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刃金の翼・外伝  作者: 山彦八里
孤竜の騎士
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4話:帝都にて

 東から太陽が昇り、大城壁の影に隠れていた帝都が露わになっていく。

 微かに煙る朝靄に包まれた鋼鉄の都市はゆっくりと息を吐くように徐々に活動を始めている。

 ギルド連盟本部の最上階にある支部長室からは帝都の全景が見渡せる。

 ミハエルは右肩にベルを載せたまま二人揃って帝都の眺望に目を向けていた。

 力強い都市だ。旅に出るようになってミハエルは更にそれを強く実感するようになった。時代の変遷すらも糧として繁栄しているように感じられるのだ。

 そうして暫く、少年はペルラが提出した書類を読み終わったのを見計らって視線を室内に戻した。


「……厄介なことをしてくれましたね、ミハエル君」


 難しい表情をした支部長は開口一番そう告げた。

 その反応を半ば予想していたミハエルは苦笑し、右肩からは小さく唸る声が響いた。


『それは我の前で言っていいことなのか?』

「人の世を知りたいのなら、まずあなた自身の影響力の大きさを自覚してください」

『う、うむ?』


 やけっぱちの笑みで返された水竜は曰くしがたい迫力に気圧されたように口ごもった。

 夜を徹した激務に追われ眼鏡の奥で淀んだ眼光を放つペルラは、彼女をよく知っているミハエルでも逃げ出したくなるような暗い迫力を放っている。

 ペルラも自覚はあるのか、眼鏡を外して目頭を揉んで気持ちを切り替え、改めて二人に向き直った。


「それで……本当にいいんですか、ミハエル君?」

「はい、これが最善の道だと信じているので」


 躊躇なく即答を返すミハエルを見て、ペルラは渋い表情を浮かべた。

 “最善”、それはペルラも反論のしようのない所であった。


 人類はいつかは竜の谷を攻略しなければならない。それは確定事項だ。

 暗黒地帯の浄化が進む限り、暗黒地帯と赤国との境にある竜の谷とそこに棲む竜達は開拓の障害となる。

 そして、谷の攻略の為には何よりもまず竜種を知らなければならない。

 竜についてはその能力、寿命、知性、その他あらゆる事柄の正確な所を人類は知らないのだ。

 その知識を得られる機会が向こうから転がってきたのだ。これを逃す手はない。

 あるいは、この水竜を窓口にして平和的に谷を拓くことすらできるかもしれないのだ。

 この場にベルフィオールがいなければ、ペルラは手放しでミハエルを褒めていただろう。


 とはいえ、問題は山済みだ。新たな種族を受け入れるというのはそれだけの困難がある。

 過去、人類が生存圏を拡大する中で鉄人(ドワーフ)森人(エルフ)と交流を開いたときには、同じ神を信仰し、古代種という共通の敵がいた為に混乱は最小限に治められた。

 しかし、竜とはそういった共通点はない。むしろ、血を遡れば互いの絶滅を期した戦争を起こした間柄だ。

 この竜個人としても、今は大人しくしているが、目的は復讐の為に人間を知ることだという。

 決して、考えなしに安堵できる状況ではない。


「ベルフィオールさん、あなたも自衛の為には力を振るいますね?」

『当然だ』

「では、周囲への影響は可能な限り抑えてください。特に無関係な人を巻き込まないように。あなたの実力なら、余程の相手でない限り可能な筈です」


 故に、ペルラはひとつ釘を刺しておくことにした。

 少なくとも、竜とはそれが通じる相手であると認めた。

 一方で、相対するベルフィオールは縦に割れた瞳孔を不快気に細めた。


『人の世の律で我を縛るか?』

「あなたの起こした問題はそのままミハエル君の責任になります。今日この時よりあなた達は一蓮托生であることをよく覚えておいてください」

『……』

「それさえ覚えていただけるなら、あとの些事はこちらでなんとかしましょう。竜の血についてもルベリア学園に解析を依頼しておきます」

『……承知した』

「ありがとうございます、ペルラさん」


 対照的な表情になった二人を見遣りながらペルラもまた堪え切れずに笑みを浮かべた。

 十歳の頃から見守っていた英雄の卵が、遂に自分の予想を超えるようになった。それがどうにも感慨深かった。


「英断でした、ミハエル君。今後、どれだけ貴方が非難されることになろうと、私は貴方の選択を支持します。頑張ってください」

「はい――はい!!」



 ◇



 連盟本部を出たミハエルはひとまず竜に人の街を見せようと商業区へと足を向けた。

 肩の上の水竜は目立つが、各所には既にペルラが通達を出している。堂々としていれば怪しまれることもないだろう。

 遠くから窺う視線を感じはするが、少年は務めて無視した。


「そういえば、ベルって何食べるの?」

『ベル……』


 石畳を歩きながら発せられた問いに水竜は困惑した声をあげた。

