009 司法制度
>>>>>>side エッサム
パタン。
扉のしまる音に顔を上げると、カルダールが入ってきたところだった。
「どうだった?」
「素晴らしいです。是非、こちらで暫く働いて貰いたいところですね」
ほうっと小さく息を吐き出しながらエッサムの前に座った副宰相が答えた。
「ほほう?」
ペンを置く。
カルダールはその穏やかな外見とマナーから非常に聞き上手なだけでなく、その聞いた情報から相手の本性を判断するのが非常にうまい。
本性を見て取るだけならばエッサムにとて十分出来ることだが、相手から情報や知識をうまい具合に引き出していく腕前はぴか一だった。
だからこそ、筆頭魔術師に『解除できません』と認めさせるような防御結界を己に張れる、不本意にこちらへ召喚された異界の魔術師にカルダールをつけたのだ。
「非常に理解が早く、制度の潜在的問題点をすぐさま見抜きますね。それだけでも部下か同僚に欲しいところですが、何と言っても我々には無い世界の法制度の考え方と言うのは非常に面白いです」
エッサムの机の端に置いてあったティーセットを手に取り、お茶を2人分淹れながらカルダールが続けた。
「トッキョと言う制度は無いのか、と質問されました。
新しい発明やデザイン、アイディアを思いついた人間がそれを他者に利用を許す代わりに手数料を取るという制度です。フジノ殿の世界では普通に存在する制度らしいです」
「......それは面白い制度だな」
この世界では、誰でも何を作って売ることが出来る。発明は盗まれたくなければ自分一人でその製品を作るしかなく、売った商品もそれをコピーされないように無意味に複雑に作られてきた。
そうなると新しい発明はどうしても高価になり、また他に複製されるまでしか高価では売れず、購入者も近いうちにもっと安価な複製版が出回るのを分かっているので中々新しい製品を買おうとしない。
つまり発明というのは中々利益を生まないのだ。
よって発明家とはそれなりに資産のあるモノ好きか、どこかの強力な貴族のスポンサーを見つけたごく一握りの幸運な人間でしかない。
だが。
もしも新しい発明を国が保護する制度を作れば。
色々な産業の技術が革新的に進化するのも夢ではない。
家族単位で行われることが多い製造業ももっと大規模に行うことが可能になる。
「制度の問題点と言った物も聞いておく方がいいだうな。
......我々の元で働く気が無いか、聞いてくれ。もしも興味が無いと言ってきたら、魔術院で働く日数を毎週4日にして、1日はお前が街や近辺の地域を見せて回ることにしてみろ。魔術院の方へは私が話をつけておく」
「分かりました」
◆◆◆
>>>side 瞳子
今日は空の天気模様が怪しげだったので、歩きまわるのではなく図書館で地図を見ながら国の地理や統治システムの大雑把な話をしてもらうことになった。
「基本的に、領主は刑罰が5年以内の軽度犯罪に対する司法権を持っているのですが、課税に関する問題だけは国の司法権の下に直接属する様になっています」
そりゃそうだ。税金はどう考えても領主と領民の間に利害対立が存在する。それを領主が裁いているのでは誰も納得しないだろう。
「5年以内の軽度犯罪とはどう行ったモノですか?」
「死なない程度の傷害、窃盗、詐欺といったものですね。王宮が直接裁くのは殺人、人身売買、麻薬売買、反逆行為といった犯罪です」
ふむ。
『反逆』って何を含むのか興味があるところだ。
それこそ、王家に対して批判的なことを言うだけでも反逆罪になるんかな?
「例えば裁判の関係者が領主に連なる者だったり、一方が領主に賄賂を出していて決断が理不尽だった場合はどうなるんです?」
「王都にくれば王宮裁定を要請が出来ます」
最高裁みたいな感じなのかな?
