3話:一匹竜・後編
ギルド連盟はこのパルセルト大陸に広く分布している機関である。
各支部の情報連携は大陸通信網によって保たれているため、どこの支部で依頼を受けても基本、不都合はない。
とはいえ、どこの支部でも常に個々のギルドの情報が把握されている訳ではない。連盟所属のギルドは常に増加し、そして同じように消滅しているが、情報を整理するのは結局のところ人間なのだ。
そこで、大雑把にどの程度の依頼まで受けられる実力があるのかを示すのが“等級”だ。
一般的な依頼ならば四級、領主規模の出す依頼ならば三級、国家規模ならば二級、とされている。
アルカンシェルはかつて一級ギルドであった。国家ですら手に負えない事件を解決した証だ。
だが、現在は専ら三級として扱われている。主に動く面子が変わったからだ。依頼も相応のものを受けている。
……そもそも一級や二級ギルドに依頼しなければならない事件が起きていない、という面もあるのだが。
だからこそ、『“竜”を追い返せ』などという依頼が舞いこんで来たことにミハエルは驚きを隠せなかった。
それは再び時代が変わる予兆なのか。答えはまだわからない。
◇
ミハエル、マルク、フィフィの三人は言葉もなく無人のアルキノの街を歩いていた。
常は喧騒に満ちている街も、閑散として、どことなく暗く感じられる。
連盟から派遣されている監視員の気配も遠く、街にはただ重苦しい雰囲気だけが籠っている。
「……いるな」
「いるね。二人とも大丈夫?」
「当たり前だ」
「ええ、これくらいなら耐えられるわ」
マルクは感じる重圧に歯を剥くように小声で吼え、隣を歩くフィフィは杖をぎゅっと握りしめたまま気丈な表情で頷いた。
これならいける、とミハエルも心中で首肯する。実力で勝っていても、心が折れてしまえば戦いにはならないからだ。
そうして、街の中央通りを進むこと四半刻、ようやく三人は竜種を発見した。
街の丁度中央に設置された噴水の上に竜は堂々と鎮座していた。
その巨体よりもさらに大きな両翼、煌めくような水色の竜鱗、噴水に巻き付けられた太く長い尾、力強さを感じさせる四肢と顎門、喉元で青く輝く美しい魔力結晶。
「――――」
三人は言葉もなく、ただその威容を見上げていた。
彫像の如く微動だにせず、しかし、内に秘めた生命力を隠すことなく放つ姿は生物としての格の違いをまざまざと感じさせる。
鱗の色からしておそらくは水竜。
暴れ出すような気配はなく、細められた真紅の瞳にはたしかな知性を感じさせる。
予感を胸にミハエルは武器を構えようとする左右の二人を制して一歩を踏み出した。
竜は未だ動かない。ただ何かを待っているかのように静止している。
「――こんにちは。少し、いいかな?」
だから、ミハエルは気負いなく声を発した。
背後の二人が硬直するが今は無視する。ただ目の前の巨大な存在と真っ直ぐに相対する。
その瞬間、たしかに竜は笑った。
『――ようやく話の通じる奴が来たか』
竜の声はその見た目に反し、高く澄んだ美しい声だった。
やはり、という想いがミハエルの中に溢れる。
数日前に交わしたペルラとの会話が思い起こされる。
『その竜種は話せますか?』
最後の問いの答えは間違っていなかった。
これはドラゴンハートを求める過程には不必要などころか、邪魔なものでしかない。問答無用でその心臓を抉り取ってしまうのが最短距離なのは間違いない。
だが、意志疎通のとれる相手を無視し、私欲によって殺し、その死体を暴くことはミハエルにはできなかった。
最善を目指すと“虹”の名を継いだ時に決意したのだ。
ならば、遠回りでもその頂に続く道を見つける努力をしなければならない。
「僕はミハエル。この街の人に君を追い返すように頼まれている。君がどうしてこの街に来たのか、訊いてもいいだろうか?」
『……』
胸に手を当てて尋ねるミハエルをじろりと見下ろしながら、竜は数瞬沈黙した。
暫くして、厳かに発せられた声はミハエル達にとって最悪の答えだった。
『――兄の復讐をしたい』
竜に復讐するだけの知性と文化がある。となれば、当然に今まで殺してきた竜についての問題が浮上する。竜種の寿命は数百年に及ぶのだ。
『我は兄の仇を探している。一人では人界を探しきれぬ故、こうして話の通じる者を待っていた』
「それはまた……僕等にとっては随分と難題だったね」
かつて古代種達は自らの魂を表わす秘技によってヒトの恐怖する姿、竜種へと姿を変えた。
つまり、竜の姿は人間に根源的な恐怖を抱かせるように出来ているのだ。
その恐怖を超えて竜と話そうとする者が果たしてどれだけいるだろうか。ミハエルには想像もつかなかった。
「君のように人語を話せたり、復讐を望む竜は多いのかな?」
『いいや、人語を解する竜は少なくないが、復讐を望む竜は我だけだろう』
「そうか。……君の復讐相手について詳しく聞いてもいいかい?」
『――剣だ』
その一言を発した瞬間、思わず後ずさる程に、竜の気配が爆発的に膨れ上がった。
戦意だ。竜の放つ戦意が空間を押し潰すかのように放たれたのだ。
『狂乱の中、我らもヒトを殺した。お互い様だ。故に、恨みはない。だが、あの剣だけは違う。
一刀の下に兄を両断した剣。強く、美しく、ただひとつの意志に透徹された魂の発露。
狂気に曇った我が眼でもあの輝きを見逃すはずがない。
――あれこそは、我らの祖先が敗北したニンゲンの魂そのものだった』
「……」
これは単なる一個人の復讐の念ではない。ミハエルは確信した。
怒りや憎しみを超えた所にある憧憬、あるいは、それに勝たねばならないと魂が吼えたてる――焦燥だ。
『我は証明したい、兄を殺したあの禍々しくも美しい一刀に竜種が劣っていないと!!
