プロローグ
夢を、みた。
温かく、どこか懐かしい、あの頃の。
はっきりとしたビジョンは覚えていない。ただ温もりと、あの香り。なんとも心地よいそれは、夢の中の自分を現実へと引き戻す。
目覚めた時の虚無感といったら、ない。
自分が、あれ程までに心地良い場所にいる筈がないこと、いてはいけないことくらい、分かっているつもりだ。
「……っ!」
ガバッと起き上がったのは、まだ陽も昇らぬ薄暗い明け方の頃だった。
ヒューヒューと鳴る喉を押さえ、ベッドの上の少年はゆっくりと窓辺へ目を向ける。
そこに佇むのは、写真立てと一輪挿しの花瓶だけ。暗い室内に、その輪郭だけがぼんやりと浮かんでいた。
少年は、短い髪を掻きむしるように梳いて。のそりと起き上がったかと思えば、簡単な身支度を整えて外へと飛び出した。
夜が明けた今でも森の中は薄暗く、ひんやりとした空気が漂う。枝葉が頭上を屋根のように覆い、ぼんやりと覗いていた陽の光を遮断するのは容易だった。
じっとりと湿り気を帯びた空気が森の中を埋め尽くす。迷路のように並ぶ木々たちをよそに、少年は慣れた足取りで突き進む。
暫く歩くと、開けた場所へと出る。そこに木々は無く、唯一巨大な幹が聳えていた。
繁る青葉、滴る朝露。
うねるように、悠然と構えるその幹は高く、高く。陽の光が届かないにもかかわらず、その巨大な樹は青々と輝いていた。
息を整えて。ゆっくりと、近付く。
うねるような、枝々。
朝露に濡れる、新緑。
それはただ壮麗で、雄大な。
どっしりと構える幹に、少年がゆっくりと触れる。
触れながら瞳を閉じて、小さく何かを呟いた。
暫くの沈黙の後、彼は自らの頭上に向かって。
「………誰だ」
短く放つ言葉。
カサカサと葉の擦れる音がして。それでも息を潜める何者かに小さな溜め息を吐く。
自らの頭上を睨み付けたまま、少年は空に指を切り紋様を描く。緻密で精巧なそれは、青く発光しながら少年の言葉を待っていた。
漸く音のする方向を捉えた少年が右手を翳しながら、ボソリと何かを呟いた。
途端、彼の頭上で吹雪が舞い起こり、慌てた何者かが……。
「きゃあああっ!」
音のしたあたりを集中的に狙ったせいか、声と共に何かが落ちてきた。
一瞬身構えた少年だったが、落ちてきたのが人間──しかも少女だったのを見て、彼は再び溜め息を吐くのだった。
「いっ…たぁ~」
「…ニン、ゲン……」
突然投げ掛けられた声に、少女は慌てた様子で。
「ご……っ、ごめんなさい!驚かせるつもりは無かったの!」
落ちてきた少女は慌てて口を開く。その様子に、呆気に取られていた少年が再び身構えた。彼は再び空に指を切り、紋様を描く。
「ちょ、ちょっと待ってよ!私、怪しい者じゃないわ!」
「………」
「えーっと、そうよね…隠れてたんだもん。十分怪しい、か」
「………」
急にしおらしくなった少女の様子に、少年は溜息を吐いた。
「………誰だ、お前」
気だるそうではあるが、突然声をかけられたことに、今度は少女が驚く。
「わ、私?私は………リーズ。研究の為にこの森へ来たんだけど……」
「研究?」
「そうよ。私、こう見えても考古学者なの。ところであなたの名前は?」
「………」
「あっ、あの、もしこの森の事に詳しかったら、少し話を聞きたいなと思って!」
「………」
「だめ、かしら?」
「……別に、構わないさ」
「ほ、本当!?」
「ただ、場所を変えよう」
「え?」
「ここは……」
ザァアッと風が鳴った。
そして静寂の中に凛とした声が響く。
「墓前、だから」
「え……」
「俺の、大切な人の──…だから」
「そ、そうだったの…」
「分かったなら、行くぞ」
少年はくるりと踵を返して歩き出す。その後を少女が慌てて追いかけた。
いつもの朝、いつもの景色。ただ一つ、いつもと違うのは。
深い森の中で出会った少年と少女。この物語は、ここから始まる。
そしていつか、この場所で終わるのだろう。




