1話:騎士の誕生
[十二使徒継続編]カイが呪いを受けず、十二使徒のままでいたらという、もしもの物語。
もしも、未来を見通すものがいたならば言っただろう。
運命を変えたのは魔人のほんの小さな気まぐれであった、と。
◇
北風が屍の敷き詰められた大地を無遠慮に撫でる。
地には急所を断たれた無数の死体が積もり、風に血と怨嗟をのせて声なき声をあげる。
そして、時をおかずして屍山は微かな音を立てて四散した。
魔物の死体は核たる魔力結晶を残して消え去るのが世の定め。
後に残ったのはたったひとり、瀕死の少年であった。
右腕開放骨折、左腕喪失、その他三十二の骨折と五十六の負傷を受けながら少年は立っていた。
息も絶え絶えに、しかし、折れた両足でしっかりと立っていた。
名をカイ・イズルハ。
いまだ十五歳の新米騎士、あるいは新任の十二使徒であった。
カイは半ば停止しかけた呼吸をどうにか維持しようと苦心した。
血に濡れた黒衣はずしりと重く、折れた肋骨が肺に刺さり、ひゅうひゅうと穴の空いた風船のような音が喉を通り抜ける。
戦闘教義についても教えを受けている少年はこれがまずい状況であると理解していた。
だが、八十体を超える魔物を相手にするには他に手はなかった。
順当に己を端から削り、一体ずつ倒す。その帳尻を合わせるのは少年の得意とするところであった。
故に、この結果は必然。己を含めて後には何も残さない。
そうして、全ての魔物の消滅を確認してふらりと倒れるカイを、虚空から伸びた腕が抱きとめた。
「……人間というのはこれだから面白い」
腕に次いで現れたのは金髪紅眼の美丈夫、ネロであった。
言葉の通り、ひどく楽しげに口角を吊り上げる様は“魔人”のふたつ名に恥じないそれであろう。
ともあれ、腕の中で死にかけている弟子を治療しながらネロは思う。
八十体を超える魔物は明らかに今のカイの実力を超えていた。
血も涙もないネロであるが、カイが適当なところで撤退しても叱責するつもりはなかった。撤退の潮目を見極めるのも騎士には必要な技術だからだ。
だが、カイはそうしなかった。そうする必要がないと判断したからだ。
十二使徒の中でカイ・イズルハは自他共に認める最弱である。
他の使徒と戦えば、ほぼ必ず死ぬ。外的条件がなければ肉親であるジンですらそうなるだろう。
だが同時に、カイは自身の命を擦り潰せば、格上の使徒に勝機を見出すことができる。
ネロがそうなるように鍛えた。相殺の剣、それがカイの本質となって根付いているのだ。
「経過は順調ということか」
「……何の話だ?」
「起きたか、馬鹿弟子」
「ああ」
いつのまに復帰していたのか、半ば以上肉塊となった少年は立ち上がり、爛々と光る黒瞳で見下ろすネロを見据えていた。
手負いの獣を思わせる視線を笑みのまま真っ向から受けとめながら、ふとネロは脳裡に問いを浮かべた。
それは脈絡もなく、目的もない、ただの気まぐれの発露であった。
すなわち、コレは国を斬ることができるだろうか、と。
◇
「いきなり連れ出してどういうつもりだ?」
はじめて訪れる屋敷の廊下を歩きながら、カイは前を行くネロに問いかける。
負傷が完治してすぐに呼ばれたカイは一応、言われた通りに騎士正装を着込んでいた。専門の職人が手掛けた正装はぴたりと丈が合っている筈なのに、詰襟がどことなく窮屈に感じられる。
刀も預けさせられたために、腰の軽さも落ち着かない。
総じて、少年としては不満たらたらの状況であった。
「貴様にも見せておこうと思ってな」
「何をだ?」
「すぐにわかる」
ちらりと振り向いた横顔に含み笑いを浮かべながらネロはそれ以上言わずに先導する。
問うても答えはないとみて、靴音を吸いこむ淡い色の絨毯に目を向けながらカイは自分で考えることにした。
まず、ここはどこか。転移で直接連れてこられたために周辺地理は不明だが、太陽の位置や空気の匂いから皇都からさして離れていないことはわかる。
廊下の調度は、カイには価値はわからないが、しっかりとした作りの一連揃いからして金はかかっているだろう。
(おそらくは貴族。それもネロと親交があるということは教皇家かその係累、か?)
