10話:試練再び・後編
次の日、ミハエルとベルはエルフの防人に案内されて神樹の幹に開いた試練の洞に到着した。
試練に挑めるのは一度に二人まで。今回、フィフィとマルクは森の前で待っている。
鬱蒼とした森を抜け、改めて神樹を見上げればその巨大さに圧倒されるばかりであった。
「ベル、準備はいい?」
『準備が必要なのは汝の方であろう』
「それもそうだね」
家の一軒は入りそうな巨大な穴を見上げながら、ミハエルは気合を入れ直した。
ただ試練を受けるだけでは少年の目論見は果たせない。
神樹の試練がいつからあるのかは定かではない。少なくともエルフという存在が発生した時には既にあったという。
そして、何千年と繰り返されてきた試練において“試練を選べた”者はいない。
成功すればミハエルがその一人目となる。
できる可能性はある、と言われている。決して高いものではないとも。
だから、あとはか細い可能性の糸を手繰り寄せるだけ。ミハエルは己に賭けてそう誓った。
「行こう、ベル」
『うむ――』
右肩の竜と頷き合い、ミハエルは洞の中へと足を踏み入れた。
◇
――何故、戦うのか。
それはミハエル・L・ディメテルにとって禁忌の問いであった。
少年は答える。
魔神争乱後、拡散してしまった魔導兵器を回収する為だと。
回収はその開発に寄与した己の責任だと。
しかし、それは人を使って行えばいいことだ。それができるだけの権力が少年の家にはある。
さらに、各国は魔導兵器の回収を冒険者に広く依頼している。それに任せてもいい筈だ。
“魔剣士”などと呼ばれる必要は本来なく、そうでなくとも、あと五年もすれば魔導兵器の回収は終わってしまう。
少年は答える。
師の体を癒す手段を見つける為だと。
しかし、それが本当に正しいのかは疑問だ。
なぜなら、本人は元より師の妻や義兄がその手段を探そうとしていないのだ。
方法などないのか、あるいは実行するには問題のある方法しかないと分かっているからか。少年は知らない。だが、推測はできる。
おそらく彼らは、唯一の手段が――竜種という知性を取り戻した者から心臓を奪う行為が人道にもとるものだと分かっていたのだろう。
少年には戦う理由がない。
“神を斬れるのは己だけ”、そんな唯一無二の理由がない。それが悲しかった。
あるいは、家や国を守るために戦うのならばそんな悩みはなかったのかもしれない。
しかし、今、大陸は徐々に平穏を取り戻している。
強大な力はむしろ邪魔になる可能性すらある。アルカンシェルの先代達が表舞台を去った理由の一端がそれだ。
魔物と古代種と、そして、魔神と戦う為に鍛え上げた力を人間に用いることを彼らは忌避した。それはどういう道を辿っても破滅する未来しかないからだ。
ならば、虹の名を継いだ自分は何の為に戦うのか。
恋人や親友まで巻き込んで、自分は何故、旅を続けているのか。
大陸に名だたるその名を継いだ己は何を為したいのか。
その答えを少年はおぼろげながら自覚していた。
『――きろ』
朦朧とした意識に澄んだ音が響く。
琴に似た見た目からは想像できないほど美しい声。
この声を聞きながらまどろむ朝はきっと気持ちがいいだろうとミハエルは思った。
『起きろ、ミハエル!!』
とはいえ、それを許すベルではない。
加減なく放たれた頭突きを受けて少年は痛みと共に飛び起きた。
目尻に浮いた涙を払って辺りを見渡せば、ともすれば指先すらも見失う程の濃い霧に囲まれていることに気付いた。
「……ベル、僕はどのくらい眠ってた?」
『ほんの数秒だ』
「そっか」
濃霧で湿った空気は喉に絡む様でどうにも呼吸しづらい。
腰の剣帯に触れれば、指先に四本の柄の感触が返る。
霧の所為でそれすら見えないが、森の外でフィフィに預けた己の得物が確かにあることは確認できた。
その矛盾はミハエル達が彼岸の世界に、試練の場に至ったことを示している。
神樹の試練は精神世界で行われる。
だが、そうと知らなければ錯覚してしまう程、この世界は真に迫っていた。
(いや、現実がこの世界の影なのかな?)
