天使様、創設者の涙を科学する
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夏休みに入って2週が過ぎた、ソリュス月の午後。王都ロドエル魔導学院のキャンパスには、ジリジリと肌を焼くような日差しが降り注いでいた。
チーム『寄せ植え』の五人――レオン、エリアス、フェリックス、ベアトリクス、ルチアは、学院の中庭にある『創設者の像』の前に陣取っていた。 彼らの次なるターゲットは、七不思議の二つ目、『涙を流す創設者の像』である。
「……暑いですわ」
ベアトリクスが、扇子でパタパタと顔を仰ぎながら、ぐったりとした声を出した。彼女の美しい金髪も、湿気と暑さで少し元気をなくしている。
「もう三日も張り込んでいるのに、一向に泣く気配がないじゃないか。創設者様も、この暑さで涙も干からびちまったんじゃないのか?」
フェリックスが、シャツの襟元をパタパタさせながらぼやく。彼らはここ数日、交代で像を観察していたのだが、創設者の像はただ静かに、威厳を持って佇んでいるだけだった。
「文献によれば、涙を流すのは『不定期』で、『雨も降っていないのに濡れている』という記述が多いんだ。……でも、今日は確かに暑いね」
エリアスも、額の汗を拭いながら、手元の古書に視線を落とす。
レオンは、みんなに冷やしたハーブティーを配りながら、像を見上げた。初代学院長である大魔導師の銅像は、マントを羽織り、杖を掲げた勇ましい姿をしている。しかし、この炎天下では、金属製のその体はさぞかし熱いだろうと思われた。
(うーん。鐘楼の時みたいに、何か物理的な原因があると思うんだけど……)
レオンは、顎に手を当てて考える。その時だった。
「あっ、見てください! あそこ!」
ルチアが、像の顔を指差して叫んだ。 全員の視線が、一斉に像の顔へと集まる。
じわり。 像の目頭のあたりから、水滴が湧き出し、それが集まって、つーっ、と頬を伝い落ちたのだ。
「な、泣いた……!」
「本当だ! 雨も降っていないのに!」
驚く一同の前で、現象は加速した。目からだけでなく、額や首筋、そしてマントの肩口あたりまでが、じっとりと濡れ始め、まるで玉のような汗、あるいは大量の涙となって滴り落ち始めたのだ。
「ひぃっ……!」
ベアトリクスが、青ざめた顔で後ずさった。彼女の「鉄壁のプライド」も、オカルト現象の前には脆くも崩れ去る。
「こ、これはきっと、創設者様の無念が……!わたくしたちのような未熟な生徒が、学院の伝統を汚していることを嘆いておられるのですわ!お、お祓いを!すぐに神官を呼ばなくては!」
「落ち着いて、ベアトリクス様」
レオンは、パニックになりかけた彼女をなだめると、スタスタと像の元へ歩み寄り、おもむろに手を伸ばして、濡れている像の足元に触れた。
(……ん?)
レオンの指先に伝わってきたのは、予想外の感触……炎天下にさらされた金属なら、火傷するほど熱いはずだ。しかし、その像は――。
「……冷たい!」
「えっ?」
レオンの言葉に、フェリックスが眉をひそめた。
「冷たい? そんな馬鹿な。この日差しだぞ?」
フェリックスは、確かめるように像の脛のあたりを、手のひらでバンッ! と叩いた。
――カーン……
澄んだ、しかしどこか抜けたような金属音が響いた。
「フェリックス様!罰当たりですよー!!」
「い、いい音がしたな……」
「ちょっと!フェリックス!わたくしたちまで呪われたらどうしてくれるのよ!!」
ベアトリスとルチアがフェリックスを攻める中、その音を聞いたエリアスが、はっと顔を上げた。
「今の音……中が空洞だね」
「空洞?」
「うん。中身が詰まっていれば、もっと鈍い音がするはずだよ。それに、レオン君が言った通り、表面が冷たい。……ということは」
エリアスが考え込む横で、レオンの中の「おばあちゃんの知恵袋」のページが、パラララッとめくられる。
