天使様、英雄の剣を握る
レオンの「カッコいい男計画」は、波乱含みながらも着実に(?)進行していた。
一昨日の地理・歴史の授業では、兄ユリウスの逃亡という失態を演じたが、レオン自身の知識欲は大いに満たされた。そして昨日の算学と言語の授業では、涙の訴えが効いたのか、ユリウスが珍しく真面目に授業を受けてくれたのだ。
(ユリ兄様が、僕の言葉を分かってくれたんだ!)
レオンは大満足だった。まさかその裏で、ユリウスが「やばい、このままだと本当に6歳児の弟に抜かれる」と、天才としてのプライドから焦りを感じていただけだとは、知る由もなかったが。
そして、スケジュールはイグナ曜(火の日)を迎える。レオンが待ちに待った、剣術指南の日だ。
彼は、騎士団から支給された体にぴったりの子供用の稽古着に身を包み、ウキウキと訓練場へ向かった。彼の頭の中では、すでに自分が兄アデルのように華麗な剣技を披露し、騎士たちから喝采を浴びるイメージが完璧に出来上がっていた。
グレイスフィールド家護衛騎士団、通称『白百合騎士団』。その訓練場は、男たちの熱気と汗、そして乾いた土煙に満ちていた。剣と剣がぶつかり合う甲高い音、腹の底から絞り出すような雄叫び。レオンにとって、それは「カッコいい男」の世界そのものだった。
「本日より、レオン様の剣術指南を担当させていただく、騎士団長のゴードン・ハーヴェイです。よろしくお願いいたします!」
日焼けした顔に、歴戦の証である深い皺を刻んだ初老の男が、深々と頭を下げた。彼は、平民出身でありながら、その実直さと剣の腕を先代侯爵に見出され、若き日の英雄ライナスと共に戦場を駆けた、叩き上げの騎士だった。マルクの兄であるライナスを神のように崇拝しており、その甥であるレオンに剣を教えられることを、この上ない名誉と感じていた。
訓練場では、すでにユリウスが木剣を振るっていた。彼は、氷の魔法で作り出した薄い刃を木剣にまとわせ、流れるような動きで訓練用の人形の急所を正確に射抜くという、彼らしいトリッキーな剣技を見せている。力ではなく、技と魔法で相手を制する、天才肌の剣さばきだ。
(ユリ兄様、カッコいい…!僕も頑張るぞ!)
レオンは、自分用の小さな木剣を両手でぎゅっと握りしめた。
アデル兄様の、あの力強く美しいフォームを思い出す。背筋を伸ばし、足をしっかりと踏みしめ、剣を振りかぶる。しかし、いざ剣を構えてみると、どうにもしっくりこない。
(おかしい…なぜか、腰が引けてしまう…!)
無意識に、腰をかばうような、少し前傾姿勢の構えになってしまうのだ。そして、えい、と木剣を振り下ろす。
その姿は、剣術というよりは、畑で鍬を振るう農夫のそれであった。
くす、くす…と、周囲で見守っていた若い騎士たちから、小さな笑い声が漏れた。
彼らに悪意はない。むしろ、「(か、可愛い…!一生懸命なのがまた…)」「(あの構え…守って差し上げたい…!)」と、そのぎこちない姿に萌えているだけなのだ。
だが、今のレオンには、その温かい眼差しが悪意に満ちた嘲笑に聞こえてしまった。
(…笑われた?)
レオンの顔から、さっと血の気が引く。
(なぜだ…?僕は、アデル兄様の動きを思い出して、誰よりも真剣にやっているのに…!)
彼のプライドは、初めて深く傷つけられた。
(やっぱり、僕には才能がないんだ…勉強はできても、運動はダメなんだ…こんなんじゃ、カッコいい男になんて、到底なれないじゃないか…!)
