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刃金の翼・外伝  作者: 山彦八里
IF:十二使徒継続編
22/26

IF編エピローグ

「……ふぅ」


 塔の自室の片づけを終えて、エルザマリアは大きく息を吐いた。

 教皇として十年以上を過ごしてきた部屋だが、可能な限り自分が入る前の状態に戻すことができた。

 改めて見回せば、さして広くもない部屋だ。その上、元々備え付けの机やベッドを除いて何もないとなると、さすがにがらんとした雰囲気になって少々さびしくもある。


(これで終わりですか……)


 記憶には政務や責任ばかりが降り積もっていてあまり良い思い出はないが、いざ出ていくとなると名残惜しい気がしてくるから不思議なものだ。

 だが、いつまでも雰囲気に浸っている訳にはいかない。既にエルザマリアは教皇ではないのだから。




「荷物はこれで全部ですか?」


 カイはバッグひとつを受け取って、僅かに片眉を上げた。

 塔から出てきたエルザマリアが他に何も持っていなかったからだ。

 着替えに使い慣れた小物、他に両親の遺品がいくつか。それだけがエルザマリアに残された物であった。


「構いません。あと、もう肩の凝る言い方は止して下さい。昔のようにお願いします」

「……このまま転移陣で目的地に向かうが、いいんだな?」

「はい」


 エルザマリアは微笑み、小さく頷いた。

 その服装も教皇位を示す白のカソックではなく、市井の神官(クイント)が着るような黄色の神官衣だ。

 あたりには警邏の騎士を除いて誰もおらず、見送りにくる者はいない。

 貴族たちを抑え、大規模な政治改革を断行し、瞬きの間とはいえ史上最大級の権力を握った教皇の出立にしてはあまりにも侘しい最後だ。

 これではまるで追い出されるようではないか、とカイは言外に語る。


 だが、それこそがエルザマリアが求めたものであった。

 ガワばかりが肥大化し、中身のない権力の衣を脱ぎ捨てること。そうしてようやく、教皇は白神に仕える慈愛の象徴としての役目を果たせる。

 その過程で生まれた軋轢はすべて自分が連れていく。それでいいのだ、と彼女は笑みで答えた。

 言葉もなく交わされるその応答こそが、ふたりの十年の結晶であった。


「新しく教会に赴任するにあたって必要なものもあるでしょうが、先に現地入りしたソーニャが用意しているはずです」

「それはそれで不安になるな」

「か、彼女だってもう大人です。大丈夫ですよ」

「……大人、か」


 カイは感慨深げに呟き、見上げてくる元教皇を見遣った。

 かつての約束から十年が経った。もうカイは三一歳、エルザマリアは二三歳になる。

 だが、若い頃の鋭さは内に納まり、年相応に落ち着いた雰囲気になったカイに対して、エルザマリアの見た目は十代の頃からさして変わっていない。

 あるいはずっと近くで見ていたからそう感じるだけかもしれない。

 子供が子供らしくあれる時間の全てを、エルザマリアは教皇という地位に捧げたのだから。



 ◇



 用意された転移陣には既に魔力が充填されていた。あとは陣の上に乗るだけで目的地に跳べる。

 そして、陣の前には先に現地入りしたソーニャを除く十二使徒が勢揃いしていた。

 示し合わせたわけではない。だが、そうするべきだと皆感じたのだ。

 教皇に動員権限がなくなる以上、十二使徒という括りも存在し得ない。

 今日この時が、十二使徒の終わりなのだ。


