とある国の総大将 後編
姫が十七になった。とうとう俺と姫の結婚が本格的に決まってきた。
俺は三十九になっていたし、貴史は十八になった。
「そろそろ頃合いだな」
俺もそろそろいい歳になってきたし、貴史と冬吾はもうあとを任せてもいいと思えるほど成長した。隣国との国境も今のところは安定している。しばらくは俺が隠居してもなんとかなるだろう。
そう思っていた矢先だった。
――――国境の砦が陥落した。
――――はずれの街が攻め落とされたらしい。
――――隣国の兵が都のすぐ側まで攻めてきている!
やられた。
情報が遅すぎる。慌てて軍内部を調べてみれば、隣国の間諜はすでに脱出した後だった。
こちらが情報を止められている間にいったいどれほどの兵が命を落としたのだろうか。俺はすぐさま装備を整えさせ、迎え撃つために出立した。
辿りついた先、そこには夥しい量の死体が積み重なっていた。ここまで酷かったのか。援軍としてきたはずの俺たちは言葉を失った。
視線をその先にやれば、そこには陣を構える敵国の軍団。これほどの死人が出てもなおあれだけの量がいるとすると、一体どれほど我が国の兵は命を失ったのだろうか。
悔しさと自分の不甲斐なさに、ぎりりと歯を食いしばる。
しょせん俺は本物の戦なんて経験したことのない、ただの若造にすぎないってことだ。こんな若造のために命をかけている自国の兵たちに対して申し訳ない気持ちがいっぱいになる。
しかし、いつまでも悔しがっているわけにはいかない。俺はすぐさま都から冬吾を呼び出すため、使いを出した。
どれほど戦況が回復するかは正直分からない。だが……
「やるしか、ないだろ。兵たちのために。……あいつらのためにも」
ただの若造だとしても、俺はこの国の総大将だ。俺だけは現実から目を背けることも、逃げだすことも許されない。それだけが今の俺に出来る唯一のことだ。
それから冬吾が俺の隣に立ったのは、使いを出してから五日後のことだった。あらかじめ冬吾に戦況を見せておけば、後から貴史を呼び寄せたときに力強い助けとなるだろう。
「なぁ、冬吾。貴史の様子はどうだ」
「貴史様、ですか」
ちらりと冬吾の顔に目をやれば、そこにはでかでかと何を今更、と書いてあった。相変わらず分かりやすい奴だ。
「貴史様は日々訓練に励み、勉学も怠らずに過ごされています。あれほど完璧な人間は今まで見たことがありません」
「そうか」
嬉しさに口元が緩むのを抑えきれない。やっぱり、冬吾を貴史つけたのは正解だった。二人は兄弟のように楽しそうに、仲良く日々を過ごしているらしい。もちろん、冬吾の能力の高さを買って貴史の教育係を任せたことに違いはないのだが、本心としてはこのように二人が心から信頼しあえるようになることを望んで いた。
こんな時期に、二人に総大将とその副官という役目を負わせてしまう代わりに、せめて二人が互いに心から信頼しあい、心安らげる存在となるように。
ふと、変な動機がした。
冷や汗が吹き出し、激しい頭痛に襲われる。
何故か冬吾をこの場に留めてはいけないような気がした。
「来週の初めを貴史の初陣とする。あいつはまだ十八だが立派にやるだろう。お前は一足先に戻り、貴史の準備を手伝ってやれ」
「了解しました」
冬吾は来てすぐに都へ帰されることに訝しげな表情を浮かべながら、しかし俺の命令にすぐさま了承の意を示す。
途端に治まる動悸。
ああ、やっぱりな、なんてただの格好つけだろうか。
闇に乗じて都へと馬を走らせる冬吾を見送りながら、俺は覚悟を決める。きっとこれが彼の姿を見る最後になるだろう。出来ることなら、もう一度貴史の顔を見たかった。
「奇襲だ!!」
「総大将、お逃げくだ……うわああああああああ」
せめてもの救いは、冬吾がここを立ち去ってから十分な距離が開いているであろう頃合いに敵が来たことだろう。
最後に冬吾だけでも守れたことに僅かな満足を覚える。俺の直感もたまには役立つもんだな。こんな状況だというのに口元には微かな笑みが浮かんだ。
響き渡る怒号と悲鳴に耳を傾けながら、俺はすらりと刀を抜く。
「簡単に、死んでたまるか、よッ!」
暗闇から襲いかかってくる斬撃を躱し、跳ね返しながら一心不乱に刀を振るう。
濃厚な血の匂い。
むせかえるような死の芳香にだんだんと身体の機能が麻痺していく。
「ッが、ァああああああああああ」
一瞬の隙に、肩に突き立てられる敵の凶刃。
反射で刀を突き出すも、簡単に撥ねられる。
ああ、ここまでか。
やけにゆっくりと見える敵の刃を眺めがら、俺の脳裏に浮かぶのは二人の愛しい息子たち。
もう少し粘れるかと思ったが、どうやらもうお別れらしい。
出来ることならお前たちが隣にいない戦場ではなく、静かな場所でお前たちの顔を見ながら逝きたかった。
こんな時期にはありえないような夢想をして、自嘲の笑みがこぼれた。
――――悪いな、後は頼んだ。
全ての視界が紅く染まった。