「王宮裁定の順番はどのように決まるのですか?」
「基本的には提出された順ですが、場合によっては例外として早く裁定されるべき案件もあるので司法官が決めています」
「......それってとても裏金収入の大きな仕事になりそうですね」
カルダールが苦笑した。
「一応、抜き打ち検査はやっていますし、不自然に紛争発生から王前裁定までの時間が短いモノに関しては神官が法術で不正が無いか関係者全員を調べます」
昨日図書館から借りた基本書によると、この世界って精神に関する術の大部分は神官が使う法術らしい。
物に影響を与えるのが魔術、精神に影響を与えるのが法術と云う事だ。
幸い、使える様になった魔法にはどっちも入っていたんだけど、とりあえず精神関係の術を使えるって云うことは自分からは言わないほうがいいんだろうな。
「別に不自然に短いモノにだけでなく、全ての案件に不正を働いていないか法術で確認したほうがよくありません?」
「神官は医療の術にも忙しくて、手が足りないんです」
ふうん。
何とか出来ないもんかね。
折角そんな便利な手段があるのにフルに活用出来ないなんて勿体無い。
治療をもっと効率的に出来るような魔具でも発明できたらもっと司法の効率的な利用が可能になるかもしれない。
取り敢えず現状では賄賂を払うか、公正で有能な領主がいる所に住むしか特効薬は無いと云う訳ね。
「そう言えば、住む地域の移動は自由ですか?」
「子供は皆、10歳になった年の収穫祭りの際に住んでいる地域の登録所で住居先を登録することになります。そうしてこんなものを貰います」
カルダールが首に下げていたネックレスを見せてくれた。
ネックレスと言うよりはアメリカの兵隊とかが映画でつけているドッグタグに近いのかな?
「その地域を離れるときは登録所で離れることを登録するとその情報がこの石に記録され、次に新しい住所先の登録所に登録することでそこの住民と認められます。
住民として登録をしていない者は山賊や犯罪者であることが多いため、仕事に就くことは非常に難しくなりますね。
フジノ殿のIDも今度作りに行けるよう、宰相の方で話を通していますので明日か明後日には準備が出来ると思います」
「その石を無くしたらどうなります?」
「元の登録所に行けば本人確認をした後に同じものを渡します。手数料を多少取りますが」
「本人確認って知り合いを連れていくとか?」
「いえいえ、登録所にあります魔石に触れればちゃんと登録された人であればその人の情報が出てきますので」
すげ~。
日本の住民票なんか目じゃないね。
殆どDNA登録の世界じゃん。
「基本的に、出入りの登録をするのは自由なのですね?」
カルダールが微妙な顔をした。
「本来はそのはずなのですが......時々権力者が圧力をかけることがありますね。登録所から街を出る間に誰かに襲われて動けなくなるほどの怪我を追うとか、言いがかりに近いような犯罪の罪に問われて『執行猶予中の犯罪者』にされてしまったり。『執行猶予中の犯罪者』はその地域から離れることを許されません」
おやま。
急に話が暴力団ちっくな感じになってきた。
「つまり......領主が暴虐を尽くしているような地域では、我慢するか違法出奔して次の仕事が見つけられず山賊になるしか選択肢が無いと言うことですか?」
キリン君が小さくため息をついた。
「そう言った行為は本来は認められていないので王宮裁定へ訴えれば中央政府がそれなりの手を打ちますが......」
「だけど、その領主が王宮裁定の順番を査定している司法官に袖の下を出して順番が回ってこないようにしたらいつまでたっても分からないとなる訳ですか?
早すぎる案件もですが、遅すぎる案件を調べることも必要ですね」
「色々と不正の手段はあるのですよ」
カルダールの瞳が悲しげに曇った。
うう~ん。元々利害関係が色々からんでいそうな王宮裁定って言うのはお役所仕事で反応が固そうだし。
何か違う解決方法が必要だ。要は、山賊が襲いに来るかもと言うのが問題なんだよね。
「大抵の職業というのは国軍に対してサービスを提供していません?
