13話:竜と騎士
渇いた風が荒野に吹き荒ぶ。
元・暗黒地帯、未開拓地域。見渡す限りの赤茶けた大地には何もない。
ただ、三人の男女がいるだけであった。
「――いきなり来て、誰の邪魔も入らずに戦える場所を確保してほしいなんて言うから、てっきりカイが弱ってる内に叩くのかと思ったわ」
「そんなことしないよ!?」
調整の終わった四剣を順に剣帯に吊るしながら、ミハエルは思わず声をあげた。
視線の先、イリスは腕を組んだまま人の悪い笑みを浮かべている。
「そうなの? 勝ったら銀剣貰えるんでしょう?」
「もう!! そういうのじゃないんだってば、イリスお姉ちゃん!!」
「ふふ、わかってるわよ」
言って、イリスは笑みを優しげなものに変えて、霊弓を手に取った。
汚染の原因であった魔神の消滅に伴い、暗黒地帯には青空が戻った。かつてのような異常気象はもう起きない。
しかし、未だ人跡未踏の地は多く、ふとした拍子に強大な魔物に遭遇することもある。
優秀な野伏である彼女がいたからこそ、ここまで来れたことに違いはなかった。
「露払いくらいはしてあげる。全部終わるまで、魔物の一体だってアンタ達には近づけさせないわ」
「ありがとう、イリスさん」
「先達の努めよ、気にしないで」
イリスは肩を竦め、次いで、笑みのままその真紅の瞳を微かに細めた。
五年前、ほんの子供だったミハエルの成長は、従者の心にも感慨を呼び起こしていた。
「ミハエル、アンタが思う以上にカイはアンタを信頼してるわ」
「え?」
「銀剣を受け継ぐっていうのはそういうことよ。私でもなく、ソフィアでも、クルスでもない。あいつはアンタを選んだ」
「……うん」
「けど、だからって私達と同じ道を行く必要はないわ。アンタはアンタの道を行きなさい。その先にきっと答えがあるわ」
「うん……うん!!」
そうして、イリスは持ち場へと戻っていった。
後には、ミハエルと立会を頼んだマルクだけがその場に残っていた。
準備を終えたミハエルを見て、マルクは一層眉を顰めた。
「なんでオレが立会人なんだ?」
「事情を知っているのは君とフィフィだけ。フィフィは絶対止めるし、危なくなったら手を出しちゃうと思う。その点、マルクは僕の意を汲んでくれるから」
「……はッ!! いいぜ、テメエが死んだら墓の前で笑ってやるよ」
これみよがしに鼻で笑う親友に対し、ミハエルは苦笑を滲ませた。
「最期かもしれないから言うけど、君も一応貴族なんだからその言葉使いはどうにかした方がいいと思うよ」
「余計なお世話だ。……こんな冴えない遺言で終わりにするんじゃねえぞ」
「わかってる。やれるだけのことはやった。あとは信じて振り抜くだけだ」
「そうかい。……来たか」
マルクの声につられてミハエルも空を見上げる。
そこには悠然とした羽ばたきで空を翔けるベルフィオールの姿があった。
竜はミハエルを見て取ると、その目前にゆっくりと着地した。
予感があったのだろうか。その身は既に本来の巨体になっている。
『ミハエル、このような場所に呼び出して何用だ?』
「ん、ちょっとね」
数日ぶりにみる竜の姿にミハエルは微かに口元をゆるめた。
右肩の軽さが今は少しだけ寂しかった。
「君の血で師匠を癒すには殆ど致死量を一度に採らないといけない。心臓と違って血に宿る奇跡は長くもたないらしい」
『聞き及んでいる。再生に全力を注いでも半々の確率で死ぬな』
「うん。誰が何と言おうと、君はもう僕らの仲間だ。強制はできない」
『我が拒否したとて、汝は治療を諦められるのか?』
「それはできない。僕にとってはどちらも大事だ。心では選べない。だから――我儘を許して欲しい。
全部を手に入れようとするこの我儘を、どうか許して欲しい」
そこから先をミハエルは口にしなかった。
言葉は尽きた。そして、少年は剣を抜く。
