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刃金の翼・外伝  作者: 山彦八里
孤竜の騎士
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9話:試練再び・前編

 日差しも暖かな帝都の昼下がり。

 道々に工房を構える職人たちも食事を摂りに行き、金槌の音の代わりに賑やかな声が帝都の街を包んでいく。

 五年前より魔物の襲撃は激減したが、否、だからこそ鉄の都の鍛冶製品は大陸に広く流通することとなった。

 襲撃が減ったことにより安価で潰しの効く装備から、割高でも長く使える高性能な装備へと需要が移行したからだ。大陸一の技術力に目が向けられるのは必然とも言える。


 ともあれ、そんな陽性の喧騒からは距離を離した閑静な住宅街に酒場ビフレストはある。

 小さな看板と小さなベルだけを吊るしたこじんまりとした店だ。

 客は多くは訪れないが、その落ち着いた佇まいに惹かれて居着く者は絶えない。

 ミハエル達アルカンシェルも先代の頃から世話になっているこの店とは懇意にしていた。

 その日も、奥のテーブルで待つ仲間達とは離れてカウンターについたミハエルは依頼の完了報告を行っていた。


「――依頼通り、街道の安全確保は出来た。当面はこれで大丈夫だと思う。ただ、知性と本能を取り戻した魔物の行動はまだ注意しておく必要があると思う」

「お前が言うと説得力があるな」


 僅かに白髪の混じった壮年のマスターはそう言って奥のテーブルを、とりわけフィフィやミハエルと共にきちんと席についているベルを見遣った。

 周囲の客達も時折、不思議そうな目で小さな竜に視線を向けるが、店の雰囲気もあってか詮索する様子はない。


「まったく、代が変わってもアルカンシェル(おまえたち)は変わった者ばかり連れてくるな」

「連盟から通達はきてますよね?」

「ああ。こちらとしても関与する気はない、叩き出されるようなことをしなければな」

「ありがとうございます、マスター」


 言って、姿勢よく頭を下げるミハエルに、マスターは微かに目を細めた。

 男の脳裡にはミハエルがまだ十歳の頃に初めてこの店を訪れた時の光景が浮かんでいた。


「めそめそと泣いていた子どもが随分と立派になったな」

「あなたにそう言っていただけるとなんだか大きくなった気がします」

「……酒は飲めるようになったか、ミハエル?」

「多少は」

「良いワインが入った。今日は歌い手も来ている。都合がつくなら開けていけ」

「はい!!」


 その後、ミハエルはさらにいくつか軽食を頼んで仲間の待つテーブル戻った。


「マスターがワイン開けてくれるって。みんな、時間はまだ大丈夫?」

「ええ、大丈夫よ」


 どこか晴れ晴れとした表情の少年をみて、そそくさと隣に椅子を寄せたフィフィは微笑んで頷いた。

 その一方で、対面に座ったマルクは静かに席を立った。


「オレは帰るぞ」

「マルク……」

「腑抜けてた面してんじゃねえよ、ミハエル。オレは仲良しこよしする為にギルド入った訳じゃねえ」

「……ん、マルクがそういうなら仕方ないね」



「――そう言わずに一曲聞いていきなさいよ」



 その一瞬、マルクの耳元で囁かれた声に全員が硬直した。


 直後、マルクは拳を構えて振り返ろうとしたが、先んじて肩に手を置かれ、その動きを止められた。

 細く白く、しかし、弦を張る者特有の硬さを持った手に少年は顔を顰め、油の切れた歯車のようにギリギリと音を立てて振り向いた。


 まず始めに目についたのは後ろでひとつに括られた雪のような白い髪。

 そして、整った顔立ちの中で不思議な存在感を放つ真紅の瞳とどこか茶目っけを感じさせる笑み。

 ミハエル達はその女性を良く知っている。

 すなわち――


「みんな久しぶり。元気してる?」

「イリスさん!?」


 驚く面々にしてやったりと笑みを向け、イリスはひらひらと手を振った。

 先代アルカンシェルのひとり、イリス・セルヴリム=イズルハ。

 ミハエル達にとっては野伏としての技術、すなわち斥候や追跡術の師でもある。

 特にマルクはこっぴどく鼻っ柱を折られておりどうにも苦手意識があり、今もただ肩に手を置かれているだけで借りてきた猫のように大人しく席に着いた。


「今日はどうされたんですか?」

「ん、あの子のお付きよ」


 イリスが指さす先、店の奥におかれたピアノの前にはいつの間にかひとりの少女が座っていた。

 シンプルなドレスを纏って透き通るような緑の髪を後ろで綺麗に纏めた少女だ。

 年はミハエル達と同じ十代半ばにみえるが、どことなく浮世離れした雰囲気がある。

