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第8話

そして船は、河を下っていた。

大きな河を、静かに。その流れに委ねるようにして。



「あーっ!僕のタマゴサンド!コロ、君。全く躾ってのがなってないなぁ!」


あーもう、と溜息を吐いたのはアレクだった。


「隊長、犬じゃないんですから…」


「なんだよ、子どもだって躾けるものだろう?ユグドラシルの奴、一体どういう育て方をしたんだか…」


昼食であるタマゴサンドを奪われたアレクは嫌味っぽく言ってみたものの、ロキシドには然程効果はないようだった。


「…おいしい……」


「そりゃあ、そうだよ…タマゴサンドは僕の大好物なんだ」


「そう、だったのか…わ、悪い…」


「全く…タマゴはアシが早いんだ、いつもいつも食べれるものじゃない。貴重なんだよ」


アレクのそんな言葉に、ロキシドはさも不思議そうに首を傾げた。


「ん?どうしたんだい?」


それに気が付いたアレクが訊ねる。


「タマゴって……、走るのか?」


「………は?」


「だって、アレク。今言っただろう?」


「え?」


「タマゴは足が速いって。…タマゴって逃げ回るのか…?」


「…っぷ、アハハハハハ!」


「なっ?」


「あはは、コロちゃん、それ真面目に言ってるのかい?…っぷぷ、アハハハハ!」


明らかに馬鹿にしているような笑いだが、ロキシドは意味も分からず首を傾げた。そして。


「…ジル?」


アレクのすぐ隣にいたジルへと視線を送った。すると。


「……………ぶっ…、く…フフっ」


顔を真っ赤にしながら笑いを堪えていたジルが、遂には我慢できなくなってしまったのか、小さく笑い出した。

大の大人達が一頻り腹を抱えて笑った後。漸く落ち着いたのか、目尻に滲む涙を拭いながら、ジルが口を開いた。


「……、いやぁ…コロくん、悪かったね」


そう言われたロキシドは、さも機嫌悪そうに二人を睨み付けていた。


「………」


「悪かったよ、本当に。アシが早いって言うのはね、傷みやすいって事なんだ」


ジルが分かり易いように説明する。


「…そう、なのか…?」


「そうだよ、それをコロちゃんが…ぶっ、アハハハハハ!に、逃げ回る、とか…!っぷ、ハハハハハ!」


またも笑いを堪えきれなくなったアレクが、再び腹を抱えて笑い出す。


「た…隊長…、そろそろ、その辺で…」


ジルの制止も聞かず、アレクはヒィヒィと息を切らしながら、笑っていた。


「いやぁ、だって…!ぷっ、くふふふ…っ、………わっ…、と、コロちゃん?」


漸くアレクも笑うのをやめた。それもその筈。

彼の視線の先にいるロキシドは、右手で空を切り、既に魔法陣を描いていたのだ。


「ちょ、ちょっと…コロちゃん?まさか、それぶっ放すつもりじゃあ…?」


「………」


「わーっ、ちょっとタンマ!落ち着こう!そんなことしたら、この船が…、ちょっとジル、彼を止めて!」


「…ここまで怒らせたのは隊長ですよ…」


「そんなこと言ったって…うわ、コロちゃんマジだよ!」


「あぁもう、仕方ないですね…」


そう言いながら、ジルは凄まじい速さで魔法陣を築く。そして、一気にそれを発動させた。

辺り一面を、強い風が吹き荒れる。そして。


「…あっ……!」


ロキシドの指先で控えていた筈の陣は、その風によってあっと言う間に掻き消されてしまった。


「…ふぅ、良かった…。全くコロちゃん、君がそんな強力な魔法の使い手だとは知らなかった…けど」


アレクは諭すような口調で言った。


「それだけの使い手なら、分かるだろう?あの魔法を放てば、この船がどうなっていたかって事くらい…」


「………」


「そりゃあ、怒らせた僕も悪かったよ。でもね?」


人差し指をピンっと立てて、アレクは続ける。


「…そんな風にカッとしちゃうと、見逃す事も多いんだよ。………戦場ではね」


「……わ…悪、かった…」


