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刃金の翼・外伝  作者: 山彦八里
IF:十二使徒継続編
18/26

2話:変わりゆくもの

 エルザマリアが教皇に就任してから三年が経った。

 おだやかな三年間ではなかった。元より大陸中央部にある白国はその立地上、東西の二国から国境を圧迫されており、北からは強大な魔物の流入が絶えない。そこに異例の若さで教皇が就任したことで貴族たちの不満が一気に噴出した。

 後見人となったローザや影の支配者であるネロが手を尽くしても、いくらかの譲歩は必要であった。

 それでも三年、貴族の台頭をおさえてようやく国勢は落ち着きをみせてきていた。

 そうして、大晦日(ジルヴェスター)も終わり、新たな年が始まる。

 四年目の春、カイは二十歳、エルザマリアは十二歳になっていた。


 教皇というのは実に重責であることをこの三年でエルザマリアは身に沁みて理解していた。

 政治と宗教、その両面のトップであるために日ごとにこなすべき仕事が積み上げられていくのだ。その多くは儀礼的なものであり、エルザマリア自身の判断が必要とされることは少ない。

 だが、責任は常について回る。責任を負うことが教皇の職務であった。

 そして、またひとつ、女教皇は責任を積み上げる必要ができた。


「使徒アレックス、カ……使徒カイがどこにいるかご存じではありませんか?」


 その日、午前中の聖務を終えたエルザマリアは大聖堂をでて回廊を歩きながら、傍らに侍る狼頭の騎士にそう問うた。

 見上げるほどの巨漢の獣人(セリアン)、それが十二使徒第二位アレックス・ストライフである。

 耳や尾などの部分的な形質を発現させる獣人が多い中で、アレックスはほぼ全身に狼の形質が顕れた珍しい先祖返りであった。


「さて……あやつでしたら、今頃は図書館で第四位に座学を授けられている筈ですな」


 近衛騎士団長を兼ねるアレックスは脳内で団員たちの予定帳を捲りながら律義に答えた。

 場合によってエルザマリアの護衛につく使徒は変わるが、ここまで正直に答えるのはアレックスだけであろう。他の者はこの後のエルザマリアの行動を予想して答えを濁すことが多いのだ。

 狼そのものの相貌は教皇宮に勤める神官たちからも恐れられているが、その内実が心優しいものであることを少女は心得ていた。


「ありがとうございます。では昼食は彼らと摂りますので、そのように」

「失礼ながら、あまり使徒個人に入れ込むのは……」

「ち、違いますよ? 今日は伝えなければならないことがあるので、昼食はそのついでです」

「ふむ、そういうことでしたら」


 慌てて言い繕う少女をそれ以上は追及せず、アレックスは部下に指示をだす。

 エルザマリアは若干の申し訳なさを感じながらも図書館に足を向けた。


 アレックスの懸念は色恋沙汰の危惧に由来するものではない。

 それは真実、エルザマリアに対する慈悲であった。

 十二使徒は教皇直属の対災部隊――人の手に負えない災いを祓う為に人間であることを捨てた銀の剣である。

 剣を人のように愛するのは双方にとって望まれない結末に至るだけであることを、アレックスは理解していたのだ。



 ◇



 明かりとりの窓から陽光が差し込む閲覧室には紙特有のカビ臭さが仄かに漂っていた。

 皇立アルビオ図書館は大聖堂と並ぶ教皇宮最古の建物のひとつである。

 元は貴重な資料や書籍を保存するための施設であり、一般には公開されていない。主に使用するのは神官や政務に携わる役職持ちの貴族であり、騎士階級はたまに戦史を求めてやってくる程度だ。