……千年を超える時の中、第一世代、第二世代は既に絶え、第三世代も残すところ我と数体だけだ。世代を追うごとに血に宿る知識は薄れていっている。今後、竜がどう変わっていくかはわからん』
古代種にあった不老の権能も、超越の魔導も、複数の命を貯蔵する能力も捨て、得たのは後に継いでいく生殖能力のみ。
生物として当たり前の性質を得たことが果たして進化だったのか、答えはまだ出ていない。
『――だから、古代種を知る最後の世代として証明せねばならない。我らは退化したのではないと。
――我らの先祖は決して、決して、人間を恐れた為に竜になったのではないと証明せねばならない』
「……」
何を言うべきか分からず、ミハエルは無言で北の空を見上げた。
遠く蒼い天蓋には虹のかかる小さな傷痕がみえる。
それを見るたびにミハエルの心には勇気が湧いてくる。揺らぐことのない覚悟が定まる。
「その人って、単独で、お兄さんを頭から一刀両断にしたの?」
『よくわかったな』
「……まあね」
苦笑し、頬をかく。連盟が保管している限りの竜との戦闘記録には目を通した。
その中で、単独かつ、剣を用いたのは三人。
頭から竜を一刀両断したのはただ一人。
すなわち――
「――僕の師匠だよ、その人は」
告げられた言葉に、にわかに竜の目が細まる。
ミハエルは数奇な運命を感じた。同時に、ここに立ったのが自分達で良かったと、そう思えた。
『ほう。それで如何する気だ?』
「君を師匠に会わせてもいいんだけど、ひとまず僕と一戦やってみない? 弟と弟子で丁度いいだろう?」
『……』
小さな唸り。竜にとっては小さな唸りだが、相対する人間にとっては心胆を寒からしめるそれだ。
機嫌を損ねたのがはっきりとわかった。
『それに何の意味がある?』
「怒らない?」
『話による』
「じゃあ言うけど、――君じゃあ師匠に勝てないよ」
ねじ伏せられた大気が悲鳴をあげる。
さらに空気が重さを増す。竜は既に殺意を隠していない。
『理由はなんだ? 答えろ、ニンゲン』
「相性が悪い」
それでも、心中の怯えをおくびにも出さず、ミハエルは簡潔に答えた。
「見ればわかる。君は防御に優れた竜だ。だけど、師匠の剣は物質の“ものすごく小さな隙間”を通す剣だ。その隙間を魔力とか反応とかで埋めない限り防御は無意味なんだ。
だから、断言してもいい。同格なら――君は、負ける」
『……』
「僕も相手の防御をある程度無効化できる。試してみないかい?」
『全員でかかってこい。汝ひとりでは不足だ』
「後悔するよ?」
『させてみせろ!!』
怒声と共に竜は両翼を羽ばたかせた。
俄かに巻き起こる突風がミハエル達を揺らし、その隙に竜は上空へと飛び上がった。
翼から魔力を放って肉体を宙に安定させ、眼下を睥睨し、言葉を放つ。
『さあ、どうする? 空を飛べぬ汝等では――ッ!?』
言葉が終わるより早く、竜は素早く両翼を閉じて障壁を展開した。
視界の端に、喉元に迫る金色の剣閃を捉えたのだ。
次の瞬間、甲高い金属音を立ててミハエルの剣が障壁に弾かれた。
『ぐっ!?』
「マルク、フィフィ!!」
障壁越しの衝撃に竜が僅かに体勢を崩す。
それが立て直されるまでのわずかな間に、手近な屋根に着地したミハエルが鋭く指示を出す。
直後、詠唱の完了した二人が立て続けに雷撃を放った。
晴天を割るように落ちた雷は炸裂音と共に一度目に障壁を叩き割り、二撃目を竜の巨体に直撃させた。
『まだだ!!』
だが、竜は翼を振るって纏わりつく残光を弾くと再度羽ばたき、落ちていた高度を取り戻した。
(全力で撃ち込んで無傷かよッ!?)