悔しさで目の奥がじんと熱くなり、涙が滲みそうになる。レオンはそれを必死でこらえ、俯いて唇をぎゅっと噛みしめた。
その時だった。
「―――待て!」
騎士団長ゴードンの、雷のような声が訓練場に響き渡った。
笑い声も、剣戟の音も、全てがぴたりと止まる。騎士たちの背筋が、緊張に凍りついた。
「貴様ら!何がおかしい!その目が節穴か!」
ゴードンは、ずんずんとレオンの元へ歩み寄ると、その前にひざまずき、まるで聖遺物に触れるかのように、震える手でレオンの構えを指さした。
「ま、まさか…その腰の落とし方、その剣の振りかぶり方は…!ラ、ライナス様!」
「「「え?」」」
騎士たちが、きょとんとする。
ゴードンの脳裏には、十数年前の戦場の光景が鮮やかに蘇っていた。
まだ若かった自分が、敵兵に囲まれ絶体絶命のピンチに陥った時、その背後から現れた一筋の閃光。それは、ロングソードを両手で握りしめ、大地に深く根を張るように腰を落とした、若き英雄ライナスの姿だった。
『ゴードン!下がるな!俺の背中だけ見ていろ!』
その力強い声、その圧倒的な剣技…。無謀な自分を、いつもその大きな背中で庇ってくれた、憧れの人の姿が。
回想から戻ったゴードンは、感極まった様子で叫んだ。
「今の主流は、盾と片手剣!だが、古の勇者たちは、盾を持たず、両手でロングソードを扱った!一撃の威力を最大限に高めるため、腰をぐっと落として体重を乗せる!これぞ、勇者の構え!ライナス様が得意とされた、伝説の剣技そのものではないか!」
そのただならぬ気迫に、騎士たちの間にどよめきが走る。
「え、あれが…?」「確かに、普通の構えじゃない…」「まさか、血は争えないというのか…」
ゴードンは、涙ぐみながらレオンを見つめた。
「レオン様は、その血に、英雄の記憶を宿しておられるのだ!」
「「「おおおお…!」」」
よく分からないが、団長が言うならすごいに違いない。騎士たちの見る目は、先程までの生暖かいものから、一転して尊敬と畏怖のそれに変わっていく。
「レオン様!ぜひ、こちらをお使いください!」
興奮したゴードンは、訓練場の奥から、厳重に布に包まれた長大な剣を持ち出してきた。それは、かつて英雄ライナスが愛用したという、形見のロングソードだった。白銀に輝く刀身には、美しい紋様が刻まれ、荘厳なオーラを放っている。
「さあ、レオン様!その魂に刻まれた剣技を、我々にお示しください!」
レオンは、困惑しながらも、団長のただならぬ気迫に押され、そのロングソードを受け取った。
それは、6歳児の身長とほぼ同じ長さ。ずしり、と腕に信じられない重みがのしかかる。
しかし…
「う、うわっ!」
受け取った瞬間、レオンの小さな体は、剣の重さに耐えきれず、ぐらりと傾いた。そして、くるくるとバレリーナのように美しい一回転をし、すてん、と見事に尻餅をついてしまった。
「「「…………」」」
訓練場に、鳥のさえずりだけが響き渡る、気まずい沈黙が落ちる。
騎士たちは、見るべきか見ざるべきか、視線をさまよわせる。ユリウスだけが、必死で噴き出すのをこらえて肩を震わせていた。
ゴードンは、顔色一つ変えず(しかし耳は真っ赤になっていたが)、そっとロングソードをレオンの手から引き取ると、厳かに布に包み直した。そして、何も言わずにそれを元の場所へ戻すと、大きく咳払いを一つして、騎士たちに向かって叫んだ。
「―――さあ!各自、素振り百回!声が小さいぞ!」
「は、はいッ!」
騎士たちは、待ってましたとばかりに、ものすごい勢いで素振りを始める。気まずい空気を振り払うかのように、訓練場には「セイッ!」「ハッ!」という声だけが響き渡った。
何事もなかったかのように、訓練が再開される。しかし、誰もレオンの方を見ようとしない。それが、白百合騎士団の暗黙の優しさだった。
レオンは、真っ赤になった顔で木剣を握り直した。悔しさと恥ずかしさでいっぱいだったが、心のどこかで、(団長は、僕の構えを認めてくれた…?)という、小さな希望も感じていた。
(やっぱり、カッコいい男への道は、遠くて険しい…!でも、負けないぞ!)
彼の自己改造計画は、またしても、思いもよらぬ「どうしてこうなった?」な結果と共に、続いていくのであった。
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