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一生のお願い


 騒然とした駅構内。ぼくは人々を避け、壁づたいに移動する。


 混乱していた。頭がまったく働かない。


 人が多い。人いきれにむせかえる。



 世界が滅ぶ?


 太陽風?

 地球の大気が吹き飛ぶ?

 地球が丸焦げになる?


 一体どういうことなんだ?!



「世界が滅ぶ」――つまりは、ぼくも、人類も全て死ぬということだ。



 なにをすればいいのだろう。神様や仏様に祈ればいいのか?


 ハリウッド映画の古典的なパターンのようには地球は救われなかったらしい。ホントにバッドエンドな物語はぼくは見たことがない。ホントに世界が滅ぶ映画もマンガも小説も、見たことはなかった。



 ぼくはいま、なにをすればいい?



 答えは簡単だ。――なにをしても、無駄ということだ。



 人々は皆、そんなにいそいでどこへ行こうとしているのだろうか。


 人だかりができている。


 エレベーター乗り場の方だ。


 バーゲンでよく見る光景と異なる点は、人間の形相の必死さの度合いと、人が本気で人をぶん殴ったりしている点だろう。


 ただ、人々の移動の方向はてんでバラバラというわけでもなかった。流れがあって、それに逆らわなければ移動はできた。


 スーツ姿のサラリーマンの後ろをついて歩く。


 エスカレーター方面を見やる。


 こちらも人がわんさか混み合っている。


 身長が175cmあってよかった。おかげでなんとか周囲を見渡すことができる。


 皆、できるだけ下の階へ行こうとしているのだろう。――あ、そうか。核シェルターが地下にあるとかいっていたな。そこを目指すのか。


 ぼくは、ズボンの前ポケットに入れていた携帯電話を取り出した。自宅の番号を出し、かける。


 ……留守番電話だ。


 母の携帯電話の番号にかける。……通じない。


 続いて姉、父の番号にもかけてみたが繋がらなかった。


 ぼくはぼんやりとした頭でふらふらと、階段の方へと歩いた。



 大きな下り階段。死にもの狂いで下っていく人々の濁流。



 ――――気づくと、ぼくは踊り場で足を止め、立ちつくしていた。


 血走った目のおばさん。


 泣き叫びながら父親に引きずられる背の高い少女。


 駅員の制服を着た人たちも、なにも持たずに、すし詰めの人波の一部となっておりてゆく。


 ぼくも行かなければ。


 握りしめていた携帯電話をズボンのポケットにもどし、木の手すりに触れながら歩き出そうとした。



 そのときだった。



「……?」


 下へと進む人々の流れに逆らい、一人だけこちらへ――上の方へ階段を上がってくる者がいる。



 女の子だ。



 人々にぶつかられながら、それでも上の方を見上げて歩いてくる。


 変わった格好をしていた。黒い背広に白いシャツ、そして黒いネクタイをしている。


 下は、黒のプリーツのスカートに、ひざより上まである長い黒のソックス。黒い革靴。


 上半身だけなら男の人のお葬式に行く格好だ。いや、もしかするとそういう制服なのかもしれない。


 色白だ。さらさらの黒い髪の毛は肩くらいまでの長さ。



 こっちを見ているように感じた。――だって、目が合ってる。


 女の子は、あきらかにぼくの方を見て、そしてこちらを目指してのぼってくるように見えた。


 女の子は、ぼくの目の前までやって来た。


 ひと息ついて、呼吸を整え、女の子は口を開いた。



「お願いがあるの。一生のお願い」



 宣言するようにはっきりと、そう云った。

 少し乱れた黒髪。

 充血がわかる両の瞳。

 ほおが上気して、汗が額に浮かんでいる。


 そしてぼくは、彼女の次の言葉に耳を疑った。



「わたしを、地上に連れていって!」



「……え……?」


「お願い! わたし、この街には今日はじめて来たからよくわからないの。あなた、ここに住んでるひと?」


「いや、オレ、住んでるの布寺だから。……まぁ、三年ほど前まではこっちに住んでたけど」


「よかった……! じゃあこの街には詳しいよね! お願い。こんな状況じゃ、ひとりで地上までたどり着ける自信がないの。いい?」


 女の子はぼくに食らいつくようにまくし立てる。


「えっ……いや、オレは……」


 しどろもどろ。


「地球が死んじゃうってのは、知ってるんでしょ? お願い。わたしどうしても地上に行きたいの。――外に出たいの!」



 訳のわからない女の子の懇願に、面食らっていた。


 ここからさらに下の階の、核シェルターにいても、地上にいても、多分死ぬ確率は「100%」で変わらない。それはそうなのかも知れなかった。


 でも、地上に行って、なんになるっていうんだ――



「オレ、下の階に行かなきゃ……」



 女の子は下唇をかみしめて、ぼくを見つめる。まだあきらめていない顔だ。


「……お願い。時間がないの」



 だけどぼくは、



「オレは――行けない」


 と答えた。


「…………」


 女の子の顔から、すうっと表情がなくなった。


 視線がぼくから離れ宙を惑う。


 力の入っていない半開きの口元から言葉が漏れる。



「そうなんだ。……わかった。うん。……じゃあね」



