水晶球をつつみこんだのだ。
表面をおおった光はすぐに球体内に吸いこまれ、その中で光は乱反射をくりかえしながら、さらに増幅しているようにフェレンツ大司教の目には見えた。
だが、彼が心胆から驚愕した理由はむろん別にある。
「こ、この光は、まさか……?」
「そう、聖光だ」
「聖光ですと!?」
驚愕にひびわれたフェレンツ大司教の声は、それを凌駕する異音によってかき消された。
巨大な石扉がにわかに動きだしたのだ。
あまりのことに呆然とするフェレンツ大司教の目の前を、地鳴りのような擦過音を響かせながら左右双方向へゆっくりと開いていく。
やがて完全に開ききったとき、扉の向こうには一度に四、五人通るのがやっとと思われる、細くて狭い洞穴が伸びていた。
外の鍾乳洞とは異なり、洞穴の中にはランプのような光源はひとつもなく、漆黒の闇につつまれて奥の方はまるでうかがいしれない。
「さて、行くか」
松明代わりなのであろうか。グレアム枢機卿とシトレー大司教は、それぞれの手に聖光の光を保ちながら洞穴内に足を進めた。
それまで惚けたように立ちつくしていたフェレンツ大司教もはっとわれに返り、あわてて二人の後を追っていく。




