天使様、ラジオ体操に感動する
完璧なスケジュールに基づき、レオンの自己改造計画は順調な滑り出しを見せていた。昨日の座学では、家庭教師アルマンという新たな信者を獲得し、兄ユリウスも飽きっぽくも頑張って最後まで授業を受けていた。ご褒美にアメちゃんをユリウスにあげて、レオン自身は確かな手応えを感じていた。
そして、スケジュールはテラ曜(土の日)の午前を迎える。項目は、【自主鍛錬】だ。
「よし、やるぞ!」
早朝、動きやすい服に着替えたレオンは、意気揚々と自室の庭に出た。空は晴れ渡り、小鳥のさえずりが彼の決意を祝福しているかのようだ。母エレナとの約束通り、剣術の稽古についていくための基礎体力をつけるのだ。
まずはランニング。あの雄大な城壁の周りを走りきれば、きっと体力も格段に向上するだろう。
しかし、その小さな足が地面を蹴る寸前、レオンはぴたりと動きを止めた。
(いけない、いけない。和江おばあちゃんの知恵袋によれば、いきなり走り始めると、心臓や関節に大きな負担がかかる。運動の前には、まず体をほぐす準備体操が不可欠だ)
そう、確か、和江のいた世界には『ラジオ体操』という、国民のほとんどが知っている、偉大な準備運動があったはずだ。
(でも、ラジオ体操ってなんだろう…?ラジオという、音を遠くに飛ばす魔法の箱に合わせて体操する、というのは覚えているけれど…肝心の動きが分からない)
レオンが「ラジオ体操」と強く念じ、その記憶を探った、その瞬間だった。
チャーンチャチャ、チャチャチャチャ、チャーンチャチャ、チャチャチャチャ、チャチャチャチャチャチャチャチャ、チャチャチャチャチャ、チャーン!
彼の脳内に、どこか懐かしい、それでいて軽快なピアノの伴奏がクリアに響き渡ったのだ。それだけではない。ピアノの音色に合わせ、男性のハキハキとした声が、流れるように動きを指示し始めた。
「新しい朝が来た、希望の朝だ!さあ、まずは、腕を前から上にあげて、大きく背伸びの運動から!」
「おぉ…!」
レオンは感動に打ち震えた。
(なんだこれ!?ただの和江おばあちゃんの知恵袋じゃないぞ…!音楽と、どんな風に体を動かせばいいか『指示』が、わかりやすく頭に入ってくる…!これは、なんかのすごい高等魔法だ!)
レオンは、その現象を即座に分析する。
(しかも、この指示の的確さ…体のどの筋肉をどう動かせばいいのか、音楽と一緒にちゃんとわかるようになってる。これを大勢の人たちが同時に行えるとすれば…騎士団や軍隊の集団訓練にもできるほどの、国家機密レベルの高等魔法かもしれない!)
彼は、畏敬の念に満ちた表情で天を仰いだ。
(『ラジオ』とは、この恐るべき集団教練魔法を編み出した、伝説の大魔導師の名前なのかもしれない…?和江おばあちゃんのいた世界には、とんでもない魔法使いがいたんだな…!)
真剣で壮大な勘違いをしたまま、レオンは大魔導師ラジオへの敬意を胸に、その神聖な儀式に臨んだ。彼は、脳内に響く号令に合わせ、素直にその小さな両腕を天に突き上げる。
「腕を回します!」「腕を振って、脚を曲げ伸ばす運動!」
一つ一つの動きは、決して難しいものではない。だが、全身の筋肉をくまなく使う、極めて合理的な体操だった。レオンは、一分の隙もなく、真剣な表情で体操を続ける。
そこへ、あくびをしながら自室のバルコニーに出てきたユリウスが、庭で奇妙な動きを繰り返す弟の姿を捉えた。
「ぷっ…!ぶはっ!あはははは!レオン、何やってるんだ、それ!新手の雨乞いの儀式か!?」
腹を抱えて大笑いする兄に、レオンは動きを止めることなく、真面目な顔で答えた。
「違いますよ、ユリ兄様!これは大魔導師ラジオ閣下が考案された、至高の準備体操です!今は『腕を振って脚を曲げ伸ばす運動』の最中です!」
「だい…まどうし?ラジオ?あはは、面白すぎる!」
レオンは、体操を終えると、額にうっすらと浮かんだ汗を拭ってにっこりと兄を見上げた。天使の微笑み、フルパワーである。
「ユリ兄様も、一緒にやりましょう?きっと体がすっきりしますよ!ね?」
「げっ。俺はいいよ、そういうのは…」
「やりましょう!二人でやれば、きっともっと楽しいです!」
キラキラした瞳でのおねだり攻撃。これに、ユリウスは弱かった。
「はぁ…しょうがないなぁ。少しだけだぞ」
結局、ユリウスも庭に引きずり出され、二人並んで奇妙な体操をすることになった。
ユリウスは最初、「こんな簡単な動き…」と馬鹿にしながら、適当に真似をしていた。しかし、号令に合わせて全身を動かすうちに、その表情が少しずつ変わっていく。
(…あれ?普段使わない背中の筋が伸びる感じがする…なんだか、血の巡りが良くなってきた…?)