馬手に水剣、弓手に雷剣。魔剣士たる少年は両の剣を胸前で交差させて構える。
戦意を露わにしたミハエルの姿に、ベルフィオールはその真紅の目を細めた。
『成程、勝者は全てを得る。至極わかりやすいな。
――だが、汝との勝負を受けて我に何の得がある?』
暗にお前とは戦いたくない、と竜は告げた。
かつて、ミハエルが言葉で以て相対したように、竜もまた言葉を放つ。
『我の血が必要なのだろう? 汝の頼みならくれてやる。無論、死なないよう注意を払ってもらうことを要求するが――』
「ベルフィオール」
竜の言葉を遮ってミハエルはかぶりを振った。
「君の信頼は嬉しい。けど、ここで君の信頼を利用したら、君は人間の信頼をそういうものだと理解してしまう」
『……何か間違っているのか? 短い間だが、汝は我にヒトの世を見せてくれた。得難い経験だった。
故に、我はその対価に血を与える。それで師を癒す。我は復讐を遂げる。これはそういう話ではなかったのか?』
「最初はそのつもりだった。それもひとつの関係のカタチではあると思う。けどね、それだけじゃ寂しいよ」
この一歩が人と竜を繋ぐ最初の一歩なのだ。
必要だからとか、貸し借りとかで終わらせては後に何も残らない。
だから――
「あとは、戦いで語ろう。実を言うとね、僕はずっと君と一対一で戦いたかったんだ」
『…………そうか。ならばもう言うことはない。我が血を欲するならば、力を示せ、ミハエル』
「ああ、勝負だ、ベルフィオール」
竜が翼を、透き通る水色の翼を広げ、その全身から膨大な魔力が放出される。
本気だ。この竜は自分の我儘に本気で付き合ってくれている。
ミハエルはそれがひどく嬉しかった。
そして、二人の様子を確かめたマルクは一歩下がり、片手を挙げた。
「公正に判ずることを黒神に誓う。――始め!!」
『――ガアアアアアッ!!』
開始と同時にベルフィオールは突進をかけた。
予想外の一撃にミハエルの対応が僅かに遅れる。
――決闘に際し、ベルフィオールはまず空中戦を捨てた。
竜種の定石たる空中からのブレスによる掃射。成程、空を飛ぶことのできない相手に対しては一方的に攻撃できるように思われる。
だが、ミハエルの敏捷性ならばブレスは容易く回避される。結果、魔力を無駄に消費するだけだ。
故に、狙うべきは接近戦。この剣士が避けられず、防ぐことも出来ない攻撃こそが唯一の勝機。
『ゆくぞ、ミハエル!!』
そして、その巨体を全速力でぶちこむ一撃が少年の体を捉えた。
竜鱗表面に衝撃と微かな金属音が響く。
(軽い!? 弾されたか!!)
見れば、宙でとんぼを切って着地するミハエルに負傷はない。
故に、竜は再度の突撃を敢行する。
以前とは違う。ベルフィオールに侮りはなく、そして、ミハエルという存在を知っている。
知性があるとはそういうことだ。
この戦いが以前と同じ三対一でも水竜には十分な勝算があった。
竜の全身を覆う“竜鱗”は絶大な防御力を有しているが、その真価は攻勢に回った時にこそ発揮される。
すなわち、負傷と反動を省みることのない全力攻撃を可能とし、巨体の持つ膂力を全力で振り回せること。
一方、ミハエルは極細の水糸剣こそ辛うじて竜鱗を突破できるが、射程の長いその剣を振るうには十分な間合いを必要とする。
つまりは、踏み込んだ先にこそ竜の勝機はあったのだ。
『この程度か、ミハエル!!』
「ッ!!」
至近距離で互いの視線がぶつかり、ベルフィオールは牙を剥き、ミハエルは奥歯を噛み締めた。
どれだけミハエルが鍛えても決して届くことのない純粋な膂力と巨躯。
それが今、十全に発揮されている。
それは紛うことなき武術。竜の編み出した強者にあらがう術であった。
愚直なまでの突撃は七度を数え、遂にミハエルは受け損なった。
纏っていた軽鎧が砕け、腹の底から浮き上がる衝撃と共にその身は吹き飛ばされ、大地を転がる。
