天使様、正義の天秤と涙の答え
今回も少しシリアスです。更新日は火・金・日予定です♩
城に戻ってから、数日が過ぎた。
グレイスフィールド家の屋敷は、いつも通りの穏やかな日常を取り戻しているように見えたが、その中心にいるはずの小さな天使、レオンの周りだけは、どんよりとした重い空気が漂っていた。
レオンは、ほとんど自室にこもり、大好きだった庭の散策にも行かなくなり、食事の時間になっても、ほとんど手をつけずに席を立つ。その天使の頬から血の気は失せ、いつも輝いていた蒼い瞳は、深い悩みの色に曇っている…
『レオン様、元気ないねー…アメちゃん食べる?』
使い魔のモリィが心配そうに寄り添うが、レオンは力なく首を振るだけだった。
レオンの頭の中では、あの青年の、憎悪に満ちた言葉が何度も何度も反響していた。
『正義の味方ごっこは、さぞかし楽しいんだろうな?』
『俺たちは、お前の遊び道具じゃねえんだぞ!』
(僕のしたことは…ただの、ごっこ遊びだったのか…?)
その問いが、鉛のように彼の心を蝕んでいく。
◇
そんなある日の夕食後、父マルクが重い口を開いた。
「…先日、レオンを誘拐した者たちの処遇が決まった。主犯格の者たちは、貴族の子息を誘拐し、他領へ売り渡そうとした大罪。…死罪となる」
その、淡々と告げられた言葉を聞いた瞬間、レオンの肩が、びくりと大きく震える…
「し、ざい…?」
「ああ。当然の報いだ」
マルクは、領主として、厳しい表情を崩さない。
すると、レオンの大きな瞳から、ぽろり、ぽろりと、大粒の涙がこぼれ落ちた。そして、それは声を殺した嗚咽へと変わっていった。
「…いや、です…」
「レオン?」
「僕のせいで…僕のせいで、人が、死んじゃうなんて…!そんなの、いやだ…!」
彼は、ついにソファから滑り落ちると、その場に蹲って泣きじゃくった。その、あまりにも痛々しい姿に、マルクもエレナも言葉を失う…
レオンは、泣きながら、両親に訴えた。
「僕がしたことは、本当に正しかったのですか…?分からなくなってしまったんです…!」
レオンは、憧れていた『組紐屋のリョウ』の話を、途切れ途切れに語り始める。
「リョウは、悪い人がいたら、誰にも知られずに、悪い人だけを懲らしめていました…。でも、僕が『悪い』って思ったあの役人さんのことも、あの人の息子さんにとっては、たった一人の、大切なお父さんだった…。僕の正義は、あの人たちを不幸にしただけじゃないですか…!」
「僕、リョウにはなれない…。だって、何が本当の『悪』で、何が本当の『正義』なのか、もう、僕には分からないから…!」
純粋な正義感が、世界の複雑さの前に、粉々に打ち砕かれてしまった瞬間。
その、血を吐くような天使の叫びを聞き、マルクは厳しい表情の裏で、深く心を痛めていた。何か言葉をかけてやりたいが、正直、大人でもわからない難問だ…
慰めれば良いのか、発破をかければ良いのか、逡巡するも、答えが出ない。
その、重い沈黙を破ったのは、母エレナの、静かで、しかし凛とした声だった。
彼女は、泣きじゃくるレオンの前にしゃがみ込むと、その涙を優しく指で拭いとる。
「レオン。あなたの言う通り、この世界に、たった一つの完璧な『正義』なんて、ないのかもしれないわね」
エレナは、まるで物語を語り聞かせるように、ゆっくりと話し始めた。
「この世に生きる全ての人が、それぞれの人生という物語の、主人公なのよ。あなたも、私も、父様も。そして、あなたを攫った、あの青年もね」
「…主人公…?」
「ええ。そして、主人公が違えば、物語も、その中にある『正義』も変わってくる。あなたの物語では、あなたは領民を守るために、不正を正す正義の味方だった。でも、あの青年の物語では、突然現れたお節介な子供、あなたのせいで、父親の職も、家族の幸せも、全てを奪われた。だから、彼にとって、あなたは『悪者』に見えたかもしれないわね」
その言葉は、レオンにはあまりにも残酷な真実…。しかし、エレナは話し続けた。
「だからと言って、彼があなたを誘拐し、売り飛ばそうとしたことが許されるわけではないの。なぜなら、この世界には、『正義』とは別に、みんなが守らなければならない『ルール』があるからよ」
「ルール…」
「そう。横領は、このグレイスフィールド領の大切なルールを破る、悪いことだわ。だから、領主の子息であるあなたが、それを正したのは、間違いなく正しいことよ。でも、誘拐や人身売買は、それよりも、もっともっと重大な、決して許されないルール違反なの」
エレナは、レオンの蒼い瞳を、真っ直ぐに見つめて、大事なことを伝える。
「だからね、レオン。こう考えてみなさい。もしも、あなたが、あの青年と同じ境遇の主人公だったとしたら。あなたなら、どんな振る舞いをするのが、あなたの思う『正しいこと』だったのかしら、と」
それは、答えを与えるのではなく、息子自身に考えさせる、母親としての、深く、そして優しい問いかけだった。
◇
自室に戻ったレオンは、ベッドの上で、母の言葉を何度も、何度も反芻していた。
(もし、僕が、あの人だったら…)
父が職を失い、母は家を出て、食べるものも、住む場所もない。その原因を作った相手は、自分とは住む世界が違う、裕福な侯爵家の子供。憎しみや、絶望に、心が支配されてしまっても、おかしくはない。
(でも…それでも、人を傷つけていい理由には、ならないはずだ…)
和江おばあちゃんなら、どうしただろう?