 髪の色と微かに尖った耳と――その背に空気に溶け込んだ透明な翅をみてフィフィが首を傾げた。


「エルフ……じゃない?」

「あ、フィフィとマルクは会ったことなかったわね。まあ、まずは聞いてみなさい。

 ――ああ見えて“水晶鈴(クリスタルベル)”の一番弟子よ」


 イリスの言葉が終わるのと同時、少女はそっと鍵盤に指を這わせた。


 瞬間、店内の全てが音に包まれた。


 外の喧騒が消えたかのように雑音が遠のいていく。

 その中を少女の歌声と流麗な伴奏が泳いでいく。

 儚げな少女の雰囲気からは考えられないほど音の連なりは優しく、紡がれる歌声は体の芯を震わせる。

 歌は豊穣を言祝ぐありふれたものだ。ミハエルも何度となく聞いたことがある。

 だが、果たしてこれほどまでに心動かされたことがあっただろうか。

 風に揺れる麦穂が目に浮かぶような圧倒的な情感があっただろうか。


 結局、ミハエル達――ベルでさえも曲の終わりまで身動き一つできずにただ音の世界に没入していた。


 来た時と同じく、いつの間にか弾き語りを終えた少女は最後にピアノをひと撫でして立ちあがった。

 途端に客達の惜しみない拍手が店内に満ち満ちた。

 音によって伝えられる賛辞に、どこかやり切った表情で少女はぺこりと一礼して舞台を下りた。

 真っ直ぐに此方に向かってくる妖精を、自身も拍手しながらイリスは出迎えた。


「おかえり、シオン。いい舞台だったわ」

「――ただいま、イリス、ありがとう。――このひとたちは?」

「後輩よ」

「――シオンはシオン、よろしく」


 澄んだエメラルドの瞳で四人を順々に眺めてシオンは名乗り、そのまま光の粒になって消えた。

 驚く面々を横に、イリスだけは形の整った眉を顰めた。


「あら、もうそんなに時間経ってたかしら」

「いえ、あの、イリスさん。今の人は……?」

「クルスに憑いた妖精よ。最近は随分離れて行動できるようになったから連れて来てみたんだけど……まだまだ単独行動は難しそうね」

「妖精!? あれが……」

「ええ、といっても、もう私よりも人間寄りの存在だけどね」

『――ほう?』


 独り言のように呟かれた言葉にそれまで沈黙していた水竜が首をもたげた。

 イリスも小竜の視線に気付いたのか、互いの真紅の瞳を覗き込むようにして視線を合わせる。


『やはり、汝も古代種の係累か』

「……へえ、竜種でも感知できるのね」

『汝の方が血が濃いからな』

「たしかに。あなたが三世なら、私は二世だものね」


 言って、イリスの猫のような笑みが戦意を帯びた肉食獣のそれに変わる。

 応じるように、水竜も秘かに小さな体の内に魔力を循環させる。

 未だシオンの演奏の余韻を残す店内で、二人の位置するテーブルだけが静かに緊迫感に包まれる。


 その空気を破ったのは意外にもフィフィだった。


「あの、ベルがどうかしたんですか、イリスさん?」

「……ううん、気にしないで」


 気遣わしげに尋ねる少女に警戒態勢を解除したイリスが手を振って答えた。

 傍で見ていたミハエルとマルクもまた息を吐いて浮かしていた腰を落とす。

 が、イリスが懐に手をやるのを見て慌てて席を立った――その笑みに気付かずに。


「二人とも緊張し過ぎねー」

「心臓に悪いよ、イリスお姉ちゃん……」


 悪戯に成功してにやりと笑うイリスに、ミハエルは言葉を繕う余裕もなく脱力して今度こそ席に着いた。

 僅かに遅れて状況を理解したマルクも溜め息を吐いて再び席に着く。

 そんな二人を見下ろしたまま、イリスは懐から一通の手紙を取り出した。


「はいこれ。頼まれてた奴ね」

「あ!!」


 手紙を受け取ったミハエルは早速、連盟支部長の印蝋を外して内容を確認する。

 そして、自分の要求が通ったことを理解して満面の笑み浮かべた。


「ありがとう、無理言ってごめんね、イリスさん」

「条件付きだけどね。ま、竜との対話の為って言って断る人なんかいないでしょう」

『――我との対話?』


 しれっと矛を収めていたベルがミハエルの顔を窺う。

 首を傾げる小さな竜に和みながら少年は手紙の中身を明かした。


「――ベルは“神樹の試練”って知ってる?」



 ◇



 神樹の試練とは、神樹の根元にある『試練の(うろ)』に入り、年に一度結実する『リンドバウムの実』を取って来るというものである。

 この試練を通して神樹は緑神より豊穣の加護を受け、その加護によって数千年を枯れずに過ごしている。

 そのため、特に聖域の守人たるエルフ達にとっては重要な儀式であると言える。

 一季節の間に誰かが一度でも成功すればいいので、儀式に参加する敷居自体はそこまで高くない。