金属製。中が空洞。表面が冷たい。外気は高温多湿。そして、表面に水滴が発生する。この条件が揃えば、答えは一つしかない。
「なるほど……冬の窓ガラスと一緒……だね」
レオンはポンと手を叩いた。
「え? レオン様、どういうことですか?」
ルチアが首を傾げる。レオンは、まるで理科の先生のように指を立てて解説を始めた。
「これは『結露』という現象だよ。ルチア、冬の寒い日に、暖かい部屋の窓ガラスが曇って、水滴がつくのを見たことがあるでしょう?」
「あ、はい。よく拭き掃除をしています」
「あれと同じ理屈なんだ。今、お昼過ぎで一番暑い時間帯だよね?空気中には、目に見えない水分がたくさん含まれているんだ」
レオンは、濡れた像を指差した。
「この銅像の中が『寒い冬の外』で、銅像の外側が『暖かい部屋』だと思えばいいよ。冷たいものに、湿った暖かい空気が触れると、空気中の水分が冷やされて、水に戻るんだ。それが、この『涙』の正体だよ」
レオンの分かりやすい解説に、全員がぽかんと口を開けた。
「け、けつろ……?」
「つまり、創設者様は泣いているわけでも、呪っているわけでもなく……ただ、汗をかいているだけ、ということか?」
フェリックスの要約に、レオンは苦笑しながら頷いた。
「まあ、そんな感じだね。だから、怖がることはないですよ、ベアトリクス様」
「そ、そうですの……。なんだか、拍子抜けですわね……」
ベアトリクスは、ほっと胸を撫で下ろしつつも、少し恥ずかしそうに扇子で顔を隠した。
だが、ここでエリアスが鋭い指摘をする。
「……でも、レオン君。理屈は分かったけど、肝心なことが分からないよ。なんで、この猛暑の中で、像の『内部』だけが冷えているんだい? 冷気はどこから?」
「あ、確かに!」
レオンもはっとした。自然状態で、金属の中がこれほど冷えることはあり得ない。 つまり、そこには「魔法的な仕掛け」があるはずだ。
「みんなで調べてみよう!きっとどこかに、魔法陣があるはずだよ!」
◇
五人は、像の周りをくまなく調べ始めた。 背の高いフェリックスが肩車をしてエリアスが背中を見たり、レオンが地面に這いつくばったり。
「あった! ここだよ!」
レオンが見つけたのは、像の台座の裏側、地面スレスレの場所に刻まれた、複雑な紋様だった。
「エリアス、これだよ!」
「うん、見てみるね」
エリアスは手帳を取り出し、魔法陣を書き写しながら解読を始める。
「ええと……これは古代語の『圧縮』と『冷却』の術式だね。風の魔力で空気を圧縮して……あとは、空気の冷却かな?すごい、これはかなり高度な熱交換の魔法だよ」
「へえ、エアコンみたいな仕組みなんだ」
レオンが感心していると、像の裏側を調べていたルチアとベアトリクスから声が上がった。
「レオン様!ちょっと来てくださいまし!変なものがあります!」
「変なもの?」
レオンたちが回り込むと、二人は像の足元――正確には、マントの裾と足の付け根の間の、少し奥まった部分を指差していた。
「見てください。ここ、なんだか穴が空いているところを、不自然な石で詰められているように見えるのですけど……」
ベアトリクスが指差した先には、像の素材である青銅とは明らかに違う、ただの丸い石ころが、無理やりねじ込まれたように詰まっていた。色は青銅の色と同化していて、パッと見ではわからない。場所としては、ちょうど像の股下のあたりだ。
「なんだこれ? 誰かのいたずらか?」
フェリックスが顔を近づける。
「なんか、栓をしてあるみたいだね」
レオンが呟くと、フェリックスが腕まくりをした。
「邪魔だな。外してみるか?」
「え、でも、不用意に触ると……」
エリアスが止めようとするより早く、フェリックスは「ふんっ!」と気合を入れて、その石を指で掴んで引っ張った。
脳筋のフェリックスにとって、詰まっているものは抜く、というのが正義なのだ。
――スポンッ!!
小気味良い音と共に、石が外れた。
その、瞬間……
バシュウウウウウッ!!