だが、そんな貴き血筋の者とカイとの間に接点がない。
これが教皇警護を請け負う使徒第二位や予言を授ける第三位ならば話は別だが、現状自分は使徒の実働枠で切り込み役でしかない筈だが……。
「ここだ」
結局、答えに辿り着く前に目的地に到着してしまった。
ネロはおざなりにノックをして返事を待たず重厚な扉を軽々と開いてしまった。
部屋の中には――ひとりの少女がいた。
おそらくは七つかそこら。月の光を凝り固めたような銀の髪が特徴的な少女だ。
シンプルな絹のドレスを纏い、落ち着いた色合いの敷物にぺたりと座った姿は職人が精魂こめて作り上げた人形のよう。
まだ蕾だが将来は美人になるだろう。美醜に疎いカイでもわかるほどに目鼻が整っている。
なにより、銀の髪は教皇家に連なる者の証だ。
予想は外れていなかったようだ、とカイは小さく鼻を鳴らした。
「こやつはエルザマリア。教皇家の中でも見どころがある子供だ。あるいはお前の主となるやもしれん」
「……そうか」
なにがなにやらわかっていない様子の少女の御前に、カイはマントを払って片膝をついた。
意図した行為ではなかった。ただ見下ろすべきではないだろうと思っただけであった。
ふたりは言葉も交わさず、互いに目を合わせ、じっとみつめあった。
「……」
「……」
「……」
「……」
(……ここからどうすれば?)
硬直した自分の背後でネロが声を殺して爆笑しているのがわかる。あとで斬る。
しかし、こんなことなら第四位に話術でも習っておくべきだった。
そう心中で後悔したそのとき、目の前の少女が小さく唇を震わせた。
「あの、おなまえ……」
「!! カイだ、カイ・イズルハ」
「カイ……」
慌てて告げたその名前を味わうように、エルザマリアは口の中で何度も繰り返す。
己の幼少期を省みると決して他人のことを言えたものではないが、それにしても年の割に表情に乏しい少女だとカイは思った。
もっとも、教皇家の血統を保つ為に飼い殺しにされている境遇では、同年代との接触も限られているゆえ仕方ないともいえるが。
「“カイ”はなにをされているんですか?」
「ん……騎士をしている」
「きしさまですか!」
騎士という言葉が琴線に触れたのか、少女の表情がわずかに綻んだ。
とてもではないが暗殺と対人粛清が主な職務とは言えそうな雰囲気ではなかった。
そもそも七歳に話すことでもないが、しかし、カイが話題にできるのは仕事のことか剣のことくらいなのだ。
「カイはおつよいのですか?」
「いや、俺などまだまだだ」
反射的に答えてからカイはしまったと思った。
騎士という存在に憧れを抱いているのなら、もっと違う答えをしておくべきだったのではないか、と。
だが、エルザマリアは小首を傾げて、月の光のように淑やかに微笑んだ。
「おそろいですね」
「――ッ」
なにがお揃いなものか。一瞬、そう言いかけてカイは奥歯を噛み締めた。
五歳からこちら、己の全てを剣に捧げてきたのだ。未熟ではあっても自負があった。
だが、騎士だと宣言したのなら、それを口にする訳にはいかない。
騎士とは人民の盾。その心まで守ってこそ存在する価値があるのだから。
「……そうだな、お互いがんばらないとな」
結局、カイが絞り出したのはそんなありきたりの言葉だった。
だが、少女はそんな言葉にも溶ける寸前の淡雪のような微笑みを浮かべた。
(笑った、か)
その共感の笑みはカイの心の奥深くに刻まれた。
あとで聞いたところ、エルザマリアには何人もの兄姉がいるために、少女が教皇他の要職に就ける可能性はほぼないという。
少女は予備にすらなれなかったのだ。その事実を幼心に理解していた。だからこそ、エルザマリアはカイの心に溜まっていた澱に気付いたのだ。
――あるいは、才能あふれる仲間たちの中で才なき己を孤独に鍛え続けていた少年にとって、この出会いははじめて同胞をみつけた一瞬であったのかもしれない。
実の父ですらカイの粉骨の努力を気遣うことはあっても、その孤独に気付くことはなかった。
他のあらゆる道を切り捨て、限界まで身を削り、それでようやく仲間に食らいつける。
そんなギリギリに凡人がいることの意味を真には理解できなかったのだ。
ただひとり、同じ立場にあった少女だけがその意味を知っていたのだ。
