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刃金の翼・外伝  作者: 山彦八里
IF:十二使徒継続編
21/26

4話:騎士の終わり

 赤国の侵攻を退けてから五年が経った。

 白国は変革の時を迎えようとしていた。

 表向き、カイが単独で赤国軍を追い返してしまったことで、国内の世論は男の所属する教皇閥に大きく傾き、以後の政治改革の中心を取り戻したためだ。

 ネロの暗躍もあり、貴族たちは互いの足を引き合っているうちに勝利を掻っ攫われてしまったのだ。


 そこで、貴族たちは次善の策として、こぞって教皇との婚姻を求めた。

 政治改革の終了と同時に教皇が退任することはもはや貴族間で常識として語られていた。

 エルザマリアは今となっては唯一の教皇家。その身柄を確保できれば、来るべき貴族院による政治体制に於いてその利点は計り知れない。


 だが、そのためには教皇を守る十二使徒が邪魔であった。

 表舞台を去る主を引っ掴む腕を、使徒たちは敢然と打ち払ったのだ。


 はじめ、貴族たちは使徒を政治的に排除しようとした。それが最も穏健な方法であり、同時に貴族たちにとって有利な分野だったからである。

 醜聞をひっ被せ、左遷し、あるいは生家に圧力をかけ――その全てを第一位(ネロ)に握り潰された。

 これまで殆ど表舞台に立たなかったネロであるが、その政治的影響力は貴族たちの予想をはるかに上回っていた。

 教皇の補佐をカイに任せ、暗闘に全力を投じることができるようになったネロはまさしく魔人であった。敵対する貴族たちはネロが建国から常に教皇家と共に在ったという意味を真に理解していなかった。

 魔人の脳髄には、貴族たちがこれまで行ってきたあらゆる謀略が記録されていた。

 一切の書物その他に記されることなく、秘かに収集されていた“記憶”の刃に半数の貴族が打ち倒された。


 次に貴族たちは暗殺という手段に打って出た。

 建国から幾人もの英雄を殺してきた――その中には教皇からの依頼も含まれていた――貴族たちの手の中には様々な暗殺手段が残されている。

 毒殺、刺殺、爆殺、謀殺、ありとあらゆる手管を以て、彼らは使徒の排除にかかった。

 そして、その全てを“万能”の使徒ヤコブが打ち払った。

 ネロが人を記憶していたのなら、万能は技を記憶していた。

 過去用いられてきたあらゆる暗殺手段はそっくりそのまま万能の手札となっていた。


 そして、貴族たちは最悪にして最後の手段を取らざるを得なくなった。

 すなわち、“決闘”。己が全てを剣に賭けて挑むしか栄達の道は残されていなかった。


 だが――


「――シッ!!」


 鋭い呼気と共に、決闘場に一迅の剣が疾る。

 銀の光を軌跡に残し、勇壮たる一撃が相対する騎士の剣を弾き飛ばした。

 己の剣が遠く弧を描き、壁に突き立ったのを見て、騎士は項垂れて敗北を認めた。


 これで298人目。

 各家から選び抜かれた一騎当千の騎士たちはしかし、たったひとりの騎士に敗北を喫した。


 教皇の“一の騎士”カイ・イズルハ=ブルーブラッド。

 たったひとりの騎士は結局、一度として膝をつくことなく全ての決闘相手に勝利した。

 カイは使徒としての位階は低く、その実力も決して突出したものではない。その上、カイという剣は一刀一殺が本質である以上、決闘という形式は両手足を縛られたようなものだ。