「うわあっ!?」
石が詰まっていた穴から、凄まじい勢いで、水が噴き出したのだ。それも、ただの水ではない。キンキンに冷えた、冷水である。
「つ、冷てぇ!!」
直撃を受けたフェリックスが悲鳴を上げる。水は勢いよくアーチを描き、地面を濡らしていく。
「あ、わかった!」
魔法陣を解析していたエリアスが、ポンと手を打った。
「この魔法陣、ただ冷やすだけじゃない!地下水を空気圧で汲み上げて、冷却しながら循環させる仕組みになってるんだ!」
「えっ、ということは……?」
「つまり、この像は、元々は『夏場に冷たい水を得るための、ウォーターサーバー』だったんだよ!」
エリアスの推測に、全員が呆気にとられた。威厳ある創設者の像が、まさかの給水機。しかも、キンキンに冷えた水が出るという高機能付きだ。
「なるほど! 昔の学生たちは、暑い日にここで冷たい水を飲んで涼んでいたんですね!」
レオンは納得した。内部を冷たい水が循環しているから、表面が冷えて、結露して「涙」を流していたのだ。
しかし、ここで一つの疑問が浮かぶ。
「でも、なんで石が詰められていたんでしょう?」
ルチアの素朴な疑問。レオンは、勢いよく水が噴き出している場所――像の股間あたり――をじっと見つめ、そして、サーッと顔色を青ざめさせた。
「……あ」
その視線につられ、全員がその場所に注目する。
威厳ある創設者の像。 その、股間のあたりから、放物線を描いて勢いよく飛び出す、水。
「……………………」
沈黙。 そして、全員の脳裏に、同じ結論が浮かんだ。
(((これ……見た目が、最悪だ……)))
レオンは震える声で言った。
「たぶん……誰かが、この見た目の悪さに気づいて、あえて石を詰めて、水が出ないように封印していたんじゃないかな……」
「「「ヒィッ!!」」」
石を外してしまったフェリックス、それを見つけたルチアとベアトリクスが、真っ青になった。彼らは、先人の「良識ある封印」を、自らの手で解いてしまったのだ。
「や、やべえ!戻せ!早く戻せ!」
フェリックスが慌てて石をねじ込もうとする。しかし、古代の魔導技術による空気圧ポンプの威力は凄まじく、水圧に押し返されて、石はどうしてもうまく嵌まらない。
「だ、ダメですわ! 水が強すぎて!」
「びしょ濡れだよー!」
悪戦苦闘する三人。レオンとエリアスは、冷静に(というより現実逃避気味に)水の行方を目で追った。
「あ、見て。水は、ちゃんと下の囲いにある排水口に流れていくみたいだよ」
「本当だ。溢れて周りが水浸しになることはなさそうだね」
つまり、機能としては正常に動いている。ただ、「ビジュアル」が致命的にアウトなだけだ。
五人は顔を見合わせた。 そして、無言のうちに、意思の疎通が行われた。
(((……逃げよう)))
「み、みんな! 今日の調査はここまでだね!」
「そ、そうですわね!魔法陣の書き写しも終わりましたし!」
「撤収だ! 撤収ー!」
彼らは、勢いよく水を出し続ける創設者の像をそのままに、脱兎のごとくその場を離れた。
◇
その後、サロンに集まった五人は、気まずい沈黙の中で魔法陣の解読の続きを行った。
「……うーん。やっぱり、この魔法陣にも、鐘楼の時と同じで、意味の分からない『別の術式』が組み込まれているね」
エリアスが、努めて真面目な声で報告する。
「鐘の時と同じで、何かの合図を送るような……」
「そ、そうか!じゃあ、やっぱり全部の七不思議を調べないとダメなんだな!」
フェリックスが、大声で話を逸らす。
「わ、分かりましたわ!ここは保留にして、次へ進みましょう!」
誰も、あの像の状態については触れようとしなかった。
◇
ーー後日
学院内は、新たな怪奇現象(?)の話題で持ちきりになっていた。
「おい、見たかよ、創設者の像!」
「ああ……。涙を流すどころじゃねえよな」
「あれ、どう見ても……してるよな……」
威厳ある創設者の像が、股間からコンコンと水を出し続けている姿は、瞬く間に全生徒の知るところとなった。教師たちは「誰だこんな悪戯をしたのは!」と激怒しつつも、水が冷たくて美味しいことに気づいた一部の生徒がこっそり飲みに行ったりして、カオスな状況になっていた。
そして、七不思議の二つ目、『涙を流す創設者の像』は、いつしか生徒たちの間で、こう呼ばれるようになった。
――『小便創設者』
チーム『寄せ植え』の五人は、その噂を聞くたびに、さっと視線を逸らし、それぞれ、心の中で深く懺悔と言い訳をした。
(やっぱり……見栄えが悪かったから、あえて石をはめていたんだ……)
(いや、これは……そもそも何であんなところに水道口を……)
(うんうん……これは……そもそも作った人が悪いのでは……)
(……わたしたちのせいじゃ……ないですよね!?)
(いや!僕らは魔法陣を見ただけ!それだけ!)
誰も口には出さなかったが、その真実は、彼らの胸の内に、重い秘密として刻まれたのだった。
「……さ、次は『永遠に枯れない薔薇園』だね!」
レオンは、引きつった笑顔で、無理やり話題を変えた。天使様たちの夏休みの研究は、まだまだ波乱含みで続いていく。
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