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天使様、お忍び調査で聖女疑惑を加速させる

読んでいただきありがとうございます!更新日は火・金・日予定です♩

 楽しかった夏も終わりに近づき、兄たちが王都の学院へと旅立って行った。季節はセラフィ月に入り、あれほど生命力に満ち溢れていたグレイスフィールド領の木々は、少しずつ赤や黄の色を纏い始め、朝晩の風は肌に心地よい涼しさをもたらしていた。


 兄たちがいない屋敷は、祭りの後のように静かだ。レオンは、その寂しさを振り払うかのように、日々の「カッコいい男計画」に、より一層、真剣に取り組んでいた。特に、母エレナから直々に指導してもらえる魔法の訓練は、彼にとって何よりの楽しみだ。


 その夜も、レオンは自室で、魔法の基礎訓練に励んでいた。

(今日は、『聞き耳(ウィスパー・ウィンド)』の魔法の精度を上げる練習をしよう。兄様たちにも、もっと成長した姿を見せなくちゃ!)

 レオンは、風の精霊に囁きかけるように、そっと呪文を唱える。

「風よ、遠くの声を運べ…『ウィスパー・ウィンド』!」

 魔力を、蜘蛛の糸のように細く、長く伸ばし、屋敷の中の様々な音を探っていく。厨房でクロノが明日の仕込みをする音、書庫でアルマン先生が古い文献をめくる音、そして、父の応接室から漏れ聞こえる、深刻そうな話し声。


(あ、父様と母様の声だ。まだお仕事をされているのかな…)

 純粋な好奇心と、魔法の精度を確かめたいという探求心から、レオンはその会話に、そっと耳を澄ませてしまった。前もそれで、家出騒動を起こしたのに、懲りないレオンだった。


「…困ったことになった。今年の精霊祭の予算が、どうにも足りんのだ」

 父マルクの、疲労の滲む声だった。

「まあ、あなた。予算は例年通り、十分に確保したはずではありませんこと?」

 母エレナの、不思議そうな声が続く。

「ああ、そのはずなんだ。だが、会計係の報告では、すでに準備費用のほとんどを使い切ってしまっているらしい。このままでは、祭りの規模を縮小せざるを得んかもしれん…。領民たちが、あれほど楽しみにしているというのに…」


 それ以上、レオンは聞いていられなかった。

(精霊祭の予算が、足りない…?)

 彼の頭の中に、母から教わった言葉が、鐘のように鳴り響く…

『ノブレス・オブリージュ』

 そして、和江おばあちゃんの、もう一つの口癖も…

『見て見ぬふりをするんじゃない。あんたに出来ることを、精一杯おやり!』

(そうだ…!父様が困っている!領民たちが悲しむかもしれない!これこそ、僕が実践すべき『陰の人助け』!『カッコいい男計画』の、新たな任務だ!)

 レオンは、すっかり張り切って、翌日からの極秘調査を決意したのだった。


 ◇


 しかし、計画は早々に暗礁に乗り上げた。

「服がない…!」

 お忍びで城下町へ調査に行くには、平民の服が必要不可欠だ。しかし、レオンの手元には、貴族らしい上等な服しかない。

 レオンは意を決して、母エレナの元へ相談に向かった。


「母様!その…今度の精霊祭にいく時のために、お忍びで行ける、普通の男の子の服を、買っていただけないでしょうか?」

「まあ、レオン。また精霊祭へ行きたいの?」

 エレナは、薬草の調合をしながら、くすくすと笑った。


「あなた、この前エララ様から、素敵なのをいただいたじゃない。あれを着ていけばいいのではなくて?」

「ええっ!?あ、あの花柄のズボンですか!?あんなに目立つ服、お忍びには絶対に向きません!」

 レオンは、必死に首を横に振る。あの服は、確かにズボンだったが、最高級のシルクに色とりどりの花柄が染め抜かれた、芸術品のような一着だ。平民の町で着れば、悪目立ちすること間違いなしである。

「そう?じゃあ、仕方ないわねぇ。じゃあ、去年も着て行った、ルチアがあなたにくれた、可愛いお洋服もあったわよね?あれなら、素朴で良いんじゃないかしら」

「うぐっ…!」

 レオンは、言葉に詰まった。ルチアのお下がりの服。それは、胸元に花の刺繍が施された、紛れもないワンピースとエプロンドレスだった。1年たち、少し丈は短くなったが、まだまだ着れるのは確かだ…


 花柄の貴族服か、フリフリの村娘の服か…

 レオンの頭の中で、天秤が激しく揺れ動く。

(どっちも嫌だ…!どっちも、『カッコいい男』とは真逆のベクトルだ…!でも、でも、ここで諦めたら、父様と領民たちを助けられない…!)


