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刃金の翼・外伝  作者: 山彦八里
IF:十二使徒継続編
20/26

3話:受難の日々

 その日、国境での紛争を契機に西の赤国が白国へと侵攻した。

 小規模な侵攻自体は数年おきにあったため、白国側も国境の防備は常に整えていたが、今回は勝手が違った。

 赤国皇帝自ら軍を率いてやって来たからである。


 エルザマリアが教皇に就任してから八年目の夏。

 カイは二五歳、エルザマリアは十七歳の頃のことであった。



「――作戦は聞きました。ほんとうに可能なのですか、騎士カイ?」


 急ぎ出立の準備をするカイが鎧を纏うのを手伝いながら、エルザマリアは心配そうに己の騎士の顔を見上げた。

 まだどこかあどけなさの残る儚げな少女に対し、カイは真面目くさった顔で頷きを返した。


「大丈夫です。戦いは私達にお任せください」

「……」


 その畏まった言葉づかいに少女は僅かに顔を曇らせる。

 少女が貰い受けたカイの十年。男はそれを完璧に果たさんとして、努力し、誰もが認める騎士となった。

 言葉づかい、所作のひとつとってもその努力の跡が窺われる。

 そのために、どれほどのものが失われたのか。エルザマリアにはわからない。


 それでも、もう立ち止まるわけにはいかなかった。



 ◇



 鬨の声が響き、剣戟を打ち鳴らす戦場を炎が舐めつくす。

 ただひとりの大男が振るう剣が、ただひとりの騎士を相手取ってそれを為していた。


「教皇の“一の騎士”カイ・イズルハ=ブルーブラッド!! ようやく出てきおったか!!」


 かつて赤神その人が振るったとされる王剣ウルの生み出す炎を背に、赤国の頂点“陣列皇帝”レーヴェンリッヒⅡ世が歯を剥いて吼える。

 兜から零れた総髪は鬣、振るう剣撃は轟撃にして精妙。国内の動乱を自ら出陣して鎮圧したその武は帝国の最強といって差し支えないのないものである。


「――ッ!!」


 一方で、豪剣を危なげなく斬り払う騎士は、いっそ静かなほどに淡々と隙を付け狙っている。

 白銀の鎧を纏う騎士。振るわれる銀剣はただひたすらに鋭く、皇帝をして一瞬の油断も許されない凄絶な剣腕の担い手だ。

 カイである。数多の死線を乗り超えて、騎士は限りなく武の最盛期に近付いていた。


 二人が剣を交わすこと既に数十合。

 互いの負った手傷は数えきれず、しかし、致命に届くものはひとつとしてない。


「クハハ、家名に反して血は青くないようだな、一の騎士」


 躱しそこねた一撃に兜が吹き飛び、こめかみから血をひと筋流しながらも、カイは表情を変えずに応えた。


「青い血の者はそうそういませんので。おかげで後継を探すのもひと苦労です」

「そいつは難儀なことだ」


 言葉と共に振り抜かれる大剣をカイは真正面から受け止める。

 衝撃、炎の爆発、踏みしめた足が僅かに後ずさる。

 体格、膂力ともに皇帝に劣るカイは正面戦闘では不利だ。

 元より、速度を武器とするカイである。如何に工夫が施されているとはいえ、フルプレートメイルの重さは足枷となる。

 しかし今はこれが必要だった。王剣ウルザは剣撃と共に炎を放つ。たとえ流儀に合わずとも、打ち合うには炎対策をした鎧を纏う必要があった。


 さらに数度打ち合い、両者は示し合わせたように距離をとる。

 戦うほどに皇帝の士気は上がっている。漏れ出る呼気すら炎のようだ。

 対するカイは鎧の裡で徐々に体力を削られていた。

 強い。技量以外のほぼ全ての部分で負けている。カイはそれを認めた。これで皇帝だというのだから恐れ入る。

 いっそ首を刈りに行けば勝機もあるが、今、皇帝に死なれては困る。

 皇帝が死に、赤国が暴発すれば政治改革の真っただ中にある白国に本気で侵攻してきかねない。

 真正面から戦い、“陣列皇帝”を止める。それがカイに下された任務なのだ。


「そろそろ真なる刃を抜かぬか、一の騎士? この王剣ウルザと打ち合ってみたくはないのか?」

「銀剣の真なる刃は災厄を祓う為のもの。みだりに抜くことは許されておりません」

「――そちら(・ ・ ・)ではない( ・ ・ ・ ・)。貴様自身のことだ」