 だが、最近はふたりの騎士がよくこの部屋を訪れていた。

 ふたりは同僚であると同時に教師と生徒の間柄であった。尤も、そのどちらもがただの騎士ではなく、白国の武の頂点たる十二使徒であるのだが。

 名をヤコブ・ローラルとカイ・イズルハという。

 かつてより精悍さを増し、父の面影が濃く顕れてきたカイは今日も今日とて課題をこなし、ひととおりの駄目だしを受けて撃沈していた。

 傍目にはいつもと変わらない無表情を張りつけた顔容には、親しい者だけが気付く微細な落胆が宿っていた。


「――貴方は馬鹿ではないのですけどね」


 教師役のヤコブは褒めてるのか貶しているのか微妙な発言をしてカイにとどめを刺した。

 カイは僅かに目を細めてヤコブを睨むが、相手の表情は読めなかった。

 ヤコブが仮面をつけているからだ。短めの赤髪に、顔の上半分を覆う白銀の仮面、すらりと伸びた手足に執事と見紛う男装。

 一見して異様な身なりなのに何故か違和感を抱かせない。それがヤコブ・ローラルという女性であった。


「ただ覚えるだけでは駄目なのですよ、使徒カイ。知識はそのまま使える場面はそうありません。解釈と応用、つまりは知恵に昇華してこそ意味があります」

「……理解はしている」

「頭まで不器用なのですね、貴方は」


 憮然とするカイをちくちくと刺しながらヤコブはこれみよがしに溜め息をついた。

 腹が立たないと言えば嘘になるが、教えを請うたのはカイであるために文句も言い辛い。

 なにより己が出来のいい生徒でないことはカイ自身がよく自覚していた。

 もっとも、ヤコブと比べれば殆どの人間は不器用だといえるのだが。


「使徒カイ、“私達”が何故“万能”と呼ばれているかわかりますか? 断じて一代では修められないほどの多分野に精通しているか察しがつきますか?」

「……記憶を継いでいるからだ」

「では、記憶というのがどこに保管されているかわかりますか?」

「頭だ」


 カイは己のこめかみを指で二度叩き、迷わず即答した。


「前にネロに頭部を吹き飛ばされた時、蘇生されるまでの記憶がなかった」

「貴方達はどういう鍛錬をしているんですか……」


 絶句と呆れを半々に含んだ声でヤコブは言う。

 頭部は人間を構成する重要な要素だ。そこが欠損すれば、下手すれば蘇生する前に魂が散逸しかねない。


「ともあれ、その推測は正しい。私達は歴代の記憶をこの仮面によって継承してきました。

 知識は既にある。故に、各代の第四位はそれをどのように使うかに苦心してきたのです」


 それこそが十二使徒第四位の特異性。

 第四位は十二使徒で唯一の“継承”される地位なのだ。

 彼女の装着した仮面は銀剣を変化させたものであり、その内には歴代が修めた知識と記憶が記録されている。

 さらにいえば、十年以上ヤコブをみているカイは、人族と思しき彼女の外見が変化していないことから、仮面に記憶の継承の他にも効果があるとあたりをつけていた。


「貴方にもう少し才能があれば次代にすることも考えたのですが」

「無理だろう。たとえ記憶を受け継いだとしてもこの体では継承される技術を再現できない。……つまり、地道にやっていくしかない訳か。それがわかっただけでも慣れない座学を受けた甲斐がある」

「ほんとうに貴方は不器用ですからね」


 言って、ヤコブは存外に細い指を自らの仮面に触れ、唯一露わになっている口元に微笑を浮かべていた。


「ですが、根性があります。貴方はきっと強くなりますよ。私達の記憶が保証しましょう。慰めではありませんよ」

「そうか」

「……貴方の対人交渉は時々不安になりますね。そこはもう少し可愛げのある反応をですね」


 仮面の奥からじとりとした視線を感じてカイは首を傾げた。


「何がいけなかった?」

「……まあ、いいでしょう。精々、猊下を泣かせないよう努力なさい」

「待て。なぜ猊下の名前が出てくる?」

「自分で考えなさい」


 言うだけ言って、ヤコブは霞のように消えた。残像のように仮面の銀色が宙に残滓を散らす。

 転移術。しかも、見切りの目を養っているカイですら術の発動を捉えられないほどに完璧な偽装と隠ぺいを加えている。

 ヤコブは“万能”の名の通り、持ち得る手札の数は使徒の中でも最多を誇る。仮にやり合うことになれば苦戦は免れないだろう。そんな日が来ないことを祈るばかりであった。


 そのとき、閲覧室の扉が控え目にノックされた。

 続けて扉が開き、この国のトップがひょっこりと顔を覗かせた。


「……猊下」

「あら、使徒ヤコブはもう戻られてしまったのですか。昼食をご一緒したく思って来たのですが……」

「いや、俺も――」


 カイは先んじて逃走したヤコブを心中で詰りつつ、自分も辞退しようと思ったが、視線の先でじっとみつめる少女の目に遮られてしまった。


「……何か?」

「いえ、貴方が大人しく勉学に勤しんでいるのが、その」

「意外か?」

「いえ、その……はい」


 素直に頷かれてしまったカイは憮然とした表情になりながらも反撃を試みた。


「どこぞの主殿の為だ。騎士が無学だと主が恥をかくだろう」


 冗談めかして告げれば、当の主はさっと頬を薄紅に染めた。


「と、とにかくお昼にしましょう!!」

「クク、なにを恥ずかしがる? 従者として当然の務めだろう?」

「もう!! 笑い方までネロに似ないでください!!」

「了解した、主殿」


 カイは小さく笑いながら袖を引かれるままに図書室を後にした。



 ◇



 パンと豆スープに、蒸したジャガイモ。

 一見して、一国の首魁のそれとは思えない質素な食事がふたりの前に並んでいた。

 伝統的に教皇は清貧を旨としている。修養のためといわれているが、その割に配下の貴族たちは季節を問わず飽食に耽っている。こうした日常の些細な部分にも白国の政治体制の歪さの一端が表れている。

