032 新居(3)
「おかえりなさいませ」
ハシャーナが帰ってきた私とカルダールを玄関で迎えてくれた。
入居が決まった時に玄関の鍵も貰ったんだけど、基本的に入居人が帰ってきたらハシャーナか召使いの誰かの人がドアを開けてくれるのがここのポリシーらしい。
「ただいま。もうすぐマットレスを届けに店の人が来ると思うから、来たら声をかけてくれます?」
カルダールが手に持った薪の山と、私の後ろを宙を浮かびながらついてくる砂利の大袋に目を丸くしているハシャーナに声を掛けながら中へ入って行く。
この薪と砂利は、錬金(金を作るのではなく、物を創る方の錬金ね)用の材料だ。
感覚的な話であってまだ確認はしていないけど、どうも元の密度が近い方が術を行使する際の負担が低い気がするんだよね。
だからマットレスのスプリングを創るのに砂利をひと山買ってみた。
そんでもって重いから、『飛翔』の術を軽く掛けて宙に浮かせて引っ張ってきた訳。
異次元収納に入れて運ぶ方が楽なんだけど、人目につかずにひと山分もの砂利を異次元へ消すことが出来なかったのでこうなった。
「え~と......夕食は食べますか?」
「是非!!」
早速、こちら風家庭料理にあり付ける!
「では、あと2時間程度になると思います。準備が出来ましたら声をおかけしますね」
「了解。ところでさ、そんなに堅苦しい言葉づかいじゃなくって、普通に話してくれないかな?」
カルダールに部屋の鍵を渡して先に行くように頼んだ後、ハシャーナにお願いした。
「そんな。年上の方には丁寧に話すようにって教わっていますもの」
ハシャーナが固辞する。
でもさ、貴族さまなんでしょ?
現実的な話として、この世界のでは階級>年齢でしょ?
とは言え、『貴族様』なんて上から目線だったら下宿人が逃げちゃうだろうから、意識して丁寧な言葉使いをしているのかな。
「ハシャーナちゃんは私の大家さんでしょ?だとしたら私だって本来は丁寧に話さなきゃいけない訳じゃない。
でも、どうせなら家族の元に暮らしているようなアットホームな感じでやりたいから、お互いに普通に話すことにしない?」
これからずっと、まるでホテルの受付の人みたいな丁寧な態度で対応されてもちょっと肩が凝りそうだし、哀しい。
そんな私の気持ちが分かったのか、しばし悩んだ後にハシャーナが頷いてくれた。
「分かったわ。じゃあ、友達みたいな感じね。後でやっぱり嫌だと思ったら言ってね?」
「了解。嫌なことは全く我慢しないタイプなんてご心配なく。
そう言えば、夕食後にお風呂に入らせてもらいたいんだけど、タオルって貸してもらえるものなの?」
ハシャーナが首を横に振った。
「基本的にシートやタオルや洋服は下宿人が自分で用意することになっているわ。
食器とかコップはこちらが提供するけど。
ただし、部屋で自分でお茶を入れて飲むならそれ用のマグは自分で用意してね。
でも、まだ色々揃っていない物があるだろうから、とりあえずシートとタオルは暫く貸してあげるわ」
「ありがと~。
明日にでも買ってくるから、今晩だけよろしくね」
お礼を言いながら階段を上がる。
そうか、タオルは自己負担なのね。
まあ、誰が使ったのか分からないタオルで自分の体をふくのは微妙に嫌だものね。
とすると、明日はまず、タオルとシーツが必要だ。
そんでもってマグと急須と茶葉も入手しておこうかな。
忘れないうちにリストを書き出しておこう。
「良い紙ですね」
部屋に戻ってノートに『買い物リスト』を書き出し始めた私の手元を見て、カルダールが声を掛けてきた。
「私の世界で使っていた紙を纏めた、『ノート』と呼ばれる物なんです。確か木材か何かの植物繊維を元に製造されているんだと思いますが、詳しいことは分かりません。
魔術ってそう言うはっきりしない物でも複製できるんですから、便利ですよね~」
書き終わって紙の上に置いた鉛筆とノートを手にとって、カルダールが真剣にそれを調べ始める。
「少し試し書きしてもいいですか?」
「どうぞ。そっちの鉛筆は確か木炭か鉛か良く分からないけど柔らかい黒い物を芯として、木で挟んだものです。木を削ることで芯が新しく出てくるのでそれなりに長く使えて便利ですよ」
少なくとも、一行ごとぐらいにインクに浸し直さなきゃいけない羽根ペンよりはずっとね。
カルダールはぐりぐりと紙の上になにやら書き、それを指で擦ったり裏からすかして見たりしていたが、やがて私にノートと紙を返してくれた。
「この『ノート』と『鉛筆』を幾つか創って売っていただけますか?」
欲しいですか。
まあ、あの扱いにくい羊皮紙と羽根ペンを毎日使っていたらイライラもするだろうね。
鉛筆は比較的簡単にこちらの技術でも複製出来るだろうけど、紙は難しいかもなぁ。
私も紙が植物繊維のパルプから作られているということは知っているけど、パルプを作るのにどんな工程を経てどんな薬品を使うべきなのかに関しては全く無知だからあまり助けにならない。
宰相さんとカルダールが使う分ぐらいは私が魔法で創って売ってあげるのが一番手っ取り早い手段なのかも。
「いいですよ。
鉛筆はこの国の技術で作れるでしょうから、研究用に何本か予備を上げましょうか?
