024 宰相
「宰相府で働くのは辞退したらしいな。10日間の準備期間で十分だったのか?」
初めて見た宰相室は仕事用の机、本棚だけでなくソファやサイドテーブルを置いた接客スペースもそこそこ大きく取られた、優雅な部屋だった。
見たことないけど、大企業の社長さんの部屋ってこんな感じなのかな?
それこそ首相とか大統領とかは館全部が官邸として与えられるんだから、これなんて小さい方なんだろうね。
まあ、『宰相府』という言葉があるんだからそれなりに部下がいて、部下の部屋とかを全部合わせたら官邸一個分ぐらいのスペースをとっているんだろうけど。
そんな優雅な接客スペース......ではなく、私は机の前のとても実用的な椅子に座って宰相さんに尋問されていた。
本人はそんなつもりないのかもしれないが、気分的には尋問、詰問、拷問.....とまではではいかないにしても、それなりに居心地が悪いぞ。
勧誘する望みを捨てていないなら、ますますこんな威圧的な態度は駄目だろうに。
「一つの社会の常識を10日で学べるとは元より思ってはいません。
魔術院の方々は私が異世界から事故で来てしまった人間だと聞いているでしょうから、最初は多少の常識はずれな言動には目をつぶってくれるでしょうし。
カルダールさんの貴重な時間を分けていただき、感謝していますわ」
内心感じていた不快感はとりあえず押しつぶし、にこやかに言葉を返す。
「地域移動の不当な制限の問題やトッキョ権の話など、色々面白い話をカルダールにしてくれたと聞く。
それらの提案を実行に移すためにもこちらで手伝おうとは思わないのか?」
別に~。
そりゃあ、世の中をより公平でいいモノにしたいと漠然とは思うけどさ、その為に身を粉にして働くほどこの世界に思い入れ無いし。
第一、世の中自助努力でしょう。
自分で自分を助ける努力をしないで、他の世界から来ちゃった人間を頼るなんて間違っている。
「私はこの世界における異邦者です。だからこそ新しい視点があり、新しい知識がある。かえって毎日の政治や政策にかかわる仕事をしていくと、この世界の出来ごとに『慣れ』てしまい新しい視点を提供することが出来なくなってしまうと思いますわ」
この宰相さんが欲しいのは私の実務能力ではなく、新しい視点とかアイディアだろう。だとしたら、それが使えなくなると指摘する方が角が立たない......と期待したい。
「以前の世界で働いてきた経験では、仕事というのはどうしても慣れと惰性が生まれてしまうモノです。だから引き継ぎの際の疑問や提案は全てメモしておき、忘れぬように役立てろと私は教わりました。
そう考えると、私が実務に参加するよりも、軽い会話程度で『慣れ』を生じさせぬ程度に利用していくことの方がよろしいのでは?」
ふん。
宰相が軽く鼻をならした。
おい。
折角の私の言い訳を鼻で笑ったな!?
「で、正直な所は理由はなんだ?」
「......働きたいと思う理由があると思います?」
むかついたから正直に答えた。
宰相の顔に驚きが浮かんだ。
もしかして、初めて見たかも、この人の驚き。
つうか、考えてみたら最初の王様との会見の時しかちゃんと会っていないんだけどさ。
あの時も筆頭魔術師は王様が突然入ってきた時に仰天していたけど宰相は『驚いた』と言うよりも『諦めた』ような顔をしていたと思う。
「宰相府で働き、国の政治を左右したいと願う人間は毎日掃いて捨てる程現れるのだが?」
「私には権力を持つ事で優遇したい友人も親族もいません。
資金が必要でしたら魔術でなんとでも出来ます。
この国をより良くしたいと思って身を粉にして働きたいほどの理想もありませんし、誰かの権力基盤を潰したいと思うほどの恨みも怒りも有りません。
態々書類に埋もれるような官僚の職に就きたいと思う理由がどこにあります?」
宰相が唖然としたように私を暫し凝視していたが、やがて小さく笑い始めた。
「くくくく。
成程、身寄りもなく、利害関係もなく、しかも錬金も出来るとなれば態々政治に係わる動機がないか。
思ってもみなかったな」
「私が何故カルダールさんの提案を断ったと思っていたんです?」
「普通の魔術師ならば単に研究バカで時間が惜しいだけなのだろうと思うところだが、フジノ殿は色々と政治の構造と言うモノに頭が回るようだから、自分の能力を高く売りつけようと画策しているのかと思っていた」
失礼な。
誰が自分から望んで政治家の僕になんぞなるもんかい。
......まあ、もしかしたらこの世界では政治家と言うモノのモラル的な地位が日本程低くないのかも。
それこそ、昔のヨーロッパみたいな『高貴なるものの義務』みたいなもので政治って言うのは良識があり余裕がある人のボランティアみたいなものだという見方もあるんかね?
