018 王都
「今日は王都をもう少し散策してみませんか?
どんな地域に何が集まっているのか知っておきたいですし、将来的に住居を構える場所のアイディアもそろそろ集めておきたいです」
朝食の後に現れたカルダールに提案する。
今日でカルダールの講義の8日目。
もうすぐ最初の準備期間が終わるから引越し先についても考えておきたい。
まあ、引越すのは暫く後でも良いと言われたが、とりあえず王都の中をもう少し見て回りたいところだ。
何と言ってもまだ商業地域の目抜き通りと大神殿しか見ていないんだから。
「そうですね、確かに危険な地域とか欲しい物がある時に行くべき場所を知っておく方がいいですよね」
カルダールが頷きながら同意した。
部屋から出ようとして......カルダールが足を止めた。
「それなりに色々回るし、場所によっては道幅が細いので馬で回るのが一番いいのですが......乗馬は出来ますか?」
私の世界では非常に魔具モドキの物が発達して、様々な日常の道具や移動手段にそれを使っていると言っていたのを覚えていたらしい。
まあ、最初の馬車の時にかなりはしゃいで馬車と馬を調べていたからねぇ。馴染みが無いのはもろバレだったんだろう。
「乗馬の経験はありませんね。カルダールさんの馬に繋いで引き綱状態にしたら何とかなりませんか?」
カルダールが微妙に困った顔をした。
「馬を引くのは構いませんが......乗馬に慣れていないとかなり疲れると思いますよ?」
「大丈夫です、宙に浮いておきますから」
カルダールの馬に直接つないでもらって宙に浮いている私を引っ張ってもらってもいいのだが、流石にプカプカ宙を浮いている姿を王都中で目撃されるのは微妙だ。
馬にまたがっている形で宙に浮いている分には多分あまり目立たないだろう。
「疲れたら直ぐに言って下さいね。今日一日で王都を回れる訳でもないんですから」
微妙に疑わしげな顔をしながらカルダールが頼み込んできた。
大丈夫だって~。
単にまたがっているだけならバイクで経験あるんだから。
太股の筋肉で馬をコントロールしようと思ったらそれなりに大変だろうけど、宙に浮いているだけだったら椅子に座っているのと大して違いは無いだろう。
「では、厩の前で会いましょう」
馬に乗って王都に繰り出すとしたらそれなりに準備が必要だ。
乗馬服って言う物に着替える必要があるし、お金も少し必要だ。
まあ、私の場合は先日貰った銀貨38枚(元は40枚だったそうだが買った魔具分減額されたらしい)は異次元収納に収めてあるんでいつでも手元にあるんだけどね。
カルダールはそう言う訳にはいかないだろう。
馬で王都に出かけると言ったら、メイドは長いキュロットのような分かれたスカート(というか幅の広いズボン?)の服を出してきた。
考えてみたら、こう言う服に対する費用は払ってないし貰った資金からも控除されていないな。
でもまあ、こちらからは特に着替えを頼んでないし。
着替えなしの状態でここに来てしまったのは一応国側の責任だから、常識の範囲内の服は揃えてくれるつもりのようだ。
厩に着いたら、既に茶色い(栗毛って言うのかな?)ちょっと小柄な馬が待っていた。
「よろしく」
濡れたような大きな目を覗きこみながら鼻を撫でて挨拶をする。
勿論、賄賂用の人参も持参。
魔術で創った人参って食べた後にどうなるのかは知らないけど、味は別に普通の人参っぽかった。
成分も分析してみたところ、カロチンとかビタミンとかが入っているらしくて自然の人参と似たような感じだったし。
以前読んだ物語とかでは馬が砂糖や人参を好きだって書いてあったけど、甘い砂糖はまだしも何だって人参が好きなんだろう?甘いとは思えないが。水っぽいのがいいのかね?
だとしたら果物とかのほうが好きじゃないかな?