思案しつつ、ミハエルは指先で柄頭に象嵌された魔力結晶を指で弾いた。
キン、と硬質な高音が周囲に響く。
(反響なし、障害物なし。足元の感触からして地形は――)
「よし、だいたいわかった。動こう、ベル」
『この霧の中で動けるのか?』
着地にもたつきながらも、立ちあがったミハエルの肩に水竜が留まる。
竜が落ちないよう片手で支えながら少年は迷いなく進みだす。
「これでも目はいい方なんだ。師匠も褒めてくれたんだよ」
『ほう? 汝の師は目の良いものに弱いのか』
「なんでそうなるのさ」
霧に隠れて互いの表情は見えない。
けれども、数瞬して、ミハエルは先の発言が竜なりの冗句であったことに気付いて頬を緩めた。
それからどれほど進んだだろうか。体感では一日近い時間が経ったように思えた。
その間、一寸先も見えない濃霧の中をミハエルは己の目と直感を信じて進み続けた。
地面の感触は雲か何かのようにふわふわとして頼りなく、霧は一向に晴れる様子はない。
警戒しつつ、少年は脳裡に先代が試練を受けた時の話を思い出していた。
彼らの時は案内人が“実”の許まで案内を買って出たという。
それが今回はない。おそらく必要ないからだろう。
ミハエルの感応力は既に辿り着くべき場所を捉えているのだ。
『……先に訊いておくべきことだったやもしれぬが』
ふと、長く無言を貫いていた右肩の竜が一日ぶりに口を開いた。
『汝の師は何を患った? 竜の心臓がなければ治らぬなど死に等しい重症ではないのか?』
「それを此処で訊く意味は理解してるよね?」
『無論だ』
ミハエルは僅かに迷い、しかし、隠すべき事ではないだろうと決心を固めて再度口を開いた。
「……師匠はどこか悪いって訳じゃないんだ。命に別条だってない。ただ、体の内側を神様に削られただけだ」
『神……魔神争乱の時か?』
「うん。それが傷なら塞げばいい。病なら癒せばいい。けど、神様に削られた部分は――元からなかったみたいに消されていた」
ミハエルは思わず湧いて出た溜め息を噛み殺す。
師の癒えない傷は神と相対した代償だ。それをどうこう言えるのはきっと本人だけだ。
「色々試したんだけど梨の礫でね。もう竜の心臓くらいしか僕は思いつかなかったんだ」
『その為に竜に挑む汝は命知らずだな』
「かもしれないね」
ミハエルは器用に竜の載っていない左肩だけ竦めてみせた。
たしかに先の一戦ではミハエル達はベルフィオールに圧勝した。
だが、もう一度この水竜と戦えば勝敗はどうなるかわからない。
ミハエル達の手札は殆ど切られている。次があるならこの竜は三重の号令による強化にも対応してみせるだろう。
一方、竜の強みはその莫大な魔力とあらゆる生物の頂点に限りなく近い身体能力だ。わかったところで対処は限られる。
今はまだ、竜と人との関係は薄氷の上に成り立った危うい関係なのだ。
『ならば何故、汝は我を恐れない? 死が怖くないのか?』
「怖いよ、すごく怖い。死ぬのも殺すのもずっと前から怖くてしょうがない。
けど、自分が死ぬことよりも、目を塞いでいる内に何かが喪われることの方が怖い」
己が心の裡を告げ、次いで、ミハエルは本能に従って足を止めた。
うなじをチリチリと灼く感覚がしたのだ。
それは紛うことなき殺気であった。
「怖いから、僕は目を逸らさない。目を閉じない。だから――」
「――来るなら来い、神樹の試練」
瞬間、少年の眼前を閃光が駆け抜けた。
鮮血が迸り、軽鎧を赤黒く染める。
咄嗟に退いた一歩が少年の首を皮一枚で繋いでいた。
『ミハエル!?』
「下がって、ベル!!」
斬風に霧が払われる。
隠されていたその場は地平線の先まで続く澄んだ水面で構成されていた。
沈む様子がないのは精神世界だからか。
ただひとつの例外を除いて周囲には他に何もなかった。
そして、その唯一の例外が軽やかな波紋を残して水面に爪先を触れさせた。
一見して、ソレは異形だった。
言うなれば、刃の魔人。
全身から鱗のように黒鋼の刃を生やした人型。
その両腕は肘から先が緩やかな弧を描く刃となって伸びている。形状からして斬る以外の行動はとれないだろう。
魔物よりもなによりも、これこそがミハエルが最も強いと思う存在。己にとっての試練のカタチ。