天才肌で、自身の身体感覚に鋭敏な彼は、この体操が、一見滑稽だが、極めて合理的に人体の構造を考慮して作られていることを見抜き始めていた。
そして、隣で「大魔導師ラジオ閣下の術式は完璧だ…!」などと呟きながら、一点の曇りもない真剣な表情で体操に打ち込む弟の姿に、ユリウスは思った。
(…なんだかバカにできないな、この変な踊り。こいつが本気で信じてるのも、あながち間違いじゃないのかもしれない)
体操が終わる頃には、ユリウスは馬鹿にするのをやめ、興味深そうな顔で自分の腕を回していた。
しかし、残念なことに、運動不足の6歳児にとって、ラジオ体操第一は思った以上にハードだった。体操が終わる頃には、レオンはすでにぜえぜえと息が上がっていた。
さらに、彼の計画はあまりに無謀だった。グレイスフィールド家の本拠、エルグレア城の城壁は、ただの壁ではない。外周には訓練場、馬場、果樹園などが広がり、それら全てを囲む防壁の総延長は、馬車を使っても半日はかかる。初心者の6歳児が走って一周するなど、無謀という言葉すら生ぬるい挑戦だったのだ。
「い、行きますよ、ユリ兄様!カッコいい男になるために!」
すでに足が少しふらついているレオンだったが、気力だけで走り出した。ユリウスは、やれやれと肩をすくめながら、その後に続く。
結果は、火を見るより明らかだった。
数百メートルも進まないうちにレオンの足はもつれ、息は絶え絶えになり、ついに最初の城門にたどり着いた時点で、彼は完全にダウン。地面に「の」の字を描いて倒れ込んでしまった。
「はぁ…はぁ…もう、むり…です…」
「はぁ…。だから言ったのに。ほら、行くぞ」
ユリウスは、呆れながらも優しい。彼が軽く呪文を唱えると、心地よい風の魔法がレオンの体をふわりと包み込み、そのまま部屋まで運んでいくのだった。
風に運ばれながら、レオンは遠ざかっていく雄大な城壁を、ぼんやりと見つめていた。
(計画が…甘すぎた…)
それは、彼の人生で初めて味わう、本格的な挫折だった。
(『カッコいい男』は、ただ無謀な計画を立てるだけじゃない。自分の力を正確に把握して、達成可能な目標を設定し、それを着実にクリアしていく人だ…和江おばあちゃんなら、きっとそう言うはずだ…)
脳裏に浮かぶのは、家計簿をつけながら「無理のない計画が、長続きのコツだよ」と笑っていた、和江おばあちゃんの姿。
(いきなり城壁一周は無理だ。明日は、まずこの庭を十周するところから始めよう。そうだ、少しずつ、着実に…!)
失敗は、彼をただ落ち込ませるだけでなく、新たな気づきと、より現実的な計画への修正という、確かな成長をもたらした。
自室のベッドにそっと降ろされると、ユリウスが水の入ったコップを枕元に置いた。
「おら、ちゃんと休めよ。無茶しやがて」
ぶっきらぼうな言葉の中にある優しさに、レオンは「ありがとうございます」と小さく呟いた。
一人になった後、レオンは壁に貼ったスケジュール表を取り出し、「自主鍛錬」の項目に、小さな文字でこう書き加えた。
『まずは庭を十周から!焦らず、着実に!』
「カッコいい男への道は、一歩からだ…!」
新たな決意に燃えるレオン。彼の自己改造計画は、初めての挫折を経て、より確かな一歩を踏み出したのであった。
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