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天使様、堅物と激突する

読んでいただきありがとうございます!今年も終わり、皆様、良い年をお迎えください!更新日は火・金・日予定で変わりありません♩

 その日の午後。レオンはまたしても、書庫を訪れた。


(今度こそ!差し入れのレモネードだけでも!)

 ノックをしようとした、その時。

 書庫の中から、何かが割れる音と、ルキウスの焦った声が響いた!

「しまった…!!」

「ルキウス様!?」

 レオンは慌てて扉を開けると、 そこには、絶望的な光景が広がっていた。

 ルキウスが、床にインク瓶をぶちまけていたのだ。


 だが、問題はそこではない。

 飛び散った黒いインクが、彼が閲覧していたグレイスフィールド家所蔵の、古びた羊皮紙の資料を汚していた。

「ああ…なんということだ…!」

 ルキウスは青ざめている。

 彼は、持っていた記録用の特殊インクを、貴重な資料の上に落としてしまったのだ。

「『リペア』!『リペア』!」

 ルキウスは必死に修復魔法をかける。

 だが、魔法は物理的な『破れ』は治せても、『シミ』は消せない。 インクは、無慈悲にじわりと羊皮紙に染み込んでいく。


「なぜだ!僕の術式は完璧なはずだ!」

 データマンは、理論外の事態にパニックに陥っていた。

「ルキウス様!しっかりしてください!」

 レオンが叫ぶと、失敗を見られた恥ずかしさからか、ルキウスは顔を真っ赤にしてレオンを睨みつける。

「貴様のせいだ!」

 ルキウスが、レオンに怒りの矛先を向けた。

「貴様のような軟弱な子供が、うろつくからだ!僕の集中を乱した!どうしてくれる!」


「軟弱…」

「そうだ!貴様のようなお坊ちゃまに、近くをウロウロされるとイライラする!」

 レオンの胸が、ギュッと痛くなる。レオンは誘拐事件で言われてできた傷を、さらに抉られて、涙が出そうだ…


 しかし、レオンは、床に広がるインクのシミを見た瞬間、彼の頭の中で、和江おばあちゃんの知恵袋が、高速で起動し始めた。

(泣いてる場合じゃない!これは…油性のインク!羊皮紙は…まだ染み込んでない!)

 泣くより、母が大事にしている研究資料の救出の方が、優先度は高い。怒った母は怖いのだ!

(まだ、間に合う!)