「使徒ネロ、使徒ヤコブ、世話になりました」

「我は好きにしただけだ。礼を言われる筋合いはない」

「この者の首はしっかり繋いでおきます故、猊下もご安心なさってください」


 最後まで皮肉気に肩を竦めるネロと、淡々と言い切る仮面の麗人ヤコブ。

 エルザマリアの退任に伴い、ふたりも隠居する。

 互いの目指すものが一致しているふたりだ。案外、仲は良いのかもしれない。


「使徒レクシーン、使徒ジョセフ、これからのこの国をお願いします」

『まかされたわ』

「御意」


 常は聖地から出ることのない、声なき予言の使徒は肩に載せた小鳥が応えを代弁した。

 ジョセフは帽子を取って深々と一礼し、起き上がった時には既にいつものように帽子で顔を隠している。

 最後まで素顔を見せる気のない使徒にエルザマリアは淡い微笑で応えた。


「使徒アレックス、使徒クラウス、武運長久を祈ります」

「うぅ、もったいない……お言葉です、猊下」

「先輩がいなくたってオレたちは負けねえってことを見せてやるさ」


 感極まって滂沱の涙を流す狼頭のアレックスと、爽やかな笑みで槍を掲げるクラウス。

 対照的なふたりは共に近衛騎士として国防に携わることが決定している。

 このふたりが前線に立つ限り、白国が侵略されることはないだろう。エルザマリアも安心して皇都を去れる。


「使徒ゲンハ、使徒イアル、離れていても私たちは仲間です。なにかあればすぐに連絡をください」

「儂は風の向くまま旅するだけよ。迷惑のかけようがないな」

「しばらくは私も同道します。ご安心めされよ」


 老いた剣士と拳士は睨むように互いに視線を交わすと、どちらともなくカイの肩を叩き去っていった。

 しんみりした別れなど似合わないとばかりに振り返らずに去っていく。

 カイはふたりの背中が見えなくなるまでずっと見送っていた。


「使徒ジン、貴方もどうかお元気で」

「猊下もお元気で。不肖の息子をよろしくお願いいたします」

「父さん……」

「達者で暮らせ、カイ。猊下にご迷惑をおかけしないようにな」

「はい」


 交わす言葉はそれで十分。親子の別れはもう済ませている。

 ジン・イズルハは皇都に残る。あるいは今生の別れになるやもしれない。

 使徒の中でも屈指の常識人であり、傭兵関係にも顔の通じる彼はこれからの白国の軍政に欠かせない人材だ。ネロが彼を教皇閥に取り込まなかったのはこのためだったのだろう。


 対して、教皇の“一の騎士”として積極的に動いてきたカイに残された地位はない。

 中央に残るにはあまり多くの恨みを買い過ぎた。いるだけで軋轢を生じさせてしまう。


「……いきましょう」


 もう一度、二心なく己に仕えてくれた使徒たちを見まわし、エルザマリアは自らに言い聞かせるようにその言葉を告げた。

 これ以上は別れが辛くなりばかりだ。


 カイと並んで陣の上に立つ。起動した転移陣が光を放ち、すべてを包んでいく。

 見送る使徒たちの顔が滲んで見えないのは光のためか、あるいは頬を伝う雫のためか。


「――ありがとう」


 誰にともなく、エルザマリアは言った。

 思えば、夢のような時間であった。

 家柄がいいだけの小娘が、たまたま手の中に転がり込んできた教皇という地位に就いた。

 それがいつのまにか国を変える大改革に着手し、あまつさえ成功したのだ。

 自分ひとりでは決して成しえなかったことであろう。


(ほんとうに、ありがとう……)


