エピローグ
暖かな陽光が辺り一面を照らし、爽やかな風が草原を吹き抜ける。
ミハエルは腕を回して治ったばかりの体を確かめつつ、隣に侍る戦意も露わな竜を見上げた。
「体調はどう……って訊くまでもないかな、ベル?」
『うむ、問題ない。抜けた血も補填してある。準備はできているぞ、我が主』
「それならいいけど……その我が主ってどうにかならないの? くすぐったいよ」
『慣れろ。汝はたった一人で我に勝ったのだ』
「僕は君と友達になりたいんだけどね」
『……友か』
竜は僅かに黙考し、おずおずと口を開いた。
『主従では友になれぬのか?』
「――――」
その時、ミハエルの心中をよぎったのは尊敬してやまない先代たちの姿だった。
「僕の負けだ、ベルフィオール、我が友よ」
『では、これで2勝2敗だ。次も我が勝つ』
「君ってホント負けず嫌いだね!! ……まあ、いいけどさ」
ミハエルは笑い、腰の剣帯に吊るされた四剣の柄頭を指で弾いた。
澄んだ音に応じて、方々で準備していたマルクとフィフィが集まってくる。
「時間か」
「頑張りましょう。この日の為にたくさん準備したんだから」
「……そうだね。始めよう。みんなで勝とう」
頷き、騎士は心中で記憶を思い起こす。
あの日、クルスに言われた言葉だ。
――ひとりで勝てぬのなら、仲間と共に挑めばいい。
気付けば、簡単なことだったのだ。
竜の望みは復讐であって、復讐でない。
彼女はただ己の中の憧れを清算したいだけなのだ。
仲間ならば、それに付き合うのも悪くない。それがミハエル達の出した結論であった。
そうして暫くして、草原のむこうに相手の姿が見えてきた。
「……」
緊張に湧き立つ心を押さえ、唾を飲み込む。
竜血によって喪われた臓器を新生したその姿は相対するだけで殺気に身が竦む。
だからこそ、ミハエルは心が躍る。
これだ、これが――“神殺し”カイ・イズルハの殺気だ。
剣を手に誰よりも速く先陣を切る、人類最速の“刃金の翼”。
神の加護を喪って尚、その姿は強い憧憬を思い起こさせる。
それこそがミハエルが憧れ、そして、仲間と共に挑む姿だ。
「作戦通り、マルクとフィフィは師匠の迎撃に専念。二人の波状攻撃なら師匠はきっと空中に跳ぶ」
『そこを我と主で仕留める』
「し、仕留めちゃだめだよ、ベル」
「でも、そのくらいの気持ちで挑まないと勝てないわよ?」
「まったくだ。お膳立てはしてやるから負けんじゃねえぞ」
「……わかったよ。そっちは任せて」
言って、ミハエルはベルの背に跳び乗った。
人竜一体。本物に対してどこまで食い下がれるかはわからない。
だが、それこそが自分たちの見出した唯一の勝機なのだ。今はそれを信じて賭けるしかない。
心を決めて、ミハエルは前を向いた。
「さあ――」
刹那、黒い陣風が駆け抜けた。
その一撃に反応できたのはミハエルだけであった。
咄嗟に掴んだ水竜の体を傾ける。
避けきれない。
閃光が奔る。竜の頬から脇腹にかけてを斬り裂かれた。
砕けた水色の鱗が宙に散り、陽光を反射して儚く煌めく。
『ガァッ!?』
遅れて、甲高い刃音がミハエル達の耳に届く。
慌てて振り向けば、遥か遠方に黒ずんだ道衣がはためくのが見える。
「は、速え」
「この距離で? あれが“神殺し”……」
「二人とも迎撃お願い!! ベル、いける!?」
『仔細ない。ゆくぞ!!』
竜が羽ばたき空へと舞い上がる。
上空から見下ろせば、宙に焼け焦げた轍を残し、放たれる雷撃が、炎槍が冗談のように斬り払われるのがみえる。
徐々に加速しつつ、空間ごと断ち斬るように銀の光が舞い踊る。
真なる刃を展開した破魔の銀剣。一度は神にすら届いたその武威は想像を絶する。
だが――
「視えるよ――“カイ”!!」
『ガアアアアアッ!!』
刹那、咆哮と共に竜がブレスを放つ。
空中を踏む一瞬を捉えた一撃が、道衣の裾を食い千切る。
「みんな、いこう!!」
騎士の声におそれはない。力強い羽ばたきがそれに追随する。
かつてよりも近付いたその姿に自分たちは挑める。
ただそれだけでミハエルの胸には無限の勇気が湧いてくる。
何者にも阻まれることのない自由な空で、ミハエルは心のままに四剣を振るう。
切っ先に魂を載せ、傷つき、傷つけ合う。
「――僕は此処にいるよ、カイ!! 貴方と同じ空にいる!!」
伝えるのだ。貴方が表舞台を去る必要などないと。
貴方は強い。だけど、いつかは追いついてみせる。
間違ったのなら止めてみせる。破滅などさせない。
だから――
「貴方の人生はまだ続く。誰も置いて行きはしない。
一緒に行こう、カイ!! 僕は決めたよ。これが――」
次の瞬間、斬、と音を立てて竜の片翼が断ち斬られた。
澄んだ皮膜が虚空に舞う。
しかし、代わりにミハエルの剣がカイの肩を掠めた。
踏ん張ることのできない空中で、僅かにカイの体勢が崩れる。
ここだ、とミハエルの本能が叫んだ。
「――これが僕の、僕達の戦う理由だ!!」
それをこの剣で証明する。
貴方の跡を継いだこの剣で証明してみせる。
そして、戦意の滲む笑みを浮かべたまま、騎士は竜と共に突貫した。
――後に、大陸の空を翔ける人竜一体、“孤竜の騎士”はこうして生まれた。
時代最後の伝説にして、“神殺し”の銀剣を受け継いだ者。
その名は多くの人に救いと希望を齎す名として、そして、竜との交わりを拓いた者の名として長く語り継がれることになる。
今日も傷痕にかかる虹を背に、竜と騎士は空を翔ける。
少しだけ平和になった世界で、刃金は受け継がれ、そして今、新たな時代が幕を開ける。
―― 孤竜の騎士、完
――そして、八百年の時が流れた。




