11話:ヴェルジオン
大陸中央部、白国の北部地域にその家は存在する。
魔神争乱を経て、武の名門として広く名を知られるようになった“盾”のヴェルジオン。
ここ数年は訪れる者も増えたヴェルジオン領だが、しかし、その煌びやかな勇名に反し山々に囲まれた領地は質実剛健をいく、端的に言って地味で固い印象を受ける土地である。
元より暗黒地帯に近かった北部地域全体がそういった気風を具えているが、わけても魔物の流入を防ぐことを主眼に置かれたヴェルジオン領はその特徴が顕著である。
とはいえ、暗黒地帯の消滅した現在では、新たな当主の下で領地も少しずつ変化している。
すなわち、白国における暗黒地帯を開拓する為の前線基地としての役割への移行である。
各国共同で行われている開拓事業は魔物被害の減少であぶれた冒険者の受け入れ先であると同時に、魔神争乱の原因を究明し、再発を防止する為――と表向きは謳われている。
実際には、再発はほぼないことをミハエルは知っている。
古代種は永き眠りに就いた一人を残して滅び、魔神もまた斬られたからだ。
しかし、後に残ったのは何もない荒野だけ。神代の如き困難はなくとも、やはり開拓は相応に困難だろう。
――と、そんなことをつらつらと思いながら、少年は鍛冶屋の軒先に出されたベンチに腰かけていた。
今週は装備の調整やベルの“竜血”の解析を兼ねた休日のため、ミハエルはひとりヴェルジオンへと帰ってきていた。
暫く見ないうちにまた店が増えていた大通りでは、新たに編成された開拓団が集合している姿が目に入る。
開拓団の中核を成すのは赤剣傭兵団――現在は赤剣開拓団を名乗る者たちだ。
五年前、共に魔人争乱を戦い抜いた彼らが今は人類圏の最前線を切り拓いていると思うと、少年の胸にも誇らしい気持ちが溢れてくる。
と、その陣頭指揮をとっていた壮年の男がミハエルに気付いて片手を挙げた。
「よう、坊主。元気そうだな」
「久しぶり、ルッツさん!! そっちも元気そうだね」
「まあな。忙しくなるのはこれからだ。冬までに拠点をひとつこさえなきゃならねえからな」
云って、ルッツと呼ばれた開拓団の団長は古傷の走る顔でにやりと笑った。
凶相に浮かんだ笑みは戦友に対してだけみせる誇らしげなものだった。
「大変だが、傭兵やってた頃よりも遥かにやりがいがある。お前達のお陰だ」
「僕は最後を手伝えただけだよ」
「フン、まあそういうことにしとくか。今日は大将の所に行くのか?」
「そのつもりだよ」
「よろしく言っといてくれ。じゃあな」
「うん、頑張ってね」
のしのしと体躯を揺らしながら団に戻っていくルッツの背中に少年は手を振る。
二回り以上年が違うミハエルでも戦友として扱ってくれる団長のあり方をありがたく思う。
同時に、新たな目標をみつけた逞しい背中が羨ましくもあった。
神樹の試練において師の影にこそ届いたものの、次にどうするべきなのか少年はまだ考えあぐねていた。
今のミハエルでは本人にはまだ届かない。
だが、果たして届いていいのか。理由を持たない少年にはそれがわからなかった。
人を超え、竜種すらも超えた先に師はいる。全てを捨てればミハエルもその域に指がかかるかもしれない。
しかし、それだけの力は今の時代に必要とされていないのではないか。
(師匠、僕はどうすればいいのかな?)