 生まれたときからそう在れと育てられている目の前の少女はそのことに気付いているのか。自身も手早く食事を終えながらカイはふと疑問に思った。

 ともあれ、口をついて出たのは別の言葉であった。


「それで、何か言いたいことがあるのだろう?」

「はい」


 行儀よくナプキンで口元を拭ったエルザマリアは用件を告げた。


「――使徒カイ、貴方に皇都守護を命じます。以後、使徒アレックスの指揮下で近衛騎士を率いて任務にあたってください」

「……ふむ?」


 冷めた目と半ば呆れたような声。

 敬意のベールを脱ぎ捨てたカイの態度には無骨さだけが目立つが、それでも青年の態度にはどことなく女教皇を気遣う遠慮があった。

 その近いようで遠い距離がエルザマリアはどうにももどかしかった。


「猊下、適材適所という言葉を知っているか?」

「あ、あまり馬鹿にしないでください。泣きますよ」

「……知っているなら実践しろ」

「そういうわけにもいかないのです」


 エルザマリアはめげずにカイを説得にかかる。

 私情はともあれ、この決定は今後の政策に必須のことなのだ。


「貴方はこれから教皇(わたし)の派閥の中核となる必要があります。向いてる向いてないではなく、陣頭に立たねばならないのです」

「何故だ?」

「他の使徒は若過ぎたり、それぞれにしがらみがあったりして表立って教皇閥として動けません。貴方が適任なのです」


 その返答で先に尋ね損ねた問いの答えはおのずと知れた。

 エルザマリアは教皇と貴族間の乖離に気付いている。すなわち、この国の現行の政治体制が既に限界に達していることを理解しているのだ。


 それでも、教皇家という制度を維持できれば崩壊は先延ばしにできたであろう。

 白神の直系という血筋には現在でも強い畏敬が付随する。他国と比して白国が強固な団結を維持できたのは地位と血筋というふたつの伝統が直結していたからだ。

 だが、そのふたつが強く結び付いていたからこそ、片方が壊れればもう片方も変革を余儀なくされる。

 その責務は、変革に伴う痛みは教皇家最後のひとりであるエルザマリアに負わされているのだ。


「何年だ?」

「……」


 使徒は原則として終身制である。だが、現行の政治体制は適切な人材を入れ替えるまで保たない。

 故に、カイに拒否の選択はなかった。

 彼にできるのは、己を曲げてでもその変革を実行する駒となることだけであった。


「俺は本来の役目から外れるそれを何年続けることになる?」


 狂った使徒を斬るための相殺の剣。そう在る為にカイ・イズルハは十五年の全てを費やした。

 その生き方を曲げる言葉には血を吐くような悲痛さが籠っていた。

 エルザマリアは一度目を閉じる。


「―― 十年」


 再び開いたとき、その目には静かな覚悟が宿っていた。


「これからの五年で教皇の支配権を縮小し、次の五年で貴族院を中心とした政治体制に切り替えます。その間に起こる問題に対処する為に、使徒の特権は有効に使わねばなりません」

「でなければ、白国は滅ぶか?」

「よくて内乱。最悪、他国に併呑されることになるでしょう」

「……」

「お願いします、カイ(・ ・)。貴方の十年を私にください」

「命令しないのか?」


 教皇の名を以て使徒として命じられれば拒否権はない。

 元より拒否することはできずとも、カイはせめて納得できる理由が欲しかった。

 だが、エルザマリアはかぶりを振って青年の要望を退けた。


「これは命令ではありません。貴方は使徒である前に騎士なのでしょう。だから、その誓いに従って最善を尽くしてください」

「……その言い草は卑怯だ」

「ごめんなさい」


 寂しげな笑みを浮かべて謝る少女を見て、カイは小さく溜め息をついた。

 元はと言えば、考えなしに騎士だと口にした自分に責任がある。

 白国において騎士とは単なる役職や階級ではない。

 護ること、その覚悟のある者だけが本来名乗ることを許されるのだ。


(……それに十年を犠牲にするのは俺だけではない、か)


 新しい政治体制では教皇の政治力は大きく縮小されるか、ほぼなくなるだろう。

 宗教面の影響力は残るが、今まで維持されてきたものとはまったくの別物になる。

 教皇たらんと覚悟した少女もまた、10年をかけて己の決意を破壊するのだ。

 まだ十二歳の子供にその道をひとりで歩ませるようでは騎士失格だ。


「――カイ・イズルハ、拝命いたしました」


 膝をつき、騎士の礼をとってカイは己を曲げることを承諾した。

 頭を下げたカイにはエルザマリアがどんな顔をしているか見えない。

 だが、五年に及ぶ付き合いはカイに想像の余地を与えていた。

 きっと涙を堪えている。そんな表情(かお)をさせないために、騎士となった筈なのに。


「……教皇家が断絶することが決まって、浅ましくも良かったと思ってしまったことがひとつあります」


 カイが顔を上げたときにはエルザマリアはもう教皇の顔に戻っていた。

 意識して冗談めかした声をだしている姿が痛々しかった。


「何だ?」

「秘密です。今は絶対に言えないことです」

「そうか。……全てが終わったあと、お前はどうする?」

「うーん、どうしましょう? 私自身の政治的価値を抑える必要がありますし、教皇を退任して、どこか辺境の教会に引きこもることになると思いますが」


 虚空を見上げながら悩む未来設計図はあまり明るいものとは言えなかった。


「そこに、騎士をひとり置く余裕はあるか?」


 だからこそ、少女は目を見開いて、その瞬間だけは年相応の笑みを浮かべた。


「――はい」

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