 彼女は視線を下に落とし、それから再び上の階の方を見上げた。



 人々の流れに逆らって、上に行くのだろうか。……ぼくには関係のないことだけど。


 彼女が階段を上がりだすとき、すれ違う彼女の肩がぼくの胸にぶつかった。


 彼女は何も云わず、階段の手すりを握りしめて一歩ずつ、のぼっていった。


 ぼくは、その後ろ姿をしばらく見ていた。



 ……世界が滅ぶこのときに、どうして彼女は地上に出たいのだろう? 話だと、地球は太陽風の直撃を受けて丸焦げになってしまうんじゃなかっただろうか。



 なんだか全てがぼくの理解を超えていた。頭のキャパシティを超過して、事態に目を回している。


 夢を見てるのならいいのに……と、ひとすじの希望のように考えた。


 小説とかなら「夢オチ」は反対派のぼくだけど、この現実が夢だっていうんなら、夢オチ賛成だ。


 思考は停止している。

 停止していることだけを考えている状態だ。

 思考が停止していることを考えているわけだから、厳密には思考は停止している状態に近い状態と云うべきか。


 ……何を云ってるんだ、ぼくは?


 核シェルターに入れば、いくらかでも生き延びる可能性があるのだろうか。


 よくわからないが、ここでぼーっとしていたら、少なくとも100%死ぬというのなら、念のためより下の階へ向かった方がよいのだろう。



 階段を、人の流れに沿って下っていく。

 ぼんやり歩くぼくは他の人の邪魔のようだった。何度か下ってくる人に後ろから押され、足を滑らせそうになった。


 フロアーの階数表示はBF302となっている。階段は狭くなっていた。


 このままみんなについて行けば、核シェルターのある場所にたどり着けるのだろうか。そこには、母さんや父さんや姉さんは来るのだろうか。



 ――思えばあまりにもぱっとしない人生だった。


 この街には小学校5年生の春に引っ越してきた。

 この地方では最大の大深度地下都市。


 最初来たとき、地下にあるにしては空間を多く確保してあるから、とても土の中にいるとは思えなかった。噴水や、植物の蔦でおおわれた壁、地上から採り入れられる間接的な日光。


 でもしばらく経つと、それまで暮らしていた地上の町とは決定的に違うところがあることに気がついてきた。


 ……地下には、風が吹いていない。


 雨が、降らない。


 太陽のまぶしさに目をしかめることも、ない。


 だけど、そんなこの街で中学二年の一学期の終わりまで、過ごした。


 手ひどいいじめに遭っていた。当時は本当に、死にたいって考えていた。


 父さんの転勤で運良くいま住んでる町に引っ越した。

 それからぼくはいろいろと器用になったようだった。

 人との距離の取り方をおぼえ、死にたいという想いが一時の気の迷いだったと思えるようになった。


 高校二年になってからは、嫌な思い出のあるこの街に、二、三週間に一度はこうして図書館や本屋に来るためにやって来るようになった。



「……あ」


 弱く、音楽が聞こえた。


 いつも耳にする曲だ。そう、正午になるとながれる曲だ。


 姉がピアノで弾いてたことがあったな。

 タイトルは知らない曲だったけど、のんびりした、好きな曲だった――。


 知らず、涙がほほに流れ出していた。


 そうだった。世界は今日、なくなってしまうんだった。

 それは、恐ろしいことに、好きな歌も、好きなマンガも、小説も何もかも消えてしまうってことだ。


 てんとう虫も赤とんぼも、ヤモリも馬も、ダックスフンドもクジラも、――今日か明日にはみんな死んでしまうのだ。


 ……なんてもったいないことだろう、と思った。


 この宇宙にはもう――いろんなものが頭をよぎっていく――夏の室内プールも、秋風にそよぐススキの綿毛も、元旦にあわてて書く年賀ハガキも、……この街もむらさき色のポスターも、二度と存在することはなくなる。


 目頭が熱くしびれてる。


 息が苦しい。


 お腹が、しめつけられるように痛んできた。


 ぼくはすさまじい寂しさに襲われた。


 恐怖で一気に混乱が頂点に達した。やばい、気が狂いそうだ。


 やばい、やばい、落ちつけ、落ちつけ――――



 ――でも、落ちついたところで、なんになる……?!



「あああああっ!!」


 ぼくは近くの壁を思いっきりこぶしで殴った。低い音がして、なぜか肩の後ろに激痛が走った。


「くそっ!」


 近くの燃えるゴミと書かれたゴミ箱を蹴る。暴力的な音がして、中からビニール袋が飛び出してきた。


 うっ……、肩の後ろが痛い。


 身体から力が抜けて、へたりこんでしまった。


 ゴミ箱に、背中をもたれさせる。


 こぶしに、熱い感触がある。


 血が少しにじんでいた。


 赤い。


「ちくしょお……!」


 肩の痛み。こぶしの痛み。


 傷ついて血が出てくるこぶしの皮膚。


「くう……!」


 でも、それを見て、ぼくはだいぶ落ち着きを取りもどした。


「…………」


 正午の音楽が鳴り終わろうとしていた。


 もうこの曲を聴くこともないのか……。



 ため息をついていた。





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