ヴェルジオン邸を遠くに見ながら、ミハエルの思考は同じ問いを繰り返していた。
「みはえるー!!」
「こっちだよ、ニッキィ」
暫くして、舌足らずな声と共に店内から双剣を抱えたドワーフの少女が元気よく飛び出してきた。
やや赤らんだ褐色の肌をしたミハエルの胸元ほどしかない背丈に、癖っ毛の黒髪を後ろで纏めた明るい少女だ。
ヴェルジオンの当主クルスの縁で街にやってきたドワーフ一家の娘は年齢こそミハエルよりひとつふたつ下だが、既に鍛冶士として鎚を任されている。
何を隠そう、ミハエルの振るう四剣の元となる刀身を打ったのは彼女なのだ。
今日はここ暫くの戦闘で消耗した四剣の調整を依頼していた。
「風剣の調整はおわったよ。ただ、雷剣と水剣はもう少し時間がかかるとおもう」
ニッキィは申し訳なさそうに言って双剣をミハエルに差し出した。
ここで少女を責めるのはあまりに酷だ。
むしろ、半日で双剣の調整を終わらせただけでも鍛冶士としては尊敬されてしかるべき腕前といえる。
ミハエルは気にしないで、と伝えて双剣を腰の剣帯に吊るした。
武器は使えば消耗するもの。それは魔導兵器とて変わりない。
むしろ、刀身の刻印術式が歪めばたちまち機能不全に陥る分、魔導兵器は通常の武器よりも入念な整備と繊細な取扱いが要求される。
近接武器としての機能を排した投射型が重要視されているのはその為でもある。術式の起動だけに機能を絞れば幾分か刻印も単純になり、その分だけ強度も増すからだ。
「雷剣と水剣はどのくらいかかりそう?」
「刀身の歪みを直して、刻印を調整して……けっこう大仕事。二本で一週間はほしいかな」
「やっぱり?」
「うん、やっぱり。そもそも何を斬ったの? よっぽど硬いもの斬らないとここまで歪まないよ?」
「……竜、かな」
苦笑と共に立ち上がり、ミハエルは鍛冶屋を後にした。
◇
ヴェルジオン本家の邸宅は街の北部、山麓に蓋をするようにして建っている。
通常なら山を拓き、城を建てて然るべき所だが、この地域にとって北山とは暗黒地帯からの魔物の流入を幾分か和らげる天然の砦であり、そこに暮らす野生動物達は天然の兵であった。
現在でも、ある程度の間引きこそ行われているが、山中はほぼ手つかずのまま残っている。ミハエルも本家に来た時はクルスと共に山中で遊んだ記憶がある。
そんな邸宅の正面玄関で、
「当主様とカイ様は現在、皇都に出仕しております」
「あれ、間が悪かったな」
挨拶一つで門衛を通過したミハエルは、しかし、応対に出てきた侍女の言葉に思わず頬を掻いた。
「ミハエル様がお越しになられることは聞き及んでおりましたが、なにぶん危急の要件とのことでしたので」
「ああ、うん。それは仕方ないですね」
二人共ということは、先日の北部貴族の反乱鎮圧に関することだろうとミハエルはあたりをつけた。
ヴェルジオンは北部において数少ない貴族院が全幅の信頼をおける家だ。
魔神争乱よりこちら、既に十分過ぎる程の名声を得ているヴェルジオン一門が反乱に与する利点がないという利の面と、これまで忠勤を尽くしてきたという情の両面がその確固たる地位を築いているのだ。
しかし、その一方で、当主であるクルスを動かすことは貴族院にとっても賭けの面がある。
国や地位、種族すらも問わない声望を得ている彼とその“剣”を動かせば、本人達にその気はなくとも新たな国が興る可能性がある。
また、そうでなくとも、ヴェルジオン領には他にも特大の“火種”がいることを鑑みると、クルスは領地の守護に専念させておきたいところだろう。
いっそ元・暗黒地帯を丸ごとくれてやった方がいいのではないか、というのが徐々に各国の共通見解になりつつある、とはマルクが実家で聞いた話だ。
「お部屋をご用意いたしましょうか? 御二方とも明日にはお戻りになられると思いますが」
「お願いします。あと、離れに行きたいんだけど大丈夫ですか?」
「かしこまりました」
そのままミハエルは侍女に連れられ、質素ながら清潔に整えられた邸宅内を進んでいく。
時折、従者が早足で通り過ぎていくのはヴェルジオンに多くの人と仕事が溢れている証左だろう。
多くのことが変わっていっている。
それは少年の心に期待の風を呼びこむ吉兆であり、同時に胸の奥に澱のような微かな焦燥感を抱かせた。
邸宅を過ぎて渡り廊下を抜ければ、そこは山裾から伸びる森に接した離れであった。