「――プロじゃないんですね」

「え?」


 レオンの空気が、一瞬で変わる。泣きそうな子供ではなく、自信に溢れた歴戦の戦士おばあちゃんの顔…

「ルキウス様!そこをどいて!」

 レオンは、パニックのルキウスを突き飛ばす勢いで資料に駆け寄った。

「な、何をする!」

「いいから!使用人を呼んで!」

 レオンは叫んだ。

「すぐに『ランプ用の油』!それと『小麦粉』!」

「あと『綺麗な布』をたくさん!」

「油だと?小麦粉だと?何を…」

「いいから早く!!」


 レオンの気迫が、ルキウスの混乱を上回った。

「手当が遅れると、完全に染み付きますよ!」

 ルキウスは、訳が分からないまま、ベルで使用人を呼ぶと、すぐにルチアが、指示の品を持ってきた。

「おばあちゃん曰く…」

 レオンはブツブツと呟く。

「『油性のインクのシミには、油をぶつけなさい』」

「『油でインクを溶かして、小麦粉に吸わせるの』!」

 レオンは躊躇なく、インクのシミの上にランプ用の油を垂らした。

「馬鹿かっ!油で汚してどうする!」

 ルキウスが叫ぶ。

「黙って見ててください!」


 レオンは油を馴染ませ、上から小麦粉をドサリとまぶし、布で優しく叩き始める。

 魔法ではない。錬金術でもない。

 それは、原始的で、物理的な「シミ抜き」の技術だった。

 だが、効果は覿面。小麦粉が、油と共にインクを吸い取り、黒ずんでいく。

 レオンは素早く汚れた小麦粉を払い、新しい小麦粉と油で、それを繰り返した。

「そ、そんな…」

 ルキウスは唖然としている。

「魔法でもないのに…汚れが…浮いている…?」

 みるみるうちに、羊皮紙のシミは薄くなっていく。


 最後にレオンは、残った僅かな油分と汚れに向かって、そっと手をかざした。

「『クリーン』」

 初級の浄化魔法での、最後の仕上げ。インクのシミは、ほぼ完璧に消え去っていた。

「…すごい…」

 ルキウスは、息を飲み、思わず感嘆の言葉を漏らす。


 レオンは、ふう、と息をつくと、冷徹な「おばあちゃん」の目で、ルキウスを振り返った。

「ルキウス委員長殿」

「は、はい」

「貴方は、データと理論の専門家なのでしょう?」

「それなのに、『危機管理(リスクマネジメント)』がなっていません」

「…ぐっ」

「インクのような危険物を、貴重な資料の側で扱うこと自体、失格です」


 レオンは畳み掛ける。

「そして、魔法という『完璧な理論』に頼りすぎです。現実のインクは、貴方の理論通りには消えてくれません」

 ルキウスは、顔面蒼白だ。

「軟弱なお坊ちゃんは、規律に縛られ、目の前の現実(シミ)に対応できない、貴方の方ではありませんか?」

 ルキウスは、目の前の子供が持つ、膨大な「生活の知恵」の前に、完膚なきまでに叩き潰される。

「そ、それは…」

 ルキウスは、反論の言葉を見つけられなかった。


 そこで、レオンは追及をやめると、いつもの天使の微笑みに戻り、

「…でも、資料が元に戻ってよかったです!」

 と、言いながら、にっこりと微笑んだ。

「ルキウス様、怪我はありませんか?」

(な、なんなんだ、この子は…)

 ルキウスは、そのギャップに大混乱である。さっきまでの威圧感はどこへ行ったのか。そしてその後の微笑みは、本当に天使のようだ。

「僕、やっぱりルキウス様と仲良くしたいです!」


 レオンが、手を差し伸べる。インクと小麦粉で、少し汚れた小さい手。

 ルキウスは、悔しさと困惑で身動きが取れない。

 結局、彼は、その手を叩き払うこともできず…

 ただ、呆然と、その小さな手を見つめ、まるで機械仕掛けの人形のように、レオンの手を握るのだった。

 

 ◇


 その日の夕方。

 ユリウスは、書庫でレオンにシミ抜きのコツを教わっているルキウスを見て、腹を抱えて笑いそうになるのを必死に堪えていた。

(あの委員長が、レオンにすっかり懐柔されてやがる…!)


 夕食後に、ユリウスとルキウスは、部屋で二人で話をしていた。

「おい、委員長。レオンに惚れたか?」

 ユリウスがからかうように言う。


 ルキウスは、カッと顔を赤くし、眼鏡をクイッと上げた。

「馬鹿を言うな!グレイスフィールド!」

「私は、彼の持つ実務的な知識を、評価しただけだ!彼の軟弱な振る舞いは、依然として許容できん!」

「軟弱ねえ…」

 ユリウスは、わざとらしくため息をついた。

(よし、最高の悪戯(スパイス)をくれてやるか!)


 ユリウスは、ルキウスの肩にそっと手を置き、秘密を打ち明けるように、声を潜めた。

「実はさ、委員長」

「…なんだ」

「…レオンは、女の子なんだ」

「…………は?」

 ルキウスの思考が、完全に停止した。

「訳あって、男のふりをしているんだ」


 ユリウスは、涙を浮かべる寸前の迫真の演技を続ける。

「全ては家族を守るため…病弱なあの娘(レオン)を狙う悪意から、身を隠すためなんだ…」

「っっつ!そんな!」

「だから、父さんと母さんは、レオンを『男の子』として育てているんだ…内緒だぞ?相棒…」


 ルキウスは、雷に打たれたような衝撃を受けた。

(あの可憐さ…男の子ではないと、直感的に感じていた…あの、彼を見た時の居心地の悪さは…!)

 すっかり、ユリウスに手のひらコロコロで騙されるルキウス。

(そうだ、そうだったのか…!)

 彼の頭の中で、全ての情報が再構築された。

 厳格に育てられた彼の心に、突如として『守るべき弱き者』という、初めての感情が流れ込んできた。

(軟弱だと、私が罵ったのは、彼女の苦悩だったというのか…!家族のために男装し、密かに孤独に耐え…なんと健気な…!)


 ルキウスは、静かに、しかし熱い決意を瞳に宿した。

「…打ち明けてくれて、ありがとう、ユリウス…私は、彼女の秘密を決して漏らさない」

「お、おう…?」

(あれ、なんか思ったより真面目に受け取ったぞ、コイツ)

 ユリウスは、若干引いた。


 ◇


 そして、王都に戻ってからも、ルキウスは勉学と魔法に、ますます打ち込むようになる。

 その努力の源は、もはや「規律」でも「秩序」でもなかった。

(私が、彼女を守れる男にならねば…!侯爵令嬢を、その秘密の裏側から、完璧な知識と力で支える騎士(ナイト)に…!)

 ここにまた、レオンの知らないところで、レオンに恋する新たな男が、壮大なる勘違いと共に爆誕したのだった。


 ユリウスは、自分の撒いた嘘が、ルキウスを新たなレオン信者へと変貌させることになったとは、まだ知る由もなかった。今はただ、ルキウスの真面目な顔が、急に熱血漢になったのを見て、腹を抱えて笑うばかりだ。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます♩

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