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刃金の翼・外伝  作者: 山彦八里
終わりのあと
26/26

4話:涯の先

 そして、明けて翌日。

 一年の終わりと始まり――大晦日(ジルベスター)がやって来た。


「……むぅ」


 朝のヴェルジオン邸にて。

 クルスと並んで姿見の前に立ったカイは困惑を隠しきれない表情を浮かべた。

 使用人たちに着せられた下ろし立ての礼装は新雪の如く白い。真っ白である。

 各部を縫っているのは希少な銀糸。仕立ても至極上等で、この一着に専門の職人が丸一年をかけたであろうことが察せられる。なにせ当主であるクルスとお揃いなのだ。


「白いな」

「当たり前だろう」


 苦笑を噛み殺したクルスのいらえに、カイは不服そうな視線を投げかけた。

 日頃は返り血を被っても目立たないから、等という身も蓋もない理由で黒やら濃紺やらを好んで着潰していたカイである。こうも真っ白に着飾られると毛皮を塗り替えられたような気分になる。


「一生に一度なんだ。今日くらいは我慢してくれ」

「わかっている。慣れていないだけだ。……その、嫌ではない」


 嫌ではないんだ、と繰り返し、それからカイはクルスへ向き直り、すっと片膝をついた。

 場の雰囲気がしんと静まる。

 クルスは居住まいを正した。カイが何をするのかわかったからだ。


「剣を」


 重く静かな声に、控えていた従士が緊張した足取りでカイの剣を運んでくる。

 銀剣。かつてカイの父ジンが振るい、託されたクルスが振るい、そしてカイに返された最後の一振り。


 カイは手渡された銀剣の鞘を払うと、クルスの目前へ両手で捧げ持った。

 鏡の如く澄んだ刃が男の実直な心を映す。

 ……カイ・イズルハはかつて騎士であった。しかし、それは立場上のものでしかなかった。

 その魂は剣であり、刃金であった。


 ――“刃金の翼”、振るう者ではなく、振るわれる剣。ただ斬ることを求めた、その涯。


 その半生に悔いはない。神を斬る剣と自らを定めた心のままに、男は駆け抜けた。

 あの日、歌声の響く空の下でソフィアに謳った誓い、己が役目を果たしたのだ。

 だが、男は生き残った。仲間たちが彼を救った。剣として朽ちることなく人の世界に帰ってきた。

 生きている以上は明日がやってくる。

 戦いの日々は終わった。剣としての役目は終わった。これからは人として生きねばならない。

 ゆえに、これは新たな誓いであり、剣であった自分との訣別であった。


「カイ・イズルハ――」


 クルスは銀剣を受け取ると、カイの両肩にそっと刀身を触れさせた。


「お前はずっと自分を犠牲にしてきた。そろそろ報われてもいい頃だ」


 誓いの言葉はいらない。必要ないからだ。

 忠誠は求めない。家族だからだ。


「これからは平穏な日々が始まる。始めてみせる。

 ……あの日、お前と出会えてよかった。お前と共にこの日を迎えられて……本当に良かった」


 だから、クルスが紡いだのは感謝だった。

 共に駆け抜けた日々を思い出す。これからの幸福を願う。これはそういう祈りであった。

 そうして、クルスから銀剣を受け取ったカイは微笑んだ。

 柔らかで素朴な笑み。

 きっとこの瞬間、カイという人間が本来もっていた笑顔は取り戻されたのだ。


「こちらこそ。これからもよろしく頼む……その――」




「――義兄さん」




 数瞬、クルスは忘我していた。

 言葉が胸に染み渡るにつれ、青年の目から一筋の涙が零れ落ちた。


「泣くな、クルス」

「すまない。だが、俺は間違っていなかった……」


 その手で父を斬った男が、微笑んでそう言えるまでにどれほどの苦悩があっただろうか。

 自らの人生を呪ったこともあっただろう。苦難の道のりに歯噛みしたこともあっただろう。

 だが、それらすべてを乗り越えて、今、カイは新たな一歩を踏み出したのだ。

 決意がクルスを満たす。この男を幸せにしてやりたいと、そう願った。


「カイ。俺はお前の家族になれて良かった。誇りに思う」

「こちらこそだ、クルス」


 差し出された手を握り返して、カイはそう答えた。

 兄呼びはまだまだ照れ臭かったのだ。


「……ん、すまない。時間を食った」

「いいんだ。必要なことだった」


 カイが銀剣を剣帯に吊るし、クルスが手を叩く。

 止まっていた時間が動き出す。

 静寂を破ったふたりにつられるように、使用人たちがあわただしく準備を再開する。


「いこう。ソフィアたちが待っている」

