【番外編】完璧王子は如何にして弟の虜となったか
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今回は、アデル兄様の第一人称で、ちょっと真面目なお話です。
私の名は、アデル・フォン・グレイスフィールド。グレイスフィールド侯爵家の長男だ。
アカデミーでは常に2位、剣術においても魔法においても同年代には第一王子以外に敵はなく、次期侯爵として完璧たれと、日々研鑽を積んでいる。周囲は私を『完璧王子』などと呼ぶが、それは外面に過ぎない。
私の世界の中心は、常に二人の弟、ユリウスとレオンだ。
私が完璧でなければならない理由は、ただ一つ。あらゆる脅威から、あの愛すべき弟たちを守り抜くため。
なぜ私がこれほどまでに弟たちを愛し、その守護を自らの使命とするのか。その理由は、私の生い立ちと、このグレイスフィールド家が背負う光と影の歴史に深く根差している。
◇
私がこの世に生を受けたのは、アルセリオス王国と北のグラム帝国との間で繰り広げられた、熾烈な戦争が終結した直後のことだった。資源に乏しい帝国が、我が国の肥沃な大地と豊かな海を狙って仕掛けてくる戦争は、歴史上、幾度となく繰り返されてきた。
私が生まれる前のその戦争は、特に苛烈を極めたらしい。東の国境を守る『王国の矛』ヴァリウス公爵家だけでは支えきれず、王都からセレフィア騎士団、そして多くの平民が徴兵され、その命を散らしたと聞く。
その、名誉の戦死者リストの中に、私の伯父の名もあった。
ライナス・フォン・グレイスフィールド。
父、マルクの三歳上の兄であり、本来、グレイスフィールド家を継ぐはずだった人だ。
私はもちろん会ったことはないが、屋敷に飾られた肖像画の彼は、自信に満ちた強い瞳で、燃えるような赤毛をなびかせている。生まれながらの武人であり、その剣の腕は王国でも五指に入ると謳われたそうだ。彼は戦争で目覚ましい武功を立て、味方を守る盾となり、最期は敵将と相打ちになって散ったという。まさしく英雄の死だった。
その絶大な功績により、グレイスフィールド家は伯爵家から侯爵家へと陞爵した。死してなお、家に最大の栄誉をもたらしたのだ。
だが、その栄光の裏で、父は地獄を見たに違いない。
本来、次男として文官の道を歩んでいた父は、兄の死によって、突如として伯爵家、いや、成り上がりの侯爵家の当主という重責を背負わされた。武人ではない父が、英雄の弟として、どう周囲の目に映ったか。想像に難くない。
領地経営の勉強、侯爵としての立ち居振る舞い、複雑な戦後処理、そして、兄がもたらした栄誉に対する貴族たちのやっかみと、父自身の葛藤。後から執事のクラウスに聞いた話では、当時の父は眠る時間も惜しんで働き続け、その顔には常に疲労と苦悩の色が浮かんでいたという。
そして、その苦労に巻き込まれる形となったのが、母、エレナだ。
母は元々、魔法や薬草研究にその生涯を捧げるつもりの、探求心旺盛な子爵令嬢だった。父との婚姻も、相手が伯爵家の次男坊であれば、研究を続けながら穏やかに暮らせるだろうという算段あってのこと。それが、夫が急遽侯爵となったことで、生活は一変した。
大好きだった研究を諦め、白衣を脱ぎ捨て、慣れない豪奢なドレスと分厚い帳簿にその身をやつした。父の隣で、領地のために働き詰めの毎日。
そんな状況で、私は生まれたのだ。
両親の記憶は、ほとんどない。いつも執務室の灯りの向こう側にいる、遠い存在だった。
私の世話をしたのは乳母であり、教育をしたのは家庭教師であり、話し相手は侍女たちだった。
磨き上げられた床が冷たい、だだっ広い食堂で、たった一人で食事をする。幼心に、その光景がひどく寂しかったことだけは、今でも鮮明に覚えている。
愛されていないわけではないと、頭では理解していた。両親が、私たちの未来のために戦ってくれているのだと。だが、心は別のものだ。
私は、ただ、静かに孤独だった。
◇
私が3歳になった年、弟のユリウスが生まれた。
産まれたと聞いても、特に感慨はなかった。「そうか、弟か」と思っただけ。
だが、ユリウスもまた、私と同じだった。両親は変わらず多忙で、彼は私と同じように、乳母と侍女の手に委ねられた。その小さな寝顔を見た時、私は初めて、自分以外の誰かに「仲間」という意識を抱いた。
私たち兄弟は、この広い屋敷で、二人きりの仲間なのだ、と。
二人でいる時間が増えるうちに、私の心には、父性のような、あるいは、庇護者としての責任感のようなものが、静かに芽生えていった。
その感情が決定的になったのは、私が5歳、ユリウスが2歳の時のことだ。
ある晴れた日の午後、私たちは庭で遊んでいた。ユリウスは、当時からその天才肌の片鱗を見せ、好奇心の赴くままに行動する、危なっかしい子供だった。その日も、彼は池のほとりで珍しい色のトンボを見つけ、それを追いかけて夢中になっていた。