とは言え、権力にも直結しているみたいだから清廉な善意だけでは絶対にないみたいだけど。
「とは言え、この世界に骨を埋めることになるのは確実な様ですからね。第三者の視点から見て指摘できる問題点や新しいアイディアを提供する為に、週に1日宰相殿なりカルダールさんなりと会ってお茶をしたり雑談をしたりするのに異議はありません」
とりあえず、これで妥協してくれ。
宰相との関係は円満な方が、どこかの権力者からの横やりとかからも守ってもらえそうだし。
◆◆◆
>>>side エッサム宰相
『......働きたいと思う理由があると思います?』
久しぶりに下心の無い、正直な言葉を聞いたかもしれない。
エッサムがカルダールを重宝してきたのはその聞き上手な技能だけでなく、下心の無いまっすぐな性格に寄るところも大きかった。
世の中、権力の座に近ければ近いほど私欲に捕らわれた人間が群がってくる。
まともな人間は私利私欲に走る人間たちに利用されるか蹴散らされるかして、宰相などと言う存在に近づくことすら難しい。
そんな中で、親戚に頼まれて文官の試験を受ける際に屋敷に泊めてやったカルダールは近年では一番のヒットだった。
どうやら、この人間も宰相の座に求める物の無い人間らしい。
魔術師としての鍛錬を行うよりも政治的活動に精が出るばかりの筆頭魔術師のことを苦々しく思ってきたが、あの老害がこの異邦人を召喚したことはエッサムにとって実はとても幸運なことだったのかもしれない。
「分かった。では、週に一度こちらに来て色々話してもらうことにするか。
早速だが、この10日間でどんな感想を持ったのか言ってくれ」
一瞬考えるような顔をしていたが、やがてフジノはどこからか薄く大きな本のような物を取りだした。
「まて、今それはどこから取り出した??」
絶対に手には持っていなかったぞ!
「あれ、宰相様も見たことありません、異次元収納?
一般には流通していないにしても、一国の宰相なら見たことがあっても不思議は無いと思いましたが」
フジノが首を傾げながら尋ねる。
「伝説の魔具としてなら聞いたことがあるが、機能する物は見たことが無かったな」
王宮の宝庫にも異次元に王国の秘伝の魔具を収納すると言われる箱があるが、それは何も入っていない。
筆頭魔術師の言うには魔力が切れているとのことだが、どうやって魔力を補充すればいいのかも分からぬらしい。
それなりに研究させれば分かるのかもしれないが王家の秘宝を魔術院の研究所に持って行かせる訳にもいかず、結局ガラクタとなり果てている。
「あ~カルダールさんも欲しそうな顔をしていましたね、そう言えば。
自分用は自分の魔力で起動するんで作るも簡単ですが、自分の魔力を継続的に繋がずにどうやって機能させるのかちょっと研究が必要なので、魔術院の研究所ででも弄ってみますね」
小さく肩をすくめてフジノが答えた。
......何とも言えず、淡々としている。
こうもあっさりと伝説級の魔具を使っている(作ったのか??)姿を見ると何とも複雑な心境になる。
この女は、一体どれ程危険な存在なのだろうか?