「ああ、いこう」



 ◇



 カイとクルスは連れ立って控室を出る。

 そのまま広間へと続く回廊をぐるりと抜けると、すでにソフィアとイリスが並んで待っていた。

 雪のように白いドレスと男装を纏ったふたりは対照的な表情でカイたちを迎えた。


「遅い!! ソフィアより時間かかるってどうなの?」

「いいんですよ。ふたりにだって準備がありましたから、ね」


 頬を膨らませるイリスを宥め、ソフィアはカイに微笑みかけた。

 美しいかんばせだった。かつての儚さは薄れ、今を生きる強さをヴェールのように纏っていた。


「迷いは晴れましたか、あなた?」

「ああ」

「あとで教えてくださいね」


 ソフィアは深くは詮索しなかった。

 だが、読心も予見の目も喪っても、その両輪を以て培ってきた洞察力は健在だ。

 カイがなにに迷い、どんな道を選んだのか、わかっていることだろう。

 それでも、ソフィアはカイの言葉を待った。愛する人の言葉で未来を聞きたがった。

 ソフィア・イズルハは少しだけわがままになったのだ。カイにとってそれは愛おしい変化であるが、少しだけ困ってもいた。


「ソフィア、あまり俺を甘やかすな。加減がきかなくなる」

「あなたは自分で自分を戒めてしまうから、わたしが甘やかすんです」


 そう告げてソフィアを両手を広げて、カイを抱きしめた。

 カイは変わった、とソフィアは思う。かつて抜き身の刃のような鋭さを湛えていたその相貌には、落ち着いた色合いと少しの苦笑が浮かんでいる。

 剣を捨てたわけではない。今もカイは削れた体と折り合いをつけながら鍛錬を続けている。一度は届いた高みを再び目指している。

 ただ、兄の言葉を借りるならば「剣は鞘に納められた」のだろう。振るうべきときに振るわれた剣は役目を終えたのだ。


 最後の瞬間までともにいたソフィアは覚えている。男の人生でただ一度だけ振るわれた神剣の輝きを覚えている。

 カイには前に進もうとする意思があった。違う道を進むこともできたはずだ。たとえば、騎士として栄達する人生もあっただろう。


「ありがとうございます、あなた」


 不思議そうに首を傾げる夫に妻は笑いかけた。心に沁み込む様な優しい笑みであった。

 それでも、カイが選んだのはこの未来(みち)だった。その道を共に歩めたことがソフィアは嬉しかった。


「それにしても、よく似合っている」


 しばしして抱擁を離し、ソフィアの全身を視界に納めてカイは実直に告げる。

 レースを重ねた純白のドレスを纏う少女は幸せそうに頬を綻ばせた。

 イリスが選んだ晴れ着だ。似合わない筈がない、とは思っていても、やはりカイにそう褒められるとほっとするところがあった。

 だから、ついこんなことを言ってしまうのだ。


「お姫さまみたいですか?」

「ああ……いや。真実、お前はヴェルジオンの姫だろう」

「今はあなたの、ですよ」

「……」


 カイはそっぽを向いた。黒髪の間から出ている耳がかすかに赤らんでいた。

 ソフィアはクスクスと笑声を零した。


「やっぱりイリスもドレスにするべきでした」

「私はいいの。仕事で動き回るし。それに、カイにはもう見せたから」

「相変わらず恥ずかしがり屋ですね」

「恥じらいを身につけたのよ」


 じゃれ合うように言葉を交わしながら四人は気負いなく玄関へと向かっていく。


 かつて、神官の少なかったヴェルジオン領では個々の結婚式をする余裕がなかったために、ひとつの風習ができた。

 すなわち、その年に結婚した男女は大晦日(ジルベスター)の祭りで一斉に神官の祝福を受けるのだ。

 新年に新雪を模した純白の礼装を着るのは新郎新婦の特権である。



 ◇



 屋敷から出れば、まだ昼間だというのに空は随分と暗かった。

 祭り舞台を組んでいる大工も、露店の準備をしている店主も揃って不安げに空を見上げている。


「あちゃー。夜までもちそうにないわね」

「今年は例年になく暖かい冬だし、雨になるだろうな」

「……」


 思案気に空を見上げる仲間を眺めて、カイはひとつ頷き、大きく口を開けた。


「――ミハエル!!」

「はい!!」


 ヴェルジオンの親類縁者が集まっていた一角から小柄な影が飛び出してくる。

 ミハエル・L・ディメテル、カイを師と呼んで慕うアルカンシェルのメンバーだ。


「御用ですか、師匠」

「ああ。これからのことと、これまでのことだ。……まず、クルスより預かっていたギルド・アルカンシェルのリーダーの座をお前に譲る。名前ばかりが独り歩きして面倒だろうが、うまく使え」

