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刃金の翼・外伝  作者: 山彦八里
孤竜の騎士
13/26

12話:決意

『――お前が俺に勝った時、銀剣を譲る』


 それは一年前、ミハエルがアルカンシェルのリーダーを継ぐ時にカイが告げた言葉であった。


「使徒の第三位レクシーンより予言が下された。800年後、『最後の古代種』が目覚める。

 俺は約束した。俺の剣の継嗣が奴を斬ると、そう約束した。奴を独りにはしない。

 だから、この一事だけ我儘を許してほしい」

「師匠……」

「その時には、俺はいない。お前もいない。だから――」


 八百年、途方もない時間だ。人間はおろか、エルフの寿命ですら足りはしない。

 あるいは、今の時代にあるすべても喪われているかもしれない。


「――だから、剣を、“魂”(ニンゲン)を継いでいく」


 誰かに師を、死を任すなどカイらしくないだろう。

 侍は常に、誰よりも先にいた。

 彼が己の前に立つことを認めたのはただ一人、クルスだけであった。

 そして、今、カイ・イズルハは選んだ。

 自分の跡を継ぐ者を選んだ。手ずから鍛え上げた弟子に己の魂を任せることを決めたのだ。


「お前が次を選べ。この剣を継いでいけ」


 云って、カイは背に負った剣を抜き放った。

 曇りなき刀身、剣を抱いた白鳥の紋章の刻まれた銀の剣、史上最古の魔導兵器。

 それは単なる剣ではない。

 もっと重い、あるいはカイにとって命よりも大事な約束を託された証なのだ。


 頷きながら、ミハエルの心は震えていた。

 認められたのだ。

 己の最も尊敬する剣士に、神にすら届いた刃金に、その跡を継ぐに足ると。


 ――だが(・ ・)それだけで(・ ・ ・ ・ ・)いいのか(・ ・ ・ ・)