 血を吐くような葛藤の末、レオンは、より被害の少ない(と本人が判断した)方を選んだ。

「……分かりました。ルチアの服を、お借りします…」

 花柄のズボンは、あまりにも素材が良すぎて、一目で貴族とバレてしまう。それに比べれば、木綿のワンピースの方が、まだ平民の子供に紛れ込める可能性がある、と彼は判断したのだ。

 その判断が、あの伝説をさらに加速させることになるとも知らずに。


 ◇


 こうして、再び、愛らしい村娘の姿に身をやつしたレオンは、子犬サイズになったモリィを伴い、こっそりと城下町へと乗り出した。

『レオン様、今日は何を探すのー?』

「不正の匂いだよ、モリィ。君の鼻を貸してほしいんだ」


 祭りの準備で活気づく町の中を、レオンは役所の方へと向かった。

 しかし、どこから調査すればいいのか、皆目見当がつかない。

「モリィ、お願いだ。この中で、『悪いこと』を考えていそうな人を、探してくれないかい?」

『えー、めんどくさいなー。でも、アメちゃんくれる?』

「もちろん!」

 お菓子で買収されたモリィは、くんくん、と真剣な顔で鼻を鳴らし始めた。世界樹の眷属である彼の嗅覚は、魔力の流れだけでなく、人の放つ悪意や邪念といった、負の感情の匂いも敏感に感じ取ることができるのだ。


 やがて、モリィは『あいつだ!あいつ、なんかヤな感じがするよー!』と、役所の会計課から出てきた、一人の小太りな男を指して低く唸った。

 男は、男爵家の三男坊で、今は爵位を継げずに平民として役所に勤めている下級役人だった。彼は、周囲をキョロキョロと警戒しながら、懐に分厚い羊皮紙の束を隠し持っている。


 レオンとモリィは、物陰に隠れながら、慎重にその男を尾行した。

 やがて男は、裏路地の酒場に入っていく。レオンも、聞き耳の魔法を使いながら、そっと窓の外から中の様子を窺った。


「おう、持ってきたぜ。これは、今日の分だ。こうやって、毎日少しずつ予算を嵩ましして請求すりゃ、バレやしないんだよ!1月もしたら大金持ちだ!ガーハハハハ!」

 男は、懐の羊皮紙の束…不正な会計報告書と裏帳簿を、悪徳商人のような男たちの前に広げ、下品な笑い声を上げていた。

(見つけた…!悪代官と越後屋だ!)

 和江おばあちゃんの記憶が、悪人の典型例をレオンに教える。

(よし…!『組紐屋のリョウ』のように、スマートに、そして人知れず、この悪事を白日の下に晒してやる…!)

 レオンは、モリィと顔を見合わせ、静かに頷き合った。


 ◇


 作戦決行は、翌日の同じ時間。

 横領役人が、役所から出て、人通りの多い広場を横切ろうとした、その時!

『わんっ!』

 物陰から、白い子犬モリィが、猛烈な勢いで飛び出した。彼は、役人の足元にじゃれつくふりをして、絶妙なタイミングでその足に絡みつく。

「うわっ!なんだこの犬っころは!」


 役人は、バランスを崩し、派手にすっ転んだ。その衝撃で、懐に隠していた不正の証拠書類が、ばさりと地面に散らばる。

「しまった!」

 役人が慌てて書類をかき集めようとした、その瞬間を、レオンは見逃さなかった。

「風よ、舞い上がれ…!『風送り(ジェントル・ブリーズ)』!」

 レオンが放った、一見、ただの悪戯にしか見えないほどの優しい風が、広場を吹き抜ける。しかし、その風は、完璧な計算のもと、地面に散らばった羊皮紙だけを狙い、ふわりと、広場中に舞い上がらせたのだ。


 ひらひらと、まるで蝶のように舞う羊皮紙。その一枚を、偶然通りかかった町の商人が、空中でキャッチした。

「ん…?なんだこりゃあ…おい、みんな、これを見ろ!精霊祭の予算が、飾り付け代として、実際の十倍もの金額で計上されてやがるぞ!」

「こっちの紙には、存在しない業者への支払い記録が!」

「これは、横領じゃないか!」

 広場は、一瞬にして騒然となった。人々は、次々と舞い落ちる証拠書類を手に取り、役人を怒りの形相で取り囲む。

 役人は、顔面蒼白で、その場にへたり込んだ。


 全てが、計画通りだ。レオンは、満足げに頷くと、仕上げに取り掛かる。人混みの中からひょっこりと顔を出すと、わざとらしく、こてんと首を傾げてみせた。

「あれれー?おじさん、なんだか、とっても大変なものを、落としちゃったみたいだねー?今、騎士団がくるから、しっかりお縄につきなよ!」

 完璧な、名探偵●●ンばりのあざとい一言。


 しかし、レオンは忘れていた…たった一つの、そして最大の誤算。

 今の服装は、フリフリのついた、可愛らしい村娘のワンピースなのだ。

 その、あまりにも健気で、正義感に溢れた(ように見える)美幼女の姿を見た町の人々の間で、新たな囁きが、熱狂と共に広がっていった。

「あ、あの子だ…!」

「ああ、バルカスさんのところの『聖女様』だ!聖女様が、我々のために、再び奇跡を起こしてくださったんだ!」

「弱気を助け、悪を許さず…聖女様だ!聖女様が降臨されたぞー!」

(え…?聖女…?)

 レオンは、自分の計画が、またしても「どうしてこうなった?」な結果を招いてしまったことに、ただただ呆然とし、囲まれる前に、急いで逃げ出すことで精一杯だった。


 こうして、役人の不正は無事に暴かれ、精霊祭の予算は守られた。

 しかし、その裏で、グレイスフィールド領の城下町における「聖女伝説」は、もはや誰も否定できない、確固たる事実として、領民たちの心に深く、深く刻み込まれることになったのだった。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます♩

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