(困った時は、一人で抱え込むんじゃないよ。誰かに相談するんだよ)
(そうだ…!あの人は、一人で抱え込みすぎて、悪い道に進んでしまったんだ。もし、誰か、相談できる人がいたら…手を差し伸べてくれる人がいたら、違う未来があったかもしれない…でも、誰も話を聞いてくれなかったら?
『レオンさま…』
真剣な顔で考え続けるレオンを、心配したモリィが、鼻先をレオンの横腹にグイグイ押し付けて不安げに見上げてくる。そんなモリィの頭を撫でながら、心配してくれる人(精霊?)がいることに、心が少し軽くなるのを感じた。
(…僕があの人なら…そうだ!何度も話そう!わかってくれるまで何度も何度も!…誰も、一人じゃないんだ!)
そして、レオンは、自分なりの答えを見つけた。
◇
数日後、レオンは、父マルクの執務室の扉を叩いた。
「父様。お願いがあります」
マルクは、息子の、吹っ切れたような、しかし真剣な表情を見て、静かにペンを置く。
「あの人たちを、死罪にしないでください」
「…レオン。それは、領主としての私の決定だ。覆すことはできん」
「分かっています。横領も、誘拐も、許されないルール違反です。罰は、受けなければなりません」
レオンは、一度息を吸うと、はっきりと言った。
「でも、死んでしまったら、罪を償うことも、やり直すことも、もう二度とできなくなってしまいます。それに、僕は、自分のせいで誰かが死ぬのは、絶対に嫌なんです!」
和江おばあちゃんと記憶を保持するが故の、人を殺すことへの忌避感。これは、レオンには譲れないことだった。
その、悲痛なまでの訴えに、マルクの心が揺れる。
「彼らには、この領地のために、一生をかけて働いて、罪を償う機会を与えてあげてください。そして…」
レオンは、父の目を真っ直ぐに見つめた。
「彼らが、なぜ罪を犯さなければならなかったのか。その原因…貧しくて、頼る場所もなくて、追い詰められてしまう人がいる、この領地の仕組みそのものを、なくしていくことこそが、僕たちの、本当の仕事だと思います。それこそが、本当の『ノブレス・オブリージュ』だと、僕は思います」
8歳の息子の口から語られた、あまりにも的確で、領主としての本質を突く内容に、マルクは言葉が出ない。レオンは、最後に、少しだけはにかんで、こう付け加えた。
「悪い人を懲らしめるだけが、正義じゃない。誰もが、悪い人にならなくて済むような世界を作ること。誰も死なせない、誰も悲しませない。それが、僕の目指す、『カッコいい男』です」
その言葉を聞き、マルクは、静かに、そして深く、頷いた。
「…分かった。お前の意見、しかと聞き届けた。善処しよう」
その夜、マルクは緊急の領主会議を開き、死罪の判決を、鉱山での終身労働へと変更させた。そして、領内の貧困層への支援策を、抜本的に見直すことを決定した。
レオンの、涙の答え。
それは、彼自身を成長させただけでなく、グレイスフィールド領の未来を、ほんの少しだけ、温かい方向へと変えたのだった。
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