第二章 激突! 超人VS魔人 その⑥
「……こ、こんなことが……なぜだ……ありえぬ……ありえるわけが……」
それは声というにはあまりに低く、言葉としては不明瞭であり、シェリルにはむろん、キリコの鼓膜にも届くものではなかった。
不死の肉体をもつ超越者。超常の力をもつ究極の生物。
空が朱色に染まったあの夜。追われて逃げこんだ山中の奥深くで、寒さと飢えと疲労に息絶える寸前にあった自分の前に突如として出現し、この魔体をあたえてくれた「彼」はたしかにそう言った。
ましてや今の自分は超魔態と化した身。惰弱な人間の一人や二人、殺すことなど羽虫をつぶすごとき容易なことのはず。
ところが現実には、打ちのめされ、たたきのめされ、口から血へどと苦悶のうめきを漏らしているのは自分のほうではないか……。
「残念だが、これが現実というものだ、カルマン卿」
ふいに聴覚を刺激したその冷然とした声に、カルマンは両の丸眼をわずかに動かして正面を見すえた。
その先に見たキリコの身体に例の発光はすでになく、元の姿を取り戻していたが、それよりもカルマンの注意を奪ったのは、自身に向けられたキリコの表情だった。
冷厳とした声音とは異なりその表情には、あきらかな哀れがる色調があった。
そのことに気づいたとき。
それまで屍蝋のように白く濁っていた蛇眼が、にわかに強く光って針を含んだ。
カルマンの中に生じた微妙な変化にキリコは気づいたが、あえて気づかぬ態をよそおって語をつないだ。
「不死の肉体と思いきや、そのじつ不死身にあらず。超常の生物と思いきや、そのじつ無敵の存在にあらず。人間であることを棄ててまで手に入れた魔体の、それが真実だよ、カルマン卿」
カルマンは応えない。
黄褐色に光る眼をわずかに動かしただけで、押し黙ったままキリコを見すえている。
だが、外見とは逆にその体内では底知れない激情の炎が静かに、だが、たしかに燃えさかっていることにキリコは気づいたが、かまわずに語を継いだ。
「だが、謀略によって一族もろとも破滅においやられ、その復讐心に駆られて人間であることを棄てたあなたに、同情すべき余地がないわけではない。だから……」
キリコの声がふいに消えた。否、かき消されたのだ。
突然、宙空高く吹き飛んだ瓦礫の上昇音と、それに続く落下音によって。
人間のものとも獣のものとも異なる、激情に狂った亜種の咆哮によって。
キリコは両目をすっと細め、シェリルは逆に大きくみはった。
二者二様の視線が投げつけられた先には、魔神像のごとく屹立する蛇頭の魔人の姿があった。
キリコに向けられている蛇眼には、先ほどまでの屍蝋の色はもはやなく、それどころか高熱を帯びた石炭さながらに灼熱していた。
キリコ自身は知らぬことだが、哀れみの言葉を口にしたことは、見えざる刃となってカルマンの矜恃と自尊心を切り裂いた。
光輝ある諸侯とあろう者が、はるか目下の平民などから哀れみをうけることなど、絶対にあってはならない。
選民意識ともいうべきその琴線を容赦なく「鷲掴み」にされたとき。カルマンの理性は一瞬で蒸発し、怪異な巨体は憎悪の塊となって床を駆った。
「同情するだと!? 小役人ふぜいがほざくものよな。きさまのような坊主くずれごときに哀れみをうける、このカルマン・ベルドではないわっ!!」
吠えたけり、床を踏みならしてカルマンが突進してくる。
まさに巨像の突進を想起させる迫力と猛烈さ。
小山のような巨体が一歩駆るごとに広間の床が上下にたわみ、シェリルなどは身体を軽く振られたほどだ。
「今度こそきさまの肉体、その不遜な口ごとわが鋼爪で斬りきざんでくれるわっ!」
「おろかな……」
細めていた両目を見開くと、キリコはすっと左腕を水平にかざした。
うっすらとした黄金色の光をその腕先に視認したとき、蛇頭の魔人は哄笑をとどろかせた。
「ばかめ、もう忘れたのか。きさまの妖術など、もはや通用せぬわっ!」
床を駆りつつ、カルマンは両腕を胸の前ですばやく交叉させた。
それはまさに先刻、キリコの聖光弾を退けた防御姿勢だった。
受け止め、はじき返し、逃げる間もあたえずに間合いを詰め、今度こそキリコの身体を縦横に斬り裂く。このときカルマンの脳裏では、そこまでの計算がたてられていた。
それゆえカルマンは気づいていなかった。
自分に向けられているキリコの手が広げた状態ではなく、手刀の形をつくっていたことに。
その微妙な手の形の違いがなにを意味するのか。この直後、カルマンは身をもって知ることとなる。
「聖光剣!」
発声とほぼ同瞬、水平にかざされたキリコの手刀から光がほとばしった。
だが、音もなく放出されたのは光の砲弾ではなく、薄い帯状の閃光だった。
広間の宙空を一直線に伸びていった閃光は、突進してきたカルマンの交叉した腕に直撃した瞬間、まず手首を切断し、さらに肩口から腕そのものも断つとそのまま広間の壁にまで達し、強固なはずの隔壁をまるで薄紙のように斬り裂いた。
……自分の身になにが起きたのか。カルマンはとっさに理解することができなかった。
宙空を伸びてきた閃光が、自分の体躯を「通過」していくような感覚だけは感じとれたが、それだけであった。
そんなカルマンがわが身に生じた異変を認識できたのは、肩口から瀑布のように噴きだす血と、足下の血沼に沈む、切断された自身の手首と片腕を視認したときである。
やがて経験したことのない痛みがその身を襲ったとき、すべてを悟った蛇頭の魔人は血沼の中に崩れおち、咆哮のような悲鳴を口角から噴きあげた。