音よりも速き人類最速にして“神殺し”。
そして、これこそが水竜を連れて試練を受けた理由だった。
『貴様ァッ!!』
ベルフィオールがミハエルの肩から飛び立つ。
咆哮で魔人を吹き飛ばし、翼のひと薙ぎで霧の残滓を掻き消す。
同時に、その体は一瞬にして初めてミハエル達と出会った時の巨体に戻り、ミハエルを庇うように前へ出る。
そうして水竜が稼いだ時間で少年は手早く首の止血を行った。
「ありがとう、ベル」
『汝の為ではない。我にも分かる。あ奴は――』
「うん、成功だ。あれが、あれこそが――僕の師匠、“カイ・イズルハ”の影だ」
かつて、先代リーダーが相対した試練。その内容からミハエルはこの可能性を感じとっていた。
自身の感応力、黒神に限りなく近づいたカイという存在。
故に、賭けた。そして、望んだ結果を得た。
いわばこれは水竜の復讐の前哨戦。故に、後は勝つだけだ――それこそが最も困難なのだが。
「たぶん、あいつの心臓が“実”になってるんだと思う」
『つまり、逃げる必要はない訳か』
「元からそのつもりはないでしょう?」
『当然だ。千載一遇のこの機会、逃してなるものか!!』
吠声と共に気炎をあげて水竜が突撃を掛ける。
鉤爪が水面を叩き、羽撃く翼が魔力を放出し、大気を引き裂いて竜身をさらに加速させる。
家ほどある巨体による重突撃は敵対者に本能的な恐怖を呼び起こすものだ。
相手が凡庸であればこれだけで決着がつくだろう。
限界まで引き延ばされた一瞬の中で、待ち構えた魔人と全身凶器と化した水竜が激突し――甲高い高音と共に竜身が吹き飛んだ。
宙を舞う青色の鱗が陽光を受けて眩く輝く。
次いで放たれた咆哮は悲鳴か激昂か。
相対する魔人は右剣を振り切った体勢のまま停止している。
頭部さえも無数の刃に覆われたその身からは表情すらも読み取れない。
故に、水竜の巨体に隠れて背後を取ったミハエルは仔細構わず左の雷剣を突き込んだ。
攻撃直後の絶対的な隙に、完璧な間で差し込んだ一撃。
必殺を期した一刺しはしかし、抜き手も見せぬ速さで振るわれた魔人の左剣に切り払われた。
「二刀流ッ!?」
衝撃が体の芯に響く。払われた剣に引っ張られて体が流れる。一瞬の驚きと困惑に次手への対処が遅れる。
気付けば、首の皮一枚向こうに切り返した左剣が迫っていた。
ミハエルは傷が開くのも構わず、全力で上半身を反らして一閃を回避し、そのまま背後に跳んで距離を取った。
頬を一筋の冷や汗が流れ、首の傷から流れる血と混ざる。
(こわいな、これは……)
ミハエルはカイの二刀流を見たことはなかった。
しかし、師の動きからその可能性を読んでいた。おそらくは実戦で十全に使える程度の鍛錬は積んでいるだろうと。
ある意味で、師も認めた目の良さが仇となった形である。
意識が過熱する。口もとに浮かんだ笑みはあるいは震えを隠す為のものか、自分でも判然としなかった。
笑みを浮かべたまま構え直すミハエルに、魔人が接近しようと踏み込む。
しかし、そうはさせじとベルフィオールが上空から落下速度を加えて再度の突撃をかけた。
竜爪と魔刃が鎬を削り、無数の火花が散る。
威力は竜に分があった。水面に幾重もの波紋が起こり、水竜の重突撃を受け止めた魔人の膝が折れる。
だが、技量は魔人の領分であった。
次の瞬間、竜爪を受け流す勢いを乗せた袈裟の切り上げが水竜の右前脚を斬り捨てた。
『ッ!?』
吹き飛ぶベルフィオールは信じられない物をみるような目で宙を舞う己の前肢をみつめ、次いで咆哮をあげた。
直後、竜は水面に激突し、理解を超えた経験にもがく。
慌てて近くに寄ったミハエルは水竜を宥めるようにその長首を撫でた。
「落ちついて、ベル」
『グウウウッ!! あ奴、我の肢を!!』
「落ち着けッ、ベルフィオール!!」
『ッ!?』
時間がない。
一喝し、ミハエルは竜の首を抱え込むようにして視線を合わせた。
「ベル、今のままじゃ僕等は勝てない」
『……』
横目で見れば、魔人は両の剣を構えたまま静止している。
此方の連携が拙いのを見切って各個撃破を狙っているのだ。
まず、その狙いを外さなければ自分達に勝機はない。ミハエルはそれを理解した。