「ガッ、グッ……」
直後、痛みを隠してミハエル素早く立ち上がった。
悠長に寝ていれば竜は躊躇なくブレスを撃ち込んでくるからだ。
(肋骨の二、三本は折れたかな、これは)
腹部から発せられる激痛を意識から切り離し、ミハエルは土煙をあげて接近する水竜に備える。
見切りからのカウンターを主武器とするミハエルにとって、大ぶりな攻撃を主とする竜は本来なら与しやすい相手の筈であった。
しかし、武を識った竜が相手となれば話は別だ。
ベルフィオールは顎門を開くことも、鉤爪を振りかぶることもしない。
ただ負傷を省みず踏み込み、剣を振るうことすら許さない至近距離からその巨体をぶつけてくるだけだ。
強力な瞬発力が生み出す愚直なまでの体当たり。
生まれるのは、互いの実力を把握し合い、読みの余地が限りなく削られた至近距離での泥試合。
その段に至れば、あとは純粋な性能が物を言う。
不利なのはミハエルだ。四剣の切り替えによる対応力も殴り合いでは機能しえない。
頭を押さえられ、長所は潰された。勝機はないに等しい。
だが――
「ひとつだけ君に見せてなかった“人間”があったね、ベルフィオール」
――不可能を可能にする一手がここにある。
口元の血を拭い、ミハエルは意識を集中させる。
必要だからとか、貸し借りとかで終わらせては後に何も残らない。
だから――
「だから、僕はこれからも君に人間を見せるよ。これはその最初の一歩だ」
『ミハエル……?』
竜は微かに警戒心を起こす。
両の剣を構えるミハエルに不審はない。何かが変わったようにも見えない。
しかし、本能は足を止めることを選択した。
何かを忘れている、と本能は叫ぶ。竜種にはなく、人間にはある何かを――。
「――我は砕けず、毀れぬ、護剣の刃」
そして、次の瞬間、ミハエルが消えた。
翠の残光と共に残風が竜の鼻面を叩く。
ベルフィオールは瞠目し、一瞬の後に自身の失敗を悟った。
見誤っていた。ミハエルの最高速度は予想の更に上をいっていたのだ。
それこそは、この瞬間まで隠して――否、必要とされる場面がなかった少年の真価、ミハエル・L・ディメテルの魂の姿に他ならない。
(そうか。この平和な世では、汝の全力を受け止められる敵は――)
『――我ぐらいしかおるまい!!』
心に感じるは悲哀。咆声に宿るは歓喜。
水竜は四肢を大地に打ち込み、その全身を以てミハエルを迎え撃つ。
今からでは回避も防御も間に合わない。この一撃は敢えて受け、耐えると決めた。
「――ッ!!」
対して、疾走する少年は――否、今や一人の騎士として戦いの場に立つ男が声なき声で宣言する。
この一瞬こそが己だと、己の魂だと証明する。
そして、騎士は疾走の勢いのまま竜の首下まで潜り込み、即座に両の剣を振り抜いた。
交差するように蒼と金、そして翠の閃光が走る。
刹那に放たれた剣線は二対四刃八連撃、その全てが竜鱗を切り裂く。
僅かに遅れて、金属を割ったような鋭い高音が荒野に響き渡る。
「あああああああッ!!」
吼える。咆える。騎士は咆哮をあげ、剣を振るう。
己の限界を超えた連撃に雷剣が吹き飛ぶ。
両腕が軋みをあげ、骨の砕ける音がする。
それら一切に構わず、水剣を振り上げ――
「――シィッ!!」
――過たず、その一撃は逆鱗を打ち抜いた。
相手の意識の空白に踏み込み、神速の連斬で鱗を割り、全力の刺突を逆鱗に叩き込む対竜剣技。
それこそはミハエル・L・ディメテルの全力、鋼の刃で羽ばたく魂の翼。
すなわち――“心技・ヘオツミシュマル”の完成であった。
◇
刹那に切り刻まれた激痛、それを堪えてベルフィオールは遂に飛んだ。
心技。
成程、これこそ魂の結実、ミハエルという存在の証明。
その刹那に、騎士がどのような半生を送ってきたのか、竜は理解した。
(だが、足りない。もっと、もっとだ、ミハエル!!)