私は少し離れた場所から、書物を読みながら、そんな弟の姿を見守っていた。
その時だった。遠くから、他の貴族の子供たちを連れた夫人が、私たちの庭を訪れたのだ。母の不在中に、挨拶に来たらしい。
「まあ、あちらにいらっしゃるのが、グレイスフィールドのお子様方ですわね」
「英雄ライナス様の甥御様でいらっしゃる…」
ひそひそと交わされる会話が、風に乗って私の耳に届く。その声には、好奇と、そして僅かな侮蔑が混じっていた。
「兄の方は、ライナス様には似ても似つかぬ、貧相な見た目ですこと」
「お顔は当主様に似て結構ですわね。まあ、力なき方は、見目くらいは美しくなくては、社交界では生きていけませんものねぇ」
「弟君もまた、見目だけはよろしいようね。」
彼らの視線が、私と、そして何も知らずにトンボを追いかけるユリウスに突き刺さる。
恥ずかしさと、悔しさで、顔が熱くなるのを感じた。
その時、ユリウスがトンボを追って、バランスを崩した。ちゃぽん、と軽い音を立てて、彼の足が池の浅瀬にはまってしまったのだ。深さはくるぶし程度で、危険は全くない。だが、驚いたユリウスは、その場にぺたんと座り込み、きょとんとした顔でこちらを見た。
次の瞬間、私の耳に、忘れられない言葉が突き刺さった。
「あらまあ、おいたわしいこと。英雄の家系でも、父親がしがない文官では、お子もこの程度ですのね」
甲高い、嘲るような笑い声が、庭に響く。
―――ぶつん、と、私の中で何かが切れる音がした。
今まで感じていた羞恥心や恐怖が、氷のように冷たい怒りへと変わっていく。
気づけば、私は読んでいた本を地面に叩きつけ、ユリウスの元へ駆け寄っていた。
そして、冷たい水の中に膝をつき、弟の体を抱きかかえると、背後で嘲笑する者たちを、生まれて初めて、殺意にも似た強い瞳で睨みつけた。
私の形相に、夫人たちも子供たちも、ひっと息を呑んで固まる。
「私の弟に、何か御用ですか」
5歳の子供が発したとは思えない、低く、冷たい声だった。
私は、震えるユリウスを固く抱きしめた。この小さな体、この無垢な魂を、私が守らなくてはならない。この世界の、悪意に満ちた言葉や、理不尽な暴力から。何があっても。
父様や母様は、家を守るために戦っている。ならば、私が、弟を守る盾となり、剣となろう。
その日、私は固く誓ったのだ。『私が、ユリウスを守る』と。
そして、その年。三番目の奇跡が、我が家に舞い降りた。
弟、レオンの誕生だ。
ユリウスの時は、知らない間に生まれていた。だが、レオンの時は違った。母、エレナが、私を出産に立ち会わせたのだ。
「アデル。あなたは長男です。命がどうやって生まれるのか、その尊さと、母の苦しみを、その目に焼き付けなさい。それが、家を継ぐ者の責任です」
母らしい、どこか研究者のような口調だった。
私は、父と共に、母の手を握った。
何時間も続いた陣痛。母の苦しげな声が、部屋に響き渡る。気絶しそうになりながらも、何度も何度もいきむ母。父は顔面蒼白で、ただ狼狽えるばかりだった。
私もこうした母の凄まじい愛情からこの世に産まれたのだと、改めて思い知らされ、ただただ産んでくれた母に感謝を、産まれてくる子に祈りを捧げた。
そして、長い長い苦しみの果てに。
赤ん坊の、か細い、しかし力強い産声が上がった。
助産師の腕に抱かれたその赤子は、信じられないほど美しかった。光を編んだような髪、夜空を映した瞳。
そして、私が見た幻ではないのなら。生まれたばかりのレオンは、その場にいる全員を安心させるかのように、ふわりと、慈愛に満ちた微笑みを浮かべたのだ。
その瞬間、私の魂は完全に射抜かれた。
ああ、この子は、神が我が家に遣わしてくださった、本物の天使だ。
母が命がけで産み落とした、尊い命。血を分けた、私の大事な、大事な弟。
ユリウスを守ると誓ったあの日の決意が、さらに強く、絶対的なものへと昇華されていくのを感じた。
この生涯をかけて、この子を守ろう。
この世界のどんな悪意も、悲しみも、この天使には決して触れさせない。
そのために、私は完璧になる。誰にも負けない力を持ち、誰よりも賢く、誰よりも強く。
私の愛する弟たちが、何の憂いもなく、ただ笑って過ごせる世界を作るために。
それから、家の状況は少しずつ落ち着き、両親も私たちと向き合う時間を作ってくれるようになった。「今まで、構ってあげられなくてごめん」と、何度も頭を下げられた。その愛情は嬉しかったが、私の心はすでに固まっていた。
私はもう、ただ愛情を受けるだけの子供ではない。大事な弟を守り、愛情を与える側の人間なのだ、と。
私の『完璧』は、すべて、私の愛する弟たちのためにある。
この誓いは、私の命が尽きるその日まで、決して揺らぐことはない。
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