だとしたら、どこを出てきたという登録が無くても、王都で軍に対して1年間サービスを提供したら新しく登録し直せることにすると言うのはどうでしょう?相手の身元がはっきりしないので信用リスク料として少し安めの対価でサービスを提供すると言うことにすれば、軍にとってもメリットがあるでしょうし、犯罪者になるか否かと言ったような切羽詰まった選択肢しかない人でしたら少し対価が安くても構わないのではないでしょうから。
流石に国軍相手に山賊が襲ってきたりと言うことはありませんでしょう?
まあ、スパイが入ってきたりしないようにちょっと隔離して情報の保全を図った方がいいでしょうが」
執行猶予中の犯罪者が紛れ込むかもしれないが......執行猶予されるぐらい大したことない犯罪なんだったら逃げてきて王都でやりなおしたって良いじゃないかな?
カルダールが驚いたような顔で私のことを見ていた。
「斬新な発想ですね」
「単なる思いつきですので実行に移そうと思ったらそれなりに色々問題点はあると思いますが......暴虐な領主の地域に生まれただけで犯罪者になるか被害者になるかしか選択肢が無いと言う状況は何としても解決するべきでしょう」
特に、私は一歩間違えばその被害者になりかねない平民なんだし。
「そうですね。そのようにして領民が合法的に逃げ出せるようになれば領主も行動を改めざるを得ない可能性も高くなりますね」
まあ、現代と違ってこの中世チックな世界では情報の伝達も遅くって新しい可能性の情報が人々へ広がるまで、かなり年数がかかるだろうが。
「さて、司法制度の話に戻りますね。直轄領は王族もしくは代官が代行者として統治を行っています。司法裁定も代行者もしくはその者が指名した司法官が裁定を行います。王都では低級司法官がその役目を果たしていますね」
ふむ。
少なくとも、王都に住んでいる間は自分から搾取しようとするような領主が司法権を持つことにはならないのね。
「名目上、法の上では全ての人が平等なのでしょうか?それとも貴族と平民の間には法的にも権利に違いがあります?」
それこそ、無礼切り(だっけ?)が合法だったらしい江戸時代みたいな世界ならかなり気をつけなければいけない。
「法の上では命は同じ扱いです。ただ、現実では平民を貴族が傷つけても証人が見つけられる事は少ないので、その平民が魔術師に事件再現の術を依頼するだけの資金力が無い限り、貴族が罰せられる事は滅多にありませんね。また、殆どの罪は補償金を払うことで執行猶予になりますので貴族が実際に犯罪に痰して服役もしくは死刑になることはありません」
うわぁ......。
現代の日本だって政治家にコネがあったり有能な弁護士を雇える人間や企業の方が司法の場でも有利なのであろうが、こっちのはさらに正義が偏っていそうだ。
「貴族が法に基づいてきちんと罰せられる確立はどのくらいなのですか?」
「下級貴族で6:4。中堅どころの貴族で7:3。大貴族だったら......その貴族の政敵が偶々目撃していたとでも云うので無い限り1割未満でしょうね」
......。
「被害者がどこか大き目のギルドのメンバーだったり、魔術師であった場合は?」
「中堅どころのギルドメンバーでしたら大貴族以外の場合は7割ぐらいの確率で公正な裁きをして貰えるかもしれませんね。
魔術師はランクにもよりますが、基本的に下級貴族相当の扱いになりますから、そこそこ公平な裁きになります。
何といっても、ギルドメンバーが巻き込まれた場合、魔術院は無料で事件再現の術を提供しますからね」
うう~む。
安心して人生を楽しむためにはそれなりに公正な法制度の下に暮らしたい。
短期的には袖の下を出せばそれなりに公正さの代用になるかもしれないが、長期的にはどうやって階級社会にありがちな弊害を軽減するか考えていかないとなぁ......。