地上への最後の道
ムービングロードは、停止していた。
「さあ、……地上への最後の道だ。ここを上がりきれば、今度こそ本当に……」
「……地上ね」
それ以上ぼくたちは何も云わず、普段はかなりのスピードで歩行者を地上へ運んでいた動く通路の上を歩いた。
なだらかな坂は10階分をのぼっていく。
思考回路がほとんど休止状態だな、と思った。
ぼんやりしていて、今日あったことがすべて夢のような気がしていた。
世界が終わる――地球が滅びる――終末の日がやってくる――。
非現実的な出来事。物語などのフィクションでもそんなに頻繁には見ないシチュエーション。
――ああ……そうか――
……夢。
なんてばかげた夢を見ていたのだろう。
そんなバカな話があるわけがなかった。
ぼくは図書館と書店へ行くところだったのだ。
ああ、そうだった。
地下列車に乗って、大深度地下都市に向かっていたんだ。
あまりにもちょくちょくに行くんで、定期券まで買ってしまった。
図書館も本屋も、世間の喧騒や人の野蛮さを遠ざけてくれる聖域だった。
ぼくの、いちばん安らげる場所――。
昼前には図書館に着くから、お目当ての小説を借りよう。
木の書棚の立ち並ぶ空間。
紙の匂い。
世の中には様々な趣味があるってことを示す、数々の月刊誌。
本を借りたら図書館の食堂でかるくお昼ご飯を済ませよう――本を読みながら。
それから本屋へ行く。
発売されたばかりの新刊を買おう。
いま何時だろう?
たぶん11時頃だろう――
…………ちがう。
ぼくは頭を左右に振って、目をぎゅっとつぶった。
そして目を開き、携帯電話が表示するいまの時刻を見る。
10月13日(土)
16:54
右手に、携帯電話。
左手には、一緒に地下の街をのぼってきた、ぼくが地上へと導いてきた、あかねの右手があった。
「歩きながら、少し眠っていたみたいだ……」
そうつぶやいた。あかねは「ん」と、鼻からの呼吸で返事した。
「――あ」
あかねが頭を上げた。
「つくし――」
あかねが指さす。その先には――――
前方に、わずかに光が見えていた。
斜め上の、まだずっと遠くに見える光。
でもそれは、ぼくらがずっと目指していた地上の証である、太陽の光であるのに間違いなかった。
「地上だ……」
「やっと、見えた……!」
ぼくらの脚に力がもどってきた。
確かな足どりで、地上へ向かいのぼってゆく。
「冷たい風のにおいがする――」
あかねがつぶやいた。
空気のにおいがちがっていた。風が――
「風が吹いてる」
ぼくたちは抑えがたい感情に突き動かされ、走り出していた。
すごく遅い、倒れそうな身体で走った。
地上だ。――地上だ!!
光がどんどん大きくなる。
どんどん近づいてくる。
光へ向かってぼくらは走った。
外が見えた。
地上が見えた。
まぶしかった。
もう携帯電話の明かりは必要ない。
ズボンにしまい、前へ進む。
そして――――
左手の方向から、強烈な日射しが指していた。
太陽――!
日はかなり傾いていた。
でも、それはまだ夕日にはなっていない。
紛れもなく“太陽”だった。
だって、まぶしくて直視できない。
涼しい風が吹いていた。
ぼくらの汗まみれの髪の毛を乱暴に乱して吹いて行く。
地上に、着いた……!
「……着いた」
「うん。着いたね」
どちらともなくぼくらはそうつぶやいていた。
地下深くで出会った二人が、こうして地上へ出ることができたのだ。
奇跡のようだと本当に思った。
空の低いところからまぶしくぼくたちを照らす太陽。
その強い日射しが、地面にぼくらの影を作る。
くっきりと、長く長く伸びた二人の影。
「――お日様だ……」
あかねがぽつりと云った。
「すごい……こんなにまぶしかったんだ、太陽って……。目がおかしくなりそう」
云いながら、彼女の両の目から、涙がこぼれてほおを伝っていった。
「ああ……。ありがとう。ありがとう、つくし……!」
あかねは立ったまま両手で顔を覆うと、肩をしゃくり上げながら泣き出した。
ぼくはその姿を見て、もう胸がいっぱいだった。
つらかった恐怖感や、痛みを伴う疲労感も、すべてとけてなくなってしまったような気がした。
なんて劇的な時間だったことだろう。
すごい冒険行だった。
ここまで来ることのできた自分の身体と頭と心に、感謝した。
満足感が、心に満ちてきた。
だけど――せっかくだ。ここまで来たんだ。できるだけいい場所から、あかねに彼女が最も見たいと願っていた茜色の夕焼けを見せてあげたいと思った。
「ここから二十分くらい歩いたところに丘があるんだ。その丘に登れば、その向こうに海が見える。そこまで歩こうか」
ぼくの誘いに、あかねはこくんと頭を縦に振った。
暮れ方の西の空に傾いていく太陽の方向へ、ぼくたちは歩いた。
西へ、太陽を目指しているということは、ぼくたちは地球の自転と反対方向に歩いているということだ。
太陽は、これから地の端に沈んでいく。
明日の夕日はもう見れないだろう。
明日の朝日すらも見ることはできない。
この太陽が、ぼくらの見る見納めの太陽になるのだ。
秋の空特有の雲が、空の高いところに広がっていた。
まだ、空は水色だった。
きれいな色の空だった。
雲の部分部分がオレンジ色に染まっている。