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刃金の翼・外伝  作者: 山彦八里
孤竜の騎士
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2話:一匹竜・中編

 鐘の意匠を紡いだ旗が北から吹く風にはためく。

 赤国帝都ジグムントの中央区画にギルド連盟の本部はある。

 城に迫る高さと広さを併せ持つその建物からは帝都が広く一望できる。

 大城壁に囲まれた鋼鉄の都市。夕日に赤く染まる鍛冶街からは白くたなびく煙が窺え、微かに鉄を打つ音が聞こえてくる。

 大陸最大のこの都市が眠りにつくのはもう二、三刻後のことだろう。


 ミハエルは帝都の夕景色を横目に、すれ違う連盟員に会釈を返しつつ、本部の階段を早足で駆け登っていた。

 アルカンシェルを名指しで支部長から緊急招集を受けて、予定を押して本部に戻ってきたのだ。

 ミハエルはそのまま一息に最上階まで登りきると、軽く格好を整えてから扉をノックした。


「――どうぞ」

「失礼します」


 落ち着いた声に従って扉を開けると、執務机に突っ伏しているエルフが目に入った。

 入ってきたのがミハエルであることに気付いて慌てて居住まいを正し、ずり落ちかけた眼鏡を直す姿は理知的な雰囲気の中に愛嬌を感じさせる。


 ペルラ・オータム。

 長命のエルフであり、かつてはアルカンシェルの専属連絡員であった女性だ。

 現在は前任者が魔神争乱終結後にさっさと退任した為に、繰上り人事で赤国支部長の座に据えられている。

 尤も、百万の兵を集めるために数限りない内規破りを犯した前任者をその地位に留めておく訳にはいかなかった、という事情にはミハエルもすぐに思い至った。

 おそらくは争乱前から双方納得づくで計画していたことだろう。


(ペルラさんは前会った時よりやつれている気がするけど……)


 長命に由来する豊富な経験から、並の人族よりも優れた処理能力を持つエルフの彼女にとってすら支部長業務は激務なのだ。涼しい顔でこなしていた先代がおかしかったのだろう。

 人の上に立つというのはそれだけ責任と処理能力を必要とする。ミハエルもギルドのリーダーを継いだことでそれを知った。

 見知った相手が重圧に負けぬよう、人前ではああして背筋を伸ばしているのだ。手助けできることは多くはないが、それでも出来る限り要望に応えたいとミハエルは思った。

 ミハエル個人としても各地に流出した魔導兵器の情報を集めてもらっている為、無下にはできない。


「緊急招集とのことでしたが、何があったんですか、ペルラさん?」

「ギルド“アルカンシェル”に依頼です」

「……」


 予想していたとはいえ、ミハエルは微かに眉根を寄せた。

 支部長が直接に依頼するということは多くはない。常ならば連絡員を介する所だ。

 おそらく重要度の高い依頼なのだろう。その気配をペルラも隠していない。


(脅威度の高い魔物の排除か、特殊な技能を必要とする依頼かな?)

「詳細は聞けますか?」

「はい。――三日前、赤国北部国境の街アルキノに“竜種”が降り立ちました」

「ッ!?」


 予想を大きく超えた内容にミハエルは全身を硬直させた。


 ――“竜種”。

 公的には古代種は絶滅したとされている今となっては人間にとって最大級の危険である。

 その実力は精霊級――最上位の魔物に位置づけられている。

 巨体でありながら自在に空を飛び、喉元の攻撃用の魔力結晶(サードアイ)から放たれる強力無比なブレスによって地上を薙ぎ払う様は、抗う術を持たない人間には絶望の具現として映る。


 とはいえ、人類にとってはあまり関わり合いがないというのが実際の所である。

 竜種は――少なくとも三日前までは――大陸北部に存在する『竜の谷』から出てくることはなかったからだ。

 その上、谷に侵入してきた人間に対しては問答無用で牙を剥くために友好的な関係なぞ築ける筈がない。

 暗黒地帯が消滅したことで一番の危険地帯に格上げされた魔境にのみ生息する消極的な敵対存在。

 それがミハエルの、ひいては世間一般の認識であった。


「……あれ、襲撃された訳じゃないんですか?」


 先のペルラの言葉を反芻しつつ、ミハエルは首を傾げた。

 アルキノは暗黒地帯があった時には赤国最前線の対魔物都市であり、現在は暗黒地帯の浄化の為の研究者が多く詰めている重要拠点だ。

 仮に落とされたなら、赤国は大国の威信をかけて襲撃者を討滅しているだろう。ミハエル達の出番があるとは思えない。


「それが……街に降り立った竜種は何をするでもなく居座っているんです」

「被害は?」

「警備の兵が追い散らされただけです。死者も出ていません」

「……」


 奇妙な話だった。直接は竜種と戦ったことのないミハエルでもその不合理に思い至った。

 竜種の実力を考えれば、人間相手に死者を出さないように戦う方が難しい筈なのだ。


「依頼の達成条件は?」

「赤国も軍の準備を進めていますが、被害が出ていない現状、ひとまずは少数で以て街の外へ追い出すことを最低条件とします。勿論、状況が許すならば倒していただいても構いません。意味はわかりますね、ミハエル君?」

