天使様、別れを惜しむ
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ーーールミア月も後半。
王都のロドエル魔導学院への入学式まで、残すところあと半月。グレイスフィールド家の三男、レオン・フォン・グレイスフィールドは、自室で大きなトランクを前に、最後の手荷物整理に勤しんでいた。
(いよいよ、学園生活が始まるんだな…)
レオンは、壁に貼られた年季の入った『カッコいい男計画』のスケジュール表を見つめた。 この三年間、体力作り、座学、魔力圧縮の特訓、そして数々の騒動。その全てが、この王都への旅立ちのためにあったと言っても過言ではない。
「……よし。筆記用具よし、お徳用のアメちゃん袋、予備含めて五袋、よし」
手際よく荷物を詰めていくレオン。その姿は、九歳の少年というよりは、旅行の準備に余念がないベテランの主婦のようでもある。和江おばあちゃんの「備えあれば憂いなし」という精神が、無意識のうちに指先を動かしていた。
だが、ふと手が止まった。トランクの隅に、母エレナが先日作ってくれた、領地の薬草をたっぷり使った防虫香が収まっているのが見えると、嫌でも領地のみんなとの別れを感じてしまう。
(……これを学園で使う時は、もう母様は隣にいないんだ)
その瞬間、レオンの胸の奥を、冷たい風が吹き抜けた。アデル兄様やユリウス兄様が近くにいるとはいえ、全寮制の生活だ。朝起きて父様の胃痛を心配し、温室で母様とオタク談義をし、ロイさんやルチアと笑い合う……そんな当たり前の日常が、明日からは「思い出」という過去の箱にしまわれてしまう。
(ダメだ。僕は『カッコいい男』になるんだ。これくらいで、メソメソしちゃ……)
自分に言い聞かせるが、視界がじわりと歪む。
「……うぅ……っ……ひっく……」
ついに堪えきれず、レオンはトランクの縁に顔を埋めて、声を殺して泣き始めた。家族が大好きだから。この温かいグレイスフィールドの家が、おおらかな領地が、自分の世界の全てだった。離れるのが、怖くて、寂しくてたまらない。
『レオン様ー? おやつにするー? ……あ、レオン様、雨漏りしてる?』
足元で丸くなっていたモフモフの塊――使い魔のモリィが、顔を上げて不思議そうにレオンを見上げた。
「モリィ……っ……僕、やっぱり、行きたくないよ……っ」
『えー。あんなに楽しみにしてたのに? アメちゃんあげる友達、いっぱい作るって言ってたじゃん』
「それとこれとは、別なんだよぉ……」
モリィは、よしよしと慰めるように、その大きな頭をレオンの膝に乗せた。
『しょうがないなー。そんなに寂しいならさ、お別れの前に、みんなに「ありがとう」って言いに行けば?お顔見たら、なんか、またすぐ会えるねって感じするじゃん?』
レオンは涙を拭い、鼻をすすりながらモリィを見た。
「……挨拶回りか……そうだね。お世話になった人たちに、ちゃんとお礼を言わないと。『立つ鳥跡を濁さず』だね」
そうだ。泣いている暇があるなら、これまで自分を支えてくれた人たちに、精一杯の感謝を届けるべきだ。それが、レオンの思う『カッコいい男』の引き際というものだ。
◇
翌日。レオンは、かつてロイの弟からもらった「普通の男の子の服」に身を包んだ。お忍びスタイルだ。
「ロイさん、最後にもう一度だけ、城下町へ行ってもいいですか?」
「もちろんでございます、レオン様! どこへでもお供いたします!」
ロイは、出発を控えたレオンの最後の願いに、感極まった様子で頷いた。レオンは城下町へと繰り出し、これまで縁のあった人々の元を訪ねた。
まずは、大商人のバルカス。
「バルカス様、お世話になりました。これは、僕からのお礼です」
レオンは、バルカスの好物である乾燥薬草の詰め合わせと、あの日リディアを救った時と同じ魔法で作った「お清めのアメ」を手渡した。
「レオンちゃん……いや、レオン様! まさかお忍びで、わざわざ私のような者に……。王都でも、どうかその慈悲深さを忘れずに!」
バルカスは、かつて「自分を売ろうとした」健気な少年の旅立ちに、商人の顔を捨てて号泣した。
その後も、門番の兵士たちや、屋台の親父さんにまで、
「今までありがとうございました。血圧には気をつけてね」
「火の用心ですよ」
