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天使様、経済の魔術(損益計算表)について語る

読んでいただきありがとうございます!更新日は火・金・日予定です♩

 レオンが提示した『領地経営の可視化資料』――和江おばあちゃんが簿記2級の知識を総動員して作成した「損益計算書(P/L)」のような羊皮紙を前に、二人の大物侯爵は、まるで禁書を読み解く魔導師のような形相で固まっている。


「……信じられん。利益とは、金庫に残った金貨の数ではないというのか?」

 掠れた声で呟いたのは、「南の財布」の異名を持つメディチ・フォン・ポルトス侯爵だ。彼は脂汗を浮かべながら、レオンが描いた単純な図式を指でなぞる。

「はい、ポルトス様。和江……ええと、僕の古い記憶にある賢者の教えによれば、箱に入っているお金はただの結果に過ぎません」


 レオンは、にこやかにハーブティーを注ぎ足しながら、前世の「簿記」の基礎を語り始めた。

「大事なのは、どこからお金が入ってきて(収益)、何のためにどれだけのお金が出ていったか(費用)、その『流れ』を把握することです。収益から費用を引いて、最後に残ったものこそが、本当の成果(当期純利益)なんですよ」

「収益から、費用を……引く……」

 ポルトス侯爵の瞳が、急速に焦点を結び、そして驚愕に揺れた。


 この世界の商業は、いわゆる「どんぶり勘定」が主流だ。どれだけ売れたか、どれだけ手元にあるか。その二点のみに注目し、輸送費、人件費、保管コストといった「見えにくい費用」は、なんとなくの感覚で処理されていた。

(この少年は、商売の根幹……いや、富そのものの正体を解き明かそうとしているのか!?)


 ポルトス侯爵は戦慄した。もし、全ての取引をこの「損益計算表」で管理すれば、不正は一掃され、無駄な支出は削ぎ落とされ、富は雪だるま式に増えていくに違いない。

「レオン様、この『減価償却』という概念は……?」

「ああ、それは道具や建物を長く使うための知恵です。高い釜を買った時、その年に全部の費用にするのではなく、使う年数で分けて計算するんです。その方が、毎年の本当の儲けが見えやすいですから」

「……っ!!」

 ポルトス侯爵は、ガタガタと椅子を鳴らして立ち上がった。

(革命だ……!これは、大陸の経済構造を根底から覆す、禁断の数秘術だ!!)


 傍らで聞いていた農夫の如き剛勇、テラリア侯爵も、その太い腕を組んで唸っていた。

「レオン殿……。その考え方、農業にも当てはまるな?種代、肥料代、人足に払う銀貨……それらを引いて残るものが、俺たちの本当の『実り』というわけか。ただ収穫量が多いだけでは、領民は豊かにならんのだな」

「その通りです、テラリア様。おばあちゃんも言っていました。『家計簿をつけない家は、ザルで水を汲むようなものだ』って。」

 レオンの聖母のような……もとい、近所の世話焼きおばあちゃんのような慈愛に満ちた教え。それが、二人の侯爵には「国家の繁栄を約束する神託」として響いていた。


 ◇


「……あの、父様。なんだかお二人の顔色が、さっきから凄く赤いのですが……。お熱でもあるのでしょうか?」

 レオンが心配そうに、隣で魂が抜けたようになっている父マルクの袖を引く。

「……いや、レオン。彼らは……知恵の熱に浮かされているだけだ。気にするな」

 マルクは震える手で胃薬を口に放り込む。 自分の息子が、たかだか八歳で、大陸最高の商人であるポルトス侯爵に「商売のイロハ」を説き、完膚なきまでに心服させている。その事実に、父の心は誇らしさと、将来への恐ろしさで板挟みになっていた。


 だが、レオンの「知恵袋」は、まだ止まらない。  彼は、さらに一歩踏み込んだ話を始めた。

「ポルトス様。お金を稼ぐのは素晴らしいことですが、僕が一番大切にしたいのは、『三方良し』という心得なんです」

「……さんぽう、よし?」

 ポルトス侯爵が、獲物を狙う鷹のような鋭い目で見つめる。

「はい。一つ目は、売り手(僕たち)が喜ぶこと。二つ目は、買い手(相手の方)が喜ぶこと。そして三つ目は、世間(領民のみんな)が喜ぶことです。この三つが揃わない商売は、長続きしません。誰か一人が無理をしたり、みんなを悲しませたりするお金は、きっといつか、家を壊してしまいますから」

 それは、近江商人の哲学――和江おばあちゃんが「信頼こそが最大の財産だよ」と、孫たちに説いていた処世術だった。


 ーーー しん、と応接室が静まり返る。


 ポルトス侯爵は、震える手で眼鏡を拭い、瞬きを繰り返す。

 自分は今まで、いかに効率よく、いかに多くの富を吸い上げるかばかりを考えてきた。だが、目の前の少年は、その富の先に「全員の幸福」を見据えている。


(金儲けの化身かと思えば……その正体は、慈悲深き聖者か!)

 ポルトス侯爵の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

「レオン様……。私は、自分が恥ずかしい。私はただの、欲深い守銭奴に過ぎませんでした。貴方様こそ、真に王国の富を司るべきお方だ……!」

「えっ!? いや、僕はただ、みんなでお茶を飲めたらいいなって思っただけで……」

「なんと無欲な……! 見返りすら求めぬ、神の愛そのものではないか……!!」


 テラリア侯爵も、その巨大な拳を胸に当て、深く、深く頭を垂れた。

「三方良し……。大地も、農夫も、そしてそれを食べる民も、皆が笑う農業。それこそが、俺が追い求めていた理想だ。レオン殿、貴殿を我が心のマスターと呼ばせてほしい!」

「えええええ!?」

 レオンは、激しく首を横に振った。

「いけません! 僕はまだ子供ですし、来年からは学園に通うただの学生になるんですから! 師匠なんて、そんな大袈裟な……!」

(困ったな……。おばあちゃんが言ってた、ご近所付き合いのコツを話しただけなのに。なんでこんなに感動されちゃったんだろう?)


 レオンの脳内では、「どうしてこうなった?」という疑問符が、滝のように降り注が、目の前の大人たちは、もはや止まらない。

「グレイスフィールド侯! いや、マルク殿! 私は決めたぞ!」

 ポルトス侯爵が、マルクの手をがっしりと掴んだ。

「このレオン様の叡智……『損益計算書』と『三方良し』の精神を、我がポルトス領の全ての商人に叩き込む! そして、その成果をグレイスフィールド領と共有し、共に王国を支える経済の礎となろう!」

 マルクは、胃のあたりをぎゅっと押さえながら、引きつった笑顔で頷くしかなかった。

「……あ、ああ。……それは……よかった……」


 ◇


(ルチア、見て。父様たち、凄く仲良くなっちゃったよ)

(レオン様……なんだか、お話の内容が難しくて、私、めまいがしてきました……)

 ルチアは、さっぱりわからない計算の話と、それを自分の主人が提案している事実と、これからことが大きくなりそうな予感に、白目を剥きかけていた。

『レオン様ー、そろそろおやつの時間じゃないー?三方良しなら、僕にも良いことがないとダメだよー』

 足元でモリィが、能天気に尻尾を振っている。 レオンは、モリィの頭を撫でながら

(お父様も、友達ができた。僕も学園に行ったら、友達たくさんできるかな?)

 と見当違いなことを考えていたのだった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます♩

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