確か林檎も好きってどこかに書いてあったかもしれない。
次回馬で出かける時はそっちも試してみようかな。
「それは何ですか?」
声に振り返ったら、馬さんがガジガジ齧っている人参をカルダールが興味深げに見つめていた。
「人参です。以前いた世界では馬の好物と言われていたので仲良くなる為の挨拶として創ってみました」
しげしげとカルダールが人参を眺める。
「馬用の野菜ですか。面白い物があるのですね」
いやいやいや。
家畜用に態々開発するほど地球の人間達も暇じゃあないから。
「......この野菜は人間にとってもそこそこ有用で、味も悪くないということで主に人間が食べている野菜なのですが、この世界では育てられていないのですか?」
「もしかしたら刻まれた形で食卓に上がってきているのかもしれませんね」
あまり興味がなさげにカルダールが答えた。
お兄さん、食べ物は重要だよ~。
幾ら見おぼえが無いからってスルーしちゃだめでしょうに。
まあ、地球でも人参のことを大好き!という人はあまりいないかもしれないが。
この国ではあまりサラダを食べる習慣が無いみたいだから、人参が食べられていても原型は分かっていないのかもしれない。......というか、人参ってサラダに入れるとしても原型のままじゃあ固すぎて食べられないけど。
毎日食べていた食事に人参が入っていたかなんて気にしていなかったから分からないなぁ。
あれって栄養があって体に良いはずなんだけど。
とは言え、例えこの世界にないとしても、育てやすさとか味から判断してこちらに導入するだけの価値があるのか分からない。ビタミンとかカロチンとかいった栄養分ってあまりまだこちらの人は気にしていないみたいだし。
第一、こちらに導入するにしても......。
何分食べた野菜は食卓に上がってくる状態でしか見たことが無い。
だからどうやったら増やせるか分からない。とは言え、確か人参はこの天辺のところを切って水につけたら上の葉っぱが伸びてくると聞いた。人参を冷蔵庫の中に放置しておいたら根っこが生えてきたこともあったし。
それこそ、この人参本体を土に埋めたら育って花が咲いて種が出来るかも?
王都に農業研究所みたいのがあったらそこで研究してもらおうかなぁ。
じゃなきゃやる気のありそうな農家のおっちゃんとでも手を組んでもいいし。
私に馴染みがあるような野菜は味を良くするために品種改良をしすぎて、それなりに手をかけなきゃ上手く育たないかもしれないが、うまく育つようなら農家の収入アップに繋がるかもしれない。
人参はまだしも、ジャガイモは是非食べたいし。
お米も欲しいところだなぁ。
でも、米はそれこそ育てるのは難しいかもしれないなぁ。馴染みがあるのって精米しちゃった後の米だからあれって多分発芽しない。
それなりに落ち着いたら、お金を払ってでも情報を集めて類似品を見つけていくしかないかな。
ま、自分の食べる分だけだったら魔術で創ってもいいし。
......今晩にでももう一度地球での私の部屋を覗いて、まだ処分されていなかったら棚の中の米とかココアとかをかっぱらってこようかな。現物がある方が魔術の複製も良い物が出来る。
考えてみたら、チョコレートをつくろうと思ったら料理用ココアを溶かして砂糖を加えて固めればチョコレートになるんだろうか?確か私の部屋って甘すぎる森永のココアに苦みを加える為に買ったヴァンホーテンの料理用ココアはあったけど普通のチョコは買い置きしていなかった気がする。
ううむ。
もう私が『死んで』から10日近く経っている。
私の部屋の物って処分されちゃっているだろうか?
出来るだけ残っていて欲しいところだが。
駄目だったらしょうがないから近所のスーパーから頂いてしまおう。
へそくりのお金5万円のうちの1万円分使えば、それなりの物を揃えられるだろう。
......というか、最初からスーパーから貰おう。家に置いていなかったカレーのルーとか、インスタントラーメンとか、ハーゲンダッツのアイスクリームとかも少しサンプルが欲しいし。
そうなれば、急いで今晩かっぱらってくる必要はないね。
もうしばらくこちらで生活して、何が足りてないかを見極めてから異世界ショッピングに行くとしよう。
◆◆◆
「ここがマーケットです。食料品から簡単な武具、日常的な道具などが売られています。中に入るには馬を下りなければいけませんが、どうします?」
大きな広場の入口で止まってカルダールが振り返った。
「入ります!!」
ドキドキ・ワクワクである。
今の日本には殆ど市場なんてない。(少なくとも一般人が使うのは)
海外には残っているところもあるが、本当の市場があるような後進国(なんて言ったら失礼か)は怖くって行ったことが無い。だから、観光客用のエセ市場ではない本当に機能している市場なんて初めてだ。