「……」


 図星を突かれてカイは口を噤む。内心では舌を巻いていた。

 見抜かれていた。看破されていた。流石は一国を統べる皇帝というべきか。

 そうだ。命を捨てて一心に斬りかかることこそカイ・イズルハの真骨頂。

 神速の脚力と雷速の剣を以て相手を斬り抜く刹那こそ、その魂の顕れ。

 地を踏みしめ、要塞の如く屹立するその姿は成程、防衛線に於いて真価を発揮する白国の騎士として模範的な姿ではあるが、それだけだ。

 神には届かず、あるいは皇帝が本気になれば呆気なく敗北する可能性すらある偽物だ。

 だが――


「――この姿、この剣が、今の私の全力です」


 それでも、守ると誓ったのだ。

 己の本質から遠ざかろうと、守りたい者がいるのだ。


「ふむ、手を抜いたまま勝てると? それは侮りだぞ、一の騎士」


 だから、カイは微笑んだ。勝者の笑みだ。

 こうしてこの場に立っているだけでいい。それだけで自分は既に勝利している。その確信があった。


「あたら命を捨てられるな、陣列皇帝。器が知れるぞ」

「クハハ、地がでておるぞ、一の騎士!!」


 そして二人は再度の激突を開始した。



 ◇



 周囲を塞ぐ皇帝の近衛たちは緊張と恐怖に槍の柄を握る手を白くする。

 二人の卓越した戦闘者による斬り合いは、近衛をして入り込む余地がない。

 一瞬ごとに目まぐるしく切り替わる絶人領域の攻防は、下手に介入すれば主君を不利にしかねない。

 だが、かといってこのまま時間を浪費すれば敗北は必定だ。


 なぜなら、此処は赤国軍の最奥なのだ。


 すなわち、あの騎士はたったひとりで前面に展開した赤国軍二千人を突破してこの場所にいるのだ。

 一度突破された以上、前線の部隊が取って返すまでには時間がかかる。不用意に背を見せれば、白国軍は追撃をかけるからだ。

 いくら攻勢が不得手な白国とはいえ、背後から首を刈り取ることをしくじることはないだろう。

 故に、皇帝の周囲を固める精兵たる近衛はここで命を捨てることを決意した。

 皇帝が撤退する時間を稼ぐ為に、己の命で皇帝の時を購うのだ。


「退け、陣列皇帝。貴軍の補給線を潰した。其の方にはもう継戦能力はない」


 だが、彼らの決死の覚悟はおもむろに放たれた言葉で霧散した。

 どこからか風声を受けたカイは距離をとって決着を告げたのだ。


「……我等が自棄になって攻め入るとは思わんのか?」


 いいから退きましょうよ、と懇願すら漂わせる周囲の視線をどこ吹く風と無視して皇帝が嘯く。

 だが、試すような言葉を受けてもカイの表情が崩れることはなかった。ただ淡々と事実を述べるように言葉を紡ぐ。


「不可能だ。私達がいる」

「どれ、試してみようか」


 陣列皇帝が一歩を退くと同時に、近衛が槍を構えて前に進み出た。

 命を捨ててでもカイを止める。透徹された意思が穂先から伝わってくる。

 カイは静かに銀剣を構えなおした。


「――させると思うか」


 そのとき、声が聞こえた。

 いつの間にか、カイの左手にひとりの男が並び立っていた。

 無骨な長剣にコート状の銀鎧。カイとよく似た黒髪黒目の顔立ち。

 カイはほんの僅かに口元を緩めた。己の左手を守るのにこれほど頼もしい者はいない。


 掛け声もなく、しかし、まったく同時に振るわれる二条の剣閃が走り、近衛たちを吹き飛ばす。

 援護に放たれた魔法もカイが切り落とし、その隙に放たれた無数の矢を無銘の長剣が弾き返す。


 “親子刀”、すなわち、ジン・イズルハの増援。

 おそらくは十二使徒の中で最も連携に優れたふたりが並び立つ。

 この局面での投入は、皇帝が止まらぬならば刺し違えても赤国を滅ぼすという決意の表れである。


「……四分、いや三分で我らが不利か。ふむ、勝ち目はあるな」

「閣下ッ!?」


 立ち上がった近衛たちの士気は折れていない。

 だが、彼らは状況が不利であることを理解していた。カイひとりでも皇帝の命に迫っているのに、同格の者がさらにひとり追加されたのだ。


「わかっておる。今度の戦は我らの負けだ。退くぞ」


 皇帝が片手を挙げると、即座に陣が引き払われる。前線にも風声が繋がり、順次撤退が指示されていく。