 最初に許可してしまったために引っ込みがつかなくなっているのだ。


『まあいい。逆に訊くが、仮に我らが普通に食事を摂るとして、あの谷に満足な食料があると思うか?』

「……ないだろうね」


 朝の空を見上げながらミハエルはかぶりを振った。

 今でこそ瘴気も薄れているものの、五年前まで暗黒地帯は絶人の荒野だった。

 水もなく、食料もなく、あるのは昼夜を問わない魔物の襲撃のみという死の大地だったのだ。

 当然、その土地に隣接し、瘴気の流れ込む竜の谷でまともな動植物が育つ筈がない。


「じゃあ、何も食べなくていいの?」

『魔力だ』


 ベルは胸を張って言う。

 小さな体で目一杯に威張る姿は威厳よりも微笑ましさが先立つ。


『より正確に言えば、竜は大気中に遍在する魔力として精錬される前の力の塊――“元素魔力(エーテル)”をその身の活力としている。おそらく古代種も同様だったのだろう』

「……成程、ね。君達の莫大な魔力量の秘密はそれか」

『ついでに言えば、我らの身体の半分は魔力で出来ている。それ故に、魔力を操作することでこのように大きさを変えることも可能なのだ』

「ふむふむ」


 小さな翼をぱたぱたと揺らして自己主張する水竜に和みながらミハエルは頷き、ふと思い立って竜の真紅の瞳を覗きこんだ。


「ベル、ひょっとして緊張してる?」

『そんなことはない。馬鹿にするな。我はこう見えて(なれ)より遥かに年上だぞ』

「うんうん、ベルはひとりで谷から出てきたんだもんね。心細いのは普通だよね」

『第一、有象無象のニンゲンが我を害することなどできる筈がなかろう。何を恐れる必要がある』

「そうだね、帝都は広いし人も多いから仕方ないよね」

『話を聞け!!』


 ガンガンと頬に頭突きされる段になってようやくミハエルは降参した。

 小なりとはいえ、竜鱗の覆われたベルの頭部は以前と変わらぬ硬度を具えている。

 端的に言って、痛かった。


「ごめんごめん。でも、緊張はほぐれたようでなによりだ」

『余計なお世話だ』

「こればっかりは僕の性分だから、うん、諦めて」

『ぐ……』


 朗らかに笑うミハエルに何か言い返してやろうと、ベルが口ごもったその時、


「――ミハエル、ベル!!」


 通りの反対側から日向のような明るい声が聞こえて、二人は揃って首を巡らせた。

 見れば、馬車から降りてきたばかりのフィフィがぶんぶんと元気よく手を振っていた。

 ブルネットの巻き毛が緑を基調とした細身のドレスによく映える。

 つられるようにミハエルの頬も緩む。赤らんだ頬に水竜の視線が突き刺さるが気にしないことにした。


「おはよう、フィフィ。お出かけかい?」

「ええ、お父様が帝城に出仕するからそのお見送りに行っていたの。

 それより、ペルラさんとの話し合いはうまくいったのね!!」

「うん、見ての通り」

「……不機嫌そうに見えるけど?」


 これみよがしにそっぽを向く水竜を見て、フィフィがこてんと首を傾げた。


「もしかして緊張しているの?」

『違う!!』


 反射的に顔を向けて吼えたてるベルに対し、フィフィはようやく目を合わせてくれた竜に大輪の笑みを返した。

 ベルは顎を開いたまま二の句が告げられず、暫くして毒気を抜かれたように深々と溜め息を吐いた。


『まったく、この(つがい)は揃いも揃って……』

「あら、ベルに私とミハエルが番って話はしたかしら?」

『見ればわかるであろう』

「――――」

『……む、フィフィ?』


 自信満々に告げたベルだが、突然俯いたフィフィを見て何か間違えたのかと訝った。

 次の瞬間、少女は感動の面持ちを湛えて勢いよく顔をあげた。


「私、竜と人とはわかりあえると思うわ!!」

「うん、その一歩として今から帝都を案内する所なんだけど、フィフィも来る?」

「……杖は持ってきた方がいい?」


 フィフィの返答には僅かに間が合った。

 術式で周囲を探知していたのだろう。少女は綺麗に整えられたブルネットのうなじを軽く擦った。

 尾行されていることを示すサインだ。


「大丈夫。元から無視するつもりだし、何かあっても僕の方で処理できるよ」


 ミハエルは腰に吊った水剣を鞘の上から軽く叩いて応えを返す。

 尾行や監視を専門とする者ではないのだろう。気配すら捉えられない連盟の監視員と比べれば、俎上に上がったこの尾行者の隠行は拙いの一言に尽きる。

 その程度の位階にいる者が何人来ようとミハエルの敵ではない。


「わかった。じゃあ、言付けだけしてくるわね」


 言って、フィフィは先程から待たせていた馬車に駆け戻っていく。

 その細い背を見送っていると、右肩の竜が微かに身じろぎして小さな牙の並ぶ顎を少年の耳元に寄せた。


『それで、この不躾な視線は如何するのだ?』

「……気付いてたんだ」

『街に入った時から尾けられて気付かぬ筈がなかろう。汝に用があるのではないか?』