 それにも関わらず、298人の騎士が息つく間もなく打ちかかって尚、白銀の鎧には傷ひとつつけられなかった。

 相対した騎士たちは敗北を以てその理由を悟った。

 “信念”だ。実力が拮抗するならば、あとは想いの差が勝負を分かつ。

 そこには負け惜しみも含まれていたのだろうが、敗北した騎士たちは口を揃えてこう言った。


 ――彼こそは騎士の中の騎士である、と。



 ◇



「――猊下」


 横合いから差し込まれた声にはっとしてエルザマリアは顔を上げた。

 慌てて確認すれば、まだ299人目の挑戦者が剣線に立ったところで、少女はほっと安堵の息をついた。

 数秒、意識を失っていたらしい。考えてみれば、何日も起き続けているなど少女は初めてのことであった。


「ありがとうございます、使徒ヤコブ」

「いえ、起こせとのご命令でしたので……」


 顔を上げて礼を言えば、仮面の使徒は慇懃に一礼した。

 ふたりがいるのは決闘場を一望できる特等席である。カイの決闘を見届けるために、エルザマリアはここにいる。


「しかし、御自ら全て見届けるまでもないかと思いますが。お身体にも障ります」

「そういうわけにもいきません」


 仮面の奥の気遣わしげな視線を感じて、エルザマリアはかぶりを振って否定した。


「今、彼があの場にいるのは、私の失策のツケを払っているからです。私が貴族たちを抑えきれていれば、このようなことにはならなかった」

「それが“一の騎士”の役目であります」

「だからといって、責任から逃げてよいわけではありません」


 凛として告げる主に対し、ヤコブはもう抗う弁を持たなかった。

 たとえ、少女の顔に浮かんでいる表情が教皇にそぐわぬ、唯ひとりを想うものであったとしても。


「承知いたしました、猊下。しかし――」


 ふたりの視線の先、疲労困憊のカイに対して斬りかかった挑戦者が呆気なく吹き飛ばされていた。

 これで299人目。残るはあとひとり。


「見るまでもなく、結果はわかりきっているように思えますが。

 彼が負けることはないでしょう。たとえ相手が――」


 謀略はやり返され、暗殺は撥ね退けられ、決闘は勝利を積み重ねられた。

 貴族たちが採り得る手はもうない。敗北を認める時間が来たのだ。


 この最後の一手が失敗したのなら、彼らは負けを認めるしかない。



 ◇



「――よぉ、先輩」


 決闘場に籠って何日が経ったのだろうか。

 不眠不休で299人の騎士を相手取ったカイは、不作法に剣を杖としたまま最後の相手を見遣った。

 目は霞み、喉は渇き、思考は靄がかかったように真白く濁っている。

 だが、それでもこの相手が誰かはわかる。

 おそらく五感すべてが潰えたとしてもわかるだろう。

 その程度には濃密な時間を、寝食を、戦いの日々を共に過ごしてきたのだ。


「お前が300人目か、クラウス」

「ああ、そうだよ、先輩」


 六本の槍を背に携え、十二使徒は第十位クラウス・ブラウンはそこにいた。


 毒を以て毒を制す。使徒には使徒をぶつける。

 299人の騎士で消耗戦を仕掛け、300人目に最強の駒――“六槍”をぶつける。

 それこそが貴族たちの最後の手段であった。


 使徒の中でクラウス・ブラウンが選ばれたのは消去法でしかない。

 彼以外の使徒は孤児や傭兵、あるいは貴族たちでも動かすことのできない高位の家柄であるからだ。

 ブラウン家は貴族位こそ持たぬものの、それなりの古さと国防の最前線で戦ってきた経歴を持つ武門。

 白といえるほど高位ではなく、黒といえるほどの神秘もない雑色(ブラウン)

 つまりは、貴族たちがどうにか干渉できる家である。

 彼らが使徒を手駒にするならば、クラウス・ブラウン以外にない。


「――ってな風にネロに誘導された結果な気がするな」

「奴が敢えて放置したということはそういうことだろう」


 戦争は双方で終わり方を定めねばならない。それは政争であろうと同じこと。

 使徒に使徒をぶつけるという、教皇の権利を踏み躙る行いまでして負けたのなら、潔く諦めろとネロは沈黙の内に勧告しているのだ。

 事実、ブラウン家への恫喝や脅迫については既にネロが手を打っている。

 魔人は使徒対使徒(このかたち)以外の手段の全てを叩き潰している。


「ここまでやってオレが勝てないのなら、あとはもうネロか第二位(アレックス)引っ張り出すくらいしかないだろうな」


 そして、そのどちらも明確な教皇派閥である。

 正真正銘、己が貴族たちの最後の矢なのだ。それを理解してクラウスは笑う。

 知ったことかと。お前たちの企みなど知ったことかと笑い飛ばす。


「っと、そろそろ息は整ったか、先輩?」

「……詰めが甘いな、クラウス。だが、貴殿の慈悲、感謝する」

「ハンッ、本気のアンタを撃破しなきゃ依頼主も納得しねえからな」


 獰猛に笑うクラウスを守るように、その周囲に六本の槍が浮遊する。

 その内の二本をそれぞれの手に持って青年騎士は身を低く構える。


 今年でカイは三十歳。対する自分は二十三歳になる。

 兜で顔を隠した先達は若々しさが陰り、かわりにどこか落ち着いた雰囲気を発している。


 勝てるのか、とクラウスは自問する。

 魔術、技量、そして戦いの感性、そのどれもカイの上を行っている自信が彼にはある。

 だが、六槍の使徒は知っている。それだけでは目の前の騎士は倒せない。

 魂すらも忠義に捧げた男の意地、それを折らぬ限り、勝ちはない。


「オレはアンタを尊敬するよ、先輩。アンタはすげえ。努力と信念だけで国一番の騎士になっちまった。他の誰にも……ネロやアレックスにもできねえ。アンタこそ本物の騎士だ」

