天使様、必⚫︎仕事人を目指す
グレイスフィールド家の天使様、レオン・フォン・グレイスフィールドは、あの日以来、深刻な悩みを抱えていた。
それは、自らの本質が『おばあちゃん』であるという、あまりにも残酷な事実。 理想の『カッコいい男』像と、現実の『おばあちゃんムーブ』との間にある、絶望的なまでの距離。彼は自室にこもって、小さな体を丸めてうんうんと唸り続けた。
「だめだ…このままでは、僕はアメちゃんを配る可愛いおばあちゃん…いや、おじいちゃん?になってしまう…!」
まずは情報収集からだ。レオンは、自らの内に眠る「おばあちゃん」を封印し、真の「カッコいい男」とは何かを学ぶため、観察と思索の旅に出ることを決意した。
【一日目:父と兄】
最初の観察対象は、身近にいる最も「カッコいい男」たちだ。 レオンはまず、父マルクの執務室をそっと覗き込んだ。そこには、山のような書類に囲まれ、眉間に深い皺を寄せながらも、領地の未来のためにペンを走らせる父の姿があった。難しい顔で、難しい本を読み、難しい判断を下している。 (そうか…父様は、たくさんのことを知っている。だから、みんなに頼りにされるんだ。つまり、『頭がよい』ことは、格好いい男の絶対条件だ)
次に、彼は騎士団の訓練場へと向かった。 そこでは、長兄アデルが、護衛隊長のロイを相手に剣の稽古に励んでいた。振り下ろされる剣は風を切り、汗を輝かせながらも、その立ち姿は少しの揺らぎもなく美しい。力強く、そして気高い。 (そうだ…アデル兄様は、とても強い。だから、僕たちを守ることができるんだ。『強い』ことも、絶対に必要だ)
レオンは、小さなメモ帳に、覚えたての文字で「かしこい」「つよい」と書き留めた。
【二日目:書物と記憶】
「かしこい」と「つよい」。二つの要素は分かった。だが、それだけでは何かが足りない気がする。レオンは答えを求め、屋敷の広大な図書室へと足を運んだ。 彼が手に取ったのは、子供向けの英雄譚や、王国騎士たちの活躍を描いた物語だ。どの本にも、こう書かれていた。 『英雄は、その力を人々のために使った』 『騎士は、弱きを助け、悪を挫いた』
「よわきを、たすける…」 その言葉が、レオンの心にすとんと落ちた。と、同時に、彼の脳裏に、和江おばあちゃんの記憶がふわりと混線してくる。 (格好いい男は、みんなの前で『俺が助けたぞ!』って、大声で自慢したりするのかな…?) レオンは考える。ふと、頭に浮かぶ言葉。 (本当にいい男ってのは、見返りなんて求めず、黙ってやって、さっと風のように去るもんだよ。それが粋なんだよ。)
(じゃあ、どうやって…?) レオンの疑問に答えるかのように、彼の脳裏に、今まで見たこともない鮮明な映像が流れ込んできた。
物悲しい三味線の音色。闇夜に紛れ、悪代官の屋敷に忍び込む、黒装束の男たち。彼らは決して名乗らない。しかし、その技は鮮やかで、悪人たちを次々と懲らしめていく。中でも、細くしなやかな紐を魔法のように巧みに操り、華麗に立ち回る男の姿が、レオンの目に焼き付いた。 ―――そう、あれは、必⚫︎仕事人。組紐屋のリョウ。
レオンは、これを「和江おばあちゃんのいた世界に実在した、伝説の英雄たちの物語」だと、何の疑いもなく信じ込んだ。 「これだ…!」 レオンは、小さな拳を握りしめ、目を輝かせた。 「これこそが、僕の求める『カッコいい男』の究極の姿だ!力を見せびらかさず、人知れず、陰で悪を討つ!なんて奥ゆかしくて、なんて素敵な人助けなんだ!」
【三日目:計画策定】
三日間の研究の末、レオンはついに一つの結論へとたどり着いた。彼は、子供用の羊皮紙に、自らの計画をまとめ上げた。 題して、『レオン・フォン・グレイスフィールドの「カッコいい男」計画』。
一、頭がよいこと。(父様のように) 知識は力なり。そのために、もっと本格的に勉強を始める。
二、強いこと。(アデル兄様のように) 大事な人を守るためには、力が不可欠だ。そのために、剣術を習う。
三、陰で人助けをすること。(組紐屋のリョウのように!) これが最も重要だ。カッコいい男は、決して見返りを求めない。そのために、今の自分にできること…そうだ、魔法の腕を磨き、リョウのような「必殺の技」を編み出すのだ!