「どうだろうね。たぶん爺ちゃんか本家(ヴェルジオン)の当主様に渡りをつけて欲しいんだろうけど……」

『その気はないと』

「僕を宥め賺したくらいでどうにかなる家ならとっくに滅んでいるよ」


 ミハエルは苦笑と共に肩を竦めた。

 さすがに依頼にまでつ尾けて来られるようなら対処を考えねばならないが、現時点で尾行者と接触することは無意味だと判じた。


『成程。……己の分を弁えない者がいるのは竜も人も同じ、か』


 そうして、水竜がぼやいた言葉は家々の煙突から吐き出される煙と共に空に溶けていった。



 ◇



 それから三人は気の向くまま、足の向くままに帝都を散策した。

 帝都は山上に立つ帝城を中心に同心円を描きながら放射状に街区を広げている。そのため、これと決まった道を歩かずとも、円を描く外周路の方向さえ把握していればいつかは目的地に辿り着けるようにできている。


「こっちが商店街でむこうが鍛冶屋街だね。帝都は大陸で一番鍛冶が盛んな街なんだ。最近は各地に散っていた鉄人(ドワーフ)を吸収したり、魔導兵器を開発したりでどんどん新しい発明がされているらしいよ」

「特に金属武器ね」


 ミハエル達は両街区の丁度境目に立っていた。

 右手側には多種多様な店舗が並び、左手側には鉄の匂いと金槌の音を響かせる工房が並んでいる。

 両の境がはっきりと分かれている様はこの都市が計画的に建てられたことを窺わせる。

 大城壁内部という限られた空間を有効に活用する為だ。尤も、現状のままでは増加し続けている人口を住まわせることができないため、“陣列皇帝”は城壁の一部開放を計画しているという。


「盛況なのがここからでもわかるでしょう。わざわざ大陸を横断して仕入れに来る商人もいるのよ」


 帝都生まれ、帝都育ちのフィフィが我が事のように発展途上の胸を張って自慢する。

 そこに他国を貶める色を感じさせないのは少女の持つ善性故だろう。


『ほう、大陸規模での分業か。寿命の短いニンゲンらしいな』

「人間はひとりで何でもできる訳じゃないからね」

『フン、効率的だと言っているのだ』


 鼻息も荒く告げる水竜はミハエルの肩から首を伸ばして鍛冶屋街を覗きこむ。

 鍛冶士の朝は早く、既に炉の熱さえ感じとれそうなほど街区は賑わっている。

 石畳の往来をひっきりなしに行き来する人々の姿は、竜にはひどく眩しく見えた。


『我らはその発生時点から狂気の中にあった。それが晴れた以上、改めて竜種としての集合体を作る必要があるだろうな』

「竜の谷は集合体ではないの? 私たちからはそう見えるのだけど」

『うむ、狂気が晴れてから五年経つが、皆てんでばらばらに活動している』

「ああ、それはベルを見ればよくわか――痛い痛い」


 二回目にして既に頬への頭突きには容赦がなくなった。

 物理的に赤らんだ少年の頬を、フィフィは苦笑しながら微かに冷気を纏わせた指で撫でた。


「ありがとう、フィフィ」

「あんまりからかっちゃダメよ、ミハエル」

『まったくだ。話の腰を折ってくれるな。……それで、元より、我らは単体で凡そ完結している種だ。祖先たる古代種からして頭目を置かぬのが本来の性分。故に、独裁的な改革や急速な転換というものは起こりにくい』

「まとまってくれた方が僕等としては交渉しやすいんだけどね」

『纏まれば、戦力として脅威になるのではないか?』

「大陸中に分散して襲いかかられる方が怖いかな」

『……正面から戦って勝算があるのか』


 何気ないミハエルの言葉に込められた意味を過たず読み取り、ベルは不快気に目を細めた。

 対する少年は片目を閉じて、珍しく表情から笑みを消して口を開いた。


「勝てるだろうね。谷の広さからして、竜は百はいても千はいないだろう?」

『うむ。我も正確な数はわからぬが、千に届かないのは確かだ』

「人間は大陸中から掻き集めれば、僕達のギルドと同程度の戦力を千個以上揃えられる。実際、五年前に僕らはそれを成し遂げた」

『……』

「千個の戦力を相討ち覚悟でぶつければ、きっと人間は竜種に勝つよ。……それをやったら今度こそ四大国は崩壊するけどね。

 君も谷に帰ることがあるかもしれないし、心の隅に留め置いてほしい」

『……承知した』


 右肩の竜は厳かに頷いた。

 だが、その一方で、自分が谷に戻ることはないだろうと竜は半ば確信していた。

 己の“復讐”が成就することはない。己の存する位階では“剣”に勝てないからだ。ミハエル達との戦いは竜にその事実を改めて痛感させた。


(それでも諦めきれぬのか。我が事ながら度し難いな)


 己の分を弁えない者に未来はない。

 叶う筈のない望みに命を賭けても、待っているのは破滅だけ。

 そういうものだと理解しても、ベルフィオールは己の衝動を止めることができなかった。


 その感情を何というのか、竜はまだ知らない。


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