世界の終わり
この作品は、今までの人生で最も強い想いを込めて書いた物語です。
どうか、あなたの貴重な時間を、この小説を読むために使ってください。心から、お願い申し上げます。
満喫することなく秋はいつも過ぎ去っていく。
いま、地上には赤とんぼが飛んでいるのだろうか。もみじの葉っぱは色づいてきているのだろうか。
地下の深いところを走る列車の中で、ぼくはそんなことを考えていた。
車両前方の電光掲示板に、文字だけの雑多なニュースが延々と流れていく。
地下の暗い空間を通っているとき、列車の窓ガラスは鏡のようにぼくの姿を映す。
中学のときのぼくは、それがたまらなく嫌いだった。あのころのぼくは、自分のことが好きではなかったからだ。
でも、高校二年生になった今では不思議とこの見慣れた姿を眺めると落ちつく気がする。
夏から散髪していない伸びすぎた髪。
こないだ新調したばかりの眼鏡をかけた愛想のない顔。
薄い栗色の長袖シャツを着たやせた身体。
気がつくと、前方のディスプレイはニュースを流しておらず、今日の日付と現在の時刻を表示したまま止まっていた。
10月13日(土)
11:00
車内で携帯電話の震える音がかすかに聞こえた。
走る列車は実にスムーズで、揺れもほとんど感じない。わずかに聞こえるのは線路と列車が奏でる一定したリズムの響き。
ぼくは、今日は図書館から行くか、それともまず書店に行くか、どっちにするかぼんやりと考えていた。やっぱり、本屋が先かなぁ……
「――落ちつきなさい! いったい、なにが起きたんだ?! わかるように説明しなさい!!」
……びっくりした。会社員風の男の人が、いきなり大声を出している。見ると、携帯電話に向かって叫んでいるようだ。
携帯電話は地下列車内では禁止という張り紙を見つけようと視線をさまよわせていると、別の乗客の携帯電話が遠くで鳴った。今度はマナーモードではなく着信音が響いた。
さっきの会社員はがんばって声を押し殺しているようだった。深刻そうな口調は聞こえてくるが、内容はわからなかった。
週末のこの時間帯はさほど乗客は多くない。
「どういうことなのよ?! ……うん、うん。わかってる、いま街の方に向かってるよ。……うそ、助かるんでしょ?! だって、わけわかんない!!」
……こんどは若い女の人の声だ。どうしてこんな大きな声でわめいてるんだろう?
腕時計を見る。針は11時5分を少しだけ回っていた。前方の電光掲示板は、あいかわらず11:00の表示のままだ。……故障か?
「プラットホームで、待ってるのね? 嫌だ、怖いよ、怖いよぉ……!」
なんと、女の人は泣き出していた。
あと4分ほどで駅に着く。ぼくはカーキ色の皮の定期入れをバッグから取り出した。
10月30日迄
松本 作史 (まつもと つくふみ)
有効期限が大きくプリントされ、その下にちいさくぼくの名前が記されている。
みたび、車内に別の着信音が響いた。おいおい、今日はいったいなんの日なんだ?
線路と列車が奏でる響きが変化した。
少し広がりのある空間に出たため反響の感じが変わったのだ。
列車がスピードを弱めていくのが、慣性の法則を感じることでわかる。
それより、車内のアナウンスがないのはどういうことだろう?
ひょっとすると、なにかのトラブルがあったのかもしれない。例えば、いまから到着する駅で事故があったとか。
とすると、――なるほど、さっきからの携帯電話の連発は、その事故を知らせる電話だったというわけか。
気をつけて降りることにしよう。ぼくはバッグを持ち、肩からたすきがけにして、そっと席を立った。
何かがパワーダウンしていくような音と、ブレーキの音が聞こえる。
列車が駅に停車していく。ぼくと同じくこの駅で降りる乗客たちとともにドアの前に立ち、ドアが開くのを待つ。
……なんだか様子がおかしい。
ドアが開いた。その途端、不穏な騒音が耳に入ってきた。
円い筒のようなトンネル型の24番線ホーム。ぼくの住む布寺市から来ると、この大深度地下都市――滝軽市が終着駅になる。
階段の、BF301階の表示が目に入る。
とりあえず、上へ上がってみよう。
エスカレーターの方へ歩く。聞こえる騒がしさが増してくる。
これはただの事故ではないかも知れない。もしかすると、「テロ」かなにかか?
