8話:フィフィアーナ・ニミュエス
赤国は他国と比べて貴族の権威が相対的に低いと言われているが、いくつか例外がある。
そのひとつが“ニミュエス家”という存在である。
ニミュエス家はその始祖を赤国建国時代にまで遡る、代々に宮廷魔術士長を輩出してきた名家である。
古さで並ぶのはそれこそ赤神に連なる皇帝一族くらいのものだろう。
皇帝の振るう“王剣ウルザ”に対する“治世の鞘”。
治水から建築まで、文字通りの奇跡を現世に顕現させる魔法が活躍できる分野は多い。
その魔法の腕を以て皇帝の御世を支えること、それこそがニミュエス家の役目だった。
ニミュエス家の功績の中で最も大きいものは帝都を囲む大城壁の建築だろう。
かつての戦乱期において幾度もの戦火から帝都を守りきった不滅の証はそのままニミュエス家の貢献を示す象徴でもある。
だが、古い家であるが故にニミュエス家には未だ保たれているしきたりがいくつかある。
男子継承もそのひとつだ。
血によって魔術士の才能を継いでいるニミュエス家にとってそれは破り難い定めであった。
だが、当代のニミュエス家、すなわちフィフィアーナの両親には長らく彼女以外の子が授からなかった。
そのため、彼女はしきたりの変更を含め、初の女性当主となるための教育を受けてきた。
だが、四年前、遂にニミュエス家待望の男子が、フィフィにとっての弟が生まれた。
ニミュエス家の長男にして次期当主はダンケルと名付けられた。
その日、フィフィアーナ・ニミュエスは自由になった。
◇
暖かな陽光の差し込む昼下がり、フィフィは本宅で魔法技術の授業を受けていた。
傍らに立って教授しているのは妙齢の女性、フィフィにとっては叔母にあたる。
彼女は巧みに魔力を操るフィフィを慈しむ様な目でみつめていた。
「流石です、お嬢様。私が教えることはもうありませんね」
「ありがとうございます、先生」
一通りの課題をこなし合格点を貰ったフィフィはほっと安堵の息を吐き、数年来の付き合いになる教師役の叔母に本心から笑みを返した。
家を空けがちな自分に根気強く付き合ってくれた彼女がいなければ、フィフィに今ほど余裕はなかっただろう。
渋々ながらアルカンシェルに参加することを許可した両親が課した唯一の条件が彼女の授業を受けることだったのだ。
当主候補でなくなったとはいえ、フィフィがニミュエス家の一員であることに変わりはない。その魔法行使の腕前にはニミュエス家の威信がかかっている。
特にニミュエス家の魔法は独自色が強いため、学院の講義だけでは補うことができず、一族から家庭教師をつける必要があった。
魔法というのは感応力で以て魔力を操作し、元素に働きかけ、望む現象を奇跡という形で引き出す形式を取る。
しかし、いくつもの手順を辿る性質上、魔法は命令と結果との間に齟齬が発生しやすく、望んだ通りの現象を発現させるのは難しい。命令を発するのが感応力という個人の才能に依拠する精神的資質であることもこの問題に拍車をかけている。
そこで人類は杖や詠唱、触媒といった、感応力に依存する割合を減らし、手順を簡略化し、齟齬を抑える技術を発明した。
魔法の自由度は大幅に落ちるが、ある程度誰でも同じ結果を起こせるようにしたのだ。この技術が魔法の発達に与えた影響は計り知れない。
だが、ニミュエス家の魔法技術はこれに逆行する。
すなわち、杖や詠唱を介さず、己の感応力のみを以て新たな魔法を“作り上げる”のである。
これは代々のニミュエス家が王の要請に応じて様々な分野に魔法を応用してきたことに由来する。
例えば、一般的な魔法では帝都の大城壁を作ることは到底不可能だ。巨大かつ数百年単位で維持する余地を持つ城壁を作るには専用の魔法を用意する必要がある。
そうした新たな魔法を発明することがニミュエス家の役目なのである。
尤も、宮廷魔術士長でありながら、代々のニミュエス家当主が他者の再現できない魔法を生み出してきたことが、赤国の魔法技術の発展を遅らせている一因であることも否定しがたい事実であるのだが。
「こう言っては何ですが、ニミュエスの魔法の鍛錬に割く時間が少ないのに、お嬢様の魔法には高い創造性と応用力が感じられます。何か秘訣があるのですか?」
「えっと……」
テーブルにつき、お茶を片手に一通りの講評を受けていたフィフィは、ふと投げかけれた叔母の問いになんと答えるべきか暫し迷った。
正直に「独自だ応用だといった枠に納まらない規格外に会ったから」と告げるのは、教師役を買って出てくれた彼女に悪い気がしたのだ。かといって嘘を吐く気にもなれない。
「ミハエルの親戚に変わった魔法を使う方がいまして、その方から良い影響を受けたのかもしれません」
「あら、彼氏さんの? 白国にもニミュエスのような存在があるのかしら?」
「そういう訳ではないと思いますが……」
結局、当たり障りなくぼかした物言いをしてしまったが、それでも叔母は笑って流してくれた。