「勝てばその名誉はお前のものだ」

「いらねえな。横取りは趣味じゃねえ。オレはただ本気のアンタと戦いたいだけだ」


 依頼など知ったことではない。理由などひとつしかない。

 ただ戦いたい。それだけが今、クラウス・ブラウンという騎士がこの場にいる理由であった。


「似ないでいいところばかり似たな、戦馬鹿め」

「馬鹿で結構。――“今”なんだろ、騎士カイ。アンタが最高に燃えてる瞬間は今なんだろ!!」


 祈るように、懇願するようにクラウスは問いを発した。

 その哀惜はカイも痛いほど理解できた。

 “十二使徒”、教皇の直属の特務、災厄を祓う銀の剣。


 ――教皇の権限縮小に伴い、遠からずその意味を失う過去の遺物。


 名誉は元より求めていない。武の頂点などという称号にも興味はない。

 ただ証が欲しかった。自分たちの歩んできた道のりは間違いでなかったという証明が欲しい。


「――そうだ。今この瞬間が私の最盛期だ。だから、来い、騎士クラウス」


 それはきっと、こうすることでしか得られないのだろう。

 子供のようにあどけなく、救われたように顔を輝かせるクラウスの顔を見て、カイはそう悟った。



 ◇



 始まりの合図はなく、二人は同時に地を蹴った。

 片や剣のひと振りを頼りに真っ直ぐに斬りかかる剣の騎士。

 片や六本の槍を自在に操り、縦横無尽に攻め込む槍の騎士。

 共に育ち、同じ教えを受けながら、二人の戦い方は驚くほど対照的であった。


 地に杭を突き立てるように強く踏み込んだカイが全力で一刀を振り下ろす。

 対して、クラウスは横跳びに斬撃を回避し、お返しとばかりに槍を突き込む。

 踏み込みの軽妙さに反し、その一撃は苛烈。受け止めたカイの足が浮くほどの一撃であった。


「遅いぜ、先輩!!」


 そして、クラウスの真骨頂は連撃にある。

 突いた槍は引かねばならない。そんな当然の法則を踏み倒し、クラウスはひたすらに前進し、刺突を放ち続ける。

 その背に、宙を舞い、自ら回転し、引き絞られた槍が追随する。

 ひどく単純な原理である。自在に飛翔する槍は刺突が弾かれると同時に取って返してクラウスの背に戻る。

 その間にクラウスは次の槍を突き込む。生まれるは無限に途切れることのない連続攻撃。

 それは、限定的ながらカイの“心技”(アメノムラクモ)を再現したものに他ならない。

 そして、己の本質と道を違えた今のカイではアメノムラクモを使うことはできず、したがって、クラウスの連撃に対抗する術はない――


「軽いぞ、クラウス」


 ――筈であった。


 厳かな宣言と共に放たれた斬撃が、六槍諸共クラウスを吹き飛ばした。

 それを成したのは当然、カイの銀剣、その一刀だ。


「チィッ!!」


 吹き飛ばされた衝撃を受け流し、手元に引き寄せた一槍を軸に回転して着地。

 そして、クラウスは舌打ちと共に痺れの残る手をひらひらと振った。

 重い。ただひたすらに重い一撃。

 数え切れないほどカイと手合わせをしたクラウスですら、初めて受けた一撃だった。


 “六槍”は思考する。今の一撃はどのようにして放たれたのか。

 土壇場での覚醒。そんな都合のいいものは今のカイにはない。既に全身全霊を賭けているからだ。

 これ以上となれば、おそらくは人間を捨てねば届かないだろう。

 人として、騎士として勝たねばならないカイには採れない手筋だ。


 だがそのとき、クラウスはふと思い出した。

 自分すら追いつけぬほどの俊足、ただ前に進むことに特化した速度がカイにはあった。

 それは騎士剣術を用いていようと喪われるものではない。カイの両足は依然として健在なのだ。


 ならば――ならば、その速度をただの一歩に凝縮すればどうか。


 地に打ち込まれる足は信念だ。

 その一歩にカイは全てを載せている。音に迫る脚力を余さず剣戟に変換している。


「……ああ、そうか。無駄じゃなかったんだな」


 不意にクラウスは悟った。

 ここに至るまでの道のりは何ひとつとして無駄ではなかった。

 目の前に立つ騎士がそれを証明している。

 共に研鑽した日々、磨き抜いた技の数々、その全てが今、剣を通じてひとつとなっている。


「――真に輝け(ヴァリタス)至高なりし(オリカルクム)白銀剣(アルマ)


