地上への道案内
「この滝軽市の大まかな造りを説明すると……」
下りのエスカレーターは人がひしめき合って下ってくる。
しかしぼくたちがのぼるエスカレーターにはほとんど人はいなかった。
ぼくたちは上がりエスカレーターをさらに歩いてのぼる。
のぼりながら、ぼくは彼女に話しはじめた。
「だいたい、地下330階ほどまでのいわゆる大深度地下都市なんだ。いまぼくたちがいるのが地下298階。ここから250階まで上がると、吹き抜けの空間があるんだ。吹き抜けの空間に、200階建ての大きな建物が入ってるのをイメージするとわかりやすいかも知れない」
「……ううん、いまいちイメージがわかない」彼女は難しそうな表情をする。
「とにかく、その巨大な建物の頂上が地下50階で、そこからさらに50階分上がると地上に出られる」
ぼくの説明を聞きながら彼女はなんとかイメージしようと努力しているようだった。
「地上までの直通の移動手段はないんだ。非常用のものはあるかもしれないけど、ぼくは場所を知らない。まず、吹き抜けのところまで行って、その建物にはロープウェイみたいに斜めに上がっていくモノレールがあるから、それに乗って地下250階から地下180階まで行く」
「250階から、180階……」
「そこからは、もし使えればエレベーターで、使えなければエスカレーターで地下50階まで上がろうと思う」
「…………ありがとう」
女の子は、ぼくの方を見て微笑んだ。少し歯並びの悪い、でも白くてきれいな歯がのぞく。
かわいい女の子だ、と思う。でも、それだけじゃない。クラスメイトの女子とは、どこか雰囲気が違う。オーラがあるっていったら間違いなく大げさだけど、なにか――うまく云えないけど――いい感じがする。
「……そういえば、どうして」
それとは別に、ぼくが彼女に気になっていたことを聞こうとした瞬間だった。
上の方から、
「邪魔だ!」
という声が聞こえ、驚いて言葉が止まった。
上りエスカレーターを、逆送して下ってくる若い男がいた。
表情は必死だ。
あわててぼくと女の子とは横によける。
エスカレーターの幅は広めで、男はぼくらの横をすり抜けていった。
あきれてぼくは男の背中を見送る。
すごい勢いで駆け下っているように見えるわりには、なかなか降りていけないでいるのが滑稽だった。
「みんな、必死だね」
女の子はつぶやいた。
ぼくたちは、エスカレーターをどんどんのぼった。
先程の若い男と同じ発想の者が、何人かいた。下りエスカレーターが人でいっぱいなら、空いている方を下ればいいという、たくましい考えの人たちが。
そんな人たちを避けながら、ぼくたちが地下260階まで上ってきたときだった。
「うわっ?!」
「なに?!」
ぼくと女の子は前に転んで手をついた。
エスカレーターが、急に停止したのだ。
「停まっちゃった……」
女の子がつぶやいてまわりを見渡す。
「停まっちゃったね。……しかたない、歩いてのぼろう」
ぼくは彼女をうながし、歩きはじめた。――が、
「あいた」
つんのめって再び手を前についてしまった。
「……歩き、にくい、ね」
いままで動いていた階段が急に動かなくなって、感覚がずれてしまっている。強い違和感。
だけどしばらく歩いていると、これが動くエスカレーターではなく、単なる階段なんだと思いこむことに成功し、普通に歩けるようになってきた。
腕時計を見た。
12時28分。
ぼくは彼女に、さっき聞きそびれた質問を改めてすることにした。
「……きみは、どうしてこんな状況で、地上に出たいの?」
女の子はちらっとぼくの方を見て、それから話しはじめた。
「……わたしね、紫外線にすごく弱い体質なんだ。ひどいやけどになっちゃうから、お医者さんに昼間外に出るのを止められて、それで地下都市に引っ越したんだ。まだ六歳とか、それくらいのちっちゃいときだったな」
彼女は続けた。
「だから、もう十年以上、地上にはまったく出てなかったの。行けるところはここみたいな地下街だけ。外が見たいなぁって、ずっと思ってて、自分でも思ってる以上にその気持ちが強かったみたい。『地球が滅びる』って聞いて、もうすぐに、あっ外に行かなきゃって思ったんだ」
彼女はそう云ってぼくの目を見た。
「わたし、望月あかね。月を望むでもちづき、草冠に西であかね。あっ、でも“あかね”はひらがななんだけどね。――地上への道案内、いきなり頼んじゃってごめんなさい。すごく助かる。引き受けてくれてありがとう」
あかねと名乗った彼女がぼくに礼を云った。
……ひらがなならどうしてわざわざ「草冠に西」って説明がいるんだろうか?
「あなたは、名前なんていうの?」
聞かれてぼくは、ズボンの後ろポケットに入れていた地下鉄の定期券を取り出して、彼女に見せた。
「まつもと――つくし」
「つくしじゃない、つくふみ!」
「“つくふみ”か。あ、ホントだ、ふりがなふってあったんだね。……“つくし”の方が可愛いけどな」
「可愛いとかの問題じゃないだろ」
「いいじゃない、つくしで」
あかねは楽しそうにそう云うと、ぼくを追い越して先にエスカレーターをどんどんのぼりだした。
「さ、がんばろ! あと何階のぼればその吹き抜けの所の建物まで行けるの?」
「えっと――」
次の階まで上がり、階数表示を確認する。BF257。
「あと7階分だね」そう答える。
あかねは何も云わずにうなずいて、ぐいぐいエスカレーターをのぼる。
ぼくはあかねの背中に声をかけた。
「もうひとつ聞いていい? そのカッコ、学校の制服なの?」
「これ? あ、そっか、そのまま来ちゃったからな……」
あかねは云われていま気づいた様子でつぶやいた。
「わたしね、今日お芝居の舞台に立つとこだったんだ。学校での部活で演劇やってるの。今日はこの街にある市民会館で行われる予定だった合同演劇祭に出場することになってたの。世界が滅ぶってニュースは、楽屋から出て舞台袖にスタンバろうってしてたときに聞いたの」
演劇部か……。どうりできちんとした発声法が身についているはずだ。
「だから、これはステージ衣装。これね、衣装部の子が作ってくれたの。その子昔はコスプレにハマってたことがあったんだけど、なんか違うって思ってお芝居の衣装作りに参加したらこっちの方がしっくりきたみたいで、すごいでしょ、このスカートもネクタイも、全部その子の手作りなんだよ」
自慢げにそう云ってあかねはスカートを広げてみせた。
ぼくは急に恥ずかしくなって目をそむけた。