022 王都(5)
とりあえず、機織り機のシャトルのことについては後で考えることにして、家具街の二番通りもぶらついてみた。
世界史の授業のうろ覚えな記憶によると、イギリスでの産業革命の際には今までの社会の構造が崩れ、色々なきしみが発生したらしい。
産業革命前だって不作の年には農村で餓死する人が大量に出ていたし、産業革命によって社会の生産性が上がり平均的収入が増えたことも事実なのだが......産業革命と近代との間に労働者が劣悪な環境で半ば奴隷のように働いた時期もあったとの話だ。
考えてみたら、生産性を飛躍的に上げる道具のアイディアを提供したところで、権力者である貴族階級(なんだろうね、多分)の大臣たちと相談したらそのアイディアのメリットは殆ど権力者に吸い取られてしまう可能性が高い。最悪の場合、貴族直属の工房だけに新しいシャトルが提供され、その他の平民の工房が破綻して貴族の工房でワーキング・プアみたいな環境でこき使われる羽目になるかもしれない。
カルダール個人を信頼しない訳ではないが、自力で知り合いを増やして情報を収集し、出来るだけ変な影響無しに技術革新を広げる努力をした方が良さそうだ。
ついでに贅沢を言わせて貰えば、現状の環境汚染の無い状態を出来るだけ維持したい。
それこそ、機織りにしたって一番の革新は蒸気機関を使った自動機織り機だったらしいし。
でも、排気ガスを大量に吐き出すような蒸気機関はあまりこの世界に持ち込みたくない。
水車とか風車ならいいんだけどさ。
蒸気エンジンは長期的な目で見れば地球温暖化の原因の一つであり、空気汚染をもたらした。
便利な物ではあるが......便利が最適とは限らないし。
人生はそこそこ長いんだ。
別に情報提供を急ぐことも無いだろう。
ゆるやかにある程度の技術改革を齎して国民全員の収入を上げて行くのの手伝いをしたい。
が、下手な豊かさはかえって不満を生む事になりかねない。
中国だって世界の工場としての経済的に豊かになってきたからこそ、『生存』以上の事に目が向く様になって汚職や富の偏重に不満が溜まり、暴動とかが起こる頻度が増えたとどこかで読んだ気がする。
その時の記事には、フランス革命だって疫病が蔓延して農民などの生活が本当にどん底だった時では無く、フランスの国力が今までに無く高まっていた時に起きたと指摘されていた。
要は、人間は余裕が出来てきた時に却って周りとの不平等とかに怒りを爆発させる生き物らしい。
変な内乱や暴動に巻き込まれたく無いから、物事は用心深く、ゆっくり進める方がいいだろう。
◆◆◆
「いらっしゃいませ~」
店に入った途端に明るい声を掛けられた。
お、ここは熱心だね。
一番通りはそれなりにカルダールを見かけたら熱心にセールスしてきたが、二番街の店はどれもこちらから質問をする為に近づかない限り、全く売り込もうとしない店員ばかりだった。
自分の店の商品に自信があって安っぽい売り込みなんぞ必要ないと思っているのかもしれないけど......日本の商店に慣れている身としてはちょっとその態度を見ると『やる気が無い』と言う風に見えてしまう。
日本にいた頃は何か質問したいことがあるんじゃない限り、店員に声をかけられるのは嫌いだったんだけどねぇ。あまりにも声を掛けられない店が続いたせいで、改めてその有難さが分かってきたのかもしれない。
店員さんの熱心そうな態度に感化され、思わず店の中をじっくりと見回してしまう。
う~ん、ソファとか机は堅実路線で悪くないかな。
本棚は微妙な気がする。
中途半端に奥が深く、使いにくそう。
どうせなら日本で良く売っていたスライド式の二重の本棚みたいに、前の棚が横に動くような構造にしてくれればいいのに。
一番通りで本棚を買うような金持ちは、図書室を持っていて本棚は天井まで作り付けられてそれを梯子を横に滑らして本を取る構造になっている。確か、映画ハナプトラで主人公の女性が最初に調べ物をしていた図書館の本棚があんな感じだった。
とは言え、あの映画ではバランスを崩して本棚にぶつかったら図書室中の本棚がドミノ倒しを起こして大変なことになっていたようだが。
こちらは魔術を使って固定しているのか、王宮の図書館の本棚は力いっぱい押してもこれっぽっちも動かなかったからそれこそ大地震が来ても大丈夫そうだけど。
二番通りの本棚を買うのはそこまで金持ちな人では無いんだから、本棚の使い勝手にもうちょっと工夫をしても良さそうなもんだけどねぇ。
日本みたいに何でも効率化と工夫をしたがる国民性じゃあないのかな、この国は?
異次元収納に入れればスペースは殆ど無制限にあるが、やはり本は見える所に並べてある方が使いやすい。
本棚ってオーダーしたら幾らぐらいするんだろ?