素直に詫びるロキシドの様子に、アレクもふぅっと溜息を零す。


「うん。僕こそ、ごめんね。…しかし…ユグドラシルの奴、魔法や剣技を叩き込むのはいいけど…もっと、一般教養も教えていてほしかったよ」


その言葉に、再びロキシドは首を傾げた。


「昨日から、思っていたが…」


「うん?」


「ユーリの事、知っているのか?」


「あぁ、僕は元王国騎士団の兵士長をしていてね。彼の功績は度々耳にしていた。彼とは年の頃も近かったから…よく、城で話をしたものだよ」


「…ユーリ、と…?ど、どんな…?」


「ふむ。そうだねぇ…よし、こうしよう。今日から毎日、コロちゃんには一般教養を身に付ける為の勉強をしてもらうよ」


「なっ…?」


「それで、勉強がひとつ終わる度に、ユグドラシルの話を聞かせてあげよう。ご褒美ってやつだね」


「隊長にしては、いい考えですね。私も、賛成です」


「ジ、ジルまで…?」


ロキシドが口端を引き攣らせて言った。


「えぇ。知識が無いが為に…色々と困る事もあるかもしれませんし。勉強と言うのは、しておいて損はひとつもないですよ。それに」


ジルが一旦言葉を切った。


「こう見えて隊長は…やる時はやる男、ですから」


言って、にやり、と笑ったのだった。


「さぁ、そうと決まれば勉強、勉強!コロちゃん、僕の部屋に行くよ!」


「…えっ、ちょ…他に仕事、ないのかよ!」


「うーん…この船、百五十人位の人が乗ってるんだけどね、今はどこも人員が足りてるんだよ、残念ながら!」


寧ろ余ってるくらいだよ、人なんて!とアレクは笑いながら付け加えた。


「では、隊長。私は仕事に戻ります」


「うん、そうして。夕飯の時間になったら部屋に来てよ」


「分かっています。隊長は集中すると、時間を忘れてしまいますからね。…ではコロくん、頑張ってくれ」


「え…ちょ、ジル!」


狼狽するロキシドの事など気にも留めず。ジルはさっと踵を反し、去ってしまった。


「さぁ、コロちゃん。覚悟はいいかい?…みっちり知識を叩き込むよ?」


「………」


ロキシドは無言のまま、恨めしそうにアレクを見る。しかし。


「ハハ、そう睨むなよ!」


そう一蹴され、腕を掴まれた。そして引き摺られるように、船内の、奥の部屋へと連行された。




アレクの部屋は、船内の一番奥にあった。

その部屋で、日が暮れるまでの間ずっと、アレクによる勉強会が催されていたのだが。


「……と、言うわけで。これがこの国に伝わる伝承と、歴史。分からない所はあったかな?」


「………別に」


「そ。思ったより優秀だね、さすがはユグドラシルの弟子ってだけはある」


うん、うん。と一人で納得したように、アレクが頷く。


「そろそろ夕飯だろうから、今日はここまで。…さて、ユグドラシルの話だけど……」


言いながら昔を懐古するようにそっと瞳を閉じたその時、部屋の扉がコンコンと鳴った。


「誰だい?」


「私です」


扉の向こうから聞こえたのはジルの声だった。その声に答えるかのように、アレクはゆっくりと扉へ向かう。


「じき、夕食です」


「もうそんな時間かい?」


「えぇ。…コロくん、今日の勉強はどうだったかな?」


「……魔導書を読んでる方がよっぽど面白い、かな」


「はは、正直だね。…だ、そうですよ?隊長」


「うーん、まぁ今日は国に伝わる伝承とか、この国の歴史の部分が主だったからね。明日からはまた少し違うと思うよ」


「明日もするのか?」


「僕達の事も、ある程度知っておいて欲しいし。ところでジル、今日の夕食は何だろうね?」


「さぁ。ただ姫が食料庫から、大量のラム肉を運んでいたから……」


「じゃあ、タマゴサンドかなぁ」


「どうしてそうなるんですか。それにタマゴサンドは昼間食べたでしょう?」


「僕は食べてないよ!」


怒ったようにそう言って、アレクは広間へと歩き出す。落ち着いた様子でジルとロキシドがその後を追った。




