黒人騎士の自説
騎士は高潔であるべし。
気高く掲げるその言葉はなにもバーランド王国騎士団だけではないのだが。
その点でいうならばもっぱらザードック・モリスの評判は良かった。
品行方正で質実剛健。
誰からも信頼を得ていて、誰に対しても優しいと皆口を揃えて言う。
彼が国王に忠義を誓ってから日は長い。
バーランド王国騎士団が今の状態になるまで紆余曲折を経ているが、現在の形になる前から彼は居た。
最近まで騎士団長を務めるも、彼の推挙から数年前からエリク・オルフォードにその座を譲っている。
その後は現役を半ば退きつつも、若き騎士団長を助けていた。
訓練の際は厳しく。城内では荘厳であり。戦場では献身的であった。
エリク・オルフォードにとって、彼こそが騎士の在り方の目標であり尊敬の対象だった。
その彼、ザードック・モリスは自室で死亡していたことがエリクに知らされたのは、彼が死亡してから翌日の早朝のことだった。
「モリス補佐……」
ザードック・モリスの部屋で彼の無惨な亡き骸を見るエリクは、唇を噛んでは眉間に皺を寄せた。
視線の先の亡き骸は、城外にいるわけでも訓練時でもないので鎧は脱いでいる。青のクロスと茶のボトムス。しかし、仰向けの彼の服装は妙に着崩れている。
「利き腕の外傷が気になりますが、致命傷であると思われる腹部に刺さった剣は恐らくーー」
「モリス補佐が自ら刺した……か」
「はい」
治癒者と騎士たちが出した見解のまとめはエリクを混乱させた。
(モリス殿が……。モリス殿とあろうお方が、自害なされたなどと……)
何故。
「魔術の痕跡は?」
治癒者は首を振った。ここで魔術を使った痕跡は無いのだという。
こういう不可解な出来事は魔術がらみが多い。
しかし、その線もないようだ。
利き腕の外傷、ザードックの右腕には骨には届かないまでも深い切り傷があった。
剣によるものだろう。
これが鍵を握っているとエリクは予想するが。如何せん、答えを導き出せない。
亡き骸から腐敗臭が放たれ、換気していても無駄なほどに臭いが漂っている。
周囲の騎士には涙している者も少なくない。
ザードック・モリスを父と思い慕っていた騎士も居る。
この場から一度離れ、周囲を調べてみた方が良さそうだと思い。
エリク・オルフォードは開いている扉へ向かって部屋を出ようとした。
「待ってください団長。これを」
エリクは呼び止めた騎士の方へ振り向くと、騎士は両手をエリクに寄せてきた。
「これは、髪の毛か?」
「はい。モリス団長補佐のクロスに付いていたものです」
ザードック・モリスの髪は鮮やかな銀色だ。
しかし、エリクが手渡されたその一本の頭髪は、掌に乗せて良く見てみるとわずかに色が違う。
青鈍色だった。
「この長さ、女のようだが」
男でも髪を長くしている者は多いが、今手にしているこの毛は背中や腰にまで届くであろう長さだ。
「この色の女性というと……!」
手渡した騎士は気付いたようだった。
それまでピンとこなかったエリクも、騎士の反応を見てから気付いた。
「団長、もしや——」
「——待て。……充分だ、先ずはモリス補佐を弔ってほしい」
その様子を聞いていた周囲の騎士も、各々が思いを胸に抑え、ザードック・モリスを弔うために動き始めた。
周囲を見渡したあと、エリクは部屋を出た。
(彼女は今日から別の都市に配属される。まだこの城から出てなければ良いのだが)
彼女。
同盟国のアベルタ騎士団から転属してきた女性のことだった。
その彼女と話をするべく、エリクは宿舎へ向かった。
大国のアベルタと、小国のバーランド王国。他国からみれば、バーランド王国は従属国そのものだった。
物資や資料の保管から、兵力の貸し出し、それどころか国家間での騎士団員の異動までしている。
王国と呼ぶには威厳の失墜が甚だしい事態にあった。
しかし、バーランド王国の南東に位置する国、アクテラ王国はバーランド王国とは敵対国である。
アクテラ王国はバーランド王国の二倍の面積を持ち、兵力もバーランドを凌ぐ数を抱えている。
そのアクテラ王国の牽制役としてアベルタは充分なほど機能していた。
威厳を失う代わりに、平和を得ているのである。
アベルタと同盟を組んでからは、アクテラとバーランドの間には大きな国境の壁が建てられ、不可侵が暗黙に約束された。
恩のあるアベルタから、騎士団員ときには官吏の転属を受諾する他に道はバーランドにはなく。
転属、しかし実情は転属という名を借りた左遷がこの2つの国の間で一方的に行われていた。
送られてくるのは決まって一癖も二癖もある人間ばかりで、バーランドの城内のストレスでもあった。
そして最近、ひとりの女性がやってきた。
黒人女性で背は高く、表情は凛としている。
青鈍色の髪は束ね、後ろに丸くまとめている。
どんな理由があってこちらに“飛ばされた”のかはバーランド側の人間は知らない。
同時期に、アベルタの第二王妃暗殺事件が起こり、その犯人と言われている人間も黒人である。
恐らくはそれに関係しているのかもしれないと、エリクは憶測を立てていた。
ザードック・モリスとも何か関係がある、とも。
「いるか?」
女性用宿舎一階の最奥、彼女が借りている部屋の扉を叩いた。
「はい。……団長でありますか。どうぞ」
生真面目そうな声が部屋から響く。
エリク・オルフォードは扉を開けると、そこには荷造りしている黒人女性が居た。
「シャニス・ガルシアと言ったかな?」
「覚えていただけるとは光栄です。団長殿」
言葉とは裏腹に、あまり嬉しそうな顔はしていない彼女、シャニス・ガルシア。