それからカイは折を見てエルザマリアに会いに行くようになった。
友人というには少々年の離れた少年の来訪はエルザマリアにとってもよい刺激となって、停滞していた少女の情緒を育む一助となった。
そうして、細々とした交流は二年後――エルザマリアを残して教皇家が全滅するまで続いた。
◇
花の都と謳われる皇都は今、重苦しい静寂に包まれていた。
常は観光客や巡礼者でにぎわう中央区も見るからに閑散としている。それほどに教皇を含む一族の壊滅は白国国民の心に影を投げかけていた。
警備する方としては楽でいい、と石畳に反響する己の靴音を聞きながらカイは強がりをひとりごちた。
悼む気持ちがないと言えば嘘になる。カイの所属する十二使徒は教皇直轄。命令の多くはネロから伝達されるとはいえ、普通の近衛よりは教皇に拝謁する機会も多かったのだ。
ましてやそれが友人の父親であるならば、哀悼を抱くなという方が酷であろう。
気付けばカイの足は教皇宮に向いていた。
あまねく人々を照らす慈愛の塔、その頂点に少年の友人はいる。
「入るぞ、エルザ」
ノックもそこそこに扉を開ければ、史上最年少の教皇――エルザマリア・A・イヴリーズは聖なる丘のある方角へ祈りを捧げていた。
初めて会ったときよりは身長も伸び、七日七晩生死をさまよった後遺症も完治したが、九歳という年齢はいまだ子供のそれ。
すっと背筋の伸びた祈る姿は美しくも、いまだ夜毎に赤らむ目元は痛々しい。
少女が纏うは、白銀の布地に金糸で織り込まれた翼を広げた白鳥の紋章、この国でただひとりだけが身につけることを許された特別製のカソックである。
もっとも、まだまだ少女の体には馴染んでいなかった。その姿だけは何年経っても騎士正装に慣れない自分とお揃いであった。
「……カイ、私はどうすればいいのでしょう?」
祈りのままに発せられた問いに対して、カイはしばし答えに窮した。
現状、エルザマリアはお飾りの教皇だ。血統によって定めているために少女がその至座に据えられただけで、九つやそこらの子供に政治を担わせるほど貴族院は呆けていない。
少女にできることはただ祭事の場にその姿を見せ、定められた行動をとることだけ、人形でもできることだけだ。
「今のお前にできることはない」
「ッ!!」
だから、カイは正直に告げた。隠しようのない事実を誤魔化せるほど、少年は器用にはできていなかった。
途端に少女の目に涙が滲む。それを零さないのは教皇、慈愛の象徴としての矜持が芽生えかけているからだろう。
とはいえ、泣かせるつもりはカイにはなかった。少女の心が決壊する前に急ぎ続きを口にした。
「だが、世にはじめから教皇であった者などいない」
「え?」
「役割を任じた者が教皇たらんと研鑽した結果が、歴代の教皇なのだろう」
「……」
遅まきながら慰められていることに気付いて少女は目を瞠る。カイがそうした言葉を口にするのは初めてのことだったのだ。
そして、驚く少女の前に、カイははじめて会ったときのように膝をついた。
「笑え、エルザマリア。お前が教皇になるのなら――俺はその騎士となろう」
元より十二使徒は教皇直属の部隊。奇しくも、ネロの予言は正しかったのだ。
カイはたとえ素手でもまたたきの裡に仕留められる、このか弱い主人を見捨てることはできなかった。
「誓う。いつか、ただのエルザマリアに戻れる日まで、俺は“猊下”の剣として生きる」
「――――はい」
その瞬間、カイは蛹が蝶へと羽化する瞬間をみた。
涙の滲む目を細め、毅然として微笑む姿は頼りなくも美しい。
苦難の道だ。折れそうなほどに細いその両肩に国ひとつが載せられたのだ。
それでも、少女はその道を歩むしかないのだ。
「ありがとうございます、“使徒カイ”。いつかその日がくるまで、よろしくお願いします」
ならば、せめて支えになろう。
己にできることは多くはないが、この手にはその為に鍛えられた剣がある。
教皇は騎士の手をとって立たせると、早速いくつかの事柄を命じた。
その背が一瞬前より大きく見えるのは果たして錯覚だろうか。
だが、少なくとも仕え甲斐があることだけはたしかだろう、とカイは確信した。
こうして、ふたりの主従の誓いは密やかに交わされた。