「……はい」


 未だ竜の谷に挑めるだけの実力を具えていないミハエルにとって、後顧の憂いなく相対できるはぐれの竜種は探し求めていた相手であった。

 それをペルラは知っている。だからこそ、この依頼を他の誰でもないアルカンシェルに寄越したのだろう。


「街の人はどうなっていますか?」

「既に避難しています。ただ、暗黒地帯へと続く大動脈を押さえられていますので、早急な解決が望まれます」


 立て板に水を流すが如く応答するペルラの様子に、ここまでの問いは予想の範疇だったことを察する。

 とはいえ、それはミハエル側も同様であり、互いの認識に齟齬はないことを確認できた。

 であるならば、この危急の時にミハエル達に否やはない。


「依頼を受諾します」

「感謝します、ミハエル君」


 ミハエルの応諾にペルラは頬と口調を緩めて安堵の息を吐いた。

 併せて、室内に満ちていた張り詰めた緊張も解けていく。

 改めて見れば、執務机に座っているペルラは支部長ではなく、リーダー交代の際に骨を折ってくれた姉のような人に戻っていることにミハエルは気付いた。

 真実、先代達を影ながら支え、ギルド“アルカンシェル”を盛り立てていった彼女にとって、その一切を引き継いだミハエルは子か弟のようなものなのだろう。

 エルフの彼女もまた緩んだ空気の中で思い出したように紅茶を淹れてミハエルの前に差し出した。


「現在のミハエル君達なら十分に可能な依頼だと思われますが、危険だと感じたら撤退して構いません。見極めは其方にお任せします」

「了解しました」

「明後日の朝には転移陣の構築が完了します。それまでに準備を終えておいてください」


 少しだけ支部長の顔を取り戻したペルラにミハエルはカップを掲げて応えを返す。

 そのまま口元に寄せ、ゆっくりと傾けたカップからは鼻孔をくすぐる優しい香りがした。


「……あ、最後にひとつ訊いていいですか?」

「その質問への答えは私個人の見解となりますが、よろしいですか?」


 静かにカップを置いて顔をあげたミハエルに、ペルラは小首を傾げて微笑みかけた。

 あるいは、その問いも予想されていたのもしれない。

 ミハエルは彼女の目を真っ直ぐに見詰めて、ゆっくりと口を開いた。


「その竜種は――――」



 ◇



 翌朝、カーテン越しに日の光を感じてミハエルを目を開けた。

 久しぶりのベッドと安全な寝床を堪能した少年は上半身を起こしてぐっと背を伸ばす。

 朝もまだ早い頃。かつてなら寝直していた所だ。

 そうして、ディメテル家の別宅で起床したミハエルが最初に見たのは、シーツから覗くブルネットの巻き髪だった。

 そっとシーツをめくると、きちんと余所行きの格好を纏ったフィフィアーナが猫のように丸くなっていた。

 おそらくは起こしに来たのだろう。この別宅にフィフィの訪問を止めようと思う者は誰もいない。両家とも公認の付き合いなのだ。


「……あの、フィフィ?」

「ん……」


 ぼんやりとした応えを返す少女を優しく揺するが、起きる様子はない。

 ミハエルは侍女を呼ぶか暫し迷ったが、少女の穏やかな寝顔を見て、もう少し寝かせておくことにした。

 裾を掴んでいる細い指をそっと解き、まだ冷たさの残る床に素足をつける。


 そうして自室を見渡せば、テーブルに山と積まれた黴くさい大量の資料とその奥で揺れる赤毛の頭を見て取った。

 ミハエルは苦笑しつつ、ひとまずは朝の挨拶を投げかけた。


「おはよう、マルク」

「ん、起きたか、ミハエル。とりあえず、連盟にあった竜との戦闘記録は一通り目を通した。オマエとフィフィも読んどけ。オレ達三人で竜一体に当たるなら、相性次第だが悪くない勝率だろう」