マルクが次の詠唱を準備しつつ、盛大に顔を顰める。
不意を打った二連撃、それでも水竜相手に最も効果の高い雷撃属性。
だが、フィフィの雷撃魔法と併せて障壁を抜いて尚、竜鱗の魔法抵抗力が負傷を許さないのだ。
「……すごい。純粋な防御力なら不朽銀より高いかもしれないわ」
「師匠がお兄さんと戦った時は刀を折ったっていうし、このくらいなら、ね!!」
その時の師の年齢が今の自分と同じことを思い出し、ミハエルは気合いを入れ直した。
ちょっとした対抗心だ。それに、いつかは師に追いつかなければならないのだ。
ならば、同じ年齢で同じことができなければ嘘になる。
「長引けばこちらが不利。――二人とも、次で決めよう」
「あいよ!!」
「はいっ!!」
牽制の雷撃を放ちつつ、二人はミハエルに呼吸を合わせ、詠唱に回していた魔力を喉元に集中させる。
フィフィアーナ・ニミュエス。
マルク・ヴァリド。
そして、ミハエル・L・ディメテル。
貴族たる三人は白神との契約により、共通するクラスを得ている。
『――威令を発す』
すなわち、“ロード”の権能。
号令により他者を強化することに特化した三人分の権能をミハエルただひとりに集中させる。
唱和する三重の強化が屋根の上を走るミハエルを一気に加速させる。
そして、少年は一切の躊躇なく屋根の先端を踏み切り、跳躍し、竜の懐に飛び込んだ。
先の数倍に届く高速度域に、竜が翼を閉じる余裕はない。
「――起動、“マイム・ラーメッド”」
矢の如く飛ぶ勢いのままに、ミハエルは腰の水剣を引き抜き、魔力を込める。
通常起動では水刃を纏う魔剣がその名に応じて真の能力を発揮する。
すなわち、極限の尖鋭化。
水刃は視界に微かな蒼の煌めきを残し、細く、長く、常の十倍近い長さまで伸長する。
『これは――鞭か!!』
竜は咄嗟に鱗に這わせるように障壁を展開する。
その一瞬で竜は鞭剣の性能――すなわち、攻撃力の不足を鋭さによって補っていること――を見切った。
当たれば、己の鱗を切り裂くことも可能だろう。
故に、面の防御を展開する。どれだけ鋭くとも威力に劣るならば障壁を貫くことはできないからだ。
『その程度では――ッ!?』
だが、その予想は外れた。
ミハエルが水剣を振るった直後、竜の胸元の鱗が切り裂かれ、青い血が噴き出した。
竜が限界まで目を見開いて見れば、水鞭の先端はさらに細くなっていた。
己の血がついて初めて視認できた程だ。鞭と云うよりもそれは既に糸に等しい。
「君の纏う障壁の反応限界よりも細い水糸剣だ。防げないっていう意味はわかってくれたかな?」
『チィッ、まだだ!!』
竜は胸の傷を応急的に塞ぎつつ、残る力を振り絞って三度空へと飛び上がった。
自らと同色の青空に翼を広げ、身体を固定。
次いで、長首を反らすように擡げ、喉元のサードアイに全力で魔力を注ぎ込み、眩く輝かせる。
『――ガアアアアアアアッ!!』
直後に放たれるは竜種の絶対。
極限まで圧縮された水のブレスが青い輝きを曳きながら落下軌道にあるミハエルに向けて放たれる。
伸びゆく槍であり、鋭き刃でもある青の奔流が宙を奔り、立ち並ぶ家々を数十軒に渡って両断する。
だが、そこには既にミハエルはいなかった。
(外した!? 空中の相手を――ッ!?)