彼氏という言葉に思わずにやけてしまうのを自制しつつ、フィフィはその後も穏やかな昼下がりを満喫した。
こうして魔法を研鑽する時間はフィフィも嫌いではない。
特別好きという訳でもないが、敢えて言うならば日常なのだろう。教師役は両親から叔母に変わりこそしたものの、物心ついた時から続けていた事なのだ。
「お嬢様?」
「あ、すみません!! この陽気に眠気が……」
「……そうならいいのですが」
フィフィは“両親”という想起に強張った表情を努めてほぐし、笑みの仮面を被る。
そのまま門前で叔母を見送るまで少女は溢れそうになる心中の澱を見事に隠しきった。
「――――」
そうして、叔母の背中が見えなくなった途端、フィフィの整ったかんばせから表情が抜け落ちた。
ありがたいことに当主候補でなくなった今も両親は変わらぬ愛を注いでくれている。
だが、接する時間は減った。まだ四歳の弟につきっきりで魔法の指導をしている為だ。
元より四歳と言えば物心ついたばかりで手のかかる時期でもある。
フィフィもそこに文句を言うつもりはないし、家にいる時は当然のように弟を中心に置いて生活している。
――次期当主である弟の為に。
フィフィにはかつて一度誘拐されたという拭いがたい過去がある。いくら魔法を学びたてだったとはいえ、宮廷魔術士の家の者としては明らかな失態だ。家名の評価は確実に落ちただろう。
しきたりと失態。二つの面で両親はフィフィを当主候補から外すことを決めたのだ。
それはそれでフィフィも構わなかった。妥当な判断だろうと理性も納得している。
ただ、それまで初の女性当主となるべく育てられてきて、今更自由にしていいと言われても、何をしていいのかわからないことが問題だった。
三年前、学院を卒業したフィフィは生きる目標を見失い腐りかけていた。
「おはよう、フィフィ」
「……おはよう、ミハエル。でも、もうお昼よ」
ふと暖かな声と共に肩を叩かれ、フィフィは自然と浮かんでくる笑みと共に振り向いた。
平服に剣を帯びただけの簡素な格好をしているミハエルは今日も変わらぬ笑顔を浮かべてそこにいた。
授業の終わりを見計らって来たのだろう。そんな小さな気遣いに殊のほか喜んでいる自分がなんともおかしくて、フィフィはつい声を上げて笑ってしまった。
少年の顔を見るだけで心中に溜まった澱が消えていくのを少女は感じていた。
現金だ、と思いつつもその心の動きを止める気にはついぞなれなかった。
『――じゃあ、一緒に旅に出ようよ』
三年前、ふとした拍子にフィフィが吐露した悩みにミハエルは迷うことなくそう告げた。
その誘いはフィフィにとってまさしく救いだった。
「そういえばベルは? 一緒じゃないの?」
「学園に出向中。心臓と違って結晶化しない“竜血”を触媒として精錬できるのは体から離れてごく短い時間だけみたいだから」
そのままの流れで街に出たフィフィは、最近はもう定位置となった少年の右肩に誰もいないことに違和感が拭えなかった。僅か数週間で竜と共にいることに慣れてしまったのだ。
「そういうわけで今日は二人きりなんだ。フィフィはどこか行きたい所ある?」
「ミハエルと一緒ならどこでもいいけど……」
ミハエルは歯切れの悪い少女の顔を覗き込む様にみつめて困ったように眉根を寄せた。
「浮かない顔だね。何かあった?」
「……ミハエルに隠し事はできないなあ」
諦めに吐いた溜め息はしかし、どこか喜びの色を伴っていた。
いつだって真っ直ぐに向き合ってくれる少年の存在がありがたかった。
「もしかして誘拐事件のこと思い出しちゃった?」
「ううん。ちょっと夢見が悪かっただけよ」
「そう?」
こればかりは相談してもどうしようもないとフィフィが言葉を濁すと、ミハエルはそれ以上は追及せず、代わりにおもむろに少女を抱き上げた。
背と膝裏に手を回して横抱きにした少女をしっかり確保すると、少年は軽く助走をつけて高々と跳躍した。
体の芯を持ち上げるような浮遊感にフィフィが驚きの声を上げる。
「ミ、ミハエル!?」
「ちょっと高い所に行こう。あ、フィフィって高いところ大丈夫だったよね?」
「え、ええ、大丈夫よ……?」
目星をつけた屋根に柔らかく着地したミハエルは未だ状況の変化について行けていないフィフィを抱いたまま、石造りの屋根を踏みしめて軽快に走る。
だが、行く手には壁のように巨大な建造物が立ちはだかっている。城に並ぶその巨大さはギルド連盟本部のものだ。
このままでは正面からぶつかる。そうとわかっていながら、ミハエルは速度を緩めずに走り続ける。
「ミ、ミハエル!!」
「大丈夫大丈夫」
言って、少年は大きく助走をつけると器用に壁を蹴って上方へと加速を変換し、再度空へと跳ぶ。
「――起動」
次いでその声を鍵として、腰に帯びた翠色の双剣“ソウファ・ヤシャル”が二筋の風を生む。