ノートに関しては......どうやって作るのか私も詳しくは知らないので手助けできませんが、同量の羊皮紙に5%ぐらい上乗せした値段で提供します」
嬉しそうにカルダールがほほ笑んだ。
「ありがとうございます!」
「ちなみに、こう言った魔術で物を創って売ると言ったことってこちらの魔術師の人たちは良くやっているんですか?」
製造方法が分からなくても創れるこの便利さは、中々の物だ。
日本にいたころに良く読んでいたファンタジー物のライトノベルの二次小説では、『錬金』は魔法使い(魔術師?)として転生した主人公の金稼ぎの手段として重宝されていた。
「そうですねぇ。入手しにくい色の絵具や顔料、製造の難しい大きなガラスや鏡と言った物は扱っているようですね。
普通の手段で製造できないものや、入手が高価になる物に関して魔術を使うことがあります」
宝石とかってどうなんだろ?
まあ、人造だと希少性が下がるから余程本物と同じように見えない限り、ちゃんと高く売れないのかな?
確か大きなガラスとか鏡って中世の世界では王宮とか大貴族とか大聖堂とかしか使えない、高価な物だったはず。
だとしたら普通の消耗品である紙を魔術で創ると言うのは無理なのかな?
紙が大量生産出来たら本の値段も下がると思うんだけど。
つうか......考えてみたら、この間試しに買った本って羊の皮から出来ているんだよね?!?!
ちょっとグロイかもしれない。
レザージャケットを着ていた人間の言うセリフじゃないかもしれないけど。
「サンプルの紙でしたらそれなりに渡しますので、出来ればこちらの技術で植物を元にした紙の生産技術を開発できるよう、国の方でも技術開発の支援をしていただけます?
資金が足りないのでしたら、この紙をそれなりの量と金額で市販してその資金を回してもいいですから。
私としてはもっと安い値段で本が供給されるようになって欲しいんです」
個人で私が開発支援するよりも、国の政策として紙の開発はやって欲しい。
紙の目処が付きそうになったら、印刷機の開発も必要だな。
それまでに腕のいい職人さんとコネを作って、これは個人的に協力してもいいかも。
国に開発させたらエンターテイメント用の小説よりも、宗教とか政治的な何かに優先的に使われそうだ。
◆◆◆
翌日にノート3冊と鉛筆5本を渡す約束をして彼が迎えに来る時間を決めた後、カルダールは帰って行った。
本当はその場で創って渡しても良かったんだけど、あんまり簡単そうに見せると『もっと創ってもいいじゃないか』と思われたら困る。
カルダールはそんなこと言わないかもしれないけど、あの宰相は『使える物は親でも使え』をモットーにしていそうだ。
さて。
ベッドのマットレスだ。
実家を出る時にベッドを買うのにネットで検索したら幾つかタイプがあった。
一つは低反発マットレスだったけど、あれはあまり馴染みがないから魔法で再現っていうのは無理だろう。
ウォーターベッドは試したことない。でも、何かのドラマで寝返り打つたびに揺れちゃって気持ち悪くなったって言うような台詞があったような気がする。
水の交換の頻度とかも分からないし、没だな。
エアベッドは一度アメリカに転勤していた兄の家に遊びに行った時に使ったけど......微妙だった。
第一、ポンプが無ければマットレスが固くなるほどの空気圧を作り出せないだろうし。
やっぱ、普通のスプリングのマットレスがいいよね~。
あんまり良く覚えていないけど、縦のスプリングを横並びにどんどん連結すればいいんだろうか。
まずは外枠を作ろう。
砂利を幾つか手に取って1メートル定規を創りだし、それでベッドのフレームのサイズを測る。
126センチx194センチ。
中途半端な長さだ。
こっちの長さの単位を聞くの忘れてたけど、それに合わせているんだろう。
会話で時々距離とか長さが妙な数字で言われることがあるけど、あれって翻訳魔術がこちらの単位をセンチやメートルに換算しているんだろうね。
それはともかく。
ベッドのサイズに合わせなければならないので、測ったサイズで砂利を並べた。
さて。
サイズが同じになって欲しいから、これをフレーム2つに最初から創っちゃう方がいいよね。
『物を創る魔術』で並べた形に砂利を2つのワイヤーフレームに変える。
......砂利の形にボコボコなワイヤーになってしまった上にガチガチに固い金属のフレームになってしまった。
あれ~?
ワイヤーって指定したつもりだったんだけど。
ワイヤーフレームという名前で指定したけど、鉄の塊を思い浮かべたから硬直的な金属になっちゃったんかも。
細い目のワイヤーがぎっちり巻かれて直径1センチ弱ぐらいの一本の枠になっているような、それなりに安定性と硬度があるものの体重がかかったら痛くなる前に曲がるフレームを頭に浮かべながら、もう一度修正に術をかけてみる。
あ、ちょっといい感じ?
あ~あ、家のベッドのマットレスもかっぱらって来れたら良かったのに。
でも、流石にあれが消えていたら親も『何かおかしい』と思うだろうからなぁ。
粗大ごみに捨てる日が分かればさり気無くゴミ捨て場から持って行くんだけど、流石に粗大ごみのシールを買ってくるまで見張っている訳にもいかないし。
......一応毎晩寝る前に私のアパートを魔術で視る習慣を始めようかなぁ?
もしかしたら他にも使えそうなものをゴミ捨て場から持ち出す機会があるかもしれないし。
娘を突然事故で失ったらそれなりにショックだろうけど、毎月の家賃だって払わなきゃならないんだから1,2カ月したら嫌でも私のアパートの処分をするだろう。
どうせなら投資関係の書類だけ引き取って、残りはプロに任せて全部捨ててもらってくれたらいいんだけど。
親に見られたくない物なんかもちょこちょこあったし。
「ご飯ですよ~」
そんなことを考えていたら夕食を知らせる声が聞こえてきた。
おっと。
マットレスのスプリングはまた後でだ。
夕食が私を待っている!
色々日常生活のことを考えるのが楽しいので、ふらふらノンビリと話が進む予定です。