愛にも似た戦意を胸に水竜は上空へと翔け昇る。
喉元の逆鱗を砕かれた影響か、体から次々と魔力が抜けていくのがわかる。長くはもたない。
見下ろせば、ミハエルはまだ地上にいる。
心技は強力だが、その代償に強烈な消耗を強いる。すぐには回復しない。
雷剣は吹き飛び、水剣は未だ竜の喉元に突き刺さっている。
騎士の手元に残るは風纏う翠の双剣のみ。
『その体たらくで我が息吹を避けられるか、ミハエル!!』
「まだだああああああッ!!」
ミハエルは咆哮と共に抜き放った風の双剣を起動。
間一髪、天より撃ち下ろされるブレスを回避しつつ、飛翔のままに突撃をかける。
轟と風が鳴り、刹那に激。、鉤爪と双剣が切り結ばれ、澄み渡る空に火花が散る。
火花と撃音は止むことなく繰り返される。
二人は水色と翠色の軌跡を曳きながら、交わるように、離れるように、空中で幾度となく激突する。
大陸のどこよりも空の傷痕に近いその場所で、傷つき、傷つけあう。
『――ミハエルゥゥゥッ!!』
「――ベルフィオールッ!!」
互いの名を呼び、刃を交わし合う。
意識が白熱し、互いの姿だけが世界の全てとなっていく。
そして、その瞬間、水竜は己がニンゲンに抱いていた想いを理解した。
なぜ、兄を斬った“剣”を追いかけようと思ったのか。
なぜ、竜の谷を出て、人の世を知ろうとしたのか。
(――――我は、憧れていたのか)
その想いを認められなかった。
だから、復讐という形で否定するしかなかった。
それが今ならわかる。認められる。
自分はこの少年と共にいたい。ニンゲンのいる場所で生きたかったのだ。
(そうか。我の願いはもう叶っていたのか、ミハエル)
暖かな想いが心を満たす。
故に、顎門を開き、口づけの代わりに騎士の右肩に噛みつく。
赤い血飛沫が噴き出す。
同時に、ミハエルの掌底が逆鱗に刺さったままの水剣を打つ。
青い血飛沫が宙を舞う。
それが互いの最後の一撃であった。
薄れゆく意識の中、二人はもつれあったまま荒野に墜落した。
◇
「――ッ!?」
数瞬、意識を失っていた。
ミハエルは慌てて起きようとして、全身から発せられる激痛に悶絶した。
その隣では、魔力の尽きた竜が梟ほどの大きさに縮んで寝転がっていた。
『……起きたか、ミハエル』
「ベル、僕達は、痛ッ!!」
『無理に動こうとするな。我も魔力が尽きていて暫くは動けん』
「なら、引き分けってこと?」
『いいや、我の負けだ』
「……何でさ?」
ミハエルは寝そべったまま眉を顰めた。
戦って決めると決めたのだ。その結果を捻じ曲げる訳にはいかない、と視線で告げる。
だが、ベルは静かにかぶりを振った。
『心技を受けた時、汝の想いが伝わってきた。
我は汝を殺す気で戦った。だが、汝は――二人ともを生かす為に戦った。
結果、我ら二人とも生きている。だから、汝の勝ちだ』
云って、竜は青空を見上げて一度大きく息を吐いた。
『汝の言いたいことが少しだけわかった気がする』
「……」
『血は好きなだけくれてやる。だが、対価はいらん。
汝との関係に余計な物は不要だ。我には汝が必要で、汝には我が必要だ。今は、それだけでいい』
「ベル……」
そして、竜はその真紅の瞳で真っ直ぐにミハエルを見据えた。
『汝も、我と師を戦わせる方法を思いついたのだろう?』
「ん、よくわかったね」
思わず苦笑するミハエルに対し、竜はどことなく得意げな顔をして告げた。
『当然だ。我らは相性がいいのだからな』
(マルク、怒ってるだろうなあ……)
数分後の雷を予期して、仰向けに寝転がったままミハエルは小さく溜め息をついた。
戦いに夢中で初めにいた場所からは大きく離れてしまった。
今頃、親友は怒り心頭のまま、イリスを伴って追いかけてきているだろう。
とはいえ、まだ暫くは立てそうにない為、どうしようもないことであった。
『……そういえば、ひとつ訂正することがあった』
ふと、隣で寝そべっていたベルが口を開いた。
ミハエルは苦労して体を転がし、竜に向き直る。
「なに?」
『我は“弟”ではない』
「え、ええっ!?」
次の瞬間、ミハエルの視線が竜の下半身に向かおうとして、間髪いれず、振り回された尾にぶん殴られた。
「イテテ。ああ、だから弟と弟子って言った時ちょっと怒ったんだ」
『そういうことだ。いや、ようやく汝から一本取れたな』
「なんだよそれ」
『勝ちは勝ちだ。フ、フハハハハッ!!』
そうして、竜は澄み渡る空を見上げて笑った。
生まれてはじめて心から笑った瞬間であった。