「ひとりとひとりじゃあの人には勝てない。だから――今だけで構わない。力を合わせよう」
影とはいえ“神殺し”の一端。
一対一のままでは死力を尽くしても勝てはしない。
『…………いいだろう。して、どうやって勝つ?』
「――空だ」
竜の問いにミハエルは即答した。
元より銀剣を継ぐ為に、ミハエルはカイを超えねばならない。
故に、カイに勝つ為の試行は幾度となく繰り返してきた。
「師匠の“無間の加速”は空中では完全には機能しない。僕達の速度で師匠に触れるには空中戦に持ち込むしかない」
『奴に遠距離攻撃は?』
「要ると思う?」
『成程、愚問であったわ。……乗れ、ミハエル』
竜は躊躇なく翼を開いて己が背を空けた。
この竜が自ら背を委ねるのはこれが初めてのことであった。
『この一時、我は汝の翼となろう。だから、汝は我の剣となれ』
「うん、一緒にいこう、ベルフィオール」
ミハエルがベルフィオールの背に跨ると、竜は翼を羽撃かせて宙へと舞い上がった。
人竜一体となった二人はぐんぐんと高度を上げていく。
吹きつける風がミハエルの栗色の髪を激しく乱す。
『――――』
魔人に遠距離攻撃がないのなら、上空からブレスを撃ち続ければ勝てるのではないか。
一瞬、水竜の脳裡にそんな甘い誘惑がよぎった。
だが、次の瞬間、宙に焼け焦げた轍を刻みながら駆け上がる魔人の姿にその誘惑は容易く打ち砕かれた。
『お、おい、奴め、空中を走って追いかけてきよるぞ!?』
「今更そんなことで驚かないでよ!! それよりもっと速く飛べない? 追いつかれてる!!」
『くっ……迎撃は任せるぞ!!』
ベルフィオールは余力を捨てて最高速度で飛翔を開始した。
それでどうにか縮まるばかりだった彼我の相対距離が均衡を保つようになった。
瞬間的な加速力は尚も魔人に分があるが、あくまで跳躍の域を出ないその加速には必ず切れ目がある。
そうして必然に生まれる魔人の隙をミハエルは穿つ。
少年は騎乗したまま器用に上半身だけで振り向いて雷剣の切っ先を魔人に向けた。
「――起動、雷撃砲!!」
魔剣がその名に応じて真の能力を発揮する。
直後、眩い雷光と共に宙を走る三連の稲妻が追いすがる魔人に襲い掛かった。
が、即座に魔人は両腕の剣にて雷を迎撃してみせた。
過たず稲妻を斬り伏せるその様はまさしく――
「――“雷切”か!? ああもう格好いいな師匠は!!」
『ふざけとらんで真面目に迎撃しろ!!』
「最初から真面目で本気だよ!! ――起動、水糸剣!!」
景色で瞬く間に流れていく中、ミハエルは左の雷剣から砲撃を連射しつつ、右の鞭剣を振るう。
空という障害物のない空間を陽光を浴びて煌めく水糸が縦横無尽に舞い踊り、斬りかかる。
対する魔人は虚空に焦げた足跡を残しつつ水鞭を回避し、雷撃を切り払う。
視覚では捉えなきれない水糸も、雷速で迫る砲撃も魔人に触れられない。
呼吸すらおぼつかない高速域で飛翔しながらも、その剣線に乱れはない。
(決め手がない。まずいな、このままだと僕の魔力が先に尽きる)
数分後の敗北を予期しつつもミハエルは攻撃を継続する。
空中で水糸と雷撃と魔刃が無数に斬り結ばれる。
雷光が走り、煌めく剣線が大気を切り裂き、風を起こす。
空中という圧倒的に不利な状況に追い込まれて尚、刃の魔人は無傷である。
『アレは本当にニンゲンなのか!?』
「――人間だよ。だからこんなにも怖いんだ」
水竜の絶叫に等しい問いはしかし、即座に背のミハエルによって打ち消された。
相対する魔人に不可思議な所は何もない。
極限まで鍛え抜かれた身体能力、研ぎ澄まされた技量、加速力に一点集中して用いられる魔力、人極の反射神経。
何ひとつとして想像外の物はない。ただその総体が芸術品のような完成度を誇るだけだ。
これが、これこそが人間なのだ。
「でも、幻影だからか本人よりは弱いみたいだね、よかった」
『これでもか!?』
「ハバキリやムラクモが飛んでこないだけ億倍ましさ。だって――」
「――真正面から突っ込んでも勝機がある」
常とは違う歯を剥いた獰猛な笑みを浮かべてミハエルは水竜の背の上に立ちあがった。