かつては心を読める少女の檻であり、今は安住の地である離れは、微かな鳥の囀りだけが響く静かで穏やかな場所であった。
まるでこの場所だけ時間がゆっくりと流れているようにすら感じられる。
その静寂を破らぬようミハエルは控え目に離れの扉をノックする。
応じるように、中から「どうぞ」と鈴の音のような声が返される。
ミハエルは侍女に剣を預け、静かに扉を開けた。
「こんにちは、ソフィアさん」
「久しぶりですね、ミハエル」
部屋の中は、窓から優しい風の吹く暖かな空間が広がっていた。
そして、揺り籠の隣に座り、腰まで伸びた金の髪を風に優しく揺らして、ソフィア・イズルハはかつてのようにやわらかく微笑んでいた。
「今、お茶を用意しますね」
ミハエルが来ることがわかっていたのだろう。
サイドテーブルに置かれたカップに注がれる飴色の紅茶は微かに湯気を立ち昇らせている。
読心を失っても、ソフィアの感応力は人並外れて高い。仮に、実戦に立てば今でも一線級の実力を発揮するだろう。
「ありがとう、ソフィアさん」
「あら、昔のように『ソフィアお姉ちゃん』とは呼んでくれないんですか?」
「僕ももう15だし、さすがに恥ずかしいよ」
苦笑しつつ、ミハエルはそっと揺り籠を覗き込んだ。
柔らかな布が敷き詰められた揺りかごの中では赤子がすやすやと眠りについていた。
大陸中のどこよりも安全なこの場所で、何の危険もなく眠っている。
母親似の美しさの片鱗のあるかんばせに父親譲りの黒髪が少しずつ生え揃ってきているのを見て、ミハエルは口もとを綻ばせた。
「久しぶり、“ダリア”」
折角の昼寝から起こさないように小さく声をかけ、少年はソフィアの対面に腰かけ、差し出されたカップを手に取った。
母親と同じ蒼色のつぶらな瞳を見るのは次に機会に持ち越しだろう。
「ダリアも元気そうでよかった」
「そうですね。わたしもあの人も小さな頃は体が弱かったので心配だったのですが」
言って、慈しむ様な目で揺り籠に触れるソフィアの姿にミハエルは母たる姿を垣間見た。
子供が出来ても見た目は十代の頃と変わらないどこか儚げな美しさを湛えているが、その内には目には見えない芯のような物が感じられた。
「ダリアはあなたに剣を教わるかもしれないですね」
「まだ早いよ。ようやく歩けるようになったばかりなのに。それに……」
一息吐いて、再度口を開く。
「そういうのはやっぱり父親に習うべきだと思う」
「……そう、ですね」
言葉では肯定しつつも、ソフィアはどこか困ったように微笑んだ。
そこに込められた意味がミハエルには痛いほどわかった。
カイ・イズルハの剣は斬殺の剣。命を捨て、ただ斬って殺すことを追求した涯の剣である。
真っ直ぐで、鋭くて、それ故に脆いその剣は、果たして今の時代に必要とされるのか、もっと言えば、排斥されないのか。
よしんば存在を認められたとして、それを継ぐに足る覚悟がダリアに宿るのか、今はまだ分からない。
なにより、カイは己の次をミハエルに託したのだ。
彼が“最後の古代種”の為に残さんとしているのは魂であって血ではない。
だから、もしもダリアにその気があったとしても、カイはミハエルの弟子になるよう勧めるだろう。
「その、師匠は……」
「だいじょうぶ、元気でやっています。ただ生き急いでいる人ですから、この子にも最後までは付き合えないでしょう」
「……それなら」
「ミハエル」
珍しく他者の言葉を遮り、ソフィアは真っ直ぐにミハエルと目を合わせた。
曇りのない蒼海の瞳はダリアをみつめていた時と同じ慈愛の小波を湛えている。
「――あなたが背負う必要はないのですよ」
それは決定的な一言であった。
心が読めなくなったなど嘘ではないかというほど、ミハエルの心情を的確に突いていた。
「わたしたちが表で動けなくなったからと、あなたはアルカンシェルの名も受け継いでくれましたが……それに縛られてはいけません。兄さんみたいな石頭になってしまいますよ」
「……」
「あの人の体についてもそう。あなたのしていることを否定するつもりはありません。ですが、その為に心に傷を負うようなら、やめてもいいのだと思います」
「竜種のことは……」
「推測でしたが。彼らは元より人間よりも遥かに神に近い存在です。魔神が消滅すれば自力で知性を取り戻すくらいは造作もないでしょう」