困惑する一瞬の中で、竜はすぐ隣から吹き付ける微かな風を感じた。
己の翼が起こす風とは比較にならない微風。だが、例えば、人ひとりを飛ばすには足りる程度の――。
本能に従い、竜が真紅の視線を右に向ける。
そこには両腰の双剣に翠色の風を纏わせ、両の手に金と蒼の剣を構えたミハエルがいた。
(飛行能力か!! だが、いつのまに――)
竜は知らない。己の“間”を盗んだそれが能力ではなく、技術であることを。
あらゆる存在において、攻撃する瞬間にこそ絶対の隙が生じる。それは竜とて変わりない。
――“無明”転じて法性。
一瞬の隙を捉え、回避を許さぬ一撃を叩き込むことこそミハエルの武の真骨頂。
「――シッ!!」
次の瞬間、交差する双撃は過たず竜の喉元のサードアイを斬り砕いた。
◇
無人の街に静寂が戻る。
街の広場に墜落した竜は数瞬沈黙していたが、暫くして纏っていた戦意を解いた。
『……我の負けか』
「そうだね」
『十全に己を鍛えてから谷を出たつもりだったのだが、我もまだまだだな』
「それはお互い様かな」
ミハエルは苦笑と共に小さく肩を竦めた。
急所たるサードアイを砕かれて尚、竜が弱まる気配はない。尋常でない生命力だ。
このまま戦い続ければ、おそらくはミハエル達が勝つだろうが、空を飛んで“逃げ”に入られれば追いきれる気がしなかった。
『驕りを正してくれたこと、礼を言う、ニンゲン。何か望みがあれば言ってみよ』
「気前のいい話だね」
ともあれ、勝負はついた。
ミハエルは僅かに迷いつつも、己の望みを詳らかにする。
「正直に言うと、僕は君の核が欲しい。竜の心臓は本来治せない傷を治すことのできる触媒になるからね」
『……』
竜の気配は変わらない。
人間の魂に勝つことを望む竜にとって、この敗北はあるいは命よりも重いのかもしれない。
だから、ミハエルは笑って両の剣を鞘に納めた。
「けど、さすがに言葉の通じる相手の心臓を持っていく気にはなれないよ」
『…………成程』
永遠にも思える一瞬の沈黙の後に、竜もまた全身から力を抜いた。
笑ったように見えたのは、ミハエルの気のせいかもしれない。
『戯れに問うが、汝が治したい相手は――師か?』
「……よくわかったね」
ふん、と竜は鼻を鳴らした。
どことなく得意気な雰囲気にミハエルは苦笑を深くする。
案外、この竜は負けず嫌いなのかもしれない、とそう思った。
『汝の師を治すというなら我にとっても無関係の話ではない。万全のその者と戦わねば挑む意味がない。であれば――』
竜が身じろぎし、慌てて背後の二人が得物を構える。
ミハエルは両の手を開けたままただ成り行きを見守る。
そうして、竜はゆっくりとミハエルの前に進み出ると――静かに頭を垂れた。
『心臓には及ばぬが、“水”に属する我の血も相応の触媒にはなろう。くれてやる』
「いいの?」
『過分だと思うのなら、代わりにひとつ頼みを聞いてほしい』
顔をあげた竜はその真紅の瞳でハエルを見据える。
求道者の如き真摯な光を湛えた視線に、少年はなんとなく続く言葉が予想できた。
『鍛錬の為に竜の谷を出たが、我はまだまだニンゲンを知らぬ。我に汝らの世界を見せてくれ』
「……ちょっと相談させて」
『うむ』
竜が大人しく待っているのを確認して、ミハエルはマルクとフィフィに顔を寄せた。
(どう思う?)
(危険だが、テメエが監視するなら、賛成する)
(騙してる感じはしないし、大丈夫だと思う。むしろ、ここで断ってもまた人里に出てくると思う)
(……わかった。ありがとう)
振りかえったミハエルは改めて竜と向き合い、指を二本立てた。
「僕の監視下にいること、無暗に暴れたりしないこと。この二つを守ってくれるなら僕等は君を受け入れるよ」
『交渉成立だな』
「あ、でも、その体だと目立つかもしれないね。どうにかできる?」
『造作もない』
言葉と共に、竜は全身に纏っていた魔力を紐解いた。
すると、瞬く間にその身は小さくなり、梟ほどの大きさに変わっていった。
喉元のサードアイに交差した傷を残したまま、竜は小さな翼で宙を叩くと何食わぬ顔でミハエルの右肩に留まった。
『我は竜の三世“ベルフィオール”、我が身は汝の右肩に』
「よろしく、ベルフィオール」
『うむ』
小さくなってもどこか偉そうなベルフィオールを見て、ミハエルは心中で苦笑した。
右肩にかかる重さは現実には軽いが、精神的には重くのしかかっている。
いくら見た目が小さくなろうと、コレが人間を遥かに超える存在であることに変わりはないのだ。
人間は決して綺麗ごとばかりではない。不合理であるし、時にこの竜が想像だにしない程の悪意を孕んでいることもある。それをミハエルは知っている。
故に、もしもベルフィオールが人間に絶望し、見切りをつけたなら、師に代わってこれを斬る。
心の奥底、魂と呼ばれる領域でミハエルはそれを決意した。
「ねえ、ベルって呼んでいいかしら? あ、私はフィフィって言います!!」
『好きにしろ』
「……フィフィは物怖じしないなあ」
だから、今は信じよう。ミハエルは心のままに笑った。
話が通じることに笑んだこの竜とならきっと良い関係が築けると、そう信じることにした。




