とある国の副官 前篇
――――今度こそ、託された思いを背負ってお前の大切な人を守りきる。またいつかお前と再会できることを願って。
俺が仕えている暁人様から坊ちゃんの教育係を頼まれたのは今から六年前、俺が十六の時だった。
坊ちゃんの名前は貴史。当時たったの十二歳。
俺は正直不貞腐れた。十四歳という異例の若さで暁人様の副官として抜擢され、それに見合う努力の積み重ねと才能を持ち合せていると自負していたからだ。俺を暁人様の傍から引き離すためなのかと疑いもした。
そんなこんなで俺が貴史に対して良い感情を持っているわけもなく、不満いっぱいの顔のまま俺は貴史と初めて顔を合わせた。
「あなたが冬吾さんですね。初めまして。貴史と申します」
穏やかな声とは裏腹に、切羽詰まった顔。俺は我が目を疑った。これが若干十二歳の少年がする顔なのであろうかと。
「あ、ああ。よ、よろしく」
握手を交わしながら俺は思った。こいつはどれほどの闇を抱えているのだろうか。わずか十二歳の少年よりもずっとちっぽけな自分を恥じた。
初めて顔を合わせたその日、俺は生涯をかけてこの少年のために尽くしていくことを決めた。貴史は自分の人生を賭してもいいと思えるほどの主であった。
それからというもの、俺と貴史はしょっちゅう行動を共にした。
剣の訓練に兵法の勉強。俺もかなり出来る方だと思っていたが、貴史は別格だった。あっという間に俺を追い抜き、俺が教える時間はいつの間にか二人で学ぶ時間になっていた。
僅か一年。それが、貴史が俺に並ぶのに要した時間だった。
「ふぅ……。降参です、冬吾さん。やっぱり剣は冬吾さんに敵わないなぁ」
「当たり前だ。これだけの体格差があって、それでも互角に持ちこむお前のが怖いわ」
貴史との稽古は楽しかった。まるで兄弟が出来たみたいに俺たちは打ち解けた。
そんな貴史が必ず一日に数時間、俺から離れる時間があった。毎日欠かさずだ。
不思議に思った俺はある日貴史に尋ねてみた。
「お前、稽古以外の時間はどうしてるんだよ」
「……藤宮の屋敷に行っています」
「藤宮? 藤宮って、暁人様の婚約者候補の姫さんがいるっていうあの藤宮か?」
貴史は気まずげに俺から視線を逸らし、こくりと頷く。
「なんでまたそんな大貴族のところに……」
貴史はしばらく言い淀んでいたが、やがて何か決意したように俺を見た。
「僕は、藤宮の姫の世話をさせてもらっています。何故総大将の跡取りがそんなことを、と思われるかもしれませんが、もう七年になります」
「七年って、お前……」
「長い片思い、ってやつですよ。永遠に報われることのない、ね」
そう言って自嘲気味に嗤う貴史は、初めて会ったときと同じような闇を抱える表情をしていた。
貴史が抱える闇は深い。俺がその意味に気が付いたのはこの時であったと思う。
結局その後、俺がその話題に触れられるはずもなく、ひたすら貴史と共に訓練と勉学に励み、貴史はたまに訓練を抜け出してどこかへ行ってはすぐに戻ってくるという日々を過ごしていた。
「お前は本当に一途なのか、それともただの馬鹿なのか……」
俺が密かに漏らす溜息は、聡い貴史にはとっくにばれていたに違いない。妙なところで大人な彼の幸せを、俺はいつも願っていた。
こんなにも一途な我が主に報われる日が来ればいい。暁人様も大切だけれど、なぜだか俺はそう思ったんだ。
あれから五年。俺は二十二に、貴史は十八になっていた。短い回想から意識を戻すと、横から声をかけられた。
「なぁ、冬吾。貴史の様子はどうだ」
「貴史様、ですか」
その日は珍しく俺は貴史と離れ、本来の総大将副官としての職務を全うしていた。貴史の叔父である暁人様は戦況を見極めるように戦場を睨みつけ、その精悍な横顔を俺に晒していた。
「貴史様は日々訓練に励み、勉学も怠らずに過ごされています。あれほど完璧な人間は今まで見たことがありません」
「そうか」
暁人様が心なしか嬉しそうに口元を緩める。それは父親としての顔と酷く似ていた。そんな暁人様の様子を見て、俺の口元もつい緩んでしまった。
そのとき、ふと一瞬、違和感を覚えた。心なしか暁人様の顔が強張ったような感じがしたのだ。
どうしたのかと俺が声をかけようとしたとき、暁人様がそれを制するようにして口を開いた。
「来週の初めを貴史の初陣とする。あいつはまだ十八だが立派にやるだろう。お前は一足先に戻り、貴史の準備を手伝ってやれ」
「……了解しました」
なんか嫌だな。不安になるような、落ち着かない感じがする。本音を言えば、この場を離れたくない。離れてはいけないような予感に囚われる。
しかし、総大将である暁人様の命令は絶対。背中を伝う冷や汗を無視して短く了承の意を返した。
俺はその日、暁人様の命を受けて一人夜の闇に紛れて貴史のもとへと戻った。……戻って、しまったんだ。