その日の夕食はラム肉のシチューと、ライ麦のパンだった。食事をしながらアレクは、仲間達からの一日分の報告を聞いていた。

やれ、調子の悪い武器があるとか、ライフルの弾丸が足りないとか。

女性陣からは、食器の数がそろそろ足りないとか、船の破損箇所など。様々な事を一人で聞かされていた。


「うーん、食器はともかく…弾は、次の町で補給しないといけないかな…」


「しかし隊長。資金はどうしますか?」


「そこ…だよねぇ。昨日の報酬があるけど…王都までの道程を考えると…なるべく、取っておきたい所だね」


「そうですね…何かないですかね、儲け話」


ぽつり、とジルが言う。

その声を受けて、アレクがすくっと立ち上がった。そして。


「みんな!食事中だけど少し話を聞いてくれ!」


そのよく通る声に、食事をしたり談笑したりしていた皆の手が止まる。


「今、皆からの報告を纏めていたところだ」


皆の視線を浴びながら、アレクは淡々と話し出した。


「物資も補給しないといけないものが多い。残りの道程を考えると、少し資金も足りない。そこでだ!」


一旦言葉を切る。少し考えるような素振りを見せるが、その後の言葉を一気に紡ぐ。


「この船はこのまま行けば明日には海へ出る。我々はそれから一気にメーヴェという港町を目指すつもりだった。が、予定は変更する!」


アレクの言葉に、周りの人間たちがどよめいた。


「この半島とメーヴェの中間地点にある別の港町、マーレという所がある。一旦そこに駐留、物資の補給と資金調達を行う事にする!」


それを聞いた瞬間。船の人間が一気に沸いた。


「おぉ!久しぶりだな!」


「腕がなるぜ!」


「隊長、待ってたぜぇ!」


など、思い思いに口を開く。その場にいたロキシドは、隣で楽しそうに食事を摂るリーズへと小声で訊ねた。


「おい……、何の事だ?」


「あら?アレクから何も聞いてないの?今日から勉強会だったんでしょう?」


「今日は国の歴史とか、伝承とか…そういったものしか聞いてない」


「そう、じゃあ教えてあげる。私達は王都を出て、さっきアレクが言っていたメーヴェという港町へ移動したわ。そこからは船でこの半島へ来たの。その間、物資補給と資金調達の為に幾つかの町へ寄った。…今度のマーレという町は初めてだけど」


「で、具体的にはどんな方法で?」


「人助け、よ。こんなご時世だもの、困っている人は沢山いるわ。例えば盗賊とか魔物の退治を請け負うの」


「…それで、あの村でも…」


「そう言う事」


言ってリーズがにっこりと笑った。


「そうやって人助けをする事で、私達の名前や功績はどんどん拡がるわ!たまに、悪名もね」


「…今まで何やってきたんだよ」


「良い事って言うのは、別の角度で見れば悪い事にも繋がる、そう言う事よ。マーレと言う町は行ってみないと分からないけど…今あの町の情勢は荒れていると聞くわ…だから、多分……」


「儲かる、か」


「えぇ、それ以外でも腕が鈍らなくて済む、とか言って。楽しみにしてる人が多いの。一種の娯楽ね、それで助かる人がいるんだから…こんないい話は無いでしょう?」


「まぁそうか」


納得したようにロキシドが頷く。


「じゃあ私、片付けがあるから行くね」


「あ、あぁ。悪かったな」


ロキシドの言葉を聞いてリーズは今一度微笑むと、船内の厨房へと消えて行った。そして一人取り残されたロキシドは、皿に残っていた料理をもそもそと口へと運ぶ。




食事を終えたロキシドはアレクと共に、甲板にいた。星の輝く夜空を見上げながら、腰を下ろして柵に凭れかかっていた。


「…ユグドラシルの事だけど」


「あぁ」


「彼はね、僕にいつも聞かせてくれたよ。妹と、弟の話を」


「お…弟……?」


その言葉に、ロキシドは驚いたように目を丸くした。


「彼が孤児院にいた時に、血の繋がった妹と、それから本当の弟のように思っていた少年がいたんだって。その弟って言うのは、生まれてすぐに孤児院に捨てられていたらしい。彼の本当の妹と年が近かったから、放っておけなかったそうだよ」