「……」
ミハエルは応えを返せなかった。
無理をするな。そして、師を戦う“理由”にするな。
ソフィアの言葉は優しくも厳しく、少年の耳朶に響いた。
「心の命じるまま自由に生きてください、ミハエル。わたしもあの人もそれを望んでいます」
◇
離れを辞して客室に案内されたミハエルはベッドに腰かけ、呆と窓の外を見上げていた。
山の向こう、抜けるように青い空には一筋の傷痕がみえる。
うっすらと虹のかかったその傷痕の意味を知る者は多くない。
「自由に生きるってどういうことだろう……?」
我知らず零れた自問に答えはない。
“空にかかる弓”。
一年前、その名を継ぐことをミハエルは迷わなかった。
クルスが当主となり、カイが隠遁する中、次は自分の番であると決意していた。
十四歳で継ぐには重すぎる名だ。無鉄砲ではあっただろう。考えなしでもあったかもしれない。
だが、その決意は本物だった。
そしてこの一年、その名に恥じない活動をしてきたという自負がある。
――弱さを認めて共に歩む道。
それこそが魔導兵器の指し示す未来だと信じ、ミハエルはその道を駆け抜けてきた。
その過程で多くの者を斬り、多くの者を助けた。
今さら生き方を変えられるほど、その背に負ったものは軽くない。
「……いや、違うな。変えなくてもいいんだ。ソフィアお姉ちゃんの言いたかったことはそうじゃない」
この道を進むこともまた自由なのだ。
重荷を背負って進むことで見えるものもある。
ソフィアにとっては兄がそうであるように、そんな生き方を否定するつもりはないのだろう。
故に、問題は原初に帰る。
理由だ。何故その道を選んだのか、何故その道を進むのか。
覚悟の源泉となる理由こそ今の自分に欠けている物だ。ミハエルはそう判じた。
と、その時、コンコンと聞き慣れたノックの音にミハエルは視線を部屋に戻した。
どうぞ、と声をかければブルネットの巻き毛を揺らしてフィフィがひょっこりと顔を出した。
「こんにちは、ミハエル」
「フィフィ、どうしてヴェルジオンに?」
「んー、乙女の勘?」
冗談めかして告げて、フィフィは部屋に入り、ふわりとミハエルの隣に腰かけた。
僅かに肩の触れるその距離は二人のいつもの距離であった。
「浮かない顔ね、ミハエル。どうしたの?」
「うん……」
目敏くミハエルの顔色を看破したフィフィが気遣わしげに尋ねる。
ミハエルは迷ったが、ひとりで考えても埒が明かないだろうと口を開いた。
「フィフィ、僕は何を理由に戦えばいいんだろう?」
「……それは私が答えちゃいけないことだと思う」
「そうだよね。やっぱり――」
「ミハエル」
予想していた答えには、しかし、予想していなかった続きがあった。
気付けば、フィフィはいつもの距離を越え、ミハエルの膝上に乗るようにして距離を詰めていた。
互いの吐息がかかり、体温すら感じられそうな距離で、フィフィは真っ直ぐにミハエルを見つめる。
「私にはあなたの戦う理由がわかるわ」
「…………え?」
「何年一緒にいると思ってるの? 見ればわかるわ。でもね、答えを知ることと納得することは別だと思うの。私が答えを教えても、ミハエルは納得しない気がする」
「中身を言ってくれなきゃ分からないよ」
「じゃあヒントをあげる」
フィフィはまるで口から口へと直接言葉を注ぎ込もうとするかのように、さらに距離を詰めた。
「あなたの戦う理由はきっと世の中を大きく変えてしまう。あるいは、魔導兵器よりも大きく、強く」
「……フィフィ、それは」
「大丈夫」
危険じゃないのか、という問いは慈しむ様な笑みと共に遮られた。
微かに吹く風が、香水と混じったフィフィのにおいを感じさせる。
「あなたがどんな選択をしても、どこに行っても、私はついて行くわ。あの日、屋敷から連れ出してくれた時にそう決めたの。あなたを信じて一緒に進むって。……なんて、ちょっと重いかしら?」
「そんなことない。そう言って貰えると、その、嬉しい」
徐々に零に近付いて行く距離にドギマギしつつもミハエルは言った。
薄皮一枚向こうで、フィフィは喜びに目を細めつつ、囁くように最後の距離を詰めた。
「ミハエルも自分を信じてあげて。あなたの中にある理由は悪いものじゃないって」
「……敵わないな。――ありがとう、フィフィアーナ」
苦笑と共に告げて、ミハエルは目を閉じた。