 とはいえ、一応は聖地を守護する緑国からの依頼である為、ギルド連盟においては二級以上かそれに準ずる実力を持つギルドに依頼することとしている。


「――つまり、僕達だけだと格が足らないから、イリスさんに推薦を頼んだってことだね」

『人の世の仕組みという奴か。煩わしいことだ』

「慣れればそうでもないよ」


 言って、神樹の枝を掴んでミハエルは軽やかに跳び上がる。

 二段三段と枝を軽快に枝を蹴って登る。

 神樹の木肌は瑞々しく、ともすれ滑り落ちてしまいそうになる。

 ミハエルとベルは今、神樹の幹を登っていた。


 ひたすら登り続けること既に数刻、気付けば視界は緑国の首都を一望できる高さに至っていた。

 下を見れば、常は見上げている木々が豆粒のように小さくなっている。

 空気が薄く、雲が近い。わずかに肌寒さを感じる中でミハエルはほうと感嘆の息を吐いた。


 視界いっぱいに広がる地平線の向こうまで見渡せそうな絶景。

 緑国らしい森の点在する大地と緩やかな曲線を描いて彼方まで続いている街道。

 この世界で今、自分と隣に浮遊している水竜だけが見ている景色であった。


「すごいな。フィフィ達にも見せたかった」

『翼のない者ではここまで登るのも一苦労だろう』

「この景色は苦労する価値があると思うけどね。……さ、仕事に移ろう」


 言って、ミハエルはベルの背に括りつけられていた黒曜石の鋏を手に持った。

 ミハエルの身長ほどもあるそれは“神樹の剪定”を行う為のものだ。

 表面を磨き上げられたそれは一見して金属製かと思うような光沢と持ち上げればミハエルでもふらつく程の重さを内に秘めている。

 これを背負って雲にまで届く神樹を登るのは如何なミハエルとて危険であっただろう。水竜という自在に空を飛べる力持ちの存在は身に沁みるほどありがたかった。


 神樹の剪定、それこそが試練を受けるにあたり、ミハエル達に課された条件だった。

 再誕と豊穣の加護により永遠を生きる神樹とて無限の生命力を具えている訳ではない。成長し続ければ、いつか己を維持できなくなる日がくる。

 故に、聖地の防人たるエルフ達は定期的に伸び過ぎた神樹の枝を剪定している。

 今度はベルの存在を加味して、防人でも容易に手を出せない神樹の上部の剪定をミハエル達は依頼されていた。


「この鋏、何で石でできてるんだろう? 鉄じゃダメだったのかな?」


 さくり、さくりと枝を断ち、落とした枝をベルの負う背負子に載せながらミハエルはぼやいた。

 雲と殆ど同じ高さにありながら、枝を踏み、命綱なし歩む少年の姿には緊張は見られない。


『おそらく神樹の性質故だ。こやつは裡に多様な属性を孕んでおる。そこに鉄の錆びや血の穢れを持ち込んでいらぬ属性が励起されるのを避けたいのだろう』

「成程、ベルは物知りだね」

『この程度、視ればわかることよ――ではなく』


 器用にミハエルの隣に滞空していたベルがはっと何か気付いたように頭を上げた。


『何故、我が荷物運びをせねばならんのだ!?』

「え? でも、早く試練受けたいからできる手伝いはするって言ったよね?」

『そ、それは前回のように木っ端を薙ぎ払う話かと思って……』


 徐々に首と視線が落ちていく水竜をミハエルは苦笑しながら眺めていた。

 ベルフィオールという存在はなんだかんだで人間社会に適応しつつある。

 だが、それはアルカンシェルという抑止力の下にベルが甘んじているからだ。

 竜種に神はいない。彼らが戴く筈だった神は五年前に斬られている。

 相容れないが故に、斬られたのだ。

 この竜の復讐心がそれに由来するものであったなら、このような関係にはならなかっただろう。

 ミハエルはそこに運命の妙を感じた。


「……枝は落とさないようにね。これ一本で殺し合いが起きるくらいの価値はあるから」

『フン、浅ましい話だな。――む』


 そのとき、ベルは背負子からずり落ちた一枝を首を伸ばしてぱくりと咥えた。

 絶妙な加減で甘噛みされた枝は、鎧すら砕く竜牙に挟まれて落下を免れた。


「ごめん!! 大丈夫、ベル!?」

『む、むぐ……』


 口を開けようとして枝の存在を思い出してベルは再度口を閉じた。

 そして、枝を咥えたままこころなしか竜の目がとろんと緩むのを見てミハエルは慌てて牙の間から枝を抜き取った。


「ベル、食べちゃ駄目だよ。お腹壊すよ」

『いやしかし、この芳醇な魔力の味わいは他では中々……』

「駄目だからね!? あ、こら、何で幹に近付いてるのさ!?」



 結局、剪定には丸一日かかった二人であった。


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