 すべてを理解したクラウスは銀剣の真なる刃を解放していた。

 銀剣は所有者の魔力を受けて形を変える。

 クラウスの銀剣は“四腕”の形をとった。背に接続された銀の腕。

 六槍全てを同時に振るう六腕の姿こそ、クラウスの全力の姿であった。


「悪ぃ、先輩。やっぱ我慢できないわ」

「フン」


 言葉とは裏腹にまったく悪びれた様子のない後輩に、カイは苦笑を返した。

 銀剣は魔を祓う為の剣。無実の人間相手の解放は決して許されないものだ。

 だが、クラウスの気持ちは痛いほど理解できた。

 だから――


「――真に輝け(ヴァリタス)至高なりし(オリカルクム)白銀剣(アルマ)


 肉体に残る最後の魔力、そのありったけを銀剣に注ぎ込み、カイもまた刃殻を外す。

 顕れたのは緩く婉曲した片刃の一刀。

 如何な戦法を採ろうと、そのカタチこそがカイの最終到達地点。


「一撃しか保たんぞ」

「わかってる。いくぜ、先輩ッ!!」


 獰猛に笑い、あらゆるしらがみを振り捨ててクラウスはその一歩を踏みこむ。

 放つは六槍六腕、瞬きに六の六乗を貫く高速連続攻撃。


 ――心技・ヴィトリシュナスヤ・アートマ


 それこそがクラウスがカイに勝つ為に編みだした答え。

 六本の槍はそれぞれが急所を狙い、避けられる度に相手の体勢を崩し、防がれる度に槍同士が連結して威力を増していく。

 防げば防ぐほどに、避ければ避けるほどに最後の一撃が致命に届く崩し技の極致。


 無論、その心技をカイは知っている。

 人智を超えた連撃。人体構造上、絶対に防げないよう構成された絶技。今の己では致命に届く。

 理解している。理解しているとも。


 故に、左腕を掲げて()()()()()


 刹那、両の“肩甲”(ポールドロン)、左の“篭手”(ガントレット)、上体を覆う“胸甲板”(ブレストプレート)、そして“兜”(ヘルム)が自壊と引き換えに六槍の穂先を噛み締め、縫い止める。

 クラウスの技量からすれば引き抜くのにかかる時間はほんの一瞬。

 だが、互いの息遣いすら感じられる至近の間合い、一瞬もあればカイには十分。


 左腕は動かず、額が割れて視界に血が滲む。

 それでも、迷いなく、すべてを賭けた一歩を踏みこむ。


 そうして、右腕一本で振り抜かれた一刀は過たずクラウスの額を斬り裂いた。



 ◇



 決着はついた。

 どうと決闘場の床に倒れたクラウスの顔には満足げな笑みが浮んでいた。

 割れた額から流れる血に濡れたその笑みは少々不気味で、しかし子供のように無邪気であった。


「……オレの負けか」

「私の勝ちだ」


 言って、カイは決闘場に入ってはじめて膝をついた。

 カイの額にも一筋の傷がつき、血を流していた。最後の心技を受けた際、兜での受けを貫いて刺さった一撃によるものであった。

 奇しくも、ふたりの額の傷は同じ位置、同じ形であった。


「やれやれ、アンタの顔に傷つけたとあっちゃ、ソーニャに殺されるか、これ」

「私の方から言っておく。お前は任務に戻れ」

「あいよ」


 ふらつきながらもカイは立ち上がる。その拍子に砕けた鎧ががしゃんと音を立てて地面に落ちた。


「世話になった」


 最後まで己を守ってくれたその鎧に礼を言い、カイは足を引きずりながらその場を後にする。

 決闘は終わった。ならば、彼女の許に帰られなければならない。


「…………ああくそ、勝ちたかったな」


 微かに耳に届いた言葉は聞き流す。

 勝者は振りかえってはならない。敗者がどのような顔をするか知っているからだ。



 ◇



「カイッ!!」

(なんだ、見ていたのか)


 決闘場を出て、涙混じりの少女の声が聞こえたとき、はじめに思ったのはそんな他愛もない感想であった。

 次いで、抱きとめられる感触。

 力を抜けば諸共に倒れてしまいそうな細い腕。だが今はその感触がなによりも嬉しかった。

 それでも、言っておかねばならないことがあった。

 約束の十年までにはまだ半年ほど残っている。


「私は、騎士です」

「ッ!! わかっています、騎士カイ。お疲れさまでした。ここには誰もいません。もう休んでいいのですよ」

(……もう、いいのか)


 彼女が言うのなら、そうなのだろう。

 だから、カイは優しい抱擁を受けながら、遂に意識を手放した。




 ――半年後


 教皇エルザマリアは退任し、同時に貴族院の成立が宣言された。

 次代の教皇に政治的権限はなく、以後、政治的決定は貴族院によって行われる。

 白国において政教分離が成立した瞬間であった。


 ここにイヴリーズ家と教皇の統治する白国という枠組みは終わりを告げる。

 時代は、変わった。

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