 想いは言葉にならず、全ては光の中に溶けていった。



 ◇



 涼やかな風を感じて、エルザマリアは眩しさに閉じていた目を開けた。


「――あ」


 そこには皇都から出たことのないエルザマリアが初めて目にする景色が広がっていた。

 丘の上から見えるのは、素朴で活気ある暮らしをする人々。遠くに連なる雄大な山々。

 遮るもののない抜けるような青空、僅かな肌寒さと清涼なにおいのする澄んだ風。

 元教皇はしばしの間、感動に身をゆだねていた。


「……ここがヴェルジオン領か」


 しばらくして、隣に立つカイの声が届いて、ようやくエルザマリアは現実に戻ってきた。

 ここはヴェルジオン領。北から流入してくる魔物を受け止める白国の盾。先の中央の混乱にも手を出しておらず、国内の隠遁先としてはこれ以上はない。


「しかし、北部一の武門とはいえ、よくぞこんな特大の火種を抱え込む気になったな」

「火種って言わないでください。泣きますよ」


 コホンと咳払いして調子を整えつつ、エルザマリアは今後の予定を脳内で思い起こした。

 まずは領主に挨拶しないとなにも始まらない。教会への着任はそのあとだ。


「現当主のクルス様は信頼できる御仁です。だからこそ、ご迷惑をおかけしてしまったのですが……」

「返せる恩は返しておこう。話を聞くに恩は売れるだけ売っておくべき人物だ」

「善人だと素直に褒めてはどうなんですか?」

「さてな」


 兎にも角にも、ここから新しい生活を始めていくのだ。

 不安はある。だが、それ以上に期待があった。

 目に映るなにもかもが新しく、活気に満ちたこの街でどんな経験ができるのか、それを思うだけでエルザマリアの胸は躍った。


 と、そのとき、彼女は隣に立つ騎士の背に負われた銀色の剣に気付いた。

 今の今まであまりに自然に背負っていたので気付かなかったのだ。


「銀剣を持って来たのですね。けれど、貴方が戦うことはもう……」


 使徒の多くが皇都に残るのは、退任したエルザマリアからある程度、武力を取り上げるためだ。

 同様に、お付きとして同道するカイも騎士位や貴族位を返上している。

 今のカイはブルーブラッド姓でもなければ、騎士でもない。

 これから先、彼が戦場で剣を振るうことはないのだ。

 だが――


「俺はお前の騎士だ。剣を手放す訳にはいかない」

「……もう、しょうがない人ですね」


 その頑固さだけは十年を共にしたエルザマリアでも変えることはできなかった。

 だからこそ、言わねばならないことがあった。

 エルザマリアはおずおずとカイに問いかけた。


「騎士カイ、教皇でなくなった私に仕える必要は――」

「そんなことはない」


 だが、その問いは十年変わることのなかった仏頂面に遮られ――否、男の表情はこれまでとは少し異なっていた。

 常に顰められていた眉に険はなく、強張っていた頬は微かに緩んでいる。

 彼女の騎士は、彼女以外の誰にもわからぬほど小さく微笑んでいた。


「お前が教皇になったあの日、俺はお前の魂に仕えると決めた。俺は、それだけだ」

「そう、ですか……」


 その声に後悔はなく、ただただ透き通るような誇りだけがあった。

 エルザマリアは思わず涙していた。

 その言葉だけで彼女は救われた。


「ありがとう、“カイ”。あなたがいてくれて、よかった……」

「涙もろいのは変わらなかったな、“エルザ”」


 ようやく名前で呼べるようになった。

 たったそれだけのことに随分と時間がかかってしまった。


「ねえ、カイ。十年前のこと覚えていますか? あの時言えなかったことを今言ってもいいですか?」

「何だ?」


 見当もついていない様子のカイに流石に腹が立った。

 だから、これまでの時間を取り戻すように、エルザマリアは大輪の笑顔で己の騎士に笑いかけた。

 零れる涙を拭いもせずに、ただ心から笑いかけた。



「――ずっとお慕いしておりました、カイ、私の騎士様」







 ――以後、ふたりが歴史の表舞台に立つことはなかった。



 だが、後に発生した魔神争乱において、“盾の騎士”ハルキス・F・ヴェルジオンと共に人類の劣勢を幾度も凌いだ“剣の騎士”セラス・セーウィンにその面影は残されている。


 セラスはその絢爛たる戦果に反し、出自に不明の多い女性であった。

 元はヴェルジオン領にある小さな教会に引き取られた生家も定かならぬ孤児であり、名もなき元騎士に剣を教わっただけの田舎娘であった。


 彼女は生涯、己を育てた神官や剣の師について語ることはなかった。


 ただ、彼女の手に銀の剣があったことだけが今に伝えられている。





 ―― 十二使徒継続編、完


 

ここまでお読み下さりありがとうございました。

IF編はこれで終わり、次は本編時空に戻ります。

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