と声をかけて回った。レオン本人は、ただ純粋にお礼を言っているつもりだった。だが、平民の服を泥だらけにしてまで、一人ひとりの手を握って回るその姿は、町の人々の目には「王都へ旅立つ前に、領民に慈悲を分け与える聖者の巡礼」として焼き付いた。
◇
そして、最後は城内である。レオンは、お徳用のアメちゃん袋を小脇に抱え、城で働く使用人全員を訪ね歩いた。
「クロノさん。いつも美味しいご飯をありがとう。立ち仕事が多いから、ふくらはぎの揉み洗いを忘れないでね。はい、これ、疲労回復に効く黄色のアメ」
「っっつ!……坊っちゃまの温かいお言葉、この包み紙と共に家宝にいたします……!」
「ハリーさん。腰を冷やさないようにね。雨の日は無理しちゃダメですよ。はい、これ、関節にいい緑のアメ」
「へ、へえ……坊っちゃま……。おら、坊っちゃまの剪定のアドバイス、一生守り通しますだ……っ!」
レオンは、一人ひとりの目を見つめ、これまでの感謝と、おばあちゃん特有の「お節介な健康指導」を添えて、丁寧にアメを配っていった。
その光景を、廊下の陰で見守っていた侍女長カサンドラと執事クラウスは、衝撃を受けていた。
「クラウス……見ましたか。レオン様、先ほどからずっと、あの調子で……」
カサンドラは、ハンカチで目元を抑え、レオンの姿を目に焼き付ける。彼女の目には、レオンの行動が、ただの学園に行くだけの挨拶回りには見えなかった。普通、学園に行くのにそこまでしない。なんなら、夏季休暇、冬季休暇を考えると、年の三分の一は領地にいるのだから……
「……ええ。まるで、自分はこの領地には二度と戻れない。だからこそ、今のうちに全ての恩を返し、皆の健康を案じている……。そんな、悲壮な決意すら感じられますな」
クラウスの声も、わずかに震えていた。普通の9歳の少年が、これほどまでに執拗に、かつ完璧な感謝の言葉を全員に贈るだろうか?いや、あり得ない。これは、レオン様が『自分は王都で王家や帝国の陰謀に巻き込まれ、生きて戻ることは叶わないかもしれない』と予見し、せめて最後のお別れを告げているに違いない!
和江おばあちゃんの「お別れ(引越しの挨拶)」という、日本人特有の律儀さが、この世界の住人たちのフィルターを通した結果、致命的な勘違いへと変換された。
「ああ、レオン様! 何というお覚悟を……! まだ9歳であらせられるのに、己の命を王国の礎にしようというのですか!」
「クラウス、我々もぼやぼやしてはいられません! レオン様がそこまで仰るのなら、我々も死ぬ気で、この城を守り抜かねば!」
二人の「レオン教」重鎮が、勘違いで奮起してしまった。そしてその噂は、瞬く間に城中に広まった。
『レオン様は、王都で死ぬ覚悟だ!』
『自分を売ろうとした時以上の、不退転の決意でおられる!』
『アメちゃんは、僕らへの最後の形見だ!』
レオンが最後に、カサンドラとクラウスの元へやってきた。
「カサンドラさん、マナーを教えてくれてありがとう。僕がいない間、父様を支えてあげてください。はい、これ、一番いいオレンジ味のアメ。クラウスさんも、胃薬の飲みすぎに気をつけて。はい、これ、ハーブのアメ。……二人とも、今まで、本当にありがとう」
レオンが、寂しさを堪えてにっこりと天使の微笑みを浮かべた。だが、その微笑みは、二人には「今生の別れの、悲しき聖母の笑み」に見えた。
「「――レ、レオン様ァァァァァァ!!」」
突然、城内のあちこちから、地鳴りのような号泣の声が上がる。カサンドラは膝から崩れ落ち、無表情だったクラウスは顔を覆って嗚咽した。廊下を歩くメイドも、重い荷物を運ぶ騎士も、皆が一斉に、配られたアメを握りしめて天を仰いで泣き叫んでいる。
「え、えええ!? みんな、どうしたの!? アメ、嫌いだった!? そんなに不味かった!?」
慌てふためくレオン。 だが、その叫びも、城中を包む「号泣の渦」にかき消されていく。
「ど、どうしてこうなった……!? 僕はただ、引越しの挨拶しただけなのに……!」
天使の出発前夜。グレイスフィールド城は、感動と勘違いと、猛烈な涙の湿気で、かつてないほどの洪水に見舞われていた。
そしてその夜、マルク侯爵の元には
「レオン様が死ぬ気で旅立たれます! 我々も死に物狂いで働きます!」
という、忠誠心1000%の、しかし意味不明な誓約書が全部署から届き、マルクの胃は、学院入学を前にして限界を感じるのであった。
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