 その答えがもうすぐ、出ようとしていた。



 ◇



 翌朝、ミハエルは隣で眠っているフィフィを起こさないように静かにベッドを抜け出した。


 ヴェルジオン邸は離れを抜けた先に広い空き地を確保している。当主達の訓練場だ。

 踏み固められた地面には絶えることのない修練を感じさせる。


 朝靄の中、ミハエルは双剣を抜いて日課の鍛錬を始めた。

 太陽が顔を覗かせたばかりの外はまだ肌寒く、身が引き締まる思いがする。

 心の軽さを反映してか、踏み込み、剣先の走り、そして、風を切って澄んだ刃音を鳴らす双剣に、ここ最近では覚えのない程のキレの良さを感じた。

 少年は半刻ほど鍛錬を続けて、ひとしきり調子を確かめると、一度汗を流してヴェルジオン邸を出た。

 手にしたバスケットには昨日の内に買っておいた果物や日持ちのする菓子が満載されている。これから訪問する場所への差し入れであった。


 朝の正門には柱に寄りかかるようにしてマルクが待ち受けていた。

 どこか不機嫌そうに見える少年の姿にミハエルは小首を傾げた。

 マルクはベルと共にルベリア学園に“竜血”の解析に赴いていた筈なのだ。


「おはよう? って、マルクがどうしてもここにいるの?」

「あ? フィフィから聞いてねえのか?」

「いや、特に何も」

「ったく……まあそんなことだろうと思ったぜ。どっか行くんだろう。歩きながら話す」

「う、うん……」


 後頭部を掻きながらミハエルの隣に並んで歩き出しだマルクはしかし、それきり口を噤んだままであった。

 起きがけの街は人通りもまばらで、ただ石畳を叩く二人分の足音だけが響く。


「調子はどうだ?」


 暫くして、ぽつりと呟かれたあまりにもマルクらしくない言葉に、秘かにミハエルは苦笑した。

 本人も自覚はあるのだろう。そっぽを向いた顔は微かに顰められている。


「悪くないよ。そっちは?」

「オレもまあまあだ。次オマエとやるときはぎったんぎったんにしてやるよ」

「うん、もちろん受けて立つよ」

「……そうか。オマエはそうだよな」


 ミハエルの応えに何かを納得したマルクは再び口を閉じてしまった。

 親友がこうなった時は話しかけられたくない時だと知っている。

 故に、ミハエルもまた何も言わず前に向き直り、無言で歩を進める。


 間もなく二人は街の郊外に建てられた一軒の教会に到着した。

 建てて数年といったところだろう。小さいながら手入れの行き届いた教会は、周囲にまばらに家屋があるだけで、一見して何の変哲もない場所に見える。


「教会になんか用があるのか? ってか、何で街の教会じゃなくてこんな湿気たとこ、ろ、に……」


 マルクの問いは教会の門前に立つ騎士を見て尻切れになった。

 鎧もつけず、手に持つ槍に体重を預け、欠伸を噛み殺す。

 そんなだらけた様子で門番に立つその騎士に不思議な所はない。

 だが、その姿を視界に入れた瞬間、マルクの体は本能的に戦闘態勢を取っていた。

 主の緊張を受けて、両手を包む篭手がギリギリと音を立てて軋む。


「……あいつと、中にもうひとり。ヤバイのがいるな」

「師匠の同僚だよ」

「魔境かよこの教会は」


 思わず口を吐いたマルクの呟きが聞こえたのか、門番の騎士がゆらりと顔を上げた。

 隣で身を固くする親友を他所に、ミハエルは人好きのする笑みを浮かべた。


「おはようございます、クラウスさん」

「よう、エル坊。いつも悪ぃな」

「気にしないでください。好きでやってる事ですし」


 笑みのまま、ミハエルはクラウスにバスケットを手渡した。

 騎士は中身を確認して異常がないことを確かめると、くいと顎先で教会を指した。


「エルザには会って行くか? 今の時間ならまだ――」


 次の瞬間、クラウスの言葉を遮るように、ばんと音を立てて教会の扉が開き、無数の子供が飛び出した。

 そして、三々五々に散っていく子供達の最後尾を銀髪の神官(クイント)が追いかけていく姿を、三人は呆然と見送った。

 銀髪とスカートを翻して必死に走る神官は此方には気付かなかったようで、大声で子供達の名前を呼ぶ声だけがミハエル達に届く。


「……お忙しそうですね」

「すまん。この礼はまた今度する」


 言って、クラウスは槍とバスケットを手に持ったまま子供達の追跡に移った。

 菓子を餌に子供達を捕獲するつもりだろう。

 早速差し入れが役に立った現状にミハエルは微妙な笑みを浮かべたまま、英雄級の敏捷を全力で無駄使いするクラウスを見送った。

 次いで、隣で事態について行けず硬直しているマルクに向き直る。


「見ての通り、ここは教会兼孤児院なんだ」

「い、いや、それより、さっきの神官、どうみても前の教皇――」

「気のせいだよ」

「けど、さっきエルザって」

「気のせいだよ。そうだよね、マルク?」

「お、おう……」


 言い知れぬ寒気を感じたマルクはそれ以上の追及はせず、無言のまま教会を後にした。



 ◇



「……みんな元気そうで良かった」


 街に戻ったミハエルは足を止めぬまま、ふと呟きを漏らした。

 隣を歩くマルクはミハエルの表情を窺いながらおずおずと問いかけた。


「孤児院って言ってたな。やっぱ魔神争乱の時の?」

「うん、気付いたらどんどん増えちゃって。たまにああやって差し入れに行くんだ。……何か問題が起こったら後が怖いし」

「ああ……先代達が領地(ここ)に籠りがちな理由がよくわかったぜ」


 現在は解体されているとはいえ、かつて白国の武の頂点に在った十二使徒が三人、それに比肩する戦闘能力を持つ者がさらに三人。ヴェルジオン領の武の質はそこらの大貴族を軽く凌駕している。

 だが、それ程の陣容で守護すべき特大の“火種”があんな辺鄙な教会にいるとはマルクも予想だにしていなかった。


「一応、猊下のことは公的には秘密になってるから言いふらしちゃダメだよ」

「頼むからそういうことは先に言ってくれ」

「うん、今度から気をつける」


 そうして、笑みのまま頷くミハエルを横目にマルクは深々と溜め息を吐いた。


「――なんでテメエはいつもへらへら笑ってんだよ」


 だから、問いかけてしまった。長年の疑問がつい口を吐いて出てしまった。

 応じるように、ミハエルの足が止まった。

 数歩先に進んだマルクはつと振り向く。

 ミハエルの顔から、笑みは消えていた。


「……ダメかな?」

「オレの気に障る」

「……でもね、マルク。この大陸はようやく平和になったんだ。多くの人が血を流して、何もかもを擲って勝ち取った平和なんだ。僕は彼らから受け取った平和を守る義務がある」