「はい!!」

「そして――お前が俺に勝った時、銀剣を譲る」

「!?」


 驚きにミハエルは口をあんぐりと開けて、カイの仏頂面をまじまじと見つめた。


「え、師匠、それ、御父上の形見ですよね」

「そうだ。託すに足る剣士になれ、ミハエル」


 言って、カイは曇天を見上げた。

 感慨に浸っている――わけではない。そういう雅趣はカイにはない。

 その姿の意味を傍で見ていたミハエルは過たず理解した……間合いを測っているのだ、と。


「使徒の第三位レクシーンより予言が下された。800年後、『最後の古代種』が目覚める。

 俺は約束した。俺の剣の継嗣が奴を斬ると、そう約束した。奴を独りにはしない。

 だから、この一事だけ我儘を許してほしい」

「師匠……」

「その未来に俺はいない。お前もいない。だから――」


 八百年、途方もない時間だ。人間はおろか、エルフの寿命ですら足りはしない。

 あるいは、今の時代にあるすべても喪われているかもしれない。



「――だから、剣を、“魂”(ニンゲン)を継いでいく」



 誰かに(ちち)を任すなどカイらしくないだろう。

 侍は常に、誰よりも先にいた。

 彼が己の前に立つことを認めたのはただ一人、クルスだけであった。

 しかし、今、カイ・イズルハは選んだ。

 自分の跡を継ぐ者を選んだ。手ずから鍛えた弟子に己の魂を任せることを決めたのだ。


「お前が次を選べ。この剣を継いでいけ」


 云って、カイは背に負った剣を抜き放った。

 銀の剣、曇りなき刀身、剣を抱いた白鳥の紋章、最も古き魔導兵器。

 文字通りのカイの魂だ。この剣と技が継がれていく限り、刃金の翼という伝説は生き続ける。


「以上がこれからのことだ」

「肝に銘じます。それで、これまでのことっていうのは?」

「……お前にはまだ見せたことがなかったからな」


 口の端を曲げるようにして僅かに苦笑し、カイは再び天を見上げた。


「――真に輝け(ヴァリタス)至高なりし(オリカルクム)白銀剣(アルマ)


 詠唱に従い刃殻が外れ、その裡より至高白銀の刃が生まれ出ずる。

 カイの魔力を受けて形成される片刃の一刀。人生を懸けた刃金のカタチ。

 剣に魂があるというならば、此処には確かな魂が宿っているだろう。


「腕は鈍ってないわよね?」

「勿論だ」


 イリスが駆け寄り、冗談めかして言い合う。

 カイの体は後遺症が残っている。かつてのように人の限界を超えた武神の力はない。

 だが、それでいいのだとイリスは言う。弱くなっていいのだと。

 あなたが、あなたらしく生きてくれればいいと。


「体は大丈夫なのか、カイ?」

「問題ない」

「なら、皆にお前を見せてやれ」


 誇らしげなクルスに肩を叩かれ、カイは頷きを返す。

 いつだってこの手が、この声が背中を押してくれた。

 全てを守らんとするこの手が、彼岸から現世へとカイを連れ戻したのだ。

 誇りに思っているのは此方の方だ。だから今、カイは此処にいる。


「がんばってください、あなた」

「了解した」


 そして、誰よりも自分を愛してくれた女性が、全幅の信頼とともにエールを送っている。

 出会い、共に戦い、告白され、目まぐるしい日々を駆け抜けた女性だ。

 二度ほど斬りかかったこともあった。二度目は呪いのせいであるが、一度目は言い訳がきかないだろう。

 あの一世一代の告白を思い出すたびに、カイは胸が熱くなる。

 ソフィアはカイ自身よりもカイ・イズルハを信頼している。

 だからこそ、カイは自分の限界を超えることができた。


 ――その剣はいつだって誰かの為に振るわれてきたのだから。


「一度しかできないからな。見逃すなよ、ミハエル」

「はい!!」

「よろしい。では――」


 気負いなく、カイは一歩を踏み出す。

 次いで、二歩。

 そして、三歩で最高速度に至ったその脚が宙を踏んで焼け焦げた轍を虚空に残す。

 まるで地から天へと逆昇る流星。

 多くの者が驚きと共に見上げる中、瞬く間にカイの身は上空へ至る。



「――――斬刃一刀」



 そして、振り抜かれた万物を断つ刃金は、過たず曇天を斬り裂いた。


 斬、と音もなく断ち割れる雲海。

 わずか三尺にも満たない刃が山々の向こうまで続く雲を真っ二つにして、風を呼ぶ。


 これがきっと最後。

 足が止まり、加速が終わり、カイの体はゆっくりと喧噪の地上へと落下していく。

 天より墜ちる。人の世へと戻っていく。


 露わになった満開の青空の涯、虹の架かる傷痕をカイは見据える。

 あの傷痕の向こうに死後の世界がある。

 ……人はいずれ死ぬ。

 いつか、あの傷痕の向こう、彼岸の世界に自分も還る時が来るだろう。

 だが、それは今ではないし、易々と還るつもりもない。

 だから


「この道の涯でもう一度お前に会おう、ネロ」


 決意と共にカイは仲間たちの元へと帰っていった。




 そうして、慌ただしい日々は終わる。

 明日からはまた新しい日常が始まる。


 世界は続く。受け継がれた魂を乗せて。

 物語は続く。一柱の竜と一人の騎士へ。



 ――刃金の翼・外伝、完



これにて刃金の翼シリーズの投稿は終わりです。

最後までお付き合いくださった皆様、本当にありがとうございました。

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