手を止めて、エリクの方へ体をまっすぐ向ける。
そういう人物なのだろう。また、エリクは彼女の目を見て悟った。
「どうやら、覚悟はしていたみたいだね」
「……」
(いや、もしかしたらしらを切るつもりかもしれない)
「シャニス。昨日の晩あたりにザードック・モリス騎士団長補佐がお亡くなりになった」
「……存じております」
「知っていたか。それでだ、モリス補佐が着用していたクロスに君のと同じ色の髪の毛が付いていた」
「おそらくは私のでしょう」
シャニスはエリクの言葉にあっさりと答えた。
「君はモリス補佐の死に、何か関係しているかね」
「……」
「……」
答えない。いや、答えようとしているのかもしれない。
エリクはシャニスの言葉を待った。
「関係しています」
分厚い皮を少しずつ削いでいくような問答だった。
「君が殺めたのか?」
「そうと取って差し支えないでしょう」
じれったい答えが続く、が。エリクはシャニスの性格をなんだか掴めた様な気がした。
あくまで真実を答えるが。自分に有利になるようには答えない。
「シャニス。君とモリス殿と何があったんだ?」
「……」
彼女がしていた荷造りは、衛星都市へ向かうための準備ではないのかもしれない。
少しの間のあと。
彼女は諦めた様に一度深呼吸をし、淡々と話しだした。
「自然界に至純たる白と黒が存在しないように。人間の心の内にも、醇乎たる善意だけで生きる人も、一重の悪意にのみ生きる人も、この世には存在しないと私は考えています」
意を決して出たのは、彼女の自説だった。
つまりは、善い人にも悪い部分があるし、悪い人といわれる人にも善い部分はある。という考えで外れてはいないのだろう。エリクはそう受け取った。
「一理ある」とエリク。
「それで、モリス補佐となにか関係が?」
「私は先日、ザードック・モリス騎士団長補佐に部屋へ招かれました」
話しはじめるシャニス、表情は変わらず、淡々と。
エリクは聞くに徹した。
前日の夜、ザードック・モリスは急遽、彼の部屋にシャニス・ガルシアを呼んだという。
シャニスは洋服と肌着であることを無礼と思ったが、ザードックは意に介さずそのまま通した。
ザードックの口上は歳や肩書きに相応しい立派なものだったが。彼女は次第に彼の言葉の裏を理解したという。
ザードックはシャニスの体を目当てに口説いていたが、シャニスが動じないと見るや今度は脅迫を交えて迫ってきた。
熟れた口振りから、どれほどの人数の女騎士あるいは城中の侍女に手を出していたのかは想像に容易かったという。
或はシャニスが昇進に興味があったり。金銭欲があったのならば、喜んで差し出したのかもしれない。
もしも、アベルタ騎士団に未練があったり、故郷に愛する人が居たというのなら泣きながら体を許したかも知れない。エリクの名前も利用していたとも。
しかしシャニスは動じず、ザードック・モリスの誘いを端的に断った。
いよいよ堪えきれなくなったザードックは強行手段にでた。彼は今までこうも上手く行かないことなどなかったのだろう。半ば狂乱状態だったのかもしれない。
ザードックはシャニスの胸に手をあて、腰に手を回して自身へと引っ張ろうとした。
そこへシャニスは膝蹴りをして、ひるんだザードックを突き飛ばした。
頭に血が上った彼は剣を取り出す。
「君は素手だったのだろう? モリス補佐はそこらの剣士では相手にならない程の達人だ」
「ふ、例え功名高いザードック・モリス殿といえど、前屈みの男に私は遅れはとりません」
「……なるほどな」
剣を奪い、利き腕を負傷させた彼女はそのままその場を離れた。
エリクが思うに、口説くことにも手篭めにすることにも、あげく持っていた剣を奪われ自らが負傷することも。周知の事実となったらザードック・モリスは生きてはいられないのだろう。
負った傷は、次に誰かに会えば答えなければならない。
嘘で隠し通せはしないと判断したか。
彼は自決を選んだ。
一連の流れは話終えたようだ。
これでもエリクが想像しうる範囲で補正が掛けられている。
あくまでシャニスは事実は話しても、相手を不利にしたり貶めたりするような言葉を極力避けて喋るため。常に遠回りな言葉になる。
衝撃的だった。
騎士の鑑であるザードック・モリスの裏の顔を知ったことがやはり大きいが。
このシャニス・ガルシアという人物は……高潔というか潔癖というか。
優秀なのだろう。
しかし、その高潔さは、エリクにとっては怖くも感じた。
「人の善悪は割合の問題だ」と言うような自論を唱えておき、遭遇した悪事に対して容赦はしない。狙ったのではないのかもしれないが、自殺にまで追い込んでいるのだ。
アベルタ騎士団でどんな辛い思いをしたのか想像はできない。
ただわかるのは、このシャニス・ガルシアは悪意に塗れた周囲に晒されてたのだろう。
それゆえ、悪意を許すことができず、善意を見る事もできなくなっているのではないか。
エリクはそう感じた。
後日、侍女の証言や新しい証拠など、シャニスの証言を裏付けるものが出てきた。
彼女は被害者だ。ザードック・モリスの自業自得である。
しかし、エリクはシャニスを怖がった。
無論、エリクは何もやましいことなどしていない。
それでも、彼女と向き合うと常に秤に掛けられているような気分になり、得体の知れない恐怖があった。
エリクは彼女を王都警備兵の監視役に命じ、なるべく騎士の仕事から遠ざけることにした。
いろいろとスッキリしない話になってしまいました。
場合によっては消すかもしれません。