第85話 分身の死線、削り合いの死闘
(トオルの分体の視点)
俺はスキル『ダブル』によって作り出された「もう一人の俺」だ。
思考も、ステータスも、装備も、本体と変わらない。
直径百メートルほどのこの湖畔の島において、俺に与えられた命題はただ一つ――後方に控えるアキラ、ルミ、ランの三人を死守することだ。
この島は北端に入口の石階段があり、南端に生贄の祭壇が存在する。
南端では本体が、三つの首を持つ巨大な蛇竜『ハイドラ・ヴァイパー』と死闘を繰り広げていた。
もし俺がここで崩れ、後方を突破されれば、アキラたちは持ち堪えることができないし、本体は背後から挟み撃ちにされて一瞬で敗北する。
それだけは絶対に阻止しなければならない。
* * *
「……来たな」
俺の前方、湿った草むらを押し分けて茶褐色の『マッド・スライム』が五匹、泥を撒き散らしながら現れた。
不純物と泥が混ざり合ったスライムは身体をくねらせ、二十メートルほどの距離を保ったまま、不気味に球体を膨らませる。
次の瞬間、予兆も詠唱もなく、水属性攻撃魔法『ウォーター・ショット』が一斉に解き放たれた。
ドドドド、ドッ!
避ける隙などありはしない。
射出とほぼ同時に、重密度の水塊が凄まじい衝撃となって押し寄せた。
俺は『朽ちた躯の大盾』を地面に深く押し当て、歯を喰いしばって耐える。
衝撃で腕の骨が軋み、足元の土がごっそりと削り取られたが、なんとかその場に踏みとどまった。
遠距離からの無詠唱魔法をこれ以上撃たせ続ければ、こちらのジリ貧は目に見えている。
俺は追撃の連射が来る前に敵を殲滅すべく、大盾を構えたままマッド・スライムの群れ目掛けて地面を蹴り猛然と進む。
* *
二十メートルほどの距離を、わずか数秒で踏破する。
大盾の重量による敏捷の低下を感じつつも、踏み込みの勢いをそのまま右手の『疾風の剣』へと乗せた。
「まず一匹――!」
【斬撃付与】の青白い光を帯びた刃が、一匹目のマッド・スライムの不快な茶褐色の身体を真一文字に一閃する。
手応えと共に核が砕け散り、泥の塊となって崩れ落ち水溜まりとなる。
そのまま流れるような動きで、一撃で敵を沈黙させていった。
数秒で、この場を制圧する。
「……ふぅ」
しかし、一瞬の安堵を打ち消すように――
ガッ……!
ガガッ!!
背後から荒々しい打撃音と惨痛な気配が響いた。
盾で攻撃を防ぐ音。
ハッとなって振り返ると、水辺から這い上がってきた『水棲ゴブリン』三匹が、アキラたち目掛けて長い爪と牙を剥き出しにして襲いかかっていた。
アキラとルミは『木の丸盾』を必死に構え、爪の凶刃をギリギリで防いでいる。
だが、全ての攻撃を防ぎ切れず、二人の白い肌には薄っすらと鮮血の朱が滲んでいた。
さらに悪いことに、別の方向からマッド・スライム二匹が追加で現れ、無防備な彼女たちの側面へと這い寄っていた。
* *
(クソッ……多勢に無勢すぎる!)
アキラたちも盾と短剣を構えて正気を保ってはいるが、戦闘能力の低い彼女たちが殺意を宿したモンスターの攻撃を防ぎ続けるのは不可能だ。
彼女たちの背後には丸腰の少女、ランが怯えた瞳で身を小さく縮めている。
俺はこの場から救援に向かうため、即座に判断を下した。
大盾の耐久補正は魅力的だが、今の状態では『敏捷(-5)』のデメリットが大きすぎる。
「ふんっ……!」
俺は手にしていた『朽ちた躯の大盾』を、足元のぬかるんだ地面へ力任せに深々と突き刺した。
重量の呪縛から解き放たれ、全身の動きに軽やかさが戻ってくる。
迎撃に出た時以上の爆発的な速度で地面を蹴り、アキラたちの元へと急行した。
* * *
「トオル君……!?」
アキラたちの短い悲鳴と呼応するように、俺は水棲ゴブリン三匹のへと一瞬で距離を詰める。
迷うことなく、敵の急所に斬撃を繰り出した。
一歩踏み込むごとに、疾風の剣がゴブリンの首筋と心臓を正確に穿っていく。
ザシュ! ザシュ! ザシュッ!