「本棚をお求めですか?」
本棚を眺めていた私に店員が声をかけてきた。
「うーん、欲しいんだけどちょっとこれって使い勝手が悪いかなぁ~と思って。
小本のサイズってこれ程奥行きはないわよね?」
目の前の本棚を指しながら答える。
先程入った本屋を見たとろ、ハードカバーの本だとこの本棚ぐらいの奥行きが必要だが、こちらの世界にもそこまで本にお金をかけられない人用にペーパーバック(事らは小本と呼ぶらしい)もそこそこ売られている。
元々ハードカバーは大きいし嵩張るし読むのに腕が疲れてしまいそうだ。それを考えるとそこそこの数の本は小本を揃えると思う。
となると、この本棚って無駄なんだよね。
「ですが、大本を入れるにはこれだけの深さが必要なんです」
済まなそうに答えた店員に、提案をしてみる事にした。
「この本棚の左3分の1に関しては、このままでいいとしましょう。
残りの3分の2については棚の奥行きを半分に出来ません?そして、前方にレールを上と下に付けてそこを移動する可動式の棚をもう一列、前に置くんです。後の棚には前のを左右に動かすことでどちらも手が届きますし、前後に棚を付けることで収納出来る小本の数が1.5倍になりますでしょ?」
暫く私の言った事を考えていた店員は、突然慌しく店の奥に戻って紙を掴んでくると、図面を書き始めた。
「こんなかんじですか?!」
上手いねぇ。
ちゃちゃっと使いにくそうな羽ペンで描いたにも関わらず、図面は見事私が日本で持っていた様な二重式の本棚になっていた。
図工の成績が五段階評価でいつも2か3だった私には羨ましいの一言に尽きる。
「そうですね。こんなのを作っていただけます?」
ふう。
ペンと紙を置き、深く店員さんが息をついた。
「素晴らしいですね。
このように本棚を工夫することなど、思いつきもしませんでした。
是非、作らせていただきます。
ところで......」
こちらを見つめる目に何やら怪しげな光が?
値段交渉かね?
しまった、カルダールさんに本棚の相場を聞いておくのを忘れた。
必死で奥の方でソファの座り心地を試しているカルダールさんに『助けてくれ!』と目線を送るものの......こっちを見てないし!
こら!
案内人だろ~!助けてよ!
「試行錯誤もあると思いますので時間がかかると思いますが、本棚は無料で差し上げます。代わりに、このデザインを使わせていただいてよろしいでしょうか?」
あれ?
こっちって特許権無いんじゃなかったの?
アイディアなんて盗ったもん勝ちなのかと思っていた。
「あれ、この国ではデザインも工夫も幾らでも模倣し放題なんじゃないんですか?」
思わず首を傾げてしまった。
店員さんが苦笑する。
「流石に副宰相が連れていらしたお客様のアイディアを盗むなんて怖くて出来ませんよ」
そうでっか。
カルダールさん、一緒に来てくれて感謝だ。
先ほどは文句を(心の中で)言って御免なさい。
しかし。
技術提供をゆっくり注意しながら......なんて思っていたのにうっかり新しいアイディアを早速提供しちゃったみたいだ。
でもまあ、ペーパーバック1冊で3日分の食費相当するような世界だ。
そうそう大量に本を買う人間はいないだろうし、上流階級だったらこんなスペース効率化の家具なんていらないはず。
となったら極端には売れないだろうから、それ程影響はないよね?
「無料で本棚を提供して良い程、本棚の需要ってありますか?
スペースに困っていない方でしたら壁いっぱいに本棚を作り付けるでしょうに」
にやりと店員さんが笑った。
「ウチの様な二番通りの家具屋のお得意様は、スペースに困らない程裕福な方ではありませんから。
我々の店の顧客層は、それなりに場所に制限のある中堅どころの商人とか学者が多いんですよ」
成程。
ま、商人も学者もそれ程大量に本棚は買わないだろうから、二重式の本棚のアイディアを売りだしても特に問題は無いだろう。
「分かりました。他の方にもどんどん使いやすい本棚を売ってあげて下さい。作るのに手伝えることがあったら言って下さい」
とは言っても、それ程詳細は憶えていないんだけど。
二重式の本棚って高校生の時に買ったんだよなぁ。今(というか死ぬ直前か)までずっと使ってきたけど、構造がどうなっていたかは微妙に憶えていない。
確か、上はレールからはみ出さないようにする目的で、何か鉄球みたいのが付いていただけな気がする。
下は車輪だったか、それとも鉄球だったんかなぁ?
多分、車輪じゃないと沢山本を入れて重くなった時に動かなくなるよね。
車輪は何で作るのがいいんだろ?
固いゴムとかだと静かで良さそうだけど、この中世チックな世界にタイヤ用のゴムみたいなものがあるとは思えない。
かといって木の車輪じゃあ直ぐにすり減りそうだし。
鉄の車輪だと煩そうだけど、どうなんだろ?
確か現代の車輪ってボール・ベアリングの小さな球が中と外の大きな輪の間に入って動きを滑らかにしていたと思う。大学を卒業した時に買ったちょっと高級(私にとってはだけど)な椅子についていた車輪を組み立てる時に見たら、小さな球が沢山車輪の中に入っていて、『これがボール・ベアリングかぁ』と感心した.....気がする。
ああいう小さな球ってどうやって作るんだろ?
溶かした鉄の滴を垂らして磨くんかね?
......きりがなさそうだ。
簡単に磨けるような柔らかい鉄だったらすぐに摩耗しそうだし。
まあ、考えてみたら本棚の車輪なんて普通に丸い鉄の輪っかに軸を通しているだけでいいよね?
それよりも、ボール・ベアリングか、その亜種を馬車の車輪に使えないだろうか。
あの揺れの酷さも少しは改善されるかもしれない。
とりあえず、今回は王都の職人さんとコネが出来たことを喜ぶことにしよう。
このまま一気に本棚を作る部分もやってしまいたいのだが・・・。
本棚って作るのにどのくらいかかるんだろ??
プロトタイプということで大雑把に急いで作ってアイディアを確認しているということにしようかなぁ。