「もう読み切ったの? 依頼内容伝えたの昨日の夜だよね? ……なんていうか、ホント戦闘に関してだけは熱心だよね、マルクは」

「戦う前の準備が大事だと、誰かさんに身を以て教えられたからな」


 山のような資料の谷間からは、マルクが口元を皮肉気に歪めているのが見える。

 五年前の決闘を未だに根に持っているライバルであり、親友でもある少年に、ミハエルは苦笑を返すばかりだ。


 五年前、二人はふとしたきっかけで決闘することになった。

 子供の喧嘩などという域の話ではない。たしかにその時、二人はまだ十歳だったが、互いの実力は既に人一人を殺害するのに十分すぎる程だった。

 そして、結果、一度はミハエルが炎に焼かれ、次の一度はマルクが杖を斬られた。

 一勝一敗。五年前の勝利と敗北は二人にとってまさしく転機だった。

 あの瞬間にミハエルは武の入り口に立ち、マルクもまた現在に繋がる克己心を得た。

 なんだかんだ言いながらも二人が共にいるのは、同じ思い出に由来する互いへの敬意にも似た共感があるからだ。


「朝食は食べていくかい?」

「いや、偶の機会だし実家で食う。……それより、ひとつ疑問なんだが」

「なに?」

「オマエの師匠の治療に竜の心臓が必要なら、何で先代達は竜を狩りに行かないんだ?」

「――――」


 その問いは不意に現れたものではない。マルクの声には此方を気遣うような気配が滲んでいる。

 おそらくずっと前から秘めていたものなのだろう。


「一応、竜の谷は四大国連名で封鎖されているんだけど」

「その位どうにかできる功績があるだろう。あの人等の実力なら竜の一体や二体に苦戦することもない。他に何か理由があるんじゃないのか?」

「……そうだね。いい機会だからマルクにも伝えておこうか」


 ミハエルは椅子を寄せてマルクの正面に腰掛けると、天井を指すようにぴんと人さし指を立てた。


「竜種は魔物であって魔物でない。彼らはどこからともなく発生する魔物と違い、雌雄の区別があり、生殖によって数を増やしている。千二百年前に古代種が変化したものだから、起源からして魔物とは違うんだ」

「それで? オレもその位は知っている」

「それでも、竜種も魔神争乱までは狂気の中にいたんだ。古代種と繋がりが深い彼らは呪いから逃れられなかった。だから、これまでは竜の谷に入っても散発的に襲撃してくるだけだった」

「今は違うのか」

「おそらく。彼らの本来の知性は人間に迫る。……いや、ひょっとしたらそれ以上かもしれない」


 そこまで告げると、マルクの顔にも納得の色が浮かんだ。


「つまり下手に奴らに手を出すと“報復”の可能性があるのか」

「上の方はそう考えているみたいだよ。ぞっとしない話だね。今回だってはぐれだからこそ討伐許可が下りたのだと思うよ」


 ミハエルは困ったように笑い、肩を竦めた。

 自在に空を飛び、強力なブレスによって地上を薙ぎ払う超越種が能動的に人類を襲い始めれば手がつけられないだろう。

 実際、飛行種による空襲が有効であることは魔神争乱においても証明されている。

 故に、魔神争乱後、竜種の知性が戻ったことが確認された後に『竜の谷』は封鎖された。

 今、侵入するのは値千金の霊薬の材料となる竜の死体狙いの密漁者くらいだろう。


「じゃあ、オマエはどうするんだ? オレはオマエがいつか竜の谷に挑むっていうからギルドに加わっているんだ。まさか考えなしって訳じゃないだろうな?」


 厳しい視線を投げかけるマルクに、勿論とミハエルは首肯を返した。


「四大国もいつまでも谷を封鎖させておくわけにはいかないさ。暗黒地帯の浄化も進んでいる。特に赤国は暗黒地帯との境の半分以上を竜の谷に阻まれているから、いつかは攻略しないといけなくなる。

 ――その時には確実にギルド連盟にもお声がかかる」


 おそらく先代アルカンシェルの面々がそこに呼ばれることはないとミハエルはみている。

 良くも悪くも、先代達の名は影響力が大きくなり過ぎた。

 赤国皇帝直々に「次に派手に動いたら国が興る」と言われたほどだ。

 だからこそ、彼らが動けない分は自分が補うのだとミハエルは決意している。


「……成程、オマエはその時に指名がくるように今の内から方々に媚売ってるわけか」

「鍛錬も兼ねてね。まあ、今回のことが上手く行ったらその必要もなくなるけど」

「依頼の最中に手に入れた物は冒険者の物ってやつか。それで国宝まで手に入れられるならワケないな」

「――認めさせるさ。その為に今まで命を張ってきたんだ」


 その一瞬、ミハエルの瞳に炎が灯った。

 何を敵に回しても己が意志を貫かんとする意志の炎だ。

 マルクは親友の不敵な様子に楽しげに鼻を鳴らし、立ち上がって背を向けた。


「そうかよ。オレはオマエが日和った訳じゃないとわかって安心したぜ」

「そいつは重畳」


 笑い合う二人の顔には隠しきれない戦意が滲んでいる。

 目的の為の最初の一歩。はぐれ竜種の攻略。それに全力で臨む意志が二人にはあった。


 そうして、その日一日を準備に充てて、翌朝、一行は竜の待つアルキノへと向かった。


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