何も持っていないところから本を出せるのならば、そこから武器を出すのも可能だろう。
しかも、筆頭魔術師が言うにはあの召喚陣は『魔王を倒すだけの能力がある者』しか召喚しないはずの物。
だとしたら、この魔術師はこの世界の人間が知らぬ魔術を行使出来るだけなく、誰にも対抗できないだけの魔力を持っているのかもしれない。
......とは言え、あのカルダールが気に入った人間だ。
この国に対して良くも悪くも思い入れが無いと言った本人の言葉にも嘘は感じられなかった。
あまり警戒しすぎて相手を追い詰めるようなことはしない方がいいのだろうな。
「ええとですね、私が色々聞いてきた感想ですが......」
本を広げ、ページをめくりながらフジノが始めた。
「まず、全体的な生産性の悪さが気になりましたね。
規模の生産性も活かされず、製造法や工法を工夫しても新技術のメリットから利益を得ることが出来る制度が出来ていない為、あまり効率性アップということの工夫をしようと言う考え方が無いように感じられました。
まあ、効率的であることが国民にとって最善であるとは必ずしも言い切れないのですが、少なくとももう少し国民全体の生活レベルをアップ出来てもいいのではないでしょうか」
「トッキョとか言う制度か。
それに関してはこちらも導入してみたいと思っている。ギルドと魔術院とも話を始めることになっているが、もう少し詳しく説明してくれ」
「これから制度を始めるのだとしたら、現在一般的に知られていない工法や技術や、現存の技術を革新的に改善する物にその技術に対する独占権を認め、他者が利用する際に利用料を課すことが出来る制度です
私の世界では技術の盗難も大きな問題だったのですが、少なくともこの世界ならば法術で本当にその申請者が開発したのか確認出来るでしょうからそこの問題はなさそうですね。
ただ、使用料と引き換えに技術を公開するのですから同じ制度を導入するつもりの無い他国に技術を盗まれると痛いですから、閲覧する人間に対する検査も行った方がいいと思われます」
「法術の需要がかなり高まるな」
「そうですね。
ですが、これによって技術が進み、生産コストが下がって国民全体が豊かになったら栄養失調や劣悪な生活環境から生じる疫病などが減ると思いますよ。
まあ、皆が豊かになったら今よりも神官に治療を頼む人が増えて余計忙しくなるかもしれませんが」
少し頭が痛い問題だ。
「人との話から思っただけのことなのですが、移動手段に費用と時間がかかり過ぎなのではないかとも思いました。馬車や馬の値段とその移動距離を考えるとかなり流通が遅い上にコストが高いようです。しかも魔物の問題があるので護衛費も無視できない金額になるようですし。
今は基本的に各地域で生産した物をそこで消費している様なのであまり問題では無いのかもしれませんが、どうせなら農作に適した地域は農作を、牧畜に適した地域は牧畜に集中した方が本来ならば効率的なのではないかと思います。
その為にはより安価で安全かつ早い移動手段を可能にする必要があるのではないでしょうか」
この世界では、魔物を撃退出来るだけの能力を持つ者だけが長距離の移動が可能となり、それだけの費用を払うのに見合った価値があるものしか流通されない。
だから基本的に各地域で経済が完結するのだが、それが非効率的だと言うのか。
「街道沿いに何らかの魔物よけの結界を張るか、でなければ運河の建設なども長期的な手段としては考えられますね。
深くない川にはあまり魔物も出ないとの話ですから、底の浅い運搬用の船を馬で引くような形の運河にすればあまり魔物も被害も心配せずに、街道を進むよりも早く、安く物を運搬できるのではないでしょうか」
オクアダの湿地帯にある都市などは運河が張り巡らされ、それが主たる移動手段だと聞くが......。
「一体建設にどれだけの年月と費用がかかると思っているんだ」
フジノは意外そうな顔をしてこちらを見返した。
「魔術師を使えばそれ程の時間はかからないでしょうに。確かに費用はそれなりにかかると思いますが、例えば王都と北部の都市との間の移動時間と護衛人数を半分に出来るとして、節約できる費用の半分ぐらいを通行料として取りたてれば長期的な目で見ればコスト分を稼げません?
安い流通手段が確立すれば地域ごとの効率的な物への生産の特化が起きやすくなるでしょうから、国全体の産業の効率化も可能になると思いますよ」
面白い。
トッキョという制度も思いがけないものだが、灌漑用でも排水用でもなく、運搬用に運河を作るという考えは無かった。
しかもそれに魔術師を使うとは。
確かに普通に筋肉を使って行うよりもずっと早く工事は進むだろう。
どうやってそれを魔術院に売りこんで、魔術師たちに協力させるか悩ましいところだが。