計画は完璧だった。
「ルチア!クラウスに、父様にお時間とっていただけるようにお願いしてきて!僕、すごいこと考えたんだ!」
自分の計画に酔いしれて、意気揚々とメイドのルチアにお願いする。
「レオン様畏まりました!きっと素晴らしい計画だと思うので、すぐにお時間とっていただけますよ!」
ルチアはバタバタと執務室へ向かったと思えばすぐに戻ってきて、
「今、ちょうどお手隙になられてるようなので、すぐにお会いできるようです。レオン様、急いで!行きましょう!すぐ行きましょう!」
「そうだね!すごいちょうどよかった!正に『鉄は熱いうちに打て』だね!」
レオンは、自分が書き上げた計画書を胸に、意気揚々と父の執務室の扉を叩いた。
コン、コン。
「父様、レオンです。今、よろしいでしょうか?」
「…入れ」
重厚なマホガニーの扉を開けると、そこはインクと古い紙の匂いに満ちた、荘厳な空間だった。壁一面の本棚、床にまで積まれた書類の山。その中心で、このグレイスフィールド領を治める当主、マルク・フォン・グレイスフィールド侯爵が、疲れの滲んだ顔でペンを走らせていた。
マルク。数年前までは、王宮に勤める一介の文官に過ぎなかった男。
英雄であった兄ライナスの戦死により、伯爵家、いや、兄の武功によって成り上がった侯爵家の家督を、彼は突如として継ぐことになった。武人ではない自分への周囲からのやっかみ、英雄の弟という重圧、そして慣れない領地経営の激務。彼の胃は、若くして慢性的な痛みを抱え込んでいた。
そして最近、彼の胃痛の最大の原因となっているのが、目の前の、天使のように愛らしい末息子、レオンの存在だった。
「どうした、レオン。何か用か?」
マルクは、ペンを置いて息子に向き直る。昨日今日と、特に奇妙な言動はなかった。少しだけホッとしていた矢先の訪問に、マルクは無意識に身構えていた。
レオンは、父の大きな机の前まで進むと、背筋をぴんと伸ばし、携えてきた羊皮紙を恭しく広げた。
「父様!私、決意いたしました!本日より、『カッコいい男』を目指します!つきましては、父様にお許しをいただきたい儀がございます!」
「…かっこ、いい、おとこ…?」
マルクは、息子の口から飛び出した予想外の言葉に、思わず眉をひそめた。
レオンは、自信満々に計画の説明を始めた。
「まず、一つ目!私は、もっと勉強がしたいのです!父様のように、たくさんの知識を身につけ、領地や民の役に立てるようになりたいのです!」
これには、マルクも頷かざるを得なかった。
「うむ。良い心がけだ。もう6歳だし、そろそろ家庭教師をつけねばと思っていたところだよ。早急に手配をしよう。」
(よしよし、まずは順当だ。アデルのように優秀になってくれれば、それに越したことはない)
レオンは、ぱあっと顔を輝かせた。
「ありがとうございます!そして、二つ目!私は、剣術を習いたいのです!大事な家族を守るため、強くなりたいのです!」
これもまた、貴族の子息としては当然の嗜みだった。
「それもよかろう。護衛隊長のロイに、基礎から手解きを受けるといい」
「はい、父様!」
マルクは安堵していた。なんだ、子供らしい、実に真っ当な願いではないか。このままなら、胃薬を飲まずに済みそうだ。
しかし、彼の期待は、レオンが掲げた三つ目の計画によって、無惨に打ち砕かれることになる。
「そして、父様。これが最も重要なのですが、三つ目!私は、陰で人助けをする、正義の味方になりたいのです!」
「…正義の、味方?」
「はい!夜の闇に紛れて、法で裁けぬ悪に苦しむ人々を、人知れずお助けするのです!そう、例えば…組紐屋のリョウのように!」