“テロリストの襲撃”――全然実感がわかないフレーズだ。
何年か前に一度この国でも大規模なテロがあったけど、そのときぼくは小学校一年生で、なにも覚えていない。
下車した他の乗客も、困惑した様子でエスカレーターを上がっていく。
エスカレーターの両側の壁には、同じサイズの額に様々な企業のポスターがズラリと並んでいる。
秋になったからか、全体的に暖色系やむらさき色を使ったものが多い気がした。
エスカレーターを上りきり、改札スペースへ向かう。
改札は、混んでいた。だが改札の向こう――駅構内はもっとすごい人混みだった。
よく「イモを洗うような混雑」というが、イモは自分勝手に動き回ったりしないからまだマシだ。でも目の前の無数の人々は、それぞれが動いている。
しかも、理由はわからないが皆パニックを起こしているようだ。
去年姉といったコンサートのときを思い出した。あのときは何万人かのファンが一ヶ所に集まっていたはずだけど、会場に入るときも出るときも、混乱はなかった記憶がある。
いま、人々は混乱していた。かくいうぼくも、事態が飲み込めず若干動揺している。
状況を駅員にたずねよう。そう思い改札横の駅員の詰め所を覗き込んだが誰もいなかった。
……誰もいない詰め所? 駅員が出払っているという事実にいやな予感が強くなる。
ぼくの前には二人の気合いを入れた格好のおばさんが歩いている。何が起きたか質問すればいいのだが、お互い夢中で話していて声をかけるのを躊躇した。
左隣を歩くのはおしゃれな格好の男の人。右隣は若いカップルだ。
左隣の男の人に思い切って「あの……」と声をかけた。が、気づいてくれない。
「すいません、何かあったんですか?」
さっきより大きめの声でたずねた。男の人は気づき、
「え? ああ、オレもわかんないんだけど、なにかあったみたいだね」
とだけ答えてくれた。
ぼくはお礼も云えずそのまま人波に流される。
改札口に自分の定期券を読み込ませ、駅構内に入った。
BF300階――プラットホームのメインフロアーだ。誰もがあわてふためき移動している。
――そうだ、テレビだ。テロとかのおおごとならテレビでなにか放送しているはずだ。
ぼくはそう思い、待合室へ向かった。あそこには全チャンネル分だけテレビがおいてあったはずだ。
待合室には、何度か見かけたことのある、多分ホームレスであろう男性がいつものように椅子に腰かけていた。ガラスのドアを開く。
ザーっという耳障りな雑音の洪水。テレビを見る。砂嵐か、カラーバーを映しているだけのものが多い。それ以外には、ニュースかなにかの報道番組をやってるテレビ局の、無人の報道センターがそのまま映っているものもある。
――あった! 女性アナウンサーがしゃべっている番組がひとつあった。ぼくはそのテレビに駆けよった。
『――設置された最寄りの避難所に避難することを呼びかけています。……繰り返します。さきほど日本政府から正式発表がありました。この国のみならず、世界全体に、深刻な緊急事態が訪れています。国民の皆さんは、近くの避難所に避難してください――』
……これは本格的にやばそうだ。ぼくもさすがに動揺してきた。
こんなことがなかったら一生声をかけることはないであろうそのホームレスのおじさんに、ぼくは声をかけた。
「あの……、なにか、あったんですか?」
ぼくの問いかけを待っていたようだ。おじさんはすぐに口を開いた。
「驚いただろう? 私も、びっくりしすぎて実感がないんだ。きみは、まだ何が起きたのか知らないのかな?」
ホームレスの人にしてはこざっぱりしている彼は、話し方も紳士的だと感じた。ヒゲも剃ってある。――いやいや、今はそんなことどうだっていい。ぼくは「はい」と答え、続きをうながす。
「私もついさっきの放送ではじめて知ったんだ。おそらく、ほとんど全ての人たちが、つい今しがた知ったんだと思うが……、さっきのニュースで、政府の発表があったんだよ」
心臓を中心に、恐ろしい事実を知る前の震えが身体中に広がっていくのを感じた。
おじさんの表情が、神託を告げる仙人か賢者のように見えた。
「なんでも、地球の磁場が消えてしまうとか、太陽風がどうとか云っていたが、詳しいことは判らん。ただ、結論から云うと、地球は死んでしまうんだそうだ」
…………?
云っている意味は……理解できた。
でも、よくわからない。
――地球が、死ぬ?
「アメリカがなんとかしようとしたらしいが、そのプロジェクトはさっき失敗したらしい。世界の終わりが来たんだと。日本も今日の夕方頃には完全に滅んでしまうらしい。一応、核戦争とかのために各都市の地下にシェルターが作られているって案内もあったが、――まぁ、地球の大気が吹き飛ぶなんてことを云ってたし、地球が丸焦げになるのに何時間か何秒か生きる時間が長くなったところで、どっちにせよ終わりは終わりだってことだろうね」
おじさんの話す声も、いま気づいたが、震えていた。目も、正気を保とうと必死であるように見える。
「遅くとも、あと三日で地球全体が完全に滅んでしまうらしい。……そのことを発表したあとしばらくしたら、一ヶ所のテレビ局を除いて他のテレビはなにも放送しなくなった。多分、テレビの人間も誰も、このことは知らされてなかったんだろうな。それだけこの現代は、情報管理が徹底した時代だったってことだね」
そう云っておじさんは笑った。なんだか本当に楽しそうに笑っているように感じた。
『――この放送も、これをもちまして終了いたします』
女性アナウンサーの声が聞こえた。
ぼくは恐怖に駆られて、待合室を飛び出した。