来る途中のカルダールの説明によると、この世界ではよほどの高級食材でない限り、殆どの食材は市場で売買されている。店で売っているのは単価の高い貴族用の物などになるらしい。
あまり生産量も販売量も多くない職人が作るような大きめの家具や道具なども在庫スペースの必要から店舗を使う。
駆け出し職人が作るような安い武具類や簡単な道具などは郊外の工房で作って王都に持ち込み市場で売ることが多いんだそうだ。
つるしでない洋服や宝石、魔具も店舗販売。服なんかはこちらは作業服以外は殆どオーダーメードになるんだそうだ。作るのに手間暇がかかるから、たくさん作った物を色々な店でおいておいてそのサイズにあった人が適当に買うという地球風の売り方をするには在庫が高すぎるらしい。
つまり平民とかは殆ど毎日同じ服を着ているんだろう。
まあ、一時間当たりの人件費は日本より大分安いんだろうけど。
ま、それはともかく。
市場は第二輪地域の中で場所が分かれており、王宮の南側が主に食材、北側が武具や衣類関係、西が道具類が多いらしい。
多いと言うだけで、市場に集まる客を目当てにどの市場でも殆ど何でも売っているとのことだが。
拘りがあるとか、大量に買う時はちゃんと専門市場に行く方がいいが、それ以外の時はどこに行っても取り合えず大抵の物は手に入るとカルダールは言っていた。
で、最初に来た市場が南の食材市場。
私が人参に拘っていたのを覚えていたのか、真っ先にここに来てくれた。
市場の入口脇にある馬の停留所(じゃないけど、馬をつないでおく所)に馬を預け、市場に足を進める。
ラグのような物を地面に敷き、その上に商品を広げて色々売っている。
キャベツや南瓜、ごぼうに見える物体がまず目に入る。
こっちは玉ねぎかな?
『安いよ、安いよ~!』
『ダラスの豆だよ!たっぷり詰まっていてうまいぜ!』
『カントンのカエイだよ!甘いよ!』
色々な売り込みの声が聞こえてくる。
『いくら?』
『3つで銅貨5枚でどうだ!』
『高い!5つで銅貨5枚!』
『うわ~厳しいね。いいや、負けておこう。また今度買ってくれよ!』
どうやら値段は値切りはこちらの世界では当然の行為らしい。
ふらふら歩きまわりながら売り物を見て回る。微妙に土が取り切れていないところが本物っぽい。
というか、本物なんだけどさ。
......考えてみたら、日本のスーパーで売っている野菜ってどうやってああも完ぺきに泥を落としているんだろう?手で1個1個洗っていたら人件費がかかり過ぎだと思うが、道具で水で洗うとしたら湿って腐りやすくならないかね?
こっちのはブラッシか何かで泥を適当に落としたという感じだ。
考えてみたら一般家庭では水って井戸から汲んでくるらしいから買った食材を洗うのも大変そう。
「王宮の食材でこう言うところで仕入れているんですか?」
カルダールに尋ねる。
「いえ、もしものことがあっても困りますから。王宮の食材は王家直営の農場から提供させています」
ふうん。
王家直営の農場なんてモノがあるのか。
農場なんて泥臭い物には関与しないかと思っていたが、意外と現実的なんだね。
お、こっちなんてハーブ売り場だ。
土を詰めた小さな布袋にパセリやらバジルっぽいものが生えている。
あまりハーブは見た目では分からないが、葉を触って香りをかいでみるとどれもいい感じな匂いがする。
思わず心が動いたが、王宮で出されている食事に特に不満がある訳でもないので何も買わずに次へ。
ハーブを育てるって言うのは興味あるけど、実は料理にどう使っていいのかあまり分からないんだよね。
「値段は書いてありませんね。全部交渉しなければいけないのですか?」
カルダールに尋ねる。
「そうですね、常連客とか大量に買う相手には値引きしますから、何事も交渉次第です」
「そうは言っても、一々全部の店で値段を尋ねて一番安いのを見つけるのって大変じゃないですか?」
にっこりとカルダールが笑う。
「それも理由の一つだと思いますよ?皆、出来るだけ高く売りたいですからね。一目で他より高いと分かるような値段を出していては市場で売るのに不利ですから」
なるほど。
価格競争にならないようにしているのか。
と言うことは、下手に安い値札を出したりしたら後で袋叩きにあったりすることもあるのかね?
「市場の場所取りってどう決まるんです?値段を書いていないとなると、どうしても入口付近の店が有利だと思いますが」
「場所代が決まっていて、それを出せる人間の間ではくじ引きですね。確か、5日に一度場所替えのくじ引きをやっていると聞いた記憶があります」
ふ~ん。
場所取りもだが、買う方もいい店から良い品を見つけなきゃいけないんだね。
スーパーで適当に転がっていた野菜を掴んで買っていた私には難しそうだ。
独り暮らしで料理を作るのも虚しいし、出来れば食事つきの下宿みたいなところがいいかなぁ。