「…………くみひもやの、りょう?」
マルクの思考が、完全に停止した。知らない単語だ。どこの国の貴族の称号だろうか?いや、そもそも貴族の名に『屋』などとはつかない。
レオンは、父が理解できていないことに気づき、必死に身振り手振りを交えて説明を始めた。
「ええと、細くて丈夫な紐…そう、魔法で編んだ糸のようなもので、悪い代官とか、商人とかを、こう…キュッと!」
レオンは、自分の指で、何かを締め上げるような仕草をする。
「『てめえの血は何色だ』などと物騒なことは言いませんけど、悪人だけを狙って、こらしめるのです!普段は目立たぬように、普通の人として暮らしているのが、また格好いいのですよ!」
マルクは、息子の熱のこもった説明を聞けば聞くほど、顔から血の気が引いていくのを感じていた。
『夜の闇』『人知れず』『魔法の糸でキュッと』『悪人だけを狙う』『普段は正体を隠している』
それらの単語が、彼の頭の中で組み合わさって、一つの、そして最もおぞましい結論を導き出した。
(―――暗殺者!?)
なぜだ!なぜ私の6歳の息子が、闇稼業に憧れているのだ!しかも、手口が妙に具体的ではないか!一体全体、どこでそんな知識を仕入れてきたのだ!?
まさか、例の事故で頭を打った衝撃で、前世が暗殺者だった記憶でも蘇ったとでもいうのか!?
いや、我が息子は天使のはず。そんな物騒な前世があっていいはずがない!だが、しかし!
「父様?いかがなさいましたか?顔色が優れませんが…」
レオンが、心配そうに父の顔を覗き込む。その純粋無垢な瞳が、マルクの罪悪感と胃痛をさらに加速させた。
(だめだ、これ以上は私の精神が持たない…!)
マルクは、必死で冷静さを装い、咳払いをした。
「…う、うむ。レオン。その、三つ目の計画だが…それは、非常に、その…デリケートな問題を含んでいるようだ…」
「デリケート、ですか?」
「そうだ。魔法の力というのは、使い方を誤れば、人を助けるどころか、傷つけることにもなりかねん。その…人助けの方法については、専門家の意見を聞くのがよかろう」
「専門家…」
「そうだ!母に相談してみなさい。エレナなら、薬草や魔法の知識が豊富だ。その…君の言う『人助け』に適した、平和的で、穏便な魔法の使い方について、何か良い助言をくれるかもしれん…」
マルクは、考え得る限り最も自然な形で、妻に問題を丸投げすることに成功した。
レオンは、父の言葉に深く納得したようだった。
「なるほど、母様に!わかりました、父様!ご許可、ありがとうございます!」
深々と一礼すると、レオンは意気揚々と執務室を後にしていく。次は母の元へ向かうのだろう。
一人残された執務室で、マル氣は、崩れるように椅子の背もたれに体を預けた。
「……クラウス」
「はっ。こちらに」
どこからともなく、執事のクラウスがすっと現れ、慣れた手つきで小瓶と水の入ったグラスを差し出す。
マルクは、その常備薬をぐっと一気に飲み干した。
「なあ、クラウス…。私は、何か育て方を間違えたのだろうか…」
「…さあ。ですが、レオン様は心優しき、素晴らしいお子様でいらっしゃいます」
「その優しさの表現方法が、どうも斜め上をいっている気がしてならんのだ…」
はあ、と深いため息をつく。
我が家の、そしてこの国の未来は、果たして大丈夫なのだろうか。
マルクの胃痛は、しばらく治まりそうになかった。
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