瞬間、少年の背に見えない翼が現出したかのように、その身は空へと舞い上がった。
耳元で大気が唸りを上げる。ぐんぐんと高度を上げていく様に少女をぎゅっと目を閉じた。
「フィフィ」
数瞬して、優しく名を呼ばれてフィフィは目を開ける。
「あ――」
気付けば、二人は帝都の遥か上空へと来ていた。
空が近い。冷たさを孕む風はしかし、少年が壁になって腕の中の少女までは届かない。
眼下には無数の人が行き交う美しい帝都の街並みが広がっていた。
視線を転じれば、遠く続く平原とそれを貫くようにどこまでも伸びていく街道が見える。
「きれい……」
「そうだね。ずっと飛んでいられたらいいんだけど」
ミハエルは苦笑しつつ、風を繰ってゆっくりと下降し、音もなく大城壁の回廊に着地した。
「下ろすよ、フィフィ」
「ま、待って!!」
フィフィは咄嗟にミハエルを止めた。
それは無意識に発した言葉だったが、だからこそ本音であったのだろう。
少女は少年の腕の中で密着するようにその身を寄せた。
「しばらくこのままでいさせて……」
「ん、わかった」
理由を聞くこともなく、ただ抱きしめられる。
間近に感じる体温の暖かさが、微かに速い鼓動の優しさが少女の強張った心を解きほぐしていく。
それから暫くして、フィフィは礼を言ってミハエルの腕の中から回廊に下りた。
それでも、離れる体温が名残惜しくて手だけは繋いだままだった。
二人を昼下がりの太陽がそっと照らしていく。
「そういえば――」
何をするでもなく眼下の景色を眺めていたフィフィは、視線を此方に向けたミハエルに尋ねた。
「この前助けた娘に騎士位をあげるって言われたんですってね。マルクが言ってたわ」
「マルクの奴、余計なことを……」
「余計なの?」
「いや、別に疚しいことなんてないよ。というか、もしかしてフィフィ、後方に待機させたこと怒ってる?」
「怒ってなんていないわ。ただ、マルクは良くて私は駄目っていうミハエルの判断に憤りを感じてるだけよ」
「怒ってるじゃないか!!」
「もしもここで謝るようなら怒っていたわ」
「……ありがとう」
「礼を言うのはこっちの方よ。ミハエル、いつもありがとう。あなたのお陰で私の世界はずっとずっと広がったわ」
その場でくるりと回り、フィフィは周囲の景色すべてをその記憶に焼きつけた。
ミハエルと出会わなければ、この光景を見ることもなかっただろう。そう思うと、目に映る全てが一層愛おしいものに感じられた。
「話が逸れたけど、結局、騎士位はどうするの?」
「辞退したよ。僕はまだ冒険者でいたいから」
「でも、ミハエルの望みはベルのおかげで叶うかもしれないんでしょう?」
景色からミハエルへと視線を戻し、フィフィは小首を傾げた。
ベルの血は現在解析中だが、そこから霊薬を作ることができれば、師の体を治すというミハエルの望みは叶う。
それは同時に、旅の目的がひとつなくなることを意味している。
「……僕はもう暫く冒険者を続けようと思う。今の僕はまだ銀剣を受け継ぐには足りないから」
『――お前が俺に勝った時、銀剣を譲る』
それは師とミハエルの交わした約束、次代に剣を受け継ぐ為の契約だった。
銀剣は定められた持ち主以外が真の刃を抜くことを許さない。継承の正当性を証明するのにこれ以上のものはないだろう。
師の体を治す術を探していたのも、極論、この契約が片手落ちになるのを嫌ったからなのだ。
代を追うごとに劣化しては受け継ぐ意味がない。
師が最速でいられる内にミハエルは挑みたかった。
「あとは、魔導兵器の回収もまだ終わってないからね」
「そっか。そうよね……」
「フィフィはどうする?」
「もちろん――」
逆に問われたフィフィは迷わなかった。
その答えはこれまでも、これからもずっと変わらない。
「――ミハエルと一緒に行くわ。あなたの隣が私のいる場所だから」
そう言って、少女は大輪の笑みを浮かべた。
『誘拐事件の時と今回で、私は二度命を救われた。その恩を返す、残りの人生で』
五年前に誓ったその言葉は決して考えなしにしたものではないし、義務感から発したものでもない。
少年の幼くも気高い魂に魅せられたのだ。どうしようもなく好きになってしまったのだ。
惚れた弱味なのだろう。ミハエルが敢えて進む苦難の道を共に行くこともまったく辛いと感じない。
「それにダンケルが成人するまでは“予備”でいないといけないから、お嫁さんにもなれないし。時間はたっぷりあるわ」
「僕の方はいつでもいいよ」
「ッ!!」
笑みと共にさらりと告げられた告白に、フィフィは思わず赤面した。
朱に染まった頬を隠すように手を当てる。周囲に誰もいないのが幸いだった。
「ミハエルのそういうとこ、卑怯だと思うわ……」
「僕はいつもフィフィにドキドキさせられてるし、おあいこだよ」
「もう!!」
空に近いその場所で、笑い合う二人の声は高く、高く響いていた。