「……それって…」


「うん、多分…君の事だよ、コロちゃん。君みたいな不吉な名前を背負った人間なんて、そうそういるもんじゃない。…いや、皆無…だよ」


そこでロキシドがはたと気付く。


「そう言えば…昨日もそんな事を…」


「…今日、話して聞かせたよね?この国に伝わる伝承」


「あ?…あぁ」


「その時に女神アリーゼと、破壊神の話をしただろう?今でこそ語り継がれてはいないけど、その破壊神には名前があるんだ。その神の名は………、ロキシド」


「え………?」


「君は世界を破壊した邪悪な神と、同じ名なんだよ」


二人以外誰もいない甲板で、アレクの声は妙に大きく聞こえた。


「この国では、例え邪神であっても…神の名を騙る事はタブーとされているんだ。これは昔からの風習みたいなものだけど」


「………」


「でもだからこそ…君の名が持つその意味が…僕には分からない。だから君に勉強することを持ち掛けた。君自身の過去に、何かヒントがあると思って…」


「俺には…分からない」


「そうか…。あ、そうだ。ユグドラシルから昔聞いたんだけど、捨てられていた君の首にはペンダントがかけてあったって。本当かい?」


「あぁ。そこに俺の名前が、ロキシドって名前が…古代文字で彫ってあった」


「今でも持っているかい?」


アレクの問いに、ロキシドは徐に自分のズボンに付いているポケットを漁った。そしてそこに収めてあった銀色に輝く物を取り出す。

それは綺麗な装飾が施されており、チェーンと一体になったペンダントだった。


「これ…」


「見せてもらってもいいかな?」


そう言われてロキシドは、何も言わずにそれをアレクへと手渡す。


「ふむ…確かに…古代文字、だな。でも比較的新しい字体だ…」


「そんな事まで分かるのか?」


「伊達に王宮兵士をしていた訳じゃない。僕はユグドラシルやリリィの影響で、勉学にも励んだしね」


「…それで、他には?」


「うん………」


言ってアレクが暫くそれを凝視する。そして。その脇に蝶番があるのに気が付いた。


「ん?これは?」


「あぁ…多分ロケットだと思うんだけど…開かないんだ。魔法がかかってる」


「ふむ。開きそうなら、開けてもいいかい?」


どうぞ、とロキシドが言ったのを確認して、アレクはペンダントを握りしめると瞼を閉じた。

そうして暫く瞑想をしていたが。


「………ダメだ」


「俺にも、できなかった」


「これは…何と言うか……特殊な魔法のようだね」


「あぁ」


「ここに何かヒントがあるんだろうけど…今の僕たちには力が足りないみたいだ。これ、返すよ」


アレクがロキシドへと銀色の塊を手渡した。ロキシドもそれを受け取ると、再びポケットへとしまう。どうやらそこがペンダントの定位置のようだ。


「どうして首にかけないんだい?」


「…相性が、悪いんだ。………コレと」


言って指を差したのは、彼の胸元。


「あぁ…ハティか」


「ハティの中の魔法と、このロケットの魔法が反発しあって。これを首に付けていると、体内の血液が逆流するような…そんな気持ち悪さがある」


「ふむ…これはやはりキーアイテムのようだね」


「なぁ、アレク」


「うん?」


「俺…もっと、色々知りたい」


「うん」


「今はまだ、知らない事が多すぎる」


「そうだね」


「だから………ちゃんと、教えてくれ」


「……うん。でも、焦りは禁物、だよ。今朝みたいな…ね」


「分かってる」


「まぁ僕にも今のところ…分からない事が多くてね。君が何かヒントになりそうな気がするんだ。…明日からもよろしくね」


アレクはそう言って、ロキシドへと右手を差し出した。


「あぁ」


ロキシドもその握手へと応じる。


「…今日は」


手を握りながら、アレクが。


「ん?」


ロキシドが首を傾げて、彼の顔を見上げる。


「…刺されなくて良かったよ」


言って安堵の溜息を零すアレク。それを見てロキシドは薄っすらと微笑んだ。

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