三匹の悲鳴が重なる間もなく、水棲ゴブリンの群れを瞬く間に沈黙させた。
少しの猶予が生まれた瞬間、俺は動きを止めることなく【アイテムボックス】へ意識をアクセスさせた。
手放してきた大盾の代わりに、『鉄の小盾』を出現させて左腕に装着する。
敏捷を殺さずに防御力を確保するためだ。
こちらへ向かってきていた追加のマッド・スライム二匹が、二十メートルの距離で動きを止めるのが見えた。
* *
(ぎりぎり、間に合ったか……!)
直後、予兆のない『ウォーター・ショット』が放たれたが、俺は即座に掲げた鉄の小盾でその弾丸を受け止めた。
ゴッ、ゴンッ!
と重い金属音が響き、衝撃で体が僅かに後ろへ押し下げられる。
だが、受け切った。
衝撃を殺すと同時に一気に肉薄し、驚愕に引きつるスライム二匹の身体を連続で切り捨てた。
「ふぅっ!」
息つく暇もなく、俺は地面に突き刺してきた『朽ちた躯の大盾』に向かって全速力で走り出した。
走る動作の合間に、左腕の鉄の小盾を【アイテムボックス】へ素早く収納する。
刺さっていた大盾の柄を力任せに引き抜き、再び重厚な前衛装備へと身を固めた。
* * *
その時、島の中央の濃霧を割って、新たな脅威が姿を現した。
体長一・五メートルほどもある半透明の『浮遊クラゲ』――その数、およそ二十匹の大群だ。
ゆらゆらと空中を漂いながら、半透明の触手からバチバチと微弱な電流を放出させている。
島の最南端の戦いでは、本体が善戦している。
もう一人の俺が『疾風の剣』で、ハイドラ・ヴァイパーの中央の首の頭蓋を貫き、脳を破壊して沈めていた。
残る首はあと二つ。
(向こうは本体が順調に削っている……なら、俺の仕事はこいつらを全滅させることだ)
* *
浮遊クラゲ二十匹の大群に対し、こちらの戦力は俺一人。
広範囲を覆う敵集団を相手に、生半可な戦術や駆け引きなど通用しない。
「うおおおおおおっ!」
俺は大盾を前面に押し立て、愚直なまでに正面からクラゲの大群の中へ突入した。
どがっ!
体当たりをかました後――
手近な一匹の半透明な肉体を、疾風の剣で力任せに切り裂く。
「――ガアアアッ!?」
斬撃が通った瞬間、敵の体内に溜め込まれていた強烈な電撃が、剣の刃を伝って俺の全身へと一気に流れてきた。
先ほどのマッド・スライムの水魔法『ウォーター・ショット』によって、俺の全身は頭から足先まで濡れている。
水分を媒介にして威力を増した電流が、逃げ場なく皮膚と肉を焼き焦がしていく。
体が千切れるような激痛が走り、濡れた服からボッと白い水蒸気が立ち上った。
だが、俺は足を止めない。
「これくらいで、倒されてたまるかっ!」
ルミの補助魔法『レジスト・バリア』によって敵の魔法攻撃力が半減されてなければ危なかったが、まだ行動に支障はない。
激痛に痙攣しそうになる筋肉を精神力で強引に抑え込み、二匹目、三匹目のクラゲを狂ったように斬り伏せていく。
敵も死に物狂いで周囲に電流を放ち、俺を黒こげにしようと抗ってくる。
視界が激痛で白く染まり、肉が焼ける嫌な匂いが鼻腔を突く。
戦略も技巧もない、完全な削り合いの泥仕合。
(こういう、戦いには……慣れているんだよ……!)
過去の死線で培った泥臭い生存本能だけをむき出しにして、俺はただがむしゃらに、電撃に身を焼かれながら敵の数を減らし続けていった。




