地下50階〜地下1階
さあ、地下50階までやってきた。
ここの階からはエレベーターを使えばいよいよ一気に地下1階まで行くことができる。
そこからひとつ上がれば、念願の――地上だ!
火災の範囲がどこまで及んでいるかは予測ができない。
ここまで来て簡単に死ぬわけにはいかないが、時間が経てば経つほど火の手に巻かれる危険性は上がる。なにせ、消防署の職員もさすがに今日は仕事をしていないはずだから。
そしてなにより――もう、地球が滅びる時間も迫っているはずだ。
急ぐしかない。
幼い頃この地下街で遊んでいた経験が、今日は本当に役に立ったと思う。
この地下街全体が、ぼくたち子どもの遊び場だった。その過去の経験に、ぼくは心から感謝していた。
エレベーター乗り場。
何人か人の姿があった。でも、さほど多くはない。
ボタンを押し、ドアの前で待つ。
ドアが開いた。乗り込む。乗り込んだのはぼくとあかねの二人だけだ。
エレベーターが、上昇をはじめる。
室内には、モニター画面が五つあった。10階ごとのエレベーター乗り場前の様子が映っているのだ。
一番左のモニターにはBF50からBF41までの画像が代わりばんこに切り替わりながら流される。そして一番右のモニターにはBF10からBF1までの映像が映っていた。
ぼくらは各モニターを注意深く観察した。
モニターに、炎の姿は見られない。
「もしかすると、消火がうまくいったのかも知れない」
ぼくが希望的観測をつぶやく。もちろん、油断は禁物だ。
しかしその心配も杞憂に終わった。
ぼくたちは、地下1階についた。
「あと1階で、地上……」
あかねの声が無感情に発せられる。
いろんな想いが混じり合い、そんな声の表情になったんだろうと思う。
地下1階。
広々したフロアーは、空港のような印象だ。――空港は行ったことなかったけど。
走る。
ゆっくり歩いてなんかいられなかった。
地上へ! ――地上へ!!
「――え」
ぼくは、目を疑った。
「なんだよ次から次と……!」
問題発生だ。
出口への通路。
そこには、金属の格子が降りていた。
走り寄り、手をかけて揺さぶる。
びくともしない。音すらしない。
「ちょっと待ってよ、ここまで来て――! 誰だよここ閉めたの! 余計なことしやがって!! オレたちがどんなに苦労してのぼってきたかわかってんのかバカ野郎!!」
ぼくは呪詛の言葉を吐いた。
汗が噴き出してくる。
怒り、焦り、徒労感――
身体から、力が抜けそうになる。
ぼくらの命運もここまでなのか?――
「つくし」
凛とした声が聞こえた。
「別の所から出よう。あるんでしょ? 他の出口」
ぼくはあかねの顔を見た。
「回り道になってもいいよ。まだ間に合う。絶対」
励まされた。
ぼくはあかねの手を取って走り出しながら、叫ぶように説明をする。
「確実に地上へ出られる道に行こう。地下10階に、自転車と歩行者のそれぞれ用の通路があるんだ。どちらの道もムービングロードになってる。そこはなだらかにのぼり坂になってて町はずれの近くまで行けるようになってるんだ。その出口を目指そう! ここを出てしばらく進めば別のエレベーターがある。そこから地下10階に下りよう」
「わかった」
空港のようなフロアーを出て、ホテルのロビーのように高級な感じのじゅうたんの床を駆け抜ける。
火事はやっぱり治まったのかもしれない。空気は清浄だ。
目的のエレベーターのドアにつく。
ぼくたち二人はもう、せっかく着替えたのに汗だくだった。
あかねも髪が白い肌に張り付き、肩で――いや全身で息をしている。
ドアが開きエレベーターに乗り込んだ。
荒い息。
眼鏡が曇り、汗がしたたる。
あかねも、おんなじような状況だった。
地下10階のボタンを押す。ドアが閉まる。
エレベーターが下降をはじめる。
このエレベーターにもモニターがついていた。
ぼくは念のため五つのモニターに目を走らせた――――うそ――!!
「地下10階――」
「どうしよう……」
あかねもそれに気づき、ほうけたような声をもらした。
いまから行こうとしていた地下10階のモニター。
そこには燃えさかる炎によってモニターのレンズ自体の表面が黒く煤けているのが見えた。
悪夢だ、と思った。
嫌がらせだ、こんなの。
そんなにぼくらをこの地下街に閉じこめたいっていうのか!!
「つくし――」
エレベーターの階数表示――4階が、5階に変わった――10階にはすぐについてしまう――どうする――考えるんだ、考え――――
ぼくは、BF20のボタンを押した。
そして次に、光っている「BF10」のボタンに人差し指を当てて、息をひとつついた。
「――つくし?」
とんとんとん!
ボタンを、トリプルクリック。
BF10のボタンの光が消える。
心の中でこぶしをぐっと握る。
地下20階のモニターを確認する。
大丈夫。炎の影は見えない。
エレベーターは、BF10を通り過ぎて下降した。
「……え? どういうこと?」
ぼくは周囲への警戒を怠らずに目をきょろきょろさせながら、説明をした。
「このメーカーの作ってるエレベーターは、停まる階のボタンをトリプルクリックで解除できるのを、思いだしたんだ」
「すごい――すっご〜いつくし!! なにその無駄な生活の知恵!」あかねがはしゃぐ。
「昔よくこうやって遊んでたから。でもうまくいってよかった」
エレベーターは、地下20階についた。
でも、10階上の階では炎が荒れ狂っているのだ。
火災は、そう簡単に治まってくれてはいなかったのだ。
ドアが開く。
真っ暗だ。
変なにおい。
さっきぼくらを救った“火を消す空気”が充満しているのかもしれない。
でもいずれにしてもここは進める。
腕時計を見る。
もう4時32分だ。
「気をつけて。非常灯もついてないみたいだ」
「こういうのを、“お先真っ暗”っていうのかな」
こんなときだというのに、あかねが妙なことを云う。
エレベーターが開いているうちにその明かりを頼りに近い壁まで移動する。
そこからは、壁づたいに進む。
携帯電話を取り出し、ディスプレイの光を懐中電灯代わりにする。
携帯電話はスプリンクラーの水に濡れてしまっていたが、生活防水なので故障はしていなかった。
かすかな明かりが照らす狭い世界を、ぼくたちは慎重に進む。
ぼくたちが立てる足音と、疲れが隠せない息づかいが、うす暗い闇に吸い込まれていく。
自動ドアを出て、駐車場エリア横の階段室に入る。
階段室の中も真っ暗だった。
階段を、一歩ずつ上がっていく。
よくここまで保ってくれたなと、自分の脚を褒めてやりたかった。
一階のぼるごとにそおっとドアを開けて外の様子を探る。
火事の被害の状況を把握するためだ。
しかし炎が燃えている様子はない。
そうやってぼくたちは、地下10階まで戻ってきた。
階段室から出て、隣接している通路に入る。
連絡路を通り、ぼくらはついに歩行者用のムービングロードがあるところまでやってきた。
 