正面からの風が叩きつけるように吹くが、背後に向き直る少年の体は揺れない。
鍛え抜いた両足が、根を張るように竜の背を掴んでいた。
「勝負を賭ける。後を任せるよ、ベル」
『――承知した』
答えた次の瞬間、水竜が首を擡げて軌道を変更、追いすがる魔人に背を見せるように空に弧を描いた。
魔人もまた虚空を踏み、落下速度を跳躍力に転換して高度を上げようとする。
その一瞬の停止をミハエルは見切った。
上下逆さまの世界で、竜の背を蹴って飛び降りる。
同時に腰の翠剣が風を放って落下速度を倍々に加速させる。
その様はまるで天から逆落としに迫る流星のよう。
完璧なタイミング、これ以上ない状況での奇襲、まさしく無明の神髄。
上空から見下ろす水竜に至っては決まったと感じたほどだ。
――であるのに、魔人は反応した。
極限の直感が、落襲のミハエルを捉える。
袈裟に斬り上げる右剣に、ミハエルもまた咄嗟に奇襲の一撃を防御に転換する。
落下の勢いを加えた一撃が火花を咲かせて魔人の右剣と激突する。
虚を突かれた空中ではさしもの魔人も踏ん張りきれず、二人は噛み合ったまま落下に入った。
轟と耳元で風がうねる中、ミハエルが上方を取った時には既に、機械的な正確さで振りかぶられた魔人の左剣が頭部を割りに真っ向から迫っていた。
「くっ、このっ!!」
だが、相手が二刀であるようにミハエルもまた二剣を振るう者。
逆手に構えた雷剣で兜割の起点を捉え、全力で押し込む。
互いの双剣が二重の十字に鍔迫り合い、数瞬の均衡が生まれる。
「――起動!!」
故に、それは慮外の一手。
ミハエルは己が叫びを鍵として雷剣の機能を解放。
瞬時に放たれる最大出力の雷撃がばちりと音を立てて己ごと魔人を灼いた。
如何な魔人とて全身を雷撃に焼かれれば動きは止まる。
「―― べ、ル」
その一瞬に、
『――ガアァアアアアアアアッ!!』
過たず、上空の水竜が渾身のブレスを撃ち込んだ。
ミハエル諸共魔人を呑み込んだ青の奔流が天から地へと降り落ちる。
一瞬の後、極大の奔流が水面に着弾し、衝撃と共に巨大な波紋を巻き上げた。
◇
先のブレスで魔力を振り絞ったベルフィオールは体を縮めながらゆっくりと降下していく。
着弾地点は今になってようやく波が治まっていた。
そして、微かに揺れを残す水面に上半身だけのミハエルと粉々になった魔人の残骸が浮かんでいるのが竜の目にも見えた。
『無事か、ミハエル?』
「ブレス撃ちこんどいてそれはないよ、ベル。……うん、ここが夢の世界で本当によかった」
苦笑するミハエルが隣を見遣ると、砕かれた魔人の心臓部分から神樹の実が零れ落ちていた。
ベルが残った左前肢で器用に実を掴む。
瑞々しい緑色の実には傷の一つもない。
「あのブレスを喰らっても無事なんだから、この実も丈夫だよね」
『おそらくは魔人を撃破したことで初めて存在が確定したのだろう』
「そういうものなんだ。……それで、カイの影と戦ってみてどうだった、ベル?」
『……これで影に過ぎないというのだから我も随分な相手に喧嘩を売ったものだと思う』
「後悔してるの?」
『まさか!! 血が滾るばかりよ』
「ううん、まあいっか。別に考え直して欲しかった訳じゃないし」
牙を剥いて吼える竜にミハエルも小さく笑みを返した。
この水竜の抱く復讐心がそんな安い物だとは思っていない。
ただ、下手に暴走する前に己が挑む壁の高さを知ってほしかっただけだ。
その目論見はおそらく成功したのだろう。
此方をじっとみつめる真紅の瞳は落ち着いた色を湛えている。
『……ふむ、こういうのを何と言うのだったか』
「ん?」
無言で何事かを考えていたベルがふと口を開いた。
数瞬して、竜は『……ああ』と納得の声を上げた。
『我らは“相性がいい”という関係なのだな』
「――――」
告げられた言葉に、ミハエルは無意識に目を瞠っていた。
目の前の竜は今、たしかに自分を認めてくれたのだ。
「うん、うん!! きっとそうだよ!!」
『いきなりなんだ鬱陶しい。汝は大人しくしておけ』
試練は終わったのだろう。意識が徐々に薄れていく。
その中でミハエルは満面の笑みを浮かべて、いつまでもベルの肩を叩いていた。