「それとテメエのにやけ面に何の関係があるんだよ?」

「傷ついた人たちが、死んでいった人たちが安心できるように」

「――――」

「沈んだ顔で平和だなんだって言っても誰も共感しない。

 今日は昨日よりも良い日だから、きっと明日は今日よりも明るい日だから、そう信じるから僕は笑うんだ」


 願掛けみたいなものだよ、とミハエルはもう一度笑みを浮かべて告げた。

 マルクは数瞬、目を見開いたまま気圧されていた。

 親友の笑みが、今までとは違うものに見えた気がして、慌てて背を向けた。


「そうかい。まあ、好きにしろ。……けど、明日が明るい日だなんて誰にもわからねえぞ」

「マルクは手厳しいなあ」


 苦笑し、ミハエルはふと右肩の軽さに気付いた。

 ここ最近はいつもそこにあった重みがないことを思い出したのだ。


「そういえば、ベルは一緒じゃないんだ?」

「無理言って学園に残って貰った。顔合わせずらいと思ってな」

「……“竜血”の解析結果が出たんだね?」

「ああ、概ね予想通りだ」



「――カイ・イズルハの体を癒すにはベルフィオールのほぼ致死量の竜血が必要だ」



 瞬間、ミハエルの笑みが凍った。

 二人の間を冷たさを孕んだ北風を吹きぬける。

 予想していたことではあった。

 竜血は保存が難しく、短時間の内に精錬しなければならない。

 その上で竜種の生命力を凝縮した“竜の心臓”(ドラゴンハート)に匹敵する効果を得るには、成程、致死量が必要にもなろう。


「……そっか」

「どうするか決めるのはテメエだ、リーダー。後悔しないようアイツとよく話し合うんだな」

「うん、ありがとう」


 ややあって返答したミハエルに、マルクは振り返らず片手を挙げて去っていった。



 ◇



 ヴェルジオン邸に戻って、ミハエルは厩舎に漆黒の巨馬が繋がれているのをみつけた。

 ふてぶてしい表情で草を食む巨馬を見て、呆としていた少年の意識は覚醒した。

 当主が帰ってきているのだ。


 その足で、ミハエルは執務室へと赴いた。

 とにかく今は誰かの顔が見たかった。


「クルス、じゃなかった当主様!!」


 ノックもそこそこに扉を開ければ、丁度、旅装を解いたヴェルジオンの当主、クルス・F・ヴェルジオンが目に入る。

 五年前より精悍な顔つきとなった青年は、小さく笑みを浮かべてミハエルの頭を撫でた。


「いつも言っているが、クルスでいいぞ、ミハエル。俺もまだまだ未熟だ。身内相手に威張るつもりもない」

「ん、わかったよ、クルス」


 なんとか笑みを浮かべたミハエルは、勧められるがままにクルスの対面のソファに腰かけた。


「急に留守にしてすまなかった。それで、何かあったのか?」

「それはいいんだけど。その……」


 意気込んで会いに来たものの、いざとなると続きを言うことをミハエルは躊躇した。

 ヴェルジオン領は今、飛翔の時期にあり、同時に苦難の時期である。

 暗黒地帯の開拓に加え、北部貴族の反乱未遂が起こったばかりなのだ。執務机には大量の書類が載っているのがミハエルの位置からでも見える。

 クルスの仕事は多忙を極めている。そんな大変な時期に自分が重荷になるのは嫌だと思った。


 だが、そんなミハエルの心中はお見通しなのだろう。

 クルスは苦笑をひとつ浮かべて、言葉を紡いだ。


「カイの体のことか?」

「ッ!!」

「何を驚く? お前が言い淀むことくらい予想がつく。

 察するに、竜の命を奪う必要があるんだな?」

「……致死量が必要だって」

「そうか。……それでも、お前は諦めないんだな」

「うん、ベルも、あ、ベルフィオールっていうのが竜の名前なんだけど……協力してくれると思う。師匠の体を治さないと望みを果たせないし。僕の方で血を抜いても死なないように、できる限りの手を打つようにする」

「とすると、問題は……竜との関係か?」


 核心をついたクルスの問いにミハエルは無言で頷いた。

 ひょんなことから始まった竜との生活だが、それも終わりが近い。

 竜血を以てカイの体を癒せば、あの竜は復讐を完遂せんと挑みかかるだろう。

 だが――


「――師匠に挑めば、ベルは死ぬ」


 ミハエルは極力感情を込めずに、その確定した未来を告げた。

 影ですら二人ががかりで尚、命を捨てる必要があったのだ。

 本物相手では、下手すれば一合と打ち合うことなく負ける可能性すらある。

 そして、カイの剣に手加減などないし、仮にあったとしてもベルフィオールはそれを望みはしないだろう。

 つまり、結末は竜の死以外にない。


 それで終わっていいのか、とミハエルは思う。


 千二百年もの間、狂気の中にいた竜種がようやく知性を取り戻したのだ。

 もっと見せたいものがある。共に行きたい場所がある。


 詰まる所、ミハエルはあの竜を気に入ってしまったのだ。


「それで、なんとか命のやり取り抜きでやりたいんだけど……」

「そんな方法で竜は納得するのか?」

「しないと思う」


 だから困っているんだ、と両肩をがくりと落としてミハエルはぼやいた。

 クルスは何かを考えるように片目を瞑っていたが、ややあって口を開いた。


「……手はある」

「ホント!?」

「ああ。だが、結局はお前次第だ」


 言って、にやりとクルスは笑った。どことなくカイに似た笑みだ。

 そういう所は似た者同士だとミハエルは思った。


「覚悟はあるか?」

「うん!!」


 一瞬たりとも迷わずミハエルは頷いた。

 覚悟ならとうに、竜と初めて会ったあの時にしている。

 迷う必要などどこにもなかった。


「……お前を選んだカイの選択は正しかったのだろうな。

 いいだろう。つまり、竜の望みを叶え、かつ勝負として成立させるには――」




 そして数日後、ミハエルはベルフィオールをとある場所に呼びだした。

 すなわち、元・暗黒地帯の未開拓地域。

 それは、誰にも邪魔されずに竜と相対する為の一手であった。


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