 カイはジンとともに警戒したままその行く末を見守っていた。


「と、そうであった」


 そのとき、陣列皇帝が何気なく振り向いた。

 まだやる気なのかとカイの体が一瞬強張るが、太刀持ちに王剣を預けた皇帝の貌に戦意はなかった。


「一の騎士よ。貴様、我が軍門に下る気はないか? 実を言えば、此度の遠征は貴様を勧誘する意図もあったのだ」

「正気ですか?」

「今すぐではないし、女連れ(・ ・ ・)でも構わん。下手に国内に留まるより、彼女は安全だと思うぞ」


 そこまで見抜かれていたか。とはいえ、カイに驚きはなかった。

 ネロやヤコブは万能ではあっても全能ではない。屋台骨の揺らいでいる今の白国の防諜では、情報の流出は止めきれないだろう。


「……ご厚意は、ありがたく」

「気が向いたら来い。貴様にはそれだけの価値がある」


 好き勝手に言うだけ言って、皇帝はそれきり振り向きもせずに撤退していった。

 その背が見えなくなってから、ようやくカイは剣を納めた。


 今更ながらに背に冷や汗が流れる。綱渡りのような攻防であった。

 ここで皇帝を殺せば赤国軍の暴走は必至、かといって負けることは当然許されない。

 殺す為の剣ではなく、負けぬ為の剣。

 皇帝の指摘通り、一刀必殺を信条とするカイとしては慣れぬ手管であった。

 尤も、それも五年も続けていれば随分と板についてきていると、自分では思っているのだが……。


「気落ちするな、カイ。人間の本質はそうそう変わるものではない」

「……そうか。貴方がそう言うならそうなのだろうな、ジン」


 気遣うように云う父に対し、カイは納得の頷きを返した。

 ひとまず気持ちを切り替える。今度の一戦でカイが最前線に立ったことで、今後、教皇閥の発言力は大きく増すだろう。

 これを利用して改革を一気に進めることが今のカイに求められていることだ。慣れぬことではあるが、それを果たすのが騎士としての務めだ。


「ひとまず赤国は退いた。元よりたまさか火が点いた小競り合いから始まった戦争だ。再侵攻は難しいだろう」


 如才なく払い落とされたカイの兜をみつけてきたジンは、土埃を払って息子に手渡す。

 兜を受け取ったカイはどこか疑問の残る表情をしていた。


「偶然……本当にそうだろうか?」

「誰かの思惑があるのか? だが、今考えてわかることでもないだろう。結論はネロ殿の調査を待ってからでも遅くない」

「……ですか」

「うむ、そろそろ戻ろう。ここに残って問題が起こっても事だ」


 労うように息子の肩を叩き、ジンは自陣へと戻っていく。


「あの……」


 しばし言葉に迷いつつも、カイはその背に声をかけた。


「助太刀ありがとうございます……父さん」

「気にするな」


 振り向き、不器用な笑みをみせる父に、カイも似たような笑みを返した。

 今回、最も危険だったのは陣列皇帝と正面から打ち合い、殺さず、負けないことを求められたカイであろうが、そのカイを囮に補給線を潰し、返す刀で敵陣最奥に踏み込んだジンも相当な死線を潜り抜けている。

 ふたりだけではない。貴族間の妨害合戦の結果、戦場に展開できた兵は千人に満たない。

 倍以上の戦力で攻めてきた赤国軍を受け止めるために彼らにも無理をさせた。指揮を任せた第二位(アレックス)も相当に苦労したことだろう。


 全体の不足を個々の突出した技量で補う。白国の政治的混乱は端的に言って末期的だ。

 茜色に染まる戦場の空を見上げ、カイは深々と息を吐いた。


 ブルーブラッドの姓を継ぎ、教皇の“一の騎士”を任じてから既に五年が経った。

 その地位は教皇の補佐であり、同時に自愛の象徴たる教皇に代わって表立って武の側面を受け持つことに意味がある。

 歴代においてはその地位はネロが受け持っていた。だが、かの魔人は今、政治体制の改革に向けて有力貴族との暗闘に注力している。そのために最もしがらみの少ない使徒であるカイがその地位を継いだのだ。



「……あと五年」


 その呟きの意味を理解できる者